2018年1月17日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅68

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前11時半頃には静岡県島田市牧之原台地付近に居ました。石柱がありました。東海道菊川坂下り口と記載されています。今となっては、石畳は歩行するのに困難を伴うのです。まあ、贅沢は言えません。
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下り坂入口には、木製の案内もありました。「小夜の中山」方向へ歩くことになります。
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案内板がありました。それには、「江戸時代、東海道を行きかう旅人たちにとって、金谷の峠超えは、粘土質の山道であったため大変難儀をしていました。このため、近郷近在からの助郷役により、石畳を敷いて旅人の難儀を救ったといわれています」とあります。こちらの案内を当方が見ていると、年配の女性が声を掛けてくれました。
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粟ケ岳に「茶」の文字が見えますと教えてくれました。写真撮影したのですが、望遠が効かず上手く撮影できませんでした。後のブログで掲載できると思います。こちらの案内に、同様の説明がありました。
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旧東海道菊川坂は写真のように、右半分が石畳、左半分が舗装道路となっています。下肢の疲労のことを考え、舗装道路を歩いています。
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坂の途中から菊川の宿中心部らしき光景が見えています。
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この付近も牧之原台地の一部のようで、茶畑が延々と続くのでした。

2018年1月16日 (火)

旅の思い出---第1次飫肥街道徒歩の旅7

Cimg8472 2017年11月3日に行った旧飫肥街道徒歩の旅を回顧しています。 11/3午前9時半過ぎには日南市大田川バス停付近から飫肥城址へ向けて歩いていました。旧街道沿いから、何か石碑のようなものが観察できるのでした。Cimg8473 近づいてみると、何やら格子戸のようなものがあり、少々、入るのが憚れるのでした。帰宅後、こちらを地図で調べてみましたがよく分かりませんでした。Cimg8474 大田川橋を渡ります。川幅がある川ではありませんでした。この川がその下流で酒谷川に合流することになります。Cimg8475 下今町バス停まで歩いてきました。このバス停までは1日2便のバスの運行であったはずです。時刻表は撮影していますが、前回と同様なので割愛します。Cimg8478 下今町バス停からすぐ近くに浄念寺学園なる看板がありました。認定こども園との記載もあります。お寺さんが経営しているこども園なのでしょう。以前、保育園は厚生労働省の、幼稚園は文部省の管轄であったようですが、こども園とは良いnamingだと思います。Cimg8479 こちらが、その浄念寺の本堂のようです。かなり立派な本堂です。檀家さんが多いのでしょう。

2018年1月15日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅67

Dscf3238 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前11時過ぎには静岡県島田市牧之原台地付近に居ました。こちらは、諏訪原城跡への案内です。進行方向に沿ってあるようですので、勿論、見学させて頂きました。
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こちらにも、諏訪原城跡の道路案内があります。どうやら、駐車場になっているようです。
Dscf3240 案内には、以下のような記述があります。「諏訪原城は、武田勝頼、徳川家康時代の堀、丸馬出が良好な形で現存し、戦国時代史の過程を理解する上で重要な遺跡として国の史跡に指定されています」 他、場内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城の名が付いたこと、1575年家康により攻め落とされた後は、牧野(原)城と改名されたこと等が記載されていました。
 
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案内板によると、現在地は大手南外堀の外側に位置しているようです。
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二の曲輪中馬出の写真のようです。Dscf3243
中馬出の使われ方のイメージ図もありました。攻城されても、死角がないように成っているようです。

2018年1月14日 (日)

竜馬がゆく---第7巻

7 前回に引き続き今回も司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく第7巻」を選択しています。本の帯には以下のような説明があります。

同盟した薩摩と長州は着々と討幕の態勢を整えてゆく。が、竜馬はこの薩長に土佐等を加えた軍事力を背景に、思い切った奇手を案出した。大政奉還―幕府のもつ政権をおだやかに朝廷に返させようというものである。これによって内乱を避け、外国に侵食する暇を与えず、京で一挙に新政府を樹立する―無血革命方式であった。

さて、この巻でも気になった箇所を抜粋してみましょう。

竜馬の中岡慎太郎への評価「あいつも、生まれがわるかった」仕事というものは騎手と馬の関係だ。(中略)いかに馬術の名人でもおいぼれ馬に乗っていてはどうにもならないp59。

高杉晋作の人生観「困ったとは言わない。困ったといったとたん、人間は智恵も分別もでないようになってしまうp74。

後藤象二郎を評価する竜馬の言葉「あれだけの長い酒の座で、ひとことも過去を語らなんだ。ただ、将来のみを語った」p157。

竜馬のお龍の評価のなかで「人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるということだ」p391。

さて、続きを読むことにしましょう。

 

近所の散策2018---小寒過ぎ4

Dsc_0524こちらは当家に植樹しているロゼフローラとうい椿の今週の状況です。小さなピンク色の蕾が開花の準備をしています。Dsc_0535こちらは河津桜の状況です。少々、その芽が大きくなりつつあるというくらいです。Dsc_0537こちらはカメリアファイヤーダンスという椿です。ロゼフローラより2回りほど大きな蕾の状態です。Imgp1112さて、今朝は少々、寝坊をして午前6時頃に起床しています。朝食を取り昨夜のブラタモリの前半を録画でみて、周囲が明るくなった午前7:20分頃から約3Kmのjoggingへ出かけています。昨日と同じ時間帯ですが、大型貸し切りバスや通常の乗用車の通行は多くない印象です。センター試験の開始時間が昨日より遅いのでしょうか。今朝は曇天です。天気予報では昨日より今朝の方が冷え込む予報でしたが、体感としては今朝は昨日ほど寒くはありません。といいながら、今まで使用していなかったファンヒーターを自室へ持って来て点火しています。今日も特に予定はありません。

2018年1月13日 (土)

旅の思い出---第1次飫肥街道徒歩の旅6

Cimg8462 2017年11月3日に行った旧飫肥街道徒歩の旅を回顧しています。11/3午前9時半過ぎには県道430号線の水垂観音から飫肥方面へ歩いていました。先の石柱付近から上り坂となり、峠となっているのです。案内板には、飫肥城址まで2Kmとあります。Cimg8463 「殿所(とんところ)峠」というバス停がありました。この付近の地名のようです。Cimg8464 バス停の下には、こちらの案内がありました。「フリーバス御案内」とあります。内容は、(立野)~(下今町)間は、停留所以外でも自由に乗降できるとのことです。ご乗車の際は、見通しの良い所で手をあげてお知らせ下さいともあります。非常に長閑です。Cimg8466 バス停のすぐ近くには、峠の茶屋岩切商店があるのでした。腰掛が準備されているのですが、営業しているのか否かは不明です。Cimg8468 この峠の茶屋から飫肥方面へは下り坂となります。自家製と思われる飫肥への案内板にも「下」とあるのでした。Cimg8470 坂を下っていると、県立日南高校が見えてきました。当ブログにコメントをくれる「腹さんの母校かな」なんて考えるのでした。Cimg8471 宮崎交通のバス停が見えてきました。この付近は太田川という地名のようです。時刻表は撮影しませんでしたが、やはり1日2便の運行だった記憶が残っています。

近所の散策2018---小寒過ぎ3

Imgp1104今朝は午前5時頃に目が覚めたので、そのまま起床しました。朝食を頂き、周囲が明るくなるのを待って午前7時半前から約6Kmのjoggingへ出かけています。こちらもjogging中に見かけた風景です。近所のお宅では大根が干してありました。Imgp1106土手沿いの道路脇では氷が張っているのを見かけました。Imgp1108宮崎大学近くなので、センター試験受験の受験生を乗せた貸し切りバスが午前7時40分頃から多数、走っているのでした。普通乗用車も、いつもの時間帯に比し多い印象があります。自転車で試験会場へ向かう制服姿の高校生も見かけました。Imgp1110こちらは、先週も撮影した山です。空には雲1つありません。放射冷却現象で冷え込んでいる印象です。今朝は、手袋を二重にしてjoggingへ出掛けました。最近は手袋をしていても寒くって、手が痛くなるのです。今日も特に予定はありません。雑用、読書、net-surfingで時間が経過することでしょう。

