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今回は、こちらの本を選択しています。和田竜氏の「村上海賊の娘---第3巻」です。本の帯には以下のように案内されています。
織田方の軍勢は木津砦に襲い掛かった。雑賀党一千の銃口が轟然と火を吹き、その猛攻を食い止める。本願寺門徒の反転攻勢を打ち砕いたのは、京より急襲した信長だった。封鎖された難波海へ、ついに姿を現す毛利家と村上家の大船団。村上海賊には、毛利も知らぬ恐るべき秘策があった。自らの家を保つため、非情に徹し、死力を尽くして戦う男たち。景の咆哮が天に響く――。波瀾の第三巻。
第3巻は陸上での木津砦での攻防と信長が出陣してからの石山本願寺の籠城戦から、木津川の合戦前までが記載されています。まあ、物語は粛々と進行するのですが。鬼手とは何かは未だ明らかにはなっていません。
2016年11月1日から11月30日までjoggingで77Km走っています。今回の仮想乗車区間は、JR山陰本線萩駅から浜田駅まで乗車したことと仮定します。この間は102Km、17駅で通常各駅停車で127分(普通列車)で走行するようです。料金は1940円だそうです。残51Kmのうち25Kmを使用することにします。残は26Kmとなります。
前回の条件で萩駅に8:20分に到着すると、萩駅8:25分発益田駅9:53分着、益田駅10:54分発浜田駅11:40分着となります。益田駅で約1時間の待機時間が生じますが、益田駅前を散策することが可能となりますので、丁度良いでしょう。かめかめさんからも山陰本線から眺める日本海は綺麗とのことで、是非、一度、乗車してみたいものです。
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/3午後4時過ぎには沼津市原駅付近に居ました。こちらは、がっちりマンデーで紹介されていた平成建設の看板です。有名大学卒の大工さんが所属しているとの建設会社だったと記憶しています。
午後4時過ぎに原駅入口まで来ています。こちらが信号機についた案内となります。普段、クルマを運転している場合には何気なく見ていますが、徒歩の旅では非常に重要な情報を与えてくれ重宝しています。こちらの交差点を左折して原駅へと向かいます。300m程度だったと記憶しています。
こちらが、原駅の駅舎となります。
この駅から、16:28分発の熱海行の普通列車に乗車しています。
こちらが、原駅の駅標となります。原駅ー片浜駅ー沼津駅と鉄道では2駅で今回の宿泊base campとなる沼津駅に到着します。乗車時間は10分程度だったように記憶しています。沼津駅到着後、三交イン沼津駅前にチェックインしています。
本来、9/3の行程は三島ー沼津間の予定でしたので鉄道で2駅分、進んだことになります。雨に降られなくて本当に良かったです。
今回は、こちらの本を選択しています。和田竜氏の「村海の娘---第2巻」です。本の帯には以下のように案内されています。
天下統一に乗り出した織田信長が、大坂本願寺を攻め立てていた天正四年。一向宗の門徒たちは籠城を余儀なくされていた。海路からの支援を乞われた毛利家は、村上海賊に頼ろうとする。織田方では、泉州淡輪の海賊、眞鍋家の若き当主、七五三兵衛が初の軍議に臨む。武辺者揃いの泉州侍たち。大地を揺るがす「南無阿弥陀仏」の大合唱。難波海で、景が見たものは――。激突の第二巻。
織田方と一向宗方との戦闘が開始されています。さて、物語の進行は?
本の内容は兎も角、タレントの眞鍋かおりさんは愛媛県出身なので、こちらの眞鍋家の末裔にあたるのでしょうか。
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/3午後4時頃には沼津市原付近に居ました。こちらは大本山松陰寺の表参道のようです。山号が大本山というのも面白いと感じて撮影しています。
さらに少々、西進すると白隠禅師誕生地なる案内がありました。「駿河には過ぎたるものが2つあり。富士のお山に原の白隠」と記載されています。まあ、そうなのでしょう。
こちらが、白隠禅師誕生地の石碑となります。
この付近には、原宿の問屋場跡の案内もありました。「原宿には問屋のあった場所が西町東町に各一箇所づつあって、交代で勤めたと思われる」との記載があります。
本陣跡の案内も近くにありました。「原宿の本陣渡邉家は阿野全成(源頼朝の弟、義経の兄)の子孫であり、代々平左衛門を名乗って幕末に至っている。(中略)。1868年10月7日明治天皇東幸の時、本陣渡邉平左衛門家で御小休をされ」とあります。
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/3午後3時半頃には沼津市松長仲町付近に居ました。こちらは松長一里塚跡碑となります。黒い石碑の横に古そうな石碑も並立しているようです。クルマの通行が多く、道路を渡ることができませんでした。この一里塚に達するまでは、「平坦もあまり見るべきものなし」とガイドブックにボールペンで記入しています。このような記入を旅行後に見るのも楽しいものです。
こちらは若山英史さんの応援看板です。リオパラリンピックのウィルチェアーラグビーの選手のようです。結果はどうだったのでしょうか?
さらに西進します。逆光となり判然としませんが、青い交通案内には右に片浜駅があることが記載されています。
こちらが東海道本線片浜駅の駅舎となります。この辺りでは東海道本線と旧街道が並行して走行しているのです。
さらに西進します。富士急三本松バス停の先に、東海道本線の踏切があります。恐らく、片浜踏切というのが正式な名称だと思います。
今回は、こちらの本を選択しています。和田竜氏の「村上海賊の娘第1巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。
時は戦国。乱世にその名を轟かせた海賊衆がいた。村上海賊――。瀬戸内海の島々に根を張り、強勢を誇る当主の村上武吉。彼の剛勇と荒々しさを引き継いだのは、娘の景だった。海賊働きに明け暮れ、地元では嫁の貰い手のない悍婦で醜女。この姫が合戦前夜の難波へ向かう時、物語の幕が開く――。本屋大賞、吉川英治文学新人賞ダブル受賞! 木津川合戦の史実に基づく壮大な歴史巨編。
2-3年前、単行本で出版されたと思います。博多の本屋さんで、こちらの本の存在を知りました。その当時から読書してみたかったのですが、本年6月に文庫本になったので購入しました。
第1巻の舞台は大阪本願寺から始まります。大阪本願寺対信長の対立から話が始まるようです。中国地方統一の際、秀吉と村上海賊が手を結んだことは知識として知っていますが、この時代の村上海賊の挙動については知識がありません。今回、得た知識は、「雑賀(鈴木)孫一」が複数名いたことです。代々、この名前を継承したのでしょう。その昔、東京都町田市に「さいかや」という中規模百貨店がありましたが、その末裔だったことでしょう。さて、今後、どのような展開になっていくことでしょうか。
今朝、出勤時の宮崎市の気温は3℃でした。結構、冷え込んでいます。今季、最低気温を更新したようです。ここ数日は暖かい日々が続き、やっと師走らしい気温となってきました。
こちらもjogging中に見かけた植物です。センリョウの実です。当家の近くの街路樹としてセンリョウが植樹されているのです。こちらの実は、しばらくすると野鳥の食べ物になるようです。
今朝も午前6時頃には起床し朝食を頂きました。妻は出張でどこかに出発して行きました。当方は午前7時頃から約6Kmのjoggingへ出かけています。その後、駐車場の掃除をし、シャワーを浴び、洗濯、室内清掃、灯油補給、葉書出し等をして現在に至っています。
今日は朝から鹿児島の会議に出席しようかと思っていましたが、明日が2週連続の日曜日勤務となったことで取りやめにしています。妻も不在なので今日は休日とし、ゆっくり過ごすことにします。
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