« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »

2016年12月

2016年12月31日 (土)

2016年大晦日

2016
今年2016年も大晦日となりました。こちらは自宅近くの加江田神社です。既に門松も準備されお正月を迎える準備が整っているようです。朝日を浴びて社殿が綺麗です。
201602
こちらは本日午前9時頃、近くの公園で撮影したものです。西高東低の典型的な冬型の気圧配置で晴れ上がり、空は綺麗な青色です。
さて、今朝は少々、寝坊をして午前7時頃に起床しました。昨日、NHKで放送された関口知宏さんのヨーロッパ鉄道の旅を録画していたので、その番組を見ながら朝食を頂いています。「拒絶は拒絶しか生まない。受け入れることが大切なんだ」。難民を受け入れているオーストリアの若い大学生の言葉が心に浸みます。番組の終わった午前9時前から約3Kmのjoggingへ出かけています。シャワーを浴びて今の時間となりました。
昨日、夕方も録画していた「ビリギャル」を見て感動していました。「信じること」「受け入れること」が大切だということでしょう。共通していことと感じています。
今日も特に予定はありません。録画していた「知恵泉」「プロ野球戦力外宣告をうけた選手たち」等を見ているかもしれません。

2016年12月30日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅22

32062
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/4午前8時半過ぎには富士市立円寺を通過しています。通過後、この辺りで小雨が降り出したことを記憶しています。数分でしたでしょうか、すぐに雨はあがってくれて助かりました。後で気づいたのですが広沼橋を通過するときに、このような川がありました。樹木がその水面を覆い、少々、風情を感じます。
32063
通過すると、一級河川昭和放水路との看板が出ています。一級河川の名称として「昭和放水路」というのはチョット、違和感を思えます。ということで、道路を渡り戻ってみることにしました。
32065
すると何やら石造と石碑がありました。
32066
案内には、増田平四郎とスイホシとの表題が記載されています。スイホシとは「水干し」です。増田平四郎とは、浮島沼の大干拓を計画し、現在の昭和放水路と同じ場所に大排水路を完成させた江戸時代から明治時代の人のようです。 庶民のために大きな仕事をされたようです。

年末年始の廃棄シリーズ---その1

Usb32
昨日まで当方は仕事でした。本日、何気なく自室を見ているの思わぬものが出てきました。そこで、昨年も実施した年末年始の廃棄シリーズをupしてみます。
yhideさんほどではありませんが、当方もなかなかモノが捨てれずに困っています。今回の廃棄はUSBメモリーです。I・O DATA社製のEasy Disk Cute 32Mです。写真では32Mがやや切れています。箱に同封されていた伝票を見ると2003年5月17日夕方、ベスト電器宮崎本店で税抜き\2480で購入したようです。
今となっては32Mは非常に容量としては少ないのですが、当時はフロッピーディスク32枚分でかなりの大容量だったことでしょう。写真のように何やらCD-ROMまで添付されています。何かソフトが入っているのかもしれませんが、今となっては使用不可能でしょうから可燃ゴミとして廃棄します。
さて、今朝も午前6時には起床し、録画していた知恵泉を見ながら朝食を頂き、午前7 時過ぎから約6Kmのjoggingへ出かけています。その後、シャワーを浴び、廃棄物を発見し、1階の清掃をしています。
妻は、午前10時前からガラケーをスマホに機種変更する目的でdocomo shopへ行きました。店員さんにらくらくスマートフォンを勧められるのではないかと思っています。

2016年12月29日 (木)

村上海賊の娘---第3巻

301

今回は、こちらの本を選択しています。和田竜氏の「村上海賊の娘---第3巻」です。本の帯には以下のように案内されています。

織田方の軍勢は木津砦に襲い掛かった。雑賀党一千の銃口が轟然と火を吹き、その猛攻を食い止める。本願寺門徒の反転攻勢を打ち砕いたのは、京より急襲した信長だった。封鎖された難波海へ、ついに姿を現す毛利家と村上家の大船団。村上海賊には、毛利も知らぬ恐るべき秘策があった。自らの家を保つため、非情に徹し、死力を尽くして戦う男たち。景の咆哮が天に響く――。波瀾の第三巻。

第3巻は陸上での木津砦での攻防と信長が出陣してからの石山本願寺の籠城戦から、木津川の合戦前までが記載されています。まあ、物語は粛々と進行するのですが。鬼手とは何かは未だ明らかにはなっていません。

2016年12月28日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅21

32057
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/4午前8時半過ぎには富士市立円寺に居ました。望嶽の碑の横には赤い錨がありました。
32058
石碑には、ゲラテック号遭難詩とあります。1979年10月19日台風20号によりゲラテック号が遭難したようです。その錨が慰霊碑として安置されていているようです。碑によると、船員二名の尊い命が失われたようです。また、打ち揚げられた船体見物に日曜、祝日には遠く東京愛知山梨から約5万人の人々が訪れ、売店十数件が出店したとの記載もありました。
32059
望嶽の碑、ゲラテック号遭難誌の全体像は、このようになっています。白い雲と青い空が綺麗です。

2016年12月27日 (火)

水耕栽培---サラダ京水菜8

1224

Greenfarmで水耕栽培している今週の京水菜の状態です。一番、大きく生長している株は相変わらず元気です。途中で再度、播種した株の生長は今、一歩の状態です。

素人が簡単には水耕栽培ができないようです。液体肥料の濃度を少々、上げてみようかとも思っています。

2016年12月26日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅20

32060
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/4午前8時半過ぎには富士市立円寺に居ました。こちらが立円寺の楼門付近となります。
32052
旧街道沿いには、このような案内がありました。望嶽の碑とあります。「文化5年(1803年)尾張藩の藩医柴田景浩が、西柏原、立円寺境内に建立したもの。ここから眺める富士山のすばらしさを賞賛している」とあります。富士山を見てみましょう。
32054
やっぱり、雲でそのお姿を隠しているのでありました。境内には、
32055
古い石碑がありました。柴田景浩が建立したものでしょう。
32056
案内には、参勤交代の度にこの地で小休止をとり富士山を眺めるが、この地から見る富士山が一番と記載されています。

2016年12月25日 (日)

近所の散策----冬至過ぎ2

Photo
こちらもjgging中に見かけた風景です。もう既に赤い寒椿の花弁がかなり散っているのです。一部の地面が赤い絨毯のようです。
2016
こちらは当家の玄関横にあるハイビスカスです。ビニール袋が被され、すっかり冬支度となっています。ハイビスカスは寒さに弱いのでしょうか。勿論、出入りの庭師の方がしてくれたものです。
さて、今朝は夜勤明けでした。午前6時前には起床して8:50分頃に仕事場を出ています。日曜日でもあり道路は空いていました。ハンズマンで買い物をしようと思いましたが、求めているものが見当たらず、一部のみを購入して10時過ぎに帰宅しました。それから約6Kmのjoggingへ出かけています。今日も良い天気となりました。残り半日の休日を楽しもうと思います。

2016年12月24日 (土)

近所の散策---冬至過ぎ1

2016
今年は12/21が冬至でした。さて、こちらは今朝8時頃に撮影したものです。当家の冬の風物詩となっているみかん掛けです。冬場になると山に木の実が少なくなることから、毎年、冬場に野鳥の為ににみかんを掛けています。昨日もヒヨドリがみかんをついばんでいました。宮崎県では鳥インフルエンザが発生し大変なことになっているので、こんなことをしていてはヒンシュクをかいそうです。
さて、本日も午前6時過ぎには起床し、朝食を頂き、午前7時過ぎから約3Kmのランニングへ出かけたいます。jogging終了後に、こちらの写真を撮影し、自宅内に入るとデジカメのレンズが結露していました。昨日に比し、今朝は冷え込んでいます。
例年、昨日の天皇誕生日には年賀状の宛名書きをするのですが、今年は喪中のため欠礼葉書の宛名書きは11月下旬に終了し投函もしているので、昨日はゆっくりと過ごしました。
今日はこれから少々、調べものをします。

2016年12月23日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅19

32043
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/4午前8時過ぎには沼津市から富士市へ入っています。こちらは富士市に入ったことを示す道標です。
32044
すると、このような車両が駐車していました。ナンバープレートには「富士山」との記載があります。見慣れていない九州の人間にとっては、非常に新鮮に思えたので撮影してみました。
32048
さらに歩を西へ向けます。午前8時半前には東田子の浦駅前付近に達しています。こちらが案内の道標です。
32049
交差点から東田子の浦駅を撮影しています。その頃、必死に思いだそうと思っていました。高校時代に何か習ったよなー。「田子の浦うち出でてみれば・・・」。その後が続かない。もっと勉強しておけば良かったと反省するのでした。ただ、当方の年代にとって、「田子の浦」=「ヘドロ問題」であり、あまり良い印象は残っていないのです。
32051
さらに西方向へ進むと、間宿(あいのしゅく)柏原の本陣跡に到着しています。特に何も残っていなかったと記憶しています。

2016年12月22日 (木)

仮想日本鉄道の旅---その12

002


2016年11月1日から11月30日までjoggingで77Km走っています。今回の仮想乗車区間は、JR山陰本線萩駅から浜田駅まで乗車したことと仮定します。この間は102Km、17駅で通常各駅停車で127分(普通列車)で走行するようです。料金は1940円だそうです。残51Kmのうち25Kmを使用することにします。残は26Kmとなります。

前回の条件で萩駅に8:20分に到着すると、萩駅8:25分発益田駅9:53分着、益田駅10:54分発浜田駅11:40分着となります。益田駅で約1時間の待機時間が生じますが、益田駅前を散策することが可能となりますので、丁度良いでしょう。かめかめさんからも山陰本線から眺める日本海は綺麗とのことで、是非、一度、乗車してみたいものです。

2016年12月21日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅18

32037
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/4午前8時前には海岸山大通寺前に到着しています。殆どお寺さんには興味がないのですが、何故、こちらを撮影したかというと、その山号が面白かったからです。なんたって、「海岸山」です。何か由来があるのでしょうか。チョット、調べてみましたが良く判りません。
32036
こちらが、その正面となります。立派なお寺さんですね。
32038
さらに西方向へ歩を進めます。すると、このような看板に出くわしました。「富士宮やきそば、うミャー、ゆきちゃん」と記載されています。朝早く、開店前だったのが残念でした。
32040
この付近は東海道本線と並行に旧街道があるのですが、所々で東海道本線と交差することになります。こちらは植田踏切というのでしょう。こちらを横切ることになります。
32041
静岡方面から電車が来ました。意匠はJR東海のものです。熱海駅から西はJR東海の管轄になるのです。
 

2016年12月20日 (火)

水耕栽培---サラダ京水菜7

1217
GreenFarmで水耕栽培している京水菜の今週の状況です。最も成長を続ける写真中心の水菜がやや大きくなっているようですが、状況としてはあまり変化がないようです。後から播種した種の方も、生長は芳しくはありません。まあ、もうしばらく経過をみることにしましょう。

2016年12月19日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅17

32029
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/4は午前6:30分からホテルで朝食を頂いてから出発しています。沼津駅前をチョット、散策しているとC58蒸気機関車の動輪がモニュメントとして設置してありました。
32030
こちらは沼津駅の改札口です。写真を拡大して確認すると、7:25分沼津発浜松行の3両編成の電車に乗車したのだと思います。
32031
こちらは、昨日、到着した原駅前交差点から西方向を撮影したものです。原駅は沼津駅から2駅程度ですので約10分弱で到着します。これから9/4の行程が開始です。
32033
数分、歩くと一里塚がありました。「ここでは街道をはさんで両側にあったとおもわれるが、現在は宅地化されているのでその面影はない」と記載されています。
32034
こちらが、一里塚を示すプレートの全体像です。ひっそりと佇んでいるのが分かります。確かに全く一里塚の面影はありませんね。

2016年12月18日 (日)

近所の散策---大雪過ぎ4

01
こちらもjogging中に見かけた赤い寒椿です。街路樹として植樹されてるものです。朝の太陽の光を受けて、青い空との対比で綺麗です。
さて、今朝も少々、寝坊をして午前6:30分過ぎに起床しています。朝食を頂き、いつもの日曜日のようにがっちりマンデーを見て、8:00頃から約6Kmのjoggingへ出かけています。その後、腹背筋、ストレッチをしてシャワーを浴び、少々、調べものをして今に至っています。
妻と長女は博多へ日帰り旅行で7:30分前には出発して行きました。さて、今日はやや大きな買い物へ出かける予定です。

2016年12月17日 (土)

近所の散策---大雪過ぎ3

01_3
こちらもjogging中に見かけたイチョウの木です。近くの自治公民館前に植樹されていました。今までにもあったはずなのですが、何年も気が付きませんでした。ちょっと寄ってみましょう。
02
イチョウの葉は綺麗な黄色になっています。当方が卒業した高校の下駄箱前にもイチョウの樹があり、秋になると銀杏が落ちて、独特の匂いがしたことを思い出します。
20161217
こちらもjogging中に撮影しました。青い空がとっても綺麗です。
さて、今朝は寝坊をして午前7時頃に起床しています。朝食を摂り、約6Kmのjoggingへ出かけています。放射冷却でしょうか今朝はかなり冷え込んでいます。この2、3日は冬らしい気候となっています。
joggingの後、駐車場の清掃、シャワー、洗濯、清掃、灯油の補給等をして今となりました。妻は仕事に行っています。これから少々、年末でもありますので家の仕事を片付けましょう。

2016年12月16日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅16

32003
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/3午後4時過ぎには沼津市原駅付近に居ました。こちらは、がっちりマンデーで紹介されていた平成建設の看板です。有名大学卒の大工さんが所属しているとの建設会社だったと記憶しています。

32005
午後4時過ぎに原駅入口まで来ています。こちらが信号機についた案内となります。普段、クルマを運転している場合には何気なく見ていますが、徒歩の旅では非常に重要な情報を与えてくれ重宝しています。こちらの交差点を左折して原駅へと向かいます。300m程度だったと記憶しています。

32008
こちらが、原駅の駅舎となります。

32011

この駅から、16:28分発の熱海行の普通列車に乗車しています。
32012

こちらが、原駅の駅標となります。原駅ー片浜駅ー沼津駅と鉄道では2駅で今回の宿泊base campとなる沼津駅に到着します。乗車時間は10分程度だったように記憶しています。沼津駅到着後、三交イン沼津駅前にチェックインしています。

本来、9/3の行程は三島ー沼津間の予定でしたので鉄道で2駅分、進んだことになります。雨に降られなくて本当に良かったです。

2016年12月15日 (木)

村上海賊の娘---第2巻

201_2

今回は、こちらの本を選択しています。和田竜氏の「村海の娘---第2巻」です。本の帯には以下のように案内されています。

天下統一に乗り出した織田信長が、大坂本願寺を攻め立てていた天正四年。一向宗の門徒たちは籠城を余儀なくされていた。海路からの支援を乞われた毛利家は、村上海賊に頼ろうとする。織田方では、泉州淡輪の海賊、眞鍋家の若き当主、七五三兵衛が初の軍議に臨む。武辺者揃いの泉州侍たち。大地を揺るがす「南無阿弥陀仏」の大合唱。難波海で、景が見たものは――。激突の第二巻。

織田方と一向宗方との戦闘が開始されています。さて、物語の進行は?

本の内容は兎も角、タレントの眞鍋かおりさんは愛媛県出身なので、こちらの眞鍋家の末裔にあたるのでしょうか。

 

2016年12月14日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅15

3994
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/3午後4時頃には沼津市原付近に居ました。こちらは大本山松陰寺の表参道のようです。山号が大本山というのも面白いと感じて撮影しています。

3996
さらに少々、西進すると白隠禅師誕生地なる案内がありました。「駿河には過ぎたるものが2つあり。富士のお山に原の白隠」と記載されています。まあ、そうなのでしょう。

3997
こちらが、白隠禅師誕生地の石碑となります。

32000
この付近には、原宿の問屋場跡の案内もありました。「原宿には問屋のあった場所が西町東町に各一箇所づつあって、交代で勤めたと思われる」との記載があります。

32001

本陣跡の案内も近くにありました。「原宿の本陣渡邉家は阿野全成(源頼朝の弟、義経の兄)の子孫であり、代々平左衛門を名乗って幕末に至っている。(中略)。1868年10月7日明治天皇東幸の時、本陣渡邉平左衛門家で御小休をされ」とあります。

2016年12月13日 (火)

水耕栽培---サラダ京水菜6

1210_2
GreenFarmで水耕栽培している今週の京水菜の状況です。写真中央の元気の良い京水菜は生長しているようです。手前の方は、先週、新たに播種したのですが芽が出ていません。
再度、播種してみましょうか。

2016年12月12日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅14

3982
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/3午後3時半頃には沼津市松長仲町付近に居ました。こちらは松長一里塚跡碑となります。黒い石碑の横に古そうな石碑も並立しているようです。クルマの通行が多く、道路を渡ることができませんでした。この一里塚に達するまでは、「平坦もあまり見るべきものなし」とガイドブックにボールペンで記入しています。このような記入を旅行後に見るのも楽しいものです。

3984

こちらは若山英史さんの応援看板です。リオパラリンピックのウィルチェアーラグビーの選手のようです。結果はどうだったのでしょうか?
3985

さらに西進します。逆光となり判然としませんが、青い交通案内には右に片浜駅があることが記載されています。
3988
こちらが東海道本線片浜駅の駅舎となります。この辺りでは東海道本線と旧街道が並行して走行しているのです。

3989

さらに西進します。富士急三本松バス停の先に、東海道本線の踏切があります。恐らく、片浜踏切というのが正式な名称だと思います。

2016年12月11日 (日)

近所の散策---大雪過ぎ2

1203_2
こちらもjogging中に見かけた小さな花です。花の直径は数mm程度でしょうか。花の奥には、紺色の実のようなものも見えます。葉は何だか紫陽花の葉のように見えます。勿論、花の名称は不明です。
Photo
さて、本日は青島太平洋マラソンの当日です。自宅近くの風来軒のある交差点には毎年見かける無料臨時駐車場の案内がありました。宮崎大学の駐車場が臨時駐車場となっているのです。無料駐車場から会場までは無料シャトルバスが運行されているようです。
今朝も寝坊をして6:40分頃に起床しています。朝食を頂き、がっちりマンデーを見た後、8:10分頃から約6Kmのjoggingへ出かかけています。その際に上の写真を撮影しています。
午前9時にjoggingを終了しストレッチをしていると、マラソンスタートを知らせる花火が上がりました。今日も昨日同様、雲一つない快晴です。気温も低くマラソン日和のようです。午後まで国道220号線は混雑しそうです。
 
12/15追記、yhideさんから連絡がありました。ランタナ(和名;七変化)という植物のようです。花の色が変化することから七変化というそうです。本当に、いつもいつもご教示頂き、感謝しています。
 

2016年12月10日 (土)

近所の散策---大雪過ぎ1

Photo
12/7が二十四節気の大雪だったようです。さて、こちらもjogging中に見かけたものです。宮崎平野でも紅葉をみることができました。拡大して撮影してみましょう。
1210
綺麗な紅葉となっています。今年は11月中旬ころまで暖かく、というより暑く、11月下旬になった漸く気温が例年程度に下がるようになりました。遅れていた紅葉なのだと思います。
さて、今朝は寝坊をして午前7時頃に起床しています。妻は就寝中だったので一人で朝食を頂き約6Kmのjoggingへ出かけています。空は晴天で青く、非常に綺麗でした。
2週連続の日曜日勤務があり、今週末は久しぶりに土日の休日を過ごそうと思っています。まずは、室内清掃から始まります。

2016年12月 9日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅13

31977
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/3午後2時半過ぎには沼津市間宮本陣跡付近に居ました。こちらがその石碑となります。配電盤のようなものの前にひっそりと佇んでいた記憶があります。
31978
午後3時前には沼津市西門町付近に達しています。こちらの歩道橋を渡らないと旧道には行けないようなので、重い足を引き吊り歩道橋の階段を昇ることにしました。
 
31980
こちらが歩道橋の上から静岡方面を撮影したものです。写真右側が旧道となります。所謂、旧道分岐点となります。
31981
旧道分岐点には、このような案内がありました。旧東海道徒歩の旅は、巨大なオリエンテーリングのようなものと考えています。このような案内があると行程が正しいことが確認でき非常に嬉しいのです。
 

2016年12月 8日 (木)

村上海賊の娘---第1巻

101

今回は、こちらの本を選択しています。和田竜氏の「村上海賊の娘第1巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。

時は戦国。乱世にその名を轟かせた海賊衆がいた。村上海賊――。瀬戸内海の島々に根を張り、強勢を誇る当主の村上武吉。彼の剛勇と荒々しさを引き継いだのは、娘の景だった。海賊働きに明け暮れ、地元では嫁の貰い手のない悍婦で醜女。この姫が合戦前夜の難波へ向かう時、物語の幕が開く――。本屋大賞、吉川英治文学新人賞ダブル受賞! 木津川合戦の史実に基づく壮大な歴史巨編。

2-3年前、単行本で出版されたと思います。博多の本屋さんで、こちらの本の存在を知りました。その当時から読書してみたかったのですが、本年6月に文庫本になったので購入しました。

第1巻の舞台は大阪本願寺から始まります。大阪本願寺対信長の対立から話が始まるようです。中国地方統一の際、秀吉と村上海賊が手を結んだことは知識として知っていますが、この時代の村上海賊の挙動については知識がありません。今回、得た知識は、「雑賀(鈴木)孫一」が複数名いたことです。代々、この名前を継承したのでしょう。その昔、東京都町田市に「さいかや」という中規模百貨店がありましたが、その末裔だったことでしょう。さて、今後、どのような展開になっていくことでしょうか。

2016年12月 7日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅12

31969
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/3午後2時半過ぎには沼津市三枚橋付近に居ました。とあるホテルの前には三枚橋城外堀石垣が残されていました。ただし、こちらは当時のものではなかった記憶があります。
31970
その後、通横町に達しています。案内には、「この地は、江戸時代、沼津宿の問屋場が置かれ、人馬継立てでにぎわったところである。問屋場の裏には白壁瓦ぶきn大きな土蔵が建っていたという。南北に走る上土町の通りと本町の通りとを東西に横に通している町の意から付けられた町名といわれている」とあります。
31972
この辺りは、クランクになっていた記憶があります。さんさん通りから御成橋通りに入ります。
31974
さらに、沼津市沼津宿の案内板から左折して行くのでありました。本来の予定であれば、9/3の行程は沼津宿にて終了だったのですが、9/4以降の天候が怪しいこと、未だ時間が午後2時半過ぎでしたので予定を変更して行けることろまで歩き続けることにしました。
 

今朝の気温

今朝の気温
今朝、出勤時の宮崎市の気温は3℃でした。結構、冷え込んでいます。今季、最低気温を更新したようです。ここ数日は暖かい日々が続き、やっと師走らしい気温となってきました。

2016年12月 6日 (火)

水耕栽培---サラダ京水菜5

1203
GreenFarmで水耕栽培している京水菜の今週の状況です。生長している株もありますが、今一歩の株もあるようです。発芽していないところのスポンジには、再度、種を播種してみようかとも思っています。その際には欲張らず1つのスポンジに、1つの種としましょう。

2016年12月 5日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅11

31956
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/3午後2時過ぎには沼津市三国橋付近に居ました。こちらは川廓通りを示す石碑です。道路も石畳風となっています。
31957
川廓の由来を記載した案内もありました。案内には以下のようにあります。「川廓町は、志多町と上土町との間の東海道往還沿いにあって東側は狩野川に接し、背後は沼津城の外郭に接した狭い町であった。川廓は川曲輪とも記し、狩野川に面した城郭に由来して名付けられたものであると考えられる」
31958
こちらは、その案内下部にあった静岡藩時代の沼津城周辺絵図となります。
31968
しばらく歩くと、同様の案内と石碑がありました。
 

2016年12月 4日 (日)

デスクトップパソコン用メモリー---DDR3-1066

Pc_memory
仕事場で使用しているパソコンEndeavor MR6000(32bits)がWindows 10 proにversion upし、10月、11月のAnniversary updateに伴いメモリーが不足しているようです。
Wikipediaによると32bits machineの場合には最小ハードウェア仕様要求では物理メモリーは1G以上、Anniversary update以降は2G以上、快適に作動させるためには3G以上となっています。
当方のMR6000は2009年7月に購入したもので物理メモリーは2G(1Gx2)のみ搭載となっていました。
MR6000のUser's mannualには4Gまでの搭載は可能も、systemとしては最大3Gまでの認識と記載されていました。意味がよく判りませんが当時のWindows7としては3Gまでの認識なのでしょうか。
という事情でメモリを購入してみました。メモリの仕様はUser's mannualにDDR3-1066(PC3-8500) SDRAM 240ピンと記載されていました。 既に古いパソコンなので中古のメモリを選択しています。今回、一応、2Gのメモリを購入してみました。システムとしてどのように認識するかを実験する目的もあります。ネット上では3.5G程度は認識するような記事もあります。
メモリはアマゾンで購入し、中古パソコン販売パクスからレターパックで送って来ました。\1480(送料込み)です。一応、1週間の相性保障がありますが、果たして役に立つのでしょうか。
Memory
MR6000に装着してみました。写真のオレンジ色の直線となっているものがメモリです。装着がやや硬かったですが無事、装着できました。メモリslot2に装着しています。さて、システムでは、

Memory3
実装メモリ(RAM):4.0GB(3.22GB使用可能)となっています。やはり、32bits machineでは3.22GBが限界なのでしょう。でも、ややパソコンの反応が早くなった印象があります。気の性かもしれません。まあ、お遊びだったので、こんなものです。
漸く判りました。32bitsなので、2の32乗=256(2の8乗)x256x256x256=1.6x10の7乗x2.5x100=4x10の9乗=4Gになるようです。

2016年12月 3日 (土)

近所の散策---小雪過ぎ3

Photo_3

こちらもjogging中に見かけた植物です。センリョウの実です。当家の近くの街路樹としてセンリョウが植樹されているのです。こちらの実は、しばらくすると野鳥の食べ物になるようです。

今朝も午前6時頃には起床し朝食を頂きました。妻は出張でどこかに出発して行きました。当方は午前7時頃から約6Kmのjoggingへ出かけています。その後、駐車場の掃除をし、シャワーを浴び、洗濯、室内清掃、灯油補給、葉書出し等をして現在に至っています。

今日は朝から鹿児島の会議に出席しようかと思っていましたが、明日が2週連続の日曜日勤務となったことで取りやめにしています。妻も不在なので今日は休日とし、ゆっくり過ごすことにします。

2016年12月 2日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅10

31944
2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/3午後2時前には沼津市狩野川添いにいました。防波堤を降りると平作地蔵尊がありました。日本三大仇討のひとつの場所だそうです。
 
31945
柵の中には、こちらのような石碑がありましたが、中には入れなかった記憶があります。
31948
対側には一里塚跡を示す案内と、その向こうに現代風にアレンジされた塚があります。こちらは公園となっていました。
31950
一里塚の石碑の横には、玉砥石なるものがあります。
31951
玉砥石とは、「今から1200-1300年前に玉類を磨くために用いられた砥石」と説明があります。「柱状の2つの大石にそれぞれ直線的な溝があり、ここに玉の原石を入れて磨いたと考えられています」、「玉砥石は、静岡県下では発見されておらず貴重なものであることは確かである」とも記載がありました。
 

2016年12月 1日 (木)

世界の果てまでイッテQのカレンダー---12月

Iq201612
世界の果てまでイッテQのカレンダー12月は、内村とその仲間たち in 日本 人間万華鏡です。日本で撮影されたようです。
こちらのon airは見ていないような気がします。恐らく、日曜日の夜で近くの温泉にで行っていて放送を見ていないのだと思います。
さて、とうとう12月です。2016年も残すことろ1ケ月となりました。年末年始の準備で皆さん、御多忙のことでしょう。例年より1ケ月程度、インフルエンザの流行も早まっているようです。
罹患しないように注意しながら新年への準備をしましょうか。

« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック