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2017年3月

2017年3月31日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅59

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時頃には旧東海道蒲原宿の西木戸に居ました。西木戸は、旧国道1号線添いに、このような公園風に整備されているのです。

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案内板がありました。「西木戸・茄子屋の辻」とあります。後半を抜粋してみましょう。「承応2年(1653)、高松藩の鎗の名人大久保甚太夫らが江戸へ行く途中、薩摩藩の大名行列と出会い、槍の穂先が相手の槍と触れたことで口論になり茄子屋で薩摩藩の大名行列と乱闘が始まり、70人近くを倒しました。しかし、最後に追っ手に見つかり殺されてしまいました。当時の竜雲寺住職が母子に葬り、供養しました。甚太夫の槍の穂先は、現在寺宝として、保存されています」

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こちらが、蒲原宿を示す案内標となります。

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西木戸を示す石碑もありました。写真右の黒い石は、ベンチになっているようですが、熱くて座って休憩することは不可なのでした。

2017年3月30日 (木)

関ケ原---中巻

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今回はこちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「関ケ原中巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。

秀吉の死後、天下は騒然となった。太閤の最信任を獲得した能吏三成は主君の遺命をひたすら堅守したが、加藤清正、福島正則ら戦場一途の武将たちは三成を憎んで追放せんとする。周到な謀略によって豊家乗っ取りにかかった家康は、次々と反三成派を篭絡しつつ、上杉景勝討伐の途上、野州小山の軍議において、秀頼の命を奉ずる諸将を、一挙に徳川家の私兵へと転換させてしまう。

さて、今回も気になった箇所を抜粋してみましょう。「ひとには感情というものがござる。道理や正しさを楯にとってひとの非を鳴らすのは敵を作るだけで何の利もござりませぬ」(島左近の石田三成に対する言葉)(p300)

「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる、とういうことばがある。すばしっこい兎が野山でとりつくされてしまうと、それまで猟師のために働いた猟犬が不用になり、殺して烹て食われてしまうとうい意味である。如水はそのことばも知っている」(p411)

天下を統一して安定期に入った豊臣秀吉は、黒田如水のことを最も恐れていたと言われています。

2017年3月29日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅58

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時前には旧東海道蒲原宿に居ました。旧街道は右へカーブし、旧国道1号線と合流することになります。写真正面には何やら石碑があります。近づいてみると、

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浄土真宗法流山長栄寺とあります。まあ、当方にはあまり興味のないお寺さんでした。更に旧街道を西へ進みます。

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すると非常に立派な建物がありました。鉄筋コンクリート製です。写真左にあるように五十嵐医院とあります。先のブログの五十嵐歯科医院と縁戚関係があるのでしょうか。たぶん、五十嵐家はこの地の旧家なのでしょう(想像です)。勿論、駐車場にはベンツがあるのでした。

2017年3月28日 (火)

近所の散策---春のお彼岸の頃1

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こちらはjogging中に見かけた近所のときわまんさくです。一部が綺麗に開花していました。
少々、近づいて撮影してみましょう。
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zoom in すると、このようになります。
当家の生垣もときわまんさくですが、昨年は開花しませんでした。今年はどうでしょうか。

2017年3月27日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅57

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時前には旧東海道蒲原宿に居ました。旧街道を歩いていると、こちらのようなモダンな家屋がありました。近づいてみましょう。

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表札には五十嵐歯科医院とあります。

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案内がありました。大正時代の洋館 国登録文化財「旧五十嵐歯科医院」とあります。「旧五十嵐歯科医院は、町屋を楊数に増改築した擬洋風建築と呼ばれる建物で、外観は洋風、内観は和風というユニークな建物です。当時の洋風建築としては珍しくガラス窓が多く使われ開放的であり、下見板の白いペンキとあいまってモダンな息吹が感じられます。大正3年、五十嵐準氏が自宅を3回にわたり洋風に改造し、歯科医院を開業しました。水道がなかった時代、井戸水を二階の診察室まで通したポンプや配管も残っています。名医として知られ、当町在住の元宮内大臣田中光顕伯爵も患者の一人でした」とあります。
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街道の対側にも旧家らしきものがあります。

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行燈でしょうか、志田邸東海道町民生活歴史館と記載されているようです。時間的に未だ開館前だったようです。

