2017年3月30日 (木)

関ケ原---中巻

Photo

今回はこちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「関ケ原中巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。

秀吉の死後、天下は騒然となった。太閤の最信任を獲得した能吏三成は主君の遺命をひたすら堅守したが、加藤清正、福島正則ら戦場一途の武将たちは三成を憎んで追放せんとする。周到な謀略によって豊家乗っ取りにかかった家康は、次々と反三成派を篭絡しつつ、上杉景勝討伐の途上、野州小山の軍議において、秀頼の命を奉ずる諸将を、一挙に徳川家の私兵へと転換させてしまう。

さて、今回も気になった箇所を抜粋してみましょう。「ひとには感情というものがござる。道理や正しさを楯にとってひとの非を鳴らすのは敵を作るだけで何の利もござりませぬ」(島左近の石田三成に対する言葉)(p300)

「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる、とういうことばがある。すばしっこい兎が野山でとりつくされてしまうと、それまで猟師のために働いた猟犬が不用になり、殺して烹て食われてしまうとうい意味である。如水はそのことばも知っている」(p411)

天下を統一して安定期に入った豊臣秀吉は、黒田如水のことを最も恐れていたと言われています。

2017年3月29日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅58

32239
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時前には旧東海道蒲原宿に居ました。旧街道は右へカーブし、旧国道1号線と合流することになります。写真正面には何やら石碑があります。近づいてみると、

32240
浄土真宗法流山長栄寺とあります。まあ、当方にはあまり興味のないお寺さんでした。更に旧街道を西へ進みます。

32243

すると非常に立派な建物がありました。鉄筋コンクリート製です。写真左にあるように五十嵐医院とあります。先のブログの五十嵐歯科医院と縁戚関係があるのでしょうか。たぶん、五十嵐家はこの地の旧家なのでしょう(想像です)。勿論、駐車場にはベンツがあるのでした。

2017年3月28日 (火)

近所の散策---春のお彼岸の頃1

20170326
こちらはjogging中に見かけた近所のときわまんさくです。一部が綺麗に開花していました。
少々、近づいて撮影してみましょう。
Photo
zoom in すると、このようになります。
当家の生垣もときわまんさくですが、昨年は開花しませんでした。今年はどうでしょうか。

2017年3月27日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅57

32232
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時前には旧東海道蒲原宿に居ました。旧街道を歩いていると、こちらのようなモダンな家屋がありました。近づいてみましょう。

32233
表札には五十嵐歯科医院とあります。

32234

案内がありました。大正時代の洋館 国登録文化財「旧五十嵐歯科医院」とあります。「旧五十嵐歯科医院は、町屋を楊数に増改築した擬洋風建築と呼ばれる建物で、外観は洋風、内観は和風というユニークな建物です。当時の洋風建築としては珍しくガラス窓が多く使われ開放的であり、下見板の白いペンキとあいまってモダンな息吹が感じられます。大正3年、五十嵐準氏が自宅を3回にわたり洋風に改造し、歯科医院を開業しました。水道がなかった時代、井戸水を二階の診察室まで通したポンプや配管も残っています。名医として知られ、当町在住の元宮内大臣田中光顕伯爵も患者の一人でした」とあります。
32236
街道の対側にも旧家らしきものがあります。

32237
行燈でしょうか、志田邸東海道町民生活歴史館と記載されているようです。時間的に未だ開館前だったようです。

32238

蔀戸のある家 国登録文化財志田家旧宅主屋となります。「志田家はヤマロクという屋号で、味噌や醤油の醸造を営む商家でした。安静元年(1854)の大地震の直後に再建されたという東側二階建て部分は、通り土間一列型と呼ばれる町屋形式の典型です。蔀戸とは、日光や風雨などをさえぎる戸のことです。上下二枚に分かれていてじぇ半分を長押から吊り、下半分は懸金で柱に打った寄せにとめ、全部解放するときは下のものは取り外せます。昼は上に吊りあげて目隠しに用い、寄るは下して戸締りの役を果たしました」とあります。うーん、やっぱり蔀戸が理解できない。

2017年3月26日 (日)

無線LAN子機

Lan
自宅PCの無線LANが実は、昨日から不調でした。夕方からプリンターとの接続が出来なかったり、突然、切れたりするのです。
本日、午前中にもブログを記載している際に突然、切れました。昨日、新しいアプリをinstallしたからかもしれません。内臓無線LAN子機が壊れたのかもしれません。
「内臓無線LAN子機がoffになっている」と表示されます。当方の自宅PCは2011年11月に購入したもので当初はWindows7機でした。昨年、Windows10にupdateしてから不調が続きます。一部のInstant Keyが使用不可となっているのです。
先ほどEDIONへ行き、こちらの無線LAN子機を購入して来ました。I・O DATAのWN-G150UMWです。最大150Mbpsの速度ですが、driver install不要が気に入りました。お値段は\1000程度でしたがポイントの残があり手出しは不要でした。漸く無線LANが繋がりました。チョット、安心。
 

稲の定点観測2017---その2

2017032601_2
宮崎平野の早期水稲の定点観測地点の今朝の状況です。いつもの山が田圃の水面に反射して写っています。
2017032602_2
定点観測地点の隣の田圃では田植えが始まっていました。苗床が田圃の横に準備してあります。
2017032603_2
昨日が雨だったからでしょうか今日に田植えが延期されたのでしょう。
さて、昨日は非常に寒い1日となりました。自室のエアコンを暖房運転したくらいでした。
今日も通常の休日と同様に午前6時には起床し、朝食を頂き、7:30分からがっちりマンデーを見ています。その後、約6Kmのjoggingへ出かけています。
本日のがっちりマンデーでは、東京ディズニーリゾートの話でした。1/17夜にはアルバイト職員のキャストにためのサンクスデーなるものがあるようです。
キャストがディズニーランドを楽しみ、その夜は管理職が現場にでて働くというものでした。
現場に人間は喜ぶし、管理職は現場に出ることで現場を知ることができ非常に素晴らしい企画、会社だと思いました。
とここまで記載したら当方の自宅PCの無線LANが不調となってしまいました。現在、有線で使用しています。今日は、これからPCに振り回されそうです。

2017年3月25日 (土)

スーツケース

01
長女用のスーツケースです。当家では海外旅行の際でもスーツケースはレンタルとしています。理由は購入すれば自宅内で場所を取ってしまうためです。今回は止むを得ずスーツケースを購入しています。本来であればレンタル落ちのスーツケースを格安で購入する方法もあったのですが、妻と長女が新品のプロテカを購入して来ました
02
サイズは100Lのようです。容量も大きいですが、お値段も凄いです。何と\64800(税込み)もするのです。まあ、一生物と考えて良いとしましょう。

2017年3月24日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅56

32227

2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時前には旧東海道蒲原宿に居ました。蒲原宿がお勧めの旧街道であるのは、その雰囲気が残り、案内がしっかりしている上に、このように旧東海道見学者用駐車場が完備されているのです。これなら足腰が不自由でクルマでお越しになった方々でも見学が可能です。これこそが、「おもてなし」だと思います。
32228

高札場跡もありました。「高札とは徳川幕府の禁令、定などを記した立札のことで、辻札ともいわれました。宿場や村には必ず高札場が設けられ、民衆に法令や定を周知させていました。正徳元年(1711)に出された五高札が有名で、①伝馬に関する定 ②忠孝を奨励する定 ③毒薬や贋金銀売買の禁止の定 ④切支丹宗門禁制の定 ⑤火付(放火)重罪の定 が墨書されて掲げられていました。また貨客運搬の駅場や忍足の賃金も改定のたびに掲げられられました」とあります。宗教の件以外は、現在でも通用する内容となっていますね。
32229
街道沿いには、「御殿道跡」なる案内もありました。「かつて、このあたりに蒲原御殿がありました。はじめは武田氏を攻めて帰る織田信長を慰労するために徳川家康が建てた小規模なものでしたが、二代将軍秀忠、三代将軍家光がとうかいどうを往来するたびに拡張、整備され、規模も大きくなりました。御殿の正確な位置はわかりませんが、このあたり一帯の相当広い地域を占めていたと思われます。背後の山を御殿山、ここから下る道を御殿道と呼んでいます。ちなみに寛永11年(1634)家光上洛以降、蒲原御殿は使用されなくなりました」とあります。

32230

こちらの旧家の横に、御殿道の案内がありました。写真左の小さな道が御殿道なのでしょうか?

2017年3月23日 (木)

関ケ原---上巻

Photo
今回はこちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の関ケ原上巻です。本の帯には、以下のように紹介されています。
東西両軍の兵力じつに十数万、日本国内における古今最大の戦闘となったこの天下分け目の決戦の起因から終結までを克明に描きながら、己れとその一族の生き方を求めて苦闘した著名な戦国諸雄の人間像を浮彫りにする壮大な歴史絵巻。秀吉の死によって傾きはじめた豊臣政権を簒奪するために家康はいかなる謀略をめぐらし、豊家安泰を守ろうとする石田三成はいかに戦ったのか。
さて、これまで時代経過に伴い司馬遼太郎氏の戦国4部作となる「国盗り物語」、「新史太閤記」を読書して来ましたが、その第3シリーズとして「関ケ原」を読むことにしています。時代経過としては、同氏の「城塞」が第4部作目となるようです。まあ、ここまで来たら「城塞」も読書することになりそうです。
さて、「関ケ原」です。
この本で気になった箇所を抜粋してみましょう。
島左近は、石田三成の欠点について、こう指摘した。「人間に期待し過ぎるようですな」(p133)。
家康の加藤清正の評価です。「性格が武士でありすぎる。政治感覚がないのである」(p217)
家康の石田三成の評価です。「かの秀吉という仁は、瞬時も手足を休めず、さまざまな手を打つのに忙しい仁であったが、しかしここは一番待たねばらなぬとなると、大地が腐るまで我慢をするという気根があったな。三成にはそれがない」(p284)。
 
なるほど、左近は大人である。家康はそれよりもさらに、地についた大人である。出来ることを無理なく地道にやってゆく(p332)。
色々と良い言葉に出くわします。今回、この本から島左近なる人物の存在を初めて知りました。世間に知れた三成の名軍師です。

2017年3月22日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅55

32222

2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時前には旧東海道蒲原宿に居ました。こちらの蒲原宿は、旧街道を薄いブラウン色にしているようです。信号左には案内図がありました。

32223_2

案内図の茶色で塗装されているのが旧東海道となります。以前、記載した本町を区画するのは図の水色の川です。写真上方向が本町となるのです。
32224

案内の横には、蒲原宿すたんぷ処がありました。スタンプ好きなかめかめさんであれば、必ずスタンプを押していたことでしょう。当方は、こちらの中にあった案内パンフレットを頂戴して来ました。

32225
街道沿いには旧家らしきものがありましたので近づいてみます。

32226
案内には、「手作りガラスと総欅の家(磯部家)」とあります。「明治42年(1909年)に建築された当家は、素材の美しさから近世以降、寺院建築に用いられた欅を材とし、柱や梁から一枚板の戸袋に至るすべてが欅づくりで、長年磨き込まれた木目がみごとです。二階の窓ガラスは、波打つような面が美しい手作りのガラスです。日本における板ガラスの生産開始が明治40年ですから、国産、輸入品の見分けは困難ですが、当時の最先端の建築用材といえます」とあります。

確かに下から二階の窓ガラスを見上げると波打っていた記憶があります。写真撮影は不可でした。木目に関しては記憶がありません。

«一本だけ早い染井吉野---開花状況3

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック