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2016年6月

2016年6月30日 (木)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅37

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1午後2時半過ぎには旧箱根街道杉並木に到着しています。再度、杉並木を見てみましょう。対側から人が歩いて来ます。外国の人もいたような記憶があります。

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杉並木に関する案内です。前半は割愛します。後半には以下のように記載されています。「第二次世界大戦中、伐採されそうになったこともありましたが、現在では、国指定史跡として保護され、芦ノ湖周辺の4地区に、約420本の杉が残されています」とあります。

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右方面には芦ノ湖のシンボル的な鳥居も観察できました。

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杉並木の保護に関する案内です。「土を柔らかくする。酸素を土の中に送り込む。杉の栄養根の発育を促す。杉の根元に人が入り込み栄養根を踏まないようにアジサイを植える」等の対策が行われているようです。さらに、「遊歩道の表面の砂利は、酸素を土の中に送り込んだり、遊歩道の排水を良くするために、大事な役目を果たすものです」とも記載されています。

なかなか、勉強になりますね。

2016年6月29日 (水)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅36

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1午後2時半前には箱根杉並木付近に到着しています。写真は、ちょっと分かり難いとおもいますが、石碑には「箱根旧街道一里塚」と記載されています。

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石碑の横の案内板です。葭原久保(よしはらくぼ)の一里塚と記載されています。また、「江戸幕府は、慶長9年(1604年) 大久保長安に命じ、江戸-京都間に1里ごとに旅人の目印として、街道の西側に盛土をしました。そして、ここではその上に檀(まゆみ?)を植えました。この塚は、日本橋より24番目にあたります」とあります。

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こちらが実際の杉並木です。現在の道路は写真右を走っています。こちらの杉並木は神奈川県下の小中学校では修学旅行、学校遠足で訪れているはずです。この風景を見て、当方も半世紀ほど前に来たことがあるように思います。その際にも旧街道に木漏れ日が入っていたような気がします。当時は、この道を歩くことが面倒くさいと思いながら歩いていたような記憶があります。

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このような古そうな石碑もありました。旧東海道箱根杉並木と彫られています。

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このような石碑もありました。「杉並木 徳川時代参勤交代???往来セシ旧東海道ノ杉並木 箱根」と記載されています。石碑の下は埋もれており判読不可です。大名行列も通過していたのですね。

2016年6月28日 (火)

再度トライ水耕栽培---チマサンチュ2

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先週末の水耕栽培チマサンチュの状況です。この1週間で、かなり逞しく生長しています。結果的に発芽率は80%程度だったようです。今回は、株数を控えてtryしています。上手く生長することを期待します。

2016年6月27日 (月)

こぼれ種朝顔2016---その9

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先週末のこぼれ種朝顔の状況です。当家の東側にプラスティック鉢とプランターを置いています。葉は大きく、多数あることが分かります。水を与えるのを忘れると、萎れていることがあり、慌てて水を与えています。

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プランターの朝顔の方は、ネットの上端まで達し、2m以上の高さに成りました。蔓が掴まる場所を探しています。これからも生長するのでしょうか?蔓の先端はどうなるのでしょう。

2016年6月26日 (日)

稲の定点観測2016---その14

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宮崎平野の早期水稲定点観測地点の今週末の状況です。いつもの山は、天気がよく、山頂上に青空があり高さが低く感じられます。

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稲の方は、やや小さな実をつけ始めたように見えます。写真では分かり辛いのですが、白い小さな花がさいているようにも見えます。

さて、昨日は大分から帰った後、宮崎空港駅近くのディーラーに車検に出していたクルマを受け取り帰宅しています。妻と長女は東京へ行っており一人で過ごしています。旅の片づけをしてからjogging、洗濯、入浴、適当に夕食を取りました。

今朝も6時過ぎには起床し約3Kmのjoggingへ出かけています。外はやや冷んやりとした空気で湿気は感じませんでした。シャワーの後、職場に来ています。今日は日当直です。

2016年6月25日 (土)

大分駅

大分駅
14時06分発のにちりん15号に乗車し宮崎へ帰ります。大分は小雨が降っています。近くに複数のオバチャンがいるので耳栓をしようと思います。

今回のホテルと会場

今回のホテルと会場

今回宿泊したホテルは大分駅前コモドホテルです。大浴場と小さいながらサウナの設備がありました。屋上露天風呂もありましたが、6/24夕方は風が強かったので途中で閉鎖されました。会場は、ホルトホールです。いずれも大分駅近くです。

今回のホテルと会場

こちらは大分駅となります。建て替え工事が終了し、非常に立派な建物となりました。

今回のホテルと会場

会場は、大分駅を挟んで反対側のホルトホールです。公的複合施設のようです。非常に大きな会場と多数の会議室がありました。天候は小雨でしたが、どうにか傘は差さずに済みました。

2016年6月24日 (金)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅35

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1午後2時頃には元箱根港付近に到着しています。元箱根から元箱根港付近までは観光客が多く、写真を撮るのにのに気が引け撮影していません。

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元箱根港付近のコンビニで遅い昼食としました。トイレ休憩も含めてです。昼食はホットコーヒーとおむすび1ケとしました。

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コンビニ店前から元箱根方向を撮影したものです。大型バスが駐車していることろは、元箱根バス停です。大きな鳥居が見えます。

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コンビニ店前から関所方面を撮影したものです。なんだが、チョット見覚えのある風景ですね。

宮崎空港駅

宮崎空港駅
会議で、特急にちりん18号に乗車し宮崎空港駅から大分駅まで向います。787系電車です。

2016年6月23日 (木)

近所の散策---梅雨の頃2

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こちらもjogging中に見かけた花です。アガパンサスだと妻が教えてくれました。本来は小ぶりな花なのですが、接近して撮影してみました。アガパンサスは彼岸花科なのだそうです。何となく似ていますね。
今年は6/21が夏至だったようです。この時期の「梅雨」は二十四節気には入っていないのです。でも、6/5の芒種よりは入梅、梅雨の方が生活に馴染んでいますよね。

2016年6月22日 (水)

仮想日本縦断鉄道の旅---その6

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2016年5月1日から5月31日までjoggingで109Km走っています。今回の仮想乗車は、鹿児島本線久留米駅から長崎本線諫早駅まで乗車したと仮想します。この間は107Km、26駅で通常各駅停車で168分で走行するようです。料金は2130円だそうです。残は81Kmです。

この間では佐賀県鳥栖駅で乗り換える必要があります。何年か前に九州1周鉄道の旅でこのルートは乗車したことがあります。鳥栖-佐賀間はかなりの乗車率だったような記憶があります。

今日の朝食

今日の朝食
今日の朝食です。パンは昨日、ten.Yさんから頂戴したものです。パン教室で焼いたものだそうです。それでは頂きます。

2016年6月21日 (火)

再度トライ水耕栽培---チマサンチュ1

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GreenFarmによる水耕栽培の再トライです。前回は、生長途中でチマサンチュの元気がなくなり枯れてしまいました。原因は良く分かりません。1つのスポンジ穴に2つの種子を入れたのが原因かもしれません。貧乏性なのです。今回はその轍を踏まないように、1つのスポンジ穴に1つの種子のみを播種しました。しかも、その数を減らしています。播種してから約1週間が経過し、双葉が出てきました。今回は上手く生長するでしょうか。

2016年6月20日 (月)

近所の散策---梅雨の頃1

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宮崎は6/3頃に梅雨入りしています。その後は、じめじめ、ジトジトの例年通りの梅雨となりました。そんな梅雨でも元気のあるのが紫陽花です。こちらは、近くの公園に開花していたガクアジサイです。
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すぐ隣には、普通の紫陽花(ホンアジサイ)も開花していました。
ちょっと、ここで勉強です。紫陽花の花の色はその土壌に依存することは良く知られています。土壌が酸性であれば土壌内のアルミニウム(Al)イオンが吸収され紫陽花に含まれるアントシアニンと結合することで青色になり、土壌がアルカリ性であればAlイオンは溶出せず、紫陽花は赤色になるそうです。

2016年6月19日 (日)

こぼれ種朝顔2016---その8

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今週末のこぼれ種朝顔の状況です。今年の朝顔は生長が良いようです。朝顔の葉も非常に大きく生長しています。先週末にプラスティック鉢の朝顔の位置を変更しました。当家東側のプランター横にしました。
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以前、100円ショップで購入したネットを先週末に取り付けました。蔓がつかまる場所を確保するためです。これで思う存分、生長することができるでしょう。
さて、今朝は午前6時前に目が覚めました。外を見ると大雨の予報でしたが何と、雨が降っていません。急遽、joggingに出かけることにしました。約6Kmを走り、腹背筋、ストレッチを終了し、シャワーを浴びた後に大雨が降りだしました。
エアコンが故障し窓を開けて寝ている長女の部屋の窓を慌てて締めに行きました。その後、朝食です。妻は昨日から何やら博多へ出張しています。現在、外は雨は降ってはいませんが雷鳴があります。今日も読書、パソコンの前で過ごすことになりそうです。
そうそう、今日は父の日のようです。家族から何もプレゼントはないはずですから、自分で何かアマゾンで浪費しようかと思っています。
 
 

2016年6月18日 (土)

稲の定点観測2016---その13

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宮崎平野の早期水稲の定点観測地点です。今週末の状況です。いつもの山には雲が掛かっていますが雨は降ってはいません。山肌が露わとなり、なんだか寂しい気持ちがします。
稲の方は、
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このような感じです。今週も水路から水が注がれていました。何か意味があるのでしょう。ほんのチョットですが、生長しているようです。
さて今朝は午前5時過ぎには目が覚めてしまいました。新聞を取りに行くと長女も起床して来てシャワーを浴びていたようです。6時過ぎには朝食を頂き、7時前からjggingへ出かけています。その際に写真を撮影しています。jogging中に、近所のjogging仲間(当方より年上)に久しぶりに再会しました。男性ですが乳癌で手術を受けられた旨でした。彼は電気関係のお仕事で今日も多忙なため出勤だそうです。 乳癌は完治のようで一安心です。 良かった。良かった。

2016年6月17日 (金)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅34

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1午後1時半過ぎには元箱根付近に到着しています。案内板があり現在地を示しています。賽の河原の手前となります。

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この付近も杉並木となっており、現在地を示す横にはこちらの案内がありました。「この杉並木は、徳川幕府によって西暦1618年、箱根宿が造られたこと、旅人に木陰を与えようと道の両側に植えられたものです」

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実際の杉並木は、この写真のようになっています。写真中央に階段が見えますが、現在は陸橋となっており、この下を道路が通っていました。

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杉並木には、このような案内もありました。旧街道を歩くオヤジにとってはwelcome boardのように見えます。

2016年6月16日 (木)

胡蝶の夢---第2巻

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さて、司馬遼太郎氏の胡蝶の夢第2巻です。本の帯には以下のようにあります。

幕末海軍の教師団にポンペという軍医のいることを知った松本良順は、あらゆる圧力を断ち切って長崎に走る。やがて佐渡から語学の天才である弟子の伊之助を呼びよせた良順は、ポンペを師に迎え、まったく独力で医学伝習所を開講し、あわせて付属病院を建てる。ひろく庶民に門戸をひらいたこの病院は、身分で閉ざされた社会に、錐でもみ込むように西欧の平等思想を浸透させてゆく。

島倉伊之助という人物は語学の天才と言われ、独・英・蘭・仏・露・中の6か国語に通じていようです。ただ、その語学が実生活、実社会には連続せず、発音を含む語学そのもののに興味があったようです。また、祖父に幼少の頃から英才教育を受けたことで社会性が欠如していたようです。結果的にはポンペから破門されてしまいます。第2巻は、ポンペに破門され平戸に至るまでが記載されています。さて、今後は?

でも、語学が出来たら良いよなー。羨ましいです。

2016年6月15日 (水)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅33

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1午後1時半過ぎには権現坂付近に達しています。こちらの案内には、「小田原から箱根路をのぼる旅人が、いくつかの急所難所をあえいでたどりつき一息つくのがこの場所です。目前に芦ノ湖を展望し、箱根山に来たという旅の実感が体に伝わってくるところです」とあります。

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こちらは、古い権現坂の石碑です。いつの時代のものかは不明です。

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実際の権現坂は、このような下り坂となります。凹凸のある石畳なので、足腰に負担がかからないように、どの石の上を歩くかコース取りを考えながら歩くことになります。

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権現坂から遠く木々の向こうに芦ノ湖を展望することができます。元箱根まであと一息です。

2016年6月14日 (火)

生垣---トキワマンサク

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当家の生垣はベニバナトキワマンサク(紅花常盤万作)となっていますが、庭師の方に大胆に刈り取られています。昨年はマンサクの花が開花せず、今年もほんの一割弱しか開花しなかったので、何か意図があって庭師の方が刈り取ったのでしょう。生垣がスカスカとなって道路側からは丸見えとなってしまいました。今後、元気になるのか少々、心配です。

2016年6月13日 (月)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅32

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1午後1時半頃には二子山が眺望できる場所まで達しています。こちらの案内板に二子山に関する記載があります。「二子山は、駒ケ岳、神山、台ケ岳などとともに中央火口丘の1つで箱根の火山活動のうち一番最後にできたものです」とあります。

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少々、分かりにくいと思いますが、こちらの写真が当方が撮影した二子山です。なんとなく、山頂が2つあることが分かりますね。

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二子山を眺望する展望台近くには、こちらの石碑がありました。写真では判読困難なので記載します。「箱根八里は馬でも越すが、こすに越されぬ大井川」。こちらは箱根馬子唄というそうです。

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さらに元箱根方向に数分、歩くとこちらの案内がありました。案内には、「この付近は江戸時代の東海道が鎌倉時代の東海道と交わると考えられています」とあります。歴史的には、足柄道-湯坂路-須雲川添いの旧東海道という変遷でしょうか。

2016年6月12日 (日)

こぼれ種朝顔2016---その7

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当家のこばおれ種朝顔の今週末の状況です。プラ鉢の朝顔も順調に生長し、写真には写ってはいませんが蔓の先端はプラスチック棒の先端をブラブラしています。その葉も次第に大きくなっています。
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プランターの朝顔も順調に生長しています。こちらも蔓の選択が棒を超えてしまいました。近日中に何か方法を考える必要がありそうです。写真左下には、本当のこぼれ種朝顔が砂利の間に根をはり生長しています。
今日は朝から雨です。今日が雨の天気予報でしたので、一応、今週末にしたかったことは昨日中にしました。 ということで朝顔の写真も昨日、撮影しています。今朝は午前5時頃には目が覚め、読書をしたり、洗濯したりゴソゴソしています。 勿論、洗濯ものは乾燥機の中へ放り込みました。昨日夕から妻は出張で鹿児島へ行き、長女と二人きりです。その長女も先ほど起床したようです。今日は、読書とPCの前で過ごすことになります。

2016年6月11日 (土)

ジャカランダ祭り

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joggingの後、午前9時頃から妻と道の駅「なんごう」で開催されているジャカランダ祭りに行って来ました。日南海岸をドライブです。週末のみ臨時駐車場にクルマを駐車するような案内があったのでシャトルバスで会場山頂まで移動しています。こちらの写真は、山頂付近からみた日南海岸です。写真右には青いジャカランダの花が咲いています。
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ジャカランダがこちらのように開花していました。こちらのジャカランダは植樹したものではなく日本で唯一の自生ジャカランダなのだそうです。
当方は臨時駐車場からシャトルバスで会場まで移動しましたが、自家用車の乗り入れも可能だったようです。ただし、一方通行で原則、途中での駐停車禁止となっていました。
ジャカランダの花と穏やかな日南海岸を見ながら、少々、湿っぽい空気ではありましたが心地よい風に吹かれてきました。

稲の定点観測2016---その12

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宮崎平野の早期水稲の定点観測地点の今週末の状況です。写真は本日午前7時頃に撮影したものです。いつもの山は雲に霞んでいました。山肌が見えている箇所には木材が倒れているように見えます。午前7時の時点では曇天でした。
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稲の方は、このように生長しています。理由はよくわかりませんが写真手前の水路から水が田に注入されていました。何か理由があるのでしょう。
今朝はなぜか早くに目が覚め午前5時頃には起床し読書をしていました。その後、朝食を頂き、腰痛に対して鎮痛剤を内服しています。それからいつものように約3kmのjoggingへ出かけています。その際に稲の写真を撮影しています。

2016年6月10日 (金)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅31

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1午後1時頃には笈の平を過ぎています。すると、このような注意喚起の立て札がありました。「猪注意」です。「ヘエー、そうなんだ」と思いながら通過しました。

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すぐに於玉坂に到着しています。ガイドブックには以下のようにあります。「お玉坂は元禄15年(1702年)、伊豆大瀬村の農家の娘たまが関所破りをし、獄門にかけられたことろで、近くのお玉ケ池は、たまの首を洗ったので、その名がついたといわれている」とあります。ちょっと、怖いですね。
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さらに歩くと元箱根まで1.2Kmの案内がありました。ちょっと元気が出ます。

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史跡箱根旧街道の石碑近くには、こちらの案内がありました。前半部分には以下のように記載されています。「江戸幕府は元和4年(1618年)十六夜日記でも知られる旧来の湯本から湯坂山-浅間山-鷹ノ巣山-芦ノ湯を経て、元箱根に至る湯坂道(現ハイキングコース)を廃し、湯本の三枚橋から須雲川添いに畑宿通り、二子山の南側を経て、元箱根に至る古い山路をひろげ世に箱根の八里超えと伝えられる街道を作った」

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さらに10分程度歩くと、こちらの案内がありました。前半部分は以前の記載と重複するので後半を抜粋してみます。「その後、江戸時代末期の文久2年(1863年)、十四代将軍家茂が京都に上洛する際、全面的に改修されました」とあります。

将軍が通らなかったら改修されなかったのでしょうか?

2016年6月 9日 (木)

胡蝶の夢---第1巻

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今回はこちらの本を選択しています。司馬遼太郎さんの「胡蝶の夢」です。選択した理由は、朝のラジオ番組で武田鉄矢さんが紹介していたからです。本の帯には以下のようにあります。

黒船来航で沸き立つ幕末。それまでの漢方医学一辺倒から、にわかに蘭学が求められるようになった時代を背景に、江戸幕府という巨大組織の中で浮上していった奥御医師の蘭学者、松本良順。悪魔のような記憶力とひきかえに、生まれついてのはみ出し者として短い一生を閉じるほかなかった彼の弟子、島倉伊之助。変革の時代に、蘭学という鋭いメスで身分社会の掟を覆していった男たち。

司馬遼太郎さんの本は、以前、「坂の上の雲」を読書したことがあるのですが、あまりパッした印象が残っていなかったのでした。そこで、ちょっと避けて来たのですが、こちらの本は、凄いです。司馬遼太郎さんの語彙が豊富であるので、タブレットで意味を調べながら読んでいるのですが、著者は、松本良順、島倉伊之助らの蘭方医学を学ぶ若者を中心として描きながら、その時の折々に解説を設け、この江戸時代末期から明治維新に掛けての大きく変わる時代の潮流を描きたかったようです。

第1巻は、松本良順、島倉伊之助が長崎出島でポンペに師事することろまでです。今後の進展に期待できそうです。

2016年6月 8日 (水)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅30

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1午後1時前には追込坂に達しています。案内には「新編相模国風土記稿のふぃりがな(万葉がな)をみると、フツコミ坂といったのかもしれません。甘酒茶屋までのゆるい坂道の名です」とあります。

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現在位置を示す案内板もありました。こちらの案内からいくと元箱根まで約1時間程度で到着しそうです。気持ち的にはかなり楽になってきます。

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午後1時前には笈の平に達しています。こちらの親鸞上人と笈の平の案内には以下のようにありました。「東国の教化を終えての帰路、四人の弟子と上人が険しい箱根路を登ってこの地に来たとき、上人は弟子の性信房と蓮位房に向かい、師弟打ちつれて上洛した後は、たれが東国の門徒を導くのが心配であるから、御房がこれから立ち戻って教化してもらいたいと頼み、師弟の悲しい別れをした場所と伝えされています」

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樹木に覆われていますが、親鸞聖人の文字がみえると思います。

2016年6月 7日 (火)

手つくり時計の修理

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四半世紀前、結婚記念として義理の妹が当方夫婦に手作りしてくれた時計が壊れたようです。電池を入れ替えてもその針を停止したままとなりました。Qautz movement自体が故障したようです。そこで修理することにしました。写真は上下が逆になってしまいました。
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まず、秒針、分針、時針を引き抜き、movementを取り外します。作業は簡単です。ネジを緩めるのみで簡単にmovementは取り外すことができます。
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こちらが新規に購入したmovementと針(写真上)となります。チョット、調べてみると文字盤の厚さによりmovementの選択が変わるようです。今回の手作り文字盤の厚さは約10mmなのでロングシャフトのmovementをアマゾンに発注し島本画材から到着しました。movement自体は\1350でした。ここでハプニングです。古い針を流用しようと思っていたのですが、movementのshaft径と針穴の径が一致しませんでした。結果的に、新規に針も島本画材からアマゾン経由で購入することにしました。針は\497です。同時に購入すれば\1500でしたので\347分、損をしました。貧乏性はいけません。
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逆の手順で作業を進めることで手作り時計が復活しました。 これからも無事に時を刻んでくれそうです。

2016年6月 6日 (月)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅29

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1午後0時半前には山根橋付近に到達しています。元箱根まで3.0kmという表示があります。どうにかなりそうです。

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10分弱の歩行で甘酒橋付近まで移動できました。
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さらに10分弱で猿滑坂に達しています。案内板には「新編相模国風土記稿には、殊に危険、猿猴といえども、たやすく登り得ず、よりれ名とすと難所らしい坂の名の由来が書かれています。県道の横断歩道橋がかかっている辺りが当時の坂でした」とありました。

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さらに、その横にはこちらの案内板もありました。「旧東海道は、関東大震災(1923年)及び北伊豆地震(1930年)等たびかさなる災害により大半が崩壊、埋没しましたが、残された一部の石畳を再現し、自然歩道として神奈川県が整備したものです」とあります。

地震の影響が大きかったようですね。

2016年6月 5日 (日)

こぼれ種朝顔2016---その6

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今週末のこぼれ種朝顔の状況です。プラスチック鉢の朝顔には蔓が絡まるように割り箸をくくり付けてみました。でも、朝顔の蔓はそれを無視しているようです。
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プランターの方の朝顔にも同様に蔓か絡まるように棒を立ててみました。こちらは棒を頼りにしてくれているようです。
どちらの朝顔も順調にその葉を大きくさせ成長しているようです。
今日は休日ですがチョット仕事があり午前中のみ仕事場に来ています。昨日、鹿児島気象台により南九州を含む中国、四国、近畿、東海地方の梅雨入り宣言がなされました。昨日といい今日といい、湿度が高くジメジメしています。これから約1.5ケ月間、梅雨が続くかと思うと気持ちが滅入ります。昨日1日、休養ができて腰痛の方は改善傾向にあります。夕方からいつもの日曜日のようにサウナに行くことになりそうです。
 
 

2016年6月 4日 (土)

稲の定点観測2016---その11

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宮崎平野の早期水稲定点観測地点の今週末の状況です。今朝も朝からまとまった雨となりました。いつもの山は雨でその地肌が分かりません。少しずつ地肌が広がっているような印象もあります。
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稲の方は、着々と成長しているようです。いつもとは撮影の角度が異なります。
写真は本日、午前7時頃に撮影しました。雨のためクルマで定点観測地点まで行っています。
さて、今週は5/30朝、出勤前の着替え時に腰痛発生しました。今年2回目の腰痛です。歩行は可能なのですが、腰痛をかばうことで変な姿勢となり下肢に痛みが生じています。上の写真も通常であればしゃがんで撮影するのですが、腰痛のため立ったまま撮影しています。ということで角度が異なるのです。
明日の予報も雨で、2週連続しての週末雨となりました。この雨ではjoggingは不可です。体を休め、腰痛回復に努めることにします。

2016年6月 3日 (金)

ブラック・ジャックは遠かった

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今回は、こちらの本を選択しました。久下部羊氏の「ブラック・ジャックは遠かった」です。東京浜松町の本屋さんで購入したものです。選択理由は、当方も1990年6月から中之島界隈、梅田桜橋界隈を徘徊しており、この本の巻頭にある中之島の思い出MAPが懐かしかったからです。本の帯には以下のように記載されています。

手塚治虫の母校、『白い巨塔』の舞台でも知られる大阪大学医学部。アホな医学生にとってそこは「青い巨塔」だった。個性的すぎる級友たち、さまざまな初体験、しょうもない悩み。やがて解剖実習を体験し、研修医として手術に立ち会うことに。若き日に命の尊厳と医療について悩み、考えたことが作家・久坂部羊の原点となった。笑いと深みが絶妙にブレンドされた青春エッセイ!

本の内容とすれば医学生の青春期なのですが、北杜夫氏の「どくとるまんぼう青春期」と同様、あまり勉強をしなかったことが記載されています。筆者は、講義にも出席せず、色々と思うことがあったようです。今、当方が青春時代を振り返ってみると、講師から講義を受けて勉強することがいかに楽チンな方法であったかということです。教えて貰えるのです。筆者は、貴重な講義を聴かずもったいないことをしたものだと感じます。患者さんの気持ちに配慮することは重要ですが、医療、医学の勉強も重要なはずです。

2016年6月 2日 (木)

旅の思い出---第2次旧東海道徒歩の旅28

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2015年11月から12月にかけて有給休暇を利用して強行した第2次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。12/1正午頃には西海子坂(さいかちさか)付近に到達しています。これから急な坂が連続します。

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このような案内板がありました。箱根旧街道「江戸幕府は、1680年箱根道を石畳道に改修しました。それ以前のこの道は、雨や雪のあとは大変な悪路になり、旅人はひざまで没する泥道を歩かねばならないため、竹を敷いていましたが毎年、竹を調達するのに大変な労力と費用がかかっていました」とあります。

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約15分程度で橿木坂に達しました。案内板には「新編相模国風土記稿に、峭崖(しょうがい、高く険しい崖)に橿樹あり、故に名を得とあります。東海道名所日記には、けわしきこと、道中一番の難所なり。おとこ、かくぞよみける。橿の木の さかをこゆればくるしくて どんぐりほどの涙こぼる と書かれています」とあります。デジカメで撮影していると、後日、拡大して判読可能なので便利です。

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さらに歩を進めると、このような案内板がありました。雲助とよばれた人たちとあります。

「箱根の雲助というと知らない人はいません。ところが雲助とよばれた人たちは、実は、この小田原の問屋場で働く人足たちだったのです。しかし、雲助というとなにか悪者のように考えますが、それは一部の人で、問屋場では、人足を登録させ仕事を割り当てていましたので、悪さをした人などはいなかったといいます。日本交通史論という資料によると、雲助になるのは次の3つにパスしなければならなかったそうです。その内容をみると、なかなかむずかしく誰でも、すぐになれるという職業ではなかったようです。一、力が非常に強いこと(これは仕事の性質上ぜひ必要です) 二、荷物の荷造りがすぐれていること(荷物を見ると、だれが造ったものかわかり、また箱根で一度荷造りした荷物は、京都まで決してこわれなかったそうです)。三、歌をうたうのが上手でないと一流の雲助とな言われなかったそうです。こうした人足のほかに、馬をひく馬子、駕籠をかつぐ駕籠かきたちの雲助が、元箱根や湯本などの箱根の各地に住み通行や温泉遊覧のたすけをしていました」

なるほどですね。この辺りで、大阪から逆方向に旧東海道を歩いている同年輩の方と雑談をしました。三島から逆方向に歩いてこられたようです。どうやら大阪豊中在住の方のようで、長興寺や履正社高校等で共通点がありました。話をお聞きすると、三島から箱根までの坂は、こちらの箱根東側の坂よりは楽な坂ということでした。何だか同職域のような雰囲気のある方でした。

現在でも、この付近は道路が九十九折りとなっており急な坂となっているはずです。本当に、この辺りの登坂では疲れた記憶があります。

2016年6月 1日 (水)

世界の果てまでイッテQのカレンダー---6月

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世界の果てまでイッテQのカレンダー6月は、イモトアヤコさんの北米大陸最高峰マッキンレー登山です。アメリカで撮影されたようです。こちらのon airは見ていないような記憶です。
日曜日のこの時間帯は、通常、近くの温泉に行き、サウナに入っているからです。月曜日からの仕事に備えてのことです。いつもいつもイモトさんには感心します。当方は勿論、経験がありませんが雪山登山は大変なご苦労があることでしょう。
とうとう6月です。5月下旬には沖縄が梅雨入りしたとの報道がありました。南九州もそろそろ梅雨入りでしょうか。少々、鬱陶しい季節になりそうです。

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