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蔀戸のある家 国登録文化財志田家旧宅主屋となります。「志田家はヤマロクという屋号で、味噌や醤油の醸造を営む商家でした。安静元年(1854)の大地震の直後に再建されたという東側二階建て部分は、通り土間一列型と呼ばれる町屋形式の典型です。蔀戸とは、日光や風雨などをさえぎる戸のことです。上下二枚に分かれていてじぇ半分を長押から吊り、下半分は懸金で柱に打った寄せにとめ、全部解放するときは下のものは取り外せます。昼は上に吊りあげて目隠しに用い、寄るは下して戸締りの役を果たしました」とあります。うーん、やっぱり蔀戸が理解できない。

2017年3月26日 (日)

無線LAN子機

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自宅PCの無線LANが実は、昨日から不調でした。夕方からプリンターとの接続が出来なかったり、突然、切れたりするのです。
本日、午前中にもブログを記載している際に突然、切れました。昨日、新しいアプリをinstallしたからかもしれません。内臓無線LAN子機が壊れたのかもしれません。
「内臓無線LAN子機がoffになっている」と表示されます。当方の自宅PCは2011年11月に購入したもので当初はWindows7機でした。昨年、Windows10にupdateしてから不調が続きます。一部のInstant Keyが使用不可となっているのです。
先ほどEDIONへ行き、こちらの無線LAN子機を購入して来ました。I・O DATAのWN-G150UMWです。最大150Mbpsの速度ですが、driver install不要が気に入りました。お値段は\1000程度でしたがポイントの残があり手出しは不要でした。漸く無線LANが繋がりました。チョット、安心。
 

稲の定点観測2017---その2

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宮崎平野の早期水稲の定点観測地点の今朝の状況です。いつもの山が田圃の水面に反射して写っています。
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定点観測地点の隣の田圃では田植えが始まっていました。苗床が田圃の横に準備してあります。
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昨日が雨だったからでしょうか今日に田植えが延期されたのでしょう。
さて、昨日は非常に寒い1日となりました。自室のエアコンを暖房運転したくらいでした。
今日も通常の休日と同様に午前6時には起床し、朝食を頂き、7:30分からがっちりマンデーを見ています。その後、約6Kmのjoggingへ出かけています。
本日のがっちりマンデーでは、東京ディズニーリゾートの話でした。1/17夜にはアルバイト職員のキャストにためのサンクスデーなるものがあるようです。
キャストがディズニーランドを楽しみ、その夜は管理職が現場にでて働くというものでした。
現場に人間は喜ぶし、管理職は現場に出ることで現場を知ることができ非常に素晴らしい企画、会社だと思いました。
とここまで記載したら当方の自宅PCの無線LANが不調となってしまいました。現在、有線で使用しています。今日は、これからPCに振り回されそうです。

2017年3月25日 (土)

スーツケース

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長女用のスーツケースです。当家では海外旅行の際でもスーツケースはレンタルとしています。理由は購入すれば自宅内で場所を取ってしまうためです。今回は止むを得ずスーツケースを購入しています。本来であればレンタル落ちのスーツケースを格安で購入する方法もあったのですが、妻と長女が新品のプロテカを購入して来ました
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サイズは100Lのようです。容量も大きいですが、お値段も凄いです。何と\64800(税込み)もするのです。まあ、一生物と考えて良いとしましょう。

2017年3月24日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅56

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時前には旧東海道蒲原宿に居ました。蒲原宿がお勧めの旧街道であるのは、その雰囲気が残り、案内がしっかりしている上に、このように旧東海道見学者用駐車場が完備されているのです。これなら足腰が不自由でクルマでお越しになった方々でも見学が可能です。これこそが、「おもてなし」だと思います。
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高札場跡もありました。「高札とは徳川幕府の禁令、定などを記した立札のことで、辻札ともいわれました。宿場や村には必ず高札場が設けられ、民衆に法令や定を周知させていました。正徳元年(1711)に出された五高札が有名で、①伝馬に関する定 ②忠孝を奨励する定 ③毒薬や贋金銀売買の禁止の定 ④切支丹宗門禁制の定 ⑤火付(放火)重罪の定 が墨書されて掲げられていました。また貨客運搬の駅場や忍足の賃金も改定のたびに掲げられられました」とあります。宗教の件以外は、現在でも通用する内容となっていますね。
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街道沿いには、「御殿道跡」なる案内もありました。「かつて、このあたりに蒲原御殿がありました。はじめは武田氏を攻めて帰る織田信長を慰労するために徳川家康が建てた小規模なものでしたが、二代将軍秀忠、三代将軍家光がとうかいどうを往来するたびに拡張、整備され、規模も大きくなりました。御殿の正確な位置はわかりませんが、このあたり一帯の相当広い地域を占めていたと思われます。背後の山を御殿山、ここから下る道を御殿道と呼んでいます。ちなみに寛永11年(1634)家光上洛以降、蒲原御殿は使用されなくなりました」とあります。

