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2016年4月

2016年4月30日 (土)

稲の定点観測2016---その6

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宮崎平野の早期水稲の定点観測地点です。晴天となりました。青い空が綺麗です。いつもの山の山肌の露出が広がっている印象です。やはり樹木が伐採されているのでしょうか。

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稲の方は、通常より倍率を上げて撮影していますが、先週とあまり変わりばえしていないようです。

今朝も6時には起床し、朝食をとり約3Kmのjoggingへ出かけています。その後、シャワーを浴び仕事場まで来ています。午前中のみ仕事です。流石にGoldenweek中なので道路は空いていました。長女は登校、妻は博多へ向かいしました。

2016年4月29日 (金)

近所の散策---穀雨の頃5

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こちらは当家裏庭にあるすずらんの花です。小さな花がほぼ満開となりました。直径5-6mm程度でしょうか、下を向いて開花しているので花心は観察することができません。膝まついて撮影しましたが、花が写真の中心にはなりませんでした。まあ、いっか。

さて、本日は久しぶりの晴天の休日となりました。今朝も6時には起床し7時前から約6Kmのjoggingへ出掛けています。少々、空気は肌寒い印象がありますが、これから気温は上昇することでしょう。心地よい風も吹いています。世の中はGolden Weekの開始を報道していますが、当方にはあまり関係がありません。今日一日を良い休日にしようと思います。

2016年4月28日 (木)

近所の散策---穀雨の頃4

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こちらもjogging中に見かけた小さな小さなさくらんぼです。例年、1本だけ早く開花する染井吉野の樹に成っていたものです。数は多くはありません。恐らく野鳥が突いて食べてしまったのでしょう。focusがやや甘くなっています。球状であまり濃淡のないさくらんぼにauto focusで合わせるのは困難なのでしょう。老眼ではピントが合っているか否かを確認するのも大変です。

2016年4月27日 (水)

近所の散策---穀雨の頃3

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こちらもjogging中に見かけた路傍の「あやめ」です。例年、同じ場所で開花します。道路脇においては、この紫色が非常に目立ちます。少々、時期が遅かったようですが綺麗なものを撮影してみました。ちなみに「あやめ」は都城市の市の花となっているはずです。

2016年4月26日 (火)

近所の散策---穀雨の頃2

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こちらも近所のお宅に開花していたはまなすだと思います。直径10cm弱ある大きな花です。家屋の壁際に開花しているのを撮影してみました。

2016年4月25日 (月)

近所の散策---穀雨の頃1

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少々、時期が遅くなりましたが当家の近くの街路樹の八重桜が開花しています。白、ピンク色の花弁が見えます。近くには、

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未だこのような小さな花弁もあります。花弁が成長するにつれピンク色から白色に変化していく印象です。

今年は4/20が穀雨だったようです。天候も今週は降雨の予報が多いようです。先人の観測、観察、知恵に驚きますね。

2016年4月24日 (日)

水耕栽培---チマサンチュ5

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Greenfarmによる水耕栽培の今週のチマサンチュの状態です。この1週間で、かなり急激に生長しました。サンチュの葉が大きくなっていることがお判り頂けると思います。

さて、今朝も午前6時頃には起床し、そのまま約3Kmのjoggingへ出掛けています。というのは午前中から降雨の天気予報だったからです。折角の休日ですが、生憎の雨となりました。まあ、体を休めるには丁度、良いのかもしれません。

2016年4月23日 (土)

稲の定点観測2016---その5

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宮崎平野の早期水稲の定点観測地点です。いつもの山の山肌の伐採が進行しているような印象があります。水田の水面に山の稜線が反映しているのが判ります。今朝も写真のように曇天です。天気は下り坂の予報です。

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早期水稲の方は、ほんの僅かですが生長しているような印象があります。

天気予報が下り坂でしたので今朝も午前6時頃には起床し、朝食を頂き、約6Kmのjoggingへ出掛けています。途中、日が射す事もありました。天気の良いうちに雑用をしようかと思っています。

妻は出張で京都方面へ出掛けたのでゆっくりと一人の時間を楽しもうと思います。あっ、そうそう長女の送迎がありました。

2016年4月22日 (金)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅18

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1午前8時半頃には早川沿いにある小田原用水取入口に到達しました。

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勿論、オヤジとしては見物に行くのでした。こちらもブラタモリ小田原編で紹介された場所ですが、on airの前に当方は行っているので、このときはブラタモリに紹介されることは全く知りませんでした。小田原用水に関しては、こちらを参照下さい。
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写真左が早川で、こちらが用水となります。この付近もブラタモリで紹介されたような気がします。

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こちらが取水口だったような気がします。少々、記憶が定かではありません。

2016年4月21日 (木)

仮想日本縦断鉄道の旅---その4

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2016年3月1日から3月31日までjoggingで93Km走っています。今回の仮想乗車は、肥薩おれんじ鉄道阿久根駅から八代駅まで乗車したと仮想します。この間は86Kmで通常各駅停車で121分で走行するようです。料金は2100円だそうです。持ち越し分の残は86Kmです。

こちらの路線は、以前、2回、乗車した経験があります。最初は九州1周の旅で、2回目は博多まで鹿児島経由で乗車したと思います。波立つことみなく穏やかな八代海が印象的でした。また、機会があればのんびりと鈍行で乗車してみたいものです。

4/21追記、4/14夕方に発生した熊本大地震により八代駅に繋がる在来線、九州新幹線、九州道は運行、通行が不可になっています。被災者の皆様にはお見舞い申し上げます。一日でも早い、復旧、復興を祈念しております。

2016年4月20日 (水)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅17

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。箱根登山鉄道箱根板橋駅を過ぎてから旧東海道から外れていたことに気が付き新幹線高架下を潜り、板橋見附まで戻っています。

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こちらが間違えた箇所です。写真左が国道1号線、写真右に旧東海道があります。旧東海道は、写真ジャブクリーニング店の右側になります。
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こちらが旧東海道です。新幹線の高架が見えます。
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こちらの交差点には板橋(上方)口に関しての案内板がありました。「戦国時代の末期、小田原北条氏は東海道をも取り込み、城下の外周を土塁や空堀で囲んで防御する壮大な総構(大外郭)を築きました」とあります。総構に関しては、ブラタモリ小田原編でも登場しましたね。

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少々、見難くて申し訳ないのですが、写真の赤線が旧東海道となります。クリックで写真が大きくなりますので見てください。

2016年4月19日 (火)

水耕栽培---チマサンチュ4

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水耕栽培しているチマサンチュの今週の状況です。先週に比し、葉が成長して大きくなっているのが判ります。結構なspeedで生長しています。今後の生長が楽しみです。

2016年4月18日 (月)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅16

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1午前7時半頃には国道1号線箱根口交差点付近に居ました。この標識を見て「なーんだ。箱根って近いじゃん」と思ったのですが、それは全く間違っていました。この箱根口から本来の箱根までは非常に遠かったのです。

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しばらく歩くと「人車鉄道、軽便鉄道小田原駅跡」の石碑がありました。

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石碑横には以下のように記載されています。「明治29年3月熱海方面への陸上輸送路として豆相人車鉄道が開設され、早川口が小田原駅となった。明治41年に軽便鉄道とし、小田原電鉄からの乗換駅として、この地方の交通の恩恵を与えた。大正11年12月国鉄熱海尖が真鶴まで開通したことによって、その任務を全うした」

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さらに箱根方面へ歩くと午前8時前には箱根登山鉄道箱根板橋駅付近に到達しています。こちらの駅舎内を少々、散策しています。この時は旧東海道から外れていることに気が付いていませんでした。

2016年4月17日 (日)

稲の定点観測2016---その4

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宮崎平野の早期水稲の定点観測地点です。写真は本日午前7時頃に撮影しています。朝の時点で西方の空は曇天です。いつもの山が田圃の水面に反映しています。早期水稲の今週末の状態は、

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このような感じです。先週に比し、気持ち生長しているような印象がありますが、気のせいでしょうか。

さて、今日も午前6時前に起床し朝食を取り、午前7時前から約6Kmのjoggingに出掛けています。jogging中に写真を撮影しました。これから天気は回復する予報です。午前8時過ぎには太陽が顔を出して来ました。4/14からの九州地方の地震と、夜明け前の少々強い風雨で3夜連続の寝不足状態です。昨夜の雨の影響で、これから天気が回復すれば湿度が上昇し、蒸し暑い1日になることでしょう。妻は昨日当方の搭乗した飛行機で同じ会議に出席すべく東京へ出発して行きました。復路の飛行機も同一のようです。

これから休日にすべき事項を1つづつ消化していく予定です。



2016年4月16日 (土)

宮崎へ

宮崎へ
東京国際フォーラムから浜松町駅へ移動し、いつもの文教堂書店で、ちょっと本を散策しました。その後、羽田空港まで移動しています。搭乗予定のANA613便は機材繰りのため15分遅延するようです。

東京国際フォーラム

東京国際フォーラム
今回の目的地は、東京国際フォーラムです。

秋葉原

秋葉原
秋葉原に、ちょっと、寄り道です。

ちょっと東京へ

ちょっと東京へ
熊本で大きな地震が発生し阿蘇大橋が崩落したようです。そんななか東京まで出張している場合ではないのかもしれません。7時50分発のANA602便に搭乗します。今朝、携帯電話で目覚まし時計を設定していましたが、緊急地震情報のエリアメールでリセットされたようです。エリアメールで深夜に起こされ2日続けて寝不足になるわ、あやうく寝坊するところわで、地震に振り回されています。

2016年4月15日 (金)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅15

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1午前7時半前には小田原城大手門前に居ました。今回の旅行中に雨が降れば小田原城を見学しようかと思っていました。結果的には、降雨はなく見学は出来ませんでした。

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大手門を過ぎ、小田原なりわい交流館前を右折します。旧東海道は道成りに右折するようになっているのです。なりわい交流館は、開館前でしたので見学することは不可でした。
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なりわい交流館を過ぎると本町となります。

本町とは、「小田原北条氏時代、この町は通小路(とおりこうじ)といわれていたが、 江戸時代前期にこの町を基準にして城下の町人町を左右に町割したとき本町と改められた。隣の宮前町とともに小田原宿の中心で江戸時代末期には本陣二、脇本陣二に旅籠(はたご)が二十六軒ほどあった」。参考リンクはこちらです。

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町名の由来は、「町名は、この町から城内にかけられていた橋の名前によりついたといわれている。町内には小田原北条氏時代から旧家外郎(ういろう)家があり、江戸時代末期には本陣一、旅籠(はたご)が十軒ほどあった」。参考リンクは先ほどと同一です。

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さらに箱根方面へ歩きます。なにやらお城のような建物もありました。ういろう本店です。我々が知っている「ういろう」はお菓子のういろうですが、他に薬品のういろうもあるようです。外郎(ういろう)家が作製、製造していたものを「ういろう」と言ったようです。ういろう本店内にはういろう博物館もあるようです。こちらも開館前で入館できていません。

2016年4月14日 (木)

九州地方で地震---今日の夕食

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今日の夕食です。今夜は当直で夕食は仕事場が準備してくれます。今日のメニューはぶり大根他です。

さて、先ほど9時半頃に九州地方で比較的大きな地震がありました。TVを見ていたのですが、緊急地震警報が出たかと思った途端、当方の携帯電話(ガラケー)が振動しました(震警報のエリアメール)。その直後から大きな揺れを感じました。時間的には30秒程度だったようですが、長く感じました。久しぶりに恐怖、不安を感じる地震でした。宮崎地方は、震度3~4程度のようです。

事務所内には被害はないようです。他部署も見回って来ましたが地震の影響はないようです。TVでは盛んに地震関連の報道が続いています。

逃亡---上巻

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今回は、こちらの本を選択しています。帚木逢生氏の「逃亡」です。実は前回選択した吉村昭氏の「逃亡」はおまけだったのです。水神を読書した後に帚木逢生氏の本を読書しようとして「逃亡」で検索したら、吉村昭氏の「逃亡」もhitしたので同時に購入したのです。帚木逢生氏の「逃亡」の帯には以下のようにあります。

1945年8月15日、日本敗戦。国内外の日本人全ての運命が大きく変わろうとしていた――。香港で諜報活動に従事していた憲兵隊の守田軍曹は、戦後次第に反日感情を増す香港に身の危険を感じ、離隊を決意する。本名も身分も隠し、憲兵狩りに怯えつつ、命からがらの帰国。しかし彼を待っていたのは「戦犯」の烙印だった……。「国家と個人」を問う日本人必読の2000枚。柴田錬三郎賞受賞。

本の中には、旧日本軍の香港占領後のブラッククリスマスの件が記載されています。陵辱、略奪があったようです。日本人としては、これはこれで歴史認識をする必要性はあると思います。ただ、旧ソ連軍がベルリンに入城した際にも同様のことがあったはずです。戦時という非日常事態で発生した事案を個人の責任にするのは無理があろうかと思いますが。文中の残酷な記述の箇所は、やはり、恐怖を感じます。

2016年4月13日 (水)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅14

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1は午前5:30分頃には起床し午前7時には出発しています。こちらは宿泊したホテルに隣接してあった北条氏政、氏照の墓所です。

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墓所への階段を上がりお墓を撮影しようと思ったのですが、中年の女性が墓所内を清掃されていたので取りやめました。今でも小田原市民には北条氏は慕われているのでしょう。

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小田原駅前から市民会館方面に歩くと、上幸田という町名の石碑がありました。この地名は、小田原北条氏時代、北条氏の家臣幸田氏が居住していたためといわれている。この地は、小田原城内に入る門の一つ、幸田門から北へ走る道路の両側にあった長方形の侍町で、下幸田ととも に幸田門を守る重要な位置にあった。参考リンク先はこちらです。

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さらに市民会館方面へ歩くと和風の立派な建物がありました。料亭かと思いましたが、なかなか店名が読めませんでした。今回、調べてみるとだるま料理店でした。その造りから小田原の老舗なのでしょう。いつかは、こちらで食事をしてみたいものです。

今日の朝食

今日の朝食
今日の朝食はten.Yさんがパン教室で焼いたパンです。昨日、届きました。それでは頂きます。ten.Yさんは北海道旅行といい、パン教室といい人生を謳歌しいるようです。

2016年4月12日 (火)

水耕栽培---チマサンチュその2

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Greenfarm水耕栽培の今週のチマサンチュの状況です。前回も記載したように、今回の播種は4/2でした。その際に1つのスポンジ穴に2つの種子を植えています。定点観測の中央部の葉はやや成長しているようです。横には小さなもう1つの双葉が観察できます。間引きすることは躊躇しますので、このまま観察することにします。

2016年4月11日 (月)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅13

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。11/30午後5時前には旧小田原宿に到着しています。石碑には、「しんしくちょう」と記載されています。「しんしくちょう」とは?と思いました。

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石碑の横には、以下のような説明が記載されていました。しんしくちょうとは新宿町なのです。「江戸時代前期、城の大手口変更によって東海道が北に付け替えられた時にできた新町。町は、藩主帰城の時の出迎場であったほか、郷宿(ごうやど-藩役所などへ村人が泊まる宿屋)や茶店があり、小田原提灯(ちょうちん)づくりの家もあった」。参考リンクはこちらです。

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新宿町を過ぎ、さらに西方向へ進みます。すると同様な石碑がありました。植木に半分、埋もれていますが、唐人町と彫られています。

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同様に以下の説明文がありました。「小田原北条氏時代、中国人が遭難して小田原に漂着し、その中の四十余人が許されてこの地に居住したので、「唐人村」と呼ばれていたことが、唐人町の名称と関係があるもと考えられている。唐人町の通りは、寛永年間(一六二四~四三年)、将軍家光の上洛に先立ち、小田原城大手門に至る御成道(おなりみち)として新設されたもので、その東端には土塁をともなった柵門(黒門)が設けられていた」。参考リンク先はこちらです。

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午後5時頃には小田原駅前に到着しました。乗り換えることはあっても駅前に降り立ったのは初めてのような気がします。

2016年4月10日 (日)

稲の定点観測2016---その3

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宮崎平野の早期水稲の定点観測地点です。いつもの山の伐採が進んでいるような印象です。山の地肌が露出している面積がなんだか広がっているようです。どうなのでしょうか。

定点地点の早期水稲の状態は、

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このような感じです。

今朝は朝から小雨が降っています。このためjoggingには出かけることができません。今朝も6:00頃には起床し、レモンティーを飲みながら自室で読書をしていました。7:20分頃に妻が朝食に準備ができたと自室に来ました。今朝はゴルフの中継でがっちりマンデーの放送がありませんでした。朝食後は、再度、自室に戻り読書をしています。不明な単語に出くわしたときに、タブレット端末で検索するのが楽しいです。でも簡単に調べられるので記憶することは困難です。

2016年4月 9日 (土)

ten.Yさんの北海道土産

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当ブログにも登場するten.Yさんから北海道土産が届きました。ふくろうの靴べらとレア・チーズケーキです。チーズケーキのpackageには足寄町のカトレアHO製造とあります。ちょっと調べてみるとあしょろ庵の商品のようです。チーズケーキは3ツ頂戴したのですが、写真を撮る前に誰かが食べちゃったようです。足寄町といえば、松山千春さんの出身地として有名です。ただ、この時期の北海道は未だ寒かったのではないでしょうか?

ten.Yさん、いつもいつもありがとうございます。

散髪

散髪
今朝は午前9時から散髪です。少々、髪の伸びからは散髪するには早いのですが来週末には予定があること、髪の毛のことが気になり始めると本当に気になることから散髪することにしました。

今朝は少々、朝寝坊をして6:30分頃に起床しています。朝食を摂った後、曇天の天候のなか約6Kmのjoggingをし、シャワーの後、散髪に出掛けています。

3月中旬から約3週連続の週末の出張、勤務があり、お疲れさんmodeでした。どうにか今日にたどり着いたという感じです。今週末は土曜日、日曜日の連休で充分に体を休めたいと考えています。

今日は曇天、明日は降雨の天気予報です。どちらも晴天であれば疲れもすっ飛ぶのでしょうが、仕方がありませんね。

2016年4月 8日 (金)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅12

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。11/30午後4時半過ぎには小田原宿付近に到達しています。周囲もやや暗くなり、こちらの標識をみたときには少々、嬉しかった記憶があります。

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標識の横には、こちらのような案内があります。「山王口は江戸見付口とも呼ばれ、小田原城から江戸に向かう出入り口であるとされていた」とあります。江戸日本橋から約83Kmの距離となっているようです。

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こちらは、小田原城跡江戸見付の標識です。その横には地図による案内もありました。
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矢印で示している場所が現在地です。市民会館前まで道成りに歩き小田原駅前のホテルまで行くのですが、この地点から小田原駅前までがかなりの距離があった印象です。疲労していたためでしょう。

2016年4月 7日 (木)

水耕栽培---チマサンチュその1

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Greenfarmを使用しての水耕栽培を再開しました。今回もチマサンチュを栽培してみます。mix  lettuceの成長があまり良くなかったので、良く成長するチマサンチュとしました。先週の4/2に播種したのですが、5日目で既に、双葉が出ています。凄い生命力です。同時に屋外にあるプランターにも播種しましたが、こちらは未だ双葉は出ていませんでした。どちらが上手く成長するか観察してみる予定です。

2016年4月 6日 (水)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅11

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。11/30午後4時頃には酒匂川付近に到達しています。高校時代の英語のM先生が、「酒匂とは、酒が匂うと書き、良い名前だな」と発言していたのを思い出します。

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ちょっと、道をはずれて酒匂橋を撮影しました。既に大分、日が傾いていることが判ります。

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旧東海道では酒匂川は渡り船を利用していたはずなので、酒匂橋を渡ったことろでわき道に逸れ、川土手方向に行ってみました。こちらが小田原側の川土手です。渡しを偲ばせるものは勿論、ありませんでした。

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旧東海道に戻った後、小田原ビジネス高校前の交差点から国道1号線を逸れ、旧東海道へ入っています。こちらが、その旧東海道となりますが、短い距離で国道1号線と繋がります。

2016年4月 5日 (火)

近所の散策---清明の頃1

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当家の裏庭花壇にあるしゃくなげが開花し始めました。一部は蕾の状態です。蕾のピンク色が非常に奇麗です。開花するにつれて淡いピンク色になっていくようです。花弁と蕾双方が画角に入るように撮影してみました。

2016年4月 4日 (月)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅10

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。11/30午後3時過ぎには国府津駅西付近に居ました。こちらは親鸞聖人御庵室御勧堂の石碑のようです。親鸞聖人が度々、国府津を訪れ念仏を勧めたようです。
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さらに小田原方向へ進みます。ガスト近くには、写真のような松並木がありました。かなりの巨木ですが、江戸時代からのものではないでしょう。

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その近くには小八幡の一里塚の案内がありました。日本橋から19番目の一里塚との案内があります。「塚は男塚、女塚と街道の左右に対で置かれ、広さは通常5間(約9m)四方であった。塚には榎木を植え、旅人の一里ごとの目印とするとともに、夏季における木陰の休憩場所とした」と記載されています。

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さらに小田原方面へ進むと公益財団法人塩事業センター海水総合研究所なるものがありました。世の中には、色々な研究事業があるようです。

2016年4月 3日 (日)

稲の定点観測2016---その2

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宮崎平野早期水稲の定点観測地点です。最近、気が付いたのですが、いつもの山の山肌に変化があるようです。どうも木材が伐採されているようなのです。なぜでしょうか。

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さて、早期水稲の今週末の状況です。どうやら先週末の写真撮影直後に田植えが実施されたようです。小さな苗が水田に足を落としています。これから8月上旬までに順調に生長するでしょうか。

さて、今朝も午前6時には起床し、約3Kmのjoggingへ出かけています。今日の天気予報は降雨だったので、曇天で走れたのでluckyでした。その後、シャワー、朝食を頂き、いつもの日曜日のように「がっちりマンデー」を見ていました。以後、自宅を出発し日当直で仕事場に来ています。3週連続週末の出張、日当直で精神的に疲れています。しかし、誰かがしなければならないのです。ハイ。

2016年4月 2日 (土)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅9

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。11/30午後2時半過ぎには押切橋付近に到着しています。押切橋を通過すると、

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こちらの写真のように相模湾が見渡せました。以前、東海道本線普通列車に乗車した際に、かめかめさんから、この付近の海が奇麗なことを教えてもらっていたので楽しみにしていたのです。

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この付近は旧東海道と国道1号線が同一となります。道路対側には史跡車坂の案内がありますが、横断歩道もなく、クルマの交通量も多く、読みに渡ることができませんでした。

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さらに小田原方面へ進みます。15時過ぎには国府津駅前に到達しています。国府津を「こうづ」と読むことを今回初めて知りました。KOKUFUTSUが短縮されてKOUTSUとなったのでしょうか?

2016年4月 1日 (金)

世界の果てまでイッテQのカレンダー---4月

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とうとう4月です。新年度の開始です。世界の果てまでイッテQのカレンダー4月は、「真皮のスポットライトで黒沢昇天」です。アメリカで撮影されたようです。こちらのon airは見た記憶がありません。でも、写真では森三中の黒沢さんが宙に浮いているように見えます。どうしてでしょうか。4月から、新しい生活が始まる人々も多いことでしょう。なにがしら変化があることが刺激があって良いですよね。

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