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2017年5月15日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅79

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前1時過ぎには静岡県薩埵峠付近に居ました。旧東海道は、獣道のようです。一人どぼとぼ歩いて行くのでした。この付近で前後を歩く人はいませんでした。

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またもや案内がありました。「薩埵峠の歴史 鎌倉時代に由比倉沢の海中から網にかかって引き上げられた薩埵地蔵をこの山上にお祀りしたので、それ以後薩埵山と呼ぶ。古?代には岩城山と称し万葉集にも詠まれている。岩城山ただ超え来ませ磯崎の不来海(こぬみ)の浜にわれ立ち待たむ このに道が開かれたのは1655(明暦元)年 朝鮮使節の来朝を迎えるためで、それまでの東海道は、崖下の海岸を波の寄せ退く間合いを見て岩伝いに駆け抜ける「親しらず子しらず」の難所であった。この道は大名も通ったので、道幅は4m以上はあった。畑の奥にいまも石積みの跡が見られ、そこまでが江戸時代の道路である。今のように海岸が通れるようになったのは、安政の大地震(1854年)で地盤が隆起し陸地が生じた結果である」

なるほど、安政の大地震が旧東海道に影響を与えているのでした。

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その隣にも案内板がありました。「薩埵山の合戦 薩埵山は、京都と鎌倉を結ぶ重要な戦略地点で、たびたび古戦場となっている。1351年(観応の騒乱)に足利尊氏はここに陣を張り、弟足利直義の大軍を撃破した。「太平記」に見える陣場山、桜野などの地名は、これより北方の峰続きに存在する。降って戦国時代の1568年12月、武田信玄の駿河進攻の時、今川氏眞はこの山に迎え討って敗退した。その翌年の春には、今川救援のため出兵した小田原の北條氏と武田軍が二ヶ月余も対陣したが決定的な戦果ははなくて武田方が軍を引いた」

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更に旧街道を西に進むと、このような分岐となりました。ここには案内がないのです。どちらへ進むのか判りませんでしたので、安易に下り坂を選択したのです。結果的には正しい選択だったようです。後から考えると上道、中道を通過したようです。右の登り坂は薩埵峠脇道へ通じる道なのかもしれません。ここには是非とも案内が欲しいものです。

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