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こちらの旧家の横に、御殿道の案内がありました。写真左の小さな道が御殿道なのでしょうか?

2017年3月23日 (木)

関ケ原---上巻

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今回はこちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の関ケ原上巻です。本の帯には、以下のように紹介されています。
東西両軍の兵力じつに十数万、日本国内における古今最大の戦闘となったこの天下分け目の決戦の起因から終結までを克明に描きながら、己れとその一族の生き方を求めて苦闘した著名な戦国諸雄の人間像を浮彫りにする壮大な歴史絵巻。秀吉の死によって傾きはじめた豊臣政権を簒奪するために家康はいかなる謀略をめぐらし、豊家安泰を守ろうとする石田三成はいかに戦ったのか。
さて、これまで時代経過に伴い司馬遼太郎氏の戦国4部作となる「国盗り物語」、「新史太閤記」を読書して来ましたが、その第3シリーズとして「関ケ原」を読むことにしています。時代経過としては、同氏の「城塞」が第4部作目となるようです。まあ、ここまで来たら「城塞」も読書することになりそうです。
さて、「関ケ原」です。
この本で気になった箇所を抜粋してみましょう。
島左近は、石田三成の欠点について、こう指摘した。「人間に期待し過ぎるようですな」(p133)。
家康の加藤清正の評価です。「性格が武士でありすぎる。政治感覚がないのである」(p217)
家康の石田三成の評価です。「かの秀吉という仁は、瞬時も手足を休めず、さまざまな手を打つのに忙しい仁であったが、しかしここは一番待たねばらなぬとなると、大地が腐るまで我慢をするという気根があったな。三成にはそれがない」(p284)。
 
なるほど、左近は大人である。家康はそれよりもさらに、地についた大人である。出来ることを無理なく地道にやってゆく(p332)。
色々と良い言葉に出くわします。今回、この本から島左近なる人物の存在を初めて知りました。世間に知れた三成の名軍師です。

2017年3月22日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅55

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時前には旧東海道蒲原宿に居ました。こちらの蒲原宿は、旧街道を薄いブラウン色にしているようです。信号左には案内図がありました。

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案内図の茶色で塗装されているのが旧東海道となります。以前、記載した本町を区画するのは図の水色の川です。写真上方向が本町となるのです。
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案内の横には、蒲原宿すたんぷ処がありました。スタンプ好きなかめかめさんであれば、必ずスタンプを押していたことでしょう。当方は、こちらの中にあった案内パンフレットを頂戴して来ました。

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街道沿いには旧家らしきものがありましたので近づいてみます。

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案内には、「手作りガラスと総欅の家(磯部家)」とあります。「明治42年(1909年)に建築された当家は、素材の美しさから近世以降、寺院建築に用いられた欅を材とし、柱や梁から一枚板の戸袋に至るすべてが欅づくりで、長年磨き込まれた木目がみごとです。二階の窓ガラスは、波打つような面が美しい手作りのガラスです。日本における板ガラスの生産開始が明治40年ですから、国産、輸入品の見分けは困難ですが、当時の最先端の建築用材といえます」とあります。

確かに下から二階の窓ガラスを見上げると波打っていた記憶があります。写真撮影は不可でした。木目に関しては記憶がありません。

2017年3月21日 (火)

一本だけ早い染井吉野---開花状況3

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自宅近くの一本だけ早い染井吉野の開花状況です。今週は満開をやや過ぎ、少々、葉も目立つようになりました。
こちらの染井吉野の花は白く、これと比しヒマラヤ桜や河津桜の花が如何に赤かったかが鮮明に思い出されます。また、1年後にヒマラヤ桜、河津桜の花に再会できるのです。

2017年3月20日 (月)

稲の定点観測2017---その1

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春のお彼岸となりました。今年も週1回、早期水稲の生長具合を観察しようと思います。
例年の定点観測地点です。空は曇天です。田圃には水が入っていました。
 
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給水口は全開ではありませんが、少しづつ水が入れらているようです。
露出+0.3補正して撮影しているので、全体的に白い写真となっています。
さて、昨日は13:46分金沢駅発のかがやき528号に乗車し、定刻の16:20分東京駅着でした。山手線に乗り換え浜松町駅に到着し、モノレール乗車券を購入しホームへ行くと、区間快速の列車に飛び乗ることが出来ました。17:00頃に羽田空港に到着しています。本来は、18:45分発の飛行機に搭乗する予定だったのですが、17:35分発の飛行機に空席があることから自動チェックイン機で搭乗機の変更手続きをしています。実は、こんなこともあろうかと考え復路は正規航空券を購入していたのです。変更後、保安検査場を通過し、rest roomに寄ったらすぐに、搭乗開始でした。
19時10分頃、機長からアナウンスがあり先行着陸機が小動物と接触した可能性があり、宮崎空港が一時、閉鎖とのこと。空港東上空で待機するとの旨でした。空港閉鎖も10分程度だったようで、定刻の19:25分には着陸しています。その後、自宅へ帰り、旅の片付けをして、入浴、夕食となりました。
今朝も通常の6時には起床し、朝食を頂き、約3Kmのjoggingへ出かけています。今回の移動で少々、お疲れなので今日1日は完全休養日とします。でも、天気がハッキリしません。午後から雨の予報です。

2017年3月19日 (日)

ESET family security

Eset
ESET family securityとういうPCウイルスソフトを購入しています。1月に購入した長女用のPCへの導入用です。PC購入時にはMcAfeeのウイルスソフトが導入してあったのですが、購入後90日までの有効期限だったので、有効期限切れ前にESETを購入しました。
こちらの製品はCanonソリューション製のものです。
当家のPCは、トレンドマイクロ製ウイルスバスターを使用していますが契約台数を超えたので新規に購入しました。こちらのESET製品は、ネット上での評判も良く廉価であったのが選択理由です。3年間、5台有効で約4000円程度(アマゾンでCD-ROM版を購入)と記憶しています。Mac, Androidにも導入できるそうです。今後、PCが増加するようであれば残4台まで使用可能です。まあ、保険みたいなものです。

金沢駅

金沢駅
金沢駅
13時46分発のかがやき528号で東京へ戻ります。時刻表によると春の臨時列車のようです。

今回のホテル

今回のホテル
今回、宿泊したホテルはアパホテル金沢駅前です。金沢駅西口に位置します。勿論、大浴場、サウナ付きです。3連休とはいえ、1泊13000円は東京なみのお値段です。アパホテルはすでに高級ホテルです。

2017年3月18日 (土)

今回の会場

今回の会場
今回の会議の会場は金沢駅付近です。

仮想日本縦断鉄道の旅---その15

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2017年2月1日から2月28日までjoggingで78Km走っています。今回の仮想乗車区間は、JR山陰本線倉吉駅から浜坂駅まで乗車したことと仮定します。この間は72Km、14駅で通常各駅停車で110分で走行するようです。料金は13200円だそうです。残は43Kmとなります。

前回の条件で旅をしていると仮定すると、倉吉5:48分発、浜坂7:38分着の普通列車があります。今回の仮想乗車区間で知っている地名は鳥取のみです。一度、鳥取砂丘に行ってみたいと思っています。「スタバはないけど、砂場はあります」と言っていた鳥取県知事はステキだと思っています。

浜坂から先に、あの有名な余部鉄橋があるはずです。

2017年3月17日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅54

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前7時半過ぎには静岡市清水区旧東海道蒲原宿付近に居ました。広重の蒲原夜之雪記念碑の見学を終え、旧街道を進みます。すると古い商家のような住居がありました。自動販売機に横には案内がありそうです。近づいてみます。

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案内には以下のようにあります。「旅籠 和泉屋(鈴木家) 当家は江戸時代和泉屋という上旅籠でした。天保年間(1830-44)の建物で、安政の大地震でも倒壊を免れました。今に残る二階の櫛形の手すりや看板掛け、柱から突き出た腕木なのに江戸時代の上旅籠の面影を見ることができます。弘化2年(1845)の蒲原宿商売調帳に、和泉屋間口間数6.1とあり、現在は鈴木家4.1間、お休み処2間に仕切られています」とあります。間口により税金が掛けられていたのしょう。
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対側にも立派なお屋敷があります。勿論、近づいてみます。


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どうも本陣跡のようです。案内には以下のように記載があります。「本陣は、大名宿、本亭ともいわれ、江戸時代に街道の宿場に置かれた勅使、大名、公家などの貴人が宿泊した大旅籠です。主に大名の参勤交代の往復に使用あれました。原則として門、玄関、上段の間がある点が一般の旅籠とん異なりました。ここは当宿の西本陣(平岡本陣)の跡で、かつてはここより100m程東に東本陣(多芸本陣)もありました。本陣の当主は名主、宿役人などを兼務し、名字帯刀を許されていました」とあります。

金沢へ

金沢へ
はくたか561号で金沢へ向います。羽田空港から小松空港へ飛ぶ経路もありましたが、北陸新幹線に乗車してみたかったのです。

東京駅

東京駅
東京駅
東京駅に到着しました。お弁当屋さんは非常に混雑しています。北陸新幹線の乗り場が分からず、右往左往しました。

宮崎空港

宮崎空港
宮崎空港に来ています。これから飛行機に搭乗します。

2017年3月16日 (木)

新史太閤記---下巻

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今回は、こちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の新史太閤記下巻です。本の帯には以下のように紹介されています。

備中高松城を水攻めのさなか本能寺の変を伝え聞いた秀吉は、“中国大返し"と語り伝えられる強行軍で京都にとって返し、明智光秀を討つ。柴田勝家、徳川家康ら、信長のあとを狙う重臣たちを、あるいは懐柔し、あるいは討ち滅ぼすその稀代の智略は、やがて日本全土の統一につながってゆく。常に乱世の英雄を新しい視角から現代に再現させる司馬遼太郎の「国盗り物語」に続く戦国第二作。

この下巻にも心に残る言葉がいくつかあります。抜粋してみましょう。

「官兵衛、世の事はすべて陽気にやるのよ」それが秘訣だ、と秀吉はおもっている。悪事も善事も陽気にやらねばならない(p280)。

さらに驚くことに安国寺恵瓊は信長が暗殺される10年も前に、信長の時代は短く、藤吉郎の世が来ることを予想しています(p91)。

そういえば、NHK大河ドラマ(黄金の日日、1978年)でこの安国寺恵瓊役を先日、他界された神山繁さんが演じていたことが記憶に残っています。

2017年3月15日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅53

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前7時半過ぎには静岡市清水区旧東海道蒲原宿付近に居ました。なまこ壁の家を過ぎ、更に西方向へ歩を進めます。数分で、このような案内板を発見しました。案内には、「蒲原夜之雪」記念碑となります。蒲原夜之雪って言われれてもなーと思いつつ、案内の読みます。案内には以下のようにあります。「蒲原夜之雪の絵は、歌川(安藤)広重が、天保3年(1832)4月、幕府の朝廷への献上施設の一行に加わって京へ上った折、この地で描いたもので、東海道五十三次シリーズの中でも最高傑作といわれています。昭和35年、蒲原夜之雪が国際文通週間の切手になりました。これを記念して広重がこの絵を描いたと思われる場所にほど近い地に記念碑が建てられました」

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こちらが、その記念碑のある場所を広角で撮影したものです。

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蒲原宿と刻まれた石碑も建てられています。

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石碑の近くに、このようなプレートがありました。なるほど、この絵なら、見たことがあると思いました。

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石碑の近くには旧東海道を連想させるような新しい松の木が植樹されていたのでした。

2017年3月14日 (火)

一本だけ早い染井吉野---開花状況2

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自宅近くの一本だけ早く開花する染井吉野の今週の状況です。観察している株の蕾がほころび始めています。
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気の早い数輪の株は既に開花しています。花は白い花です。宮崎市の染井吉野の開花予想は3/25頃だったような気がします。
染井吉野にしても、早く開花するものと、遅く開花するものがあります。

2017年3月13日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅52

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前7時半過ぎには静岡市清水区旧東海道蒲原宿付近に居ました。こちらにも旧街道内を案内するものがありました。蒲原宿が旧東海道を観光資源として利用していることが伺えます。吉田邸、本陣方向へ進みます。

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すると何やら石碑が建立されていました。近づいてみましょう。

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馬頭観音供養石塔のようです。案内がありました。案内には、馬頭観音は馬の守り神であること、江戸時代、この付近は伝馬や宿役に使用された馬を飼育する家が立ち並んでいたこと、昭和の初めまで馬小屋があったこと、平成10年に馬頭観音供養石塔が発見されたこと等が記載されています(一部、判読不能)。

この場所でご年配の男性から声を掛けられました。当方が旧東海道を散策していることが分かったのでしょう。馬頭観音に関して、説明文と同様な内容をお話し頂きました。さらに、西方向に進むと小さな川があり、川を境に本陣のある本町となるとのことでした。本町は位が高く、この馬頭観音のある付近はその位がやや下がるとのことでした。なるほどですね。恐らく、この「本町」という概念は、どの町でも通用することなのでしょう。

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さらに、西方向へ歩を進めます。何やら古そうなお宅があります。案内に近づいてみましょう。
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案内には、塗り壁で、このような町屋を塗り家造りということ、塗り家造りは土蔵造りに比し壁の厚みは少ないが、防火効果が多く贅沢普請といわれたこと、もともとは城郭などに使用された技術であり、一般には江戸時代末期以後に広まったこと等が記載されています。また、街道筋には珍しい寄棟(切妻ではなく)の屋根であることも記載されています。前の写真を見ると確かに寄棟の屋根となっています。

2017年3月12日 (日)

近所の散策2017---啓蟄の頃2

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こちらもjogging中に見かけた紫木蓮です。この1週間で一気に開花が進みました。写真左から朝の太陽の光を受けて綺麗です。

当方は、この朝の時間が好きです。太陽の光がとっても綺麗なのです。午後の日差しとはまた、異なった趣きがあるのです。

2017年3月11日 (土)

近所の散策2017---啓蟄の頃1

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3/5が啓蟄だったようです。最近は冷え込み春が近づいていることを忘れます。さて、こちらもjogging中に見かけた紅梅です。梅の花の時期も過ぎ、葉が目立つようになりました。葉桜という言葉はありますが、葉梅という言葉は存在するのでしょうか。朝の太陽の光を受け、梅の花と葉が綺麗なので撮影してみました。
さて、昨日は午後から休暇を頂戴し帰宅しています。散髪したり、近所の温泉に行ったりして過ごしました。
今朝は、いつものように午前6時には起床しています。テレビでは東北大震災後6年を迎えたことを報道していました。当方は朝食後、いつものように約6Kmのjoggingへ出かけています。その際に上記の写真を撮影しています。jogging後、シャワーを浴び、1階の清掃、洗濯、ファンヒーターへ灯油の補給、資源ゴミの整理等をして現在、ブログを記載しています。
妻は、朝一番の飛行機でどこかに出発して行きました。長女は未だ寝ているようです。
これから少々、雑用をすることにします。

2017年3月10日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅51

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前7時半前には静岡市清水区旧東海道蒲原宿に居ました。こちらにも蒲原宿の案内板がありました。色々と見どころがあるようです。

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近くには、このような4本の太いパイプがありました。こちらも見どころに1つのようです。

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場所は丁度、諏訪橋の下を潜り抜けていくように設置されていました。水力発電用のパイプかと考えていました。

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すぐ近くに案内がありました。

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「静岡県近代化遺産 日本軽金属発電用水路」との記載がありました。高低差を利用した水力発電用の水路のようです。以前は川として水が流れていたのでしょう。

2017年3月 9日 (木)

新史太閤記---上巻

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今回は、こちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「新史太閤記上巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。

日本史上、もっとも巧みに人の心を捉えた“人蕩し"の天才、豊臣秀吉。生れながらの猿面を人間的魅力に転じ、見事な演出力で次々に名将たちを統合し、ついに日本六十余州を制覇した英雄の生涯を描く歴史長編。古来、幾多の人々に読みつがれ、日本人の夢とロマンを育んできた物語を、冷徹な史眼と新鮮な感覚によって今日の社会に甦らせたもっとも現代的な太閤記である。