2018年1月12日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅66

Dscf3227 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前11時過ぎには、旧東海道金谷宿金谷坂付近に居ました。金谷坂には、「すべらず地蔵」があるようです。多数の幟があるのでした。幟には受験生の氏名が記載されていた記憶があります。
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こちらが、すべらず地蔵尊の六角堂のようです。合格(五角)の上をいく六角という意味もあるのでしょうか?
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さらに登坂を続けると立派な石碑があるのでした。逆光と望遠が不十分なため写真では判読困難ですが、「明治天皇御駐輦(ちゅうれん?)址」とあります。輦は天子の乗る車という意味だそうです。
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明治天皇の大きな石碑の横には、芭蕉の句碑もありました。「馬に寝て残夢月遠し茶の煙」とあるようです。「茶の」後の漢字が読めませんでした。煙のようです。
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少々、予定進行方向とは逆の方向へ進んでみました。すると、このような茶畑があるのでした。これが有名な牧之原台地だったのです。
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牧之原台地はこの後、果てしなく続くのでした。予定進行歩行へ戻り菊川坂石畳方向へ進むことにします。

2018年1月11日 (木)

旅の思い出---第1次飫肥街道徒歩の旅5

Cimg8449 2017年11月3日に行った旧飫肥街道徒歩の旅を回顧しています。11/3午前9時過ぎにはJR日南線内之田駅から飫肥駅方向へ県道430号線を歩いていました。沿道に、このような案内板があることに気が付きました。市指定有形文化財 水垂観音とあります。案内文には、水垂観音のそばに小滝がありること、本尊は1915年に盗難にあったこと、子持観音がまつられているが、それは間引きにあった子どもたちの霊を弔うものであること等の記載があります。Cimg8450 観音堂へは、このような急峻な山道を登坂する必要があるのです。しかし、折角なので見にいくことにしました。Cimg8452 観音堂らしきものが見えてきました。Cimg8455 観音堂の横には、本当に小さな滝があるのでした。落差にして約50cm程度でしょうか。Cimg8457 小滝からの水は、県道430号線の脇まで達して、写真のように流れているのでした。Cimg8459 水垂観音から飫肥方面へ約10分程度、歩行すると、こちらの石碑がありました。かなり古いものだと推定されます。石柱には、「飫肥へ?拾六町四拾壱間四尺」とあるようです。かなり、神経の細かい方が刻んだのでしょう。

2018年1月10日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅65

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前11時頃には旧東海道金谷宿近くに居ました。金谷大橋があった付近を登坂し、県道473号線を渡ります。旧東海道石畳入口とあります。
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こちらが、入口から撮影したものです。これから登坂するようです。未だ、舗装道路でした。
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案内図がありました。現在地を確認しましょう。現在地は、赤で示されている所です。周囲にはランドマーク的なものは何もないようです。旧東海道は、案内図の⑧という番号が振られた道を辿っていくようです。
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石畳茶屋がありました。昔も同様に茶屋が旅人に休憩の場所を提供してことでしょう。
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さらに進むと舗装道路から石畳の道となりました。石柱には、東海道金谷坂、石畳登り口とあります。
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案内には、以下のような記載があります。「この石畳は、江戸時代幕府が近郷集落の助郷に命じ、東海道金谷宿と日坂宿との間にある金谷峠の坂道を旅人が歩き易いように山石を敷き並べたものであると言われています」「いま、街道の石畳で往時を偲ぶことができるのはこの金谷坂のほか、箱根峠、中山道十曲峠の三個所だけとなりました」
でも、この石畳は歩くと非常に疲れるのです。

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