さて、勿論、日本人なら誰でも知っている秀吉です。一見、秀吉の人生は信長と出会ってからは順風満帆かのように誤解していましたが、生命の危機を何度も乗り越えていることが上巻からは知ることができます。

 秀吉が信長より1つ優れていることは、「信」を大切にしたということでしょう。

信長は、戦略的功利性のみを重要視し、天下に「信」を得るということを軽視し続けてきた。これが、信長という天才の限界ではないか(p524)(一部、改変)。

人を道具としてのみ扱い、「信用」を重要視しなければ、その結末は悲劇的なものとなったことは周知の事実ですね。

信長の名の内に、「信」があるのですが。

2017年3月 8日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅50

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前7時半前には静岡市清水区旧東海道蒲原宿付近に来ていました。こちらが蒲原宿を示す案内となります。

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常夜燈と案内板がありました。
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案内には、江戸時代の宿場の入り口には、見附や木戸と呼ばれるものがあったこと、木戸と木戸の間のことを木戸内(きどうち)と呼ぶこと、東木戸は僅かに桝形を呈していること等が記載されています。また、こちらの常夜燈には「宿内安全」と刻まれていること、文政13(1831年)のものとも記載されています。

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少々、見難いですが、黒い道が旧東海道となり、東海道本線との間にある道が旧国道1号線となります。
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こちらが旧東海道西側(静岡方面)を撮影したものです。旧街道の雰囲気を感じますね。

2017年3月 7日 (火)

一本だけ早い染井吉野---開花状況1

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自宅近くにある毎年、一本だけ早く開花する染井吉野の今週の状況です。
既に、蕾が大きく生長しつつあります。撮影時は、空は曇天でハッキリしない状況でした。
背景は青くないことにお気づき頂けると思います。

2017年3月 6日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅49

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前7時過ぎには三島市旧東海道蒲原宿手前まで来ています。こちらの蒲原宿は旧東海道の雰囲気が残っておりブラブラ歩くにはお勧めの宿場です。さて、こちらは蒲原宿東木戸までを案内するものです。英語では、Kambara Lodging Station East Gateです。そのまんまですね。

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こちらは、その付近に開花していた花です。赤い花が印象的だったので撮影しました。勿論、名称は知りません。3/9追記、yhideさんからコメントを頂戴しました。キバナセンニチコウ(黄花千日紅)というそうです。ありがとうございました。

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民家の軒先に一里塚の石碑が残っていました。その奥には鳥居もあります。

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案内には、江戸日本橋からか数えて38番目のものとあります。また、最初の一里塚は、元禄12年(1699年)の大津波で流失して、宿の移転にともなってここに移されたものともあります。

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こちらは北条新三郎の墓所を示す石碑と案内です。北条新三郎とは、北条綱重のことのようで戦国時代の武将だそうです。今川側につき、武田軍との戦いで討死したようです。申し訳ないのですが、地元の人々以外には知名度は高くないと思います。

2017年3月 5日 (日)

加江田神社---春季例大祭

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自宅近くの加江田神社です。昨夕、joggingをしていると何やら行事が行われていました。今朝のjogging中に鳥居の中を覗いてみると青色ビニールシートでテントのようなものが出来ています。
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神社前のポスターによると、昨夜は宵宮祭があり、本日が例大祭のようです。お伊勢神楽の下にお田植の儀なる文字が見えます。もうすぐ、田植えが始まるのでしょう。
加江田神社の対側では、
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一昨日の火事の現場検証が開始されていました。新聞報道によると怪我人はいなかったようです。
今日は午後から天気が崩れる予報です。午前中に、色々と雑用を処理しましょう。

2017年3月 4日 (土)

火事---えっ どうしたの

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当方のjogging course沿いにあるお宅が火事だったようです。昨夜のjoggingの際に気が付きました。一昨日夜のjoggingの際には火事はなかったので、昨日の日中の火事でしょうか。青いクルマのフロントガラスは割れ、内部も焼けていました。
02
立ち入り禁止の黄色の規制線が周囲を囲んでいます。どうやら一軒のみの火事のよう。周囲に延焼の跡はないようです。未だきな臭い匂いがあります。けが人がいなければ良いのですが。
03
こちらのお宅の陽光桜は無事のようです。若葉が出ています。だた、今後、火事の処理の際に切り倒されなければ良いのですが。
今朝も6:30分過ぎには起床し、朝食を頂き、約3Kmのjoggingへ出かけています。土筆の土手を見に行きましたが、未だ、土筆は出ていませんでした。
今週末も自宅でゴソゴソするのかな

2017年3月 3日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅48

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前7時前には富士市中之郷付近にいました。旧東海道には、このような案内があります。やはり旧東海道をいく人々を意識したものなのでしょう。案内通り蒲原方向へ向かいます。

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丁度、この時間帯は子供達の登校時間だったようです。小学生らしき子供たちがランドセルを担ぎ学校へ向かっているようです。

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この付近にも常夜燈がありました。ゴミ収集場のすぐ横にあるのです。新旧、時代の流れを実感します。この付近で子供たちの登校を見守るご年配の男性と話しを交わしています。当方のことが気になったのでしょう。「どこまで歩いて行くのか? 静岡までか」と質問されたような記憶があります。「天候と足が許す限り、進む予定です」と答えたと思います。

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すると民家の前にこのような石碑がありました。碑には「明治天皇御駐輦(ちゅうれん)之跡」とあります。駐輦とは「天子が行幸の途中、一時乗り物をとめること。また、一時その土地に滞在すること」とのことです。

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さらに歩を進めると、旧東海道は東名高速道路を跨ぐことになり、空飛ぶ旧街道となるのです。

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陸橋の上で撮影した富士山です。少々、その山頂に雲が掛かっていますが、今回の旅で初めてお目に掛かれた富士山となります。金網越しに撮影しているため、左下がボケていいます。

2017年3月 2日 (木)

国盗り物語---第4巻

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今回は、こちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「国盗り物語第4巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。

すさまじい進撃を続けた織田信長は上洛を遂げ、将軍に足利義昭を擁立して、天下布武の理想を実行に移し始めた。しかし信長とその重臣明智光秀との間には越えられぬ深い溝が生じていた。外向する激情と内向し鬱結する繊細な感受性―共に斉藤道三の愛顧を受け、互いの資質を重んじつつも相容れぬ二つの強烈な個性を現代的な感覚で描き、「本能寺の変」の真因をそこに捉えた完結編。

今回、こちらの本を読み新たに知ったことがあります。道三、信長、光秀が姻戚関係にあったこと。信長、光秀が道三の弟子のような存在であること。信長が「人」を道具としてのみ扱っていたこと等です。

信長の「人」を道具としてしか扱っていなかったことに関しては、道具として使えなくなった林通勝佐久間信盛らが織田家から追放されたことで判然とします。

光秀も同様の恐怖を感じていたようです。本能寺の変前に光秀は精神的に病んでいたような気がします。

本能寺の変後の細川幽斎の光秀に対する評価の記述が端的に表しています。「所詮は光秀は最も優れた官僚であり、最も卓(すぐ)れた軍人であっても、第三流の政治家ですらないのである」(p686)

今回、こちらの本を読み当方は光秀のファンになりました。秀吉とは異なり不器用にしか生きることしかできない光秀に共感してしまうのです。

「人」を道具にしか扱っていない信長は結果的に人の心を掴むことができず本能寺の変で他界してしまいます。当然と考えるべきでしょう。

 

2017年3月 1日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅47

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5は日記によると午前5時頃には起床しホテルでの朝食も取らず午前6:00沼津駅発浜松行の普通普通列車に乗車しています。6:25分頃にはJR富士川駅に到着しています。こちらは駅前にあった案内だったと思います。赤い線が旧東海道となります。前日の到着地点まで戻ります。

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坂を登り富士川郵便局前を通り、民家の軒下にあった案内の場所から再スタートです。直ぐに、またもや常夜燈があるのでした。

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中之郷の案内がありました。こちらは東名高速道路をくぐる手前(東京寄り)となります。
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東名高速道路脇には、野田山健康緑地公園案内図がありました。このような地図が、一人旅では非常に有益なものとなります。自分のいる地点が確認できるのです(スマホがあれば簡単に確認できるのでしょうが、当方は所持していません)。

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東名高速道路をくぐると直ぐに、こちらの石碑がありました。碑には、「野田山不動明王 聖徳太子 弘法大師」とあります。今回、このブログを記載するに当たり調査してみましたが良く判りませんでした。
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そして更に数分、歩を進めるとまたもや常夜燈がありました。この辺りの旧東海道には常夜燈がよく残っているようです。

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