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2017年5月

2017年5月31日 (水)

羽田空港

羽田空港
ANA609便13時15分発に搭乗し宮崎へ帰ります。隣には大陸系の三人の女性が大きな声で話をしています。食事が終了したら移動します。

静岡駅

静岡駅
8時38分発ひかり506号で東京駅へ向います。本来、品川駅で乗り換えすれば良いのですが、搭乗まで時間があるので浜松町の本屋さんで時間調整します。昨日到着したのが浜松で、今日は浜松町です。

今回のホテル

今回のホテル
今回、ベースキャンプとして宿泊したホテルはくれたけインプレミアムです。大浴場と小さいながらサウナもあります。

2017年5月30日 (火)

浜松駅

浜松駅
浜松駅に到着しました。少々、早いのですが今日の行程を終了します。今日の歩行距離は17Kmでした。浜松は大都会です。

天竜川

天竜川
天竜川を渡ります。広いです。

第4次旧東海道徒歩の旅---予定行程5

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第4次旧東海道徒歩の旅の第5日目は見付宿(磐田)から浜松宿の約16.4Kmを予定しています。天竜川を横断する行程が含まれます。川渡しはないはずですので道路を使用して渡河することになりそうです。所要時間は約6時間とのことです。

天候が心配ですが、昨年5月の静岡地方の天候は良好でした。雨の日には徒歩の旅は中止する予定で、ホテルでゆっくりします。

磐田を出発

磐田を出発
最終日です。磐田を出発し浜松まで向います。明日は帰るのみです。

2017年5月29日 (月)

やっと半分

やっと半分
旧東海道のやっと半分の地点まで到着しました。

第4次旧東海道徒歩の旅---予定行程4

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第4次旧東海道徒歩の旅の第4日目は、掛川宿から見付宿(磐田)を予定しています。この間は約15.3Kmのようです。同様に人力のガイドでは6時間を要するようです。

地図によると旧東海道は東海道本線と並行して走っているようで安心感があります。落伍しようになっても鉄道に乗車しベースキャンプまで戻ることが可能です。

掛川駅を出発

掛川駅を出発
掛川駅を出発します。天竜浜名湖鉄道の列車が停まっています。

2017年5月28日 (日)

掛川駅

掛川駅
掛川駅に到着しました。今日の行程を終了します。中山峠越えが大変でした。

新金谷駅

新金谷駅
新金谷駅
新金谷駅に、ちょっと寄り道です。

大井川

大井川
大井川
大井川を渡ります。川幅がとても広いです。

第4次旧東海道徒歩の旅---予定行程3

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第4次旧東海道徒歩の旅の第3日目は、島田宿から掛川宿を予定しています。この間は約17Kmとなります。東海道を歩くー旧街道ウォーキンク人力によると約9時間を要するようです。17Km歩くのに9時間も要するような難所なのでしょうか?不安です。

2017年5月27日 (土)

島田駅

島田駅
歩き疲れたので、今日の行程を終了します。途中、迷子になりましたが、約27Kmを歩きました。

岡部宿

岡部宿
昨日の目的地を先ほど通過しました。

第4次旧東海道徒歩の旅---予定行程2

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第4次旧東海道徒歩の旅の2日目は、岡部宿から島田宿までの約16Kmを予定しています。岡部宿近くには東海道本線が通過していませんので、昨日同様、バスを利用して静岡駅前から岡部宿まで移動した後、徒歩を再開する予定です。

下調べの状況では、あまり難所はないような印象です。徒歩終了後は島田駅から鉄道を利用して静岡まで戻ります。ベースキャンプを設定しているのは天候で歩行不可を考慮してのことです。

良い天気

良い天気
昨日とはうって変わって今日は良い天気です。半ズボン、帽子を着用して徒歩の旅に出発します。

2017年5月26日 (金)

本日の行程終了

本日の行程終了
天気が悪く小雨です。岡部宿手前で本日の行程を終了します。

静岡駅

静岡駅
小雨ですが傘が不要な程度なので、とりあえず静岡駅を出発してみます。天気は次第に回復のはずです。

第4次旧東海道徒歩の旅---予定行程1

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旧東海道徒歩の旅を再開します。今回は第4次の旅となります。初日は、飛行機に搭乗し羽田まで飛び、新幹線で静岡駅まで移動した後の徒歩開始となります。予定としては静岡駅に正午頃に到着できればと考えています。

行程1は、府中宿(駿府宿、静岡)を出発し岡部宿までの約14Kmを予定しています。この行程では東海道本線と離れてしまうため、徒歩終了後はバス(静鉄シャストライン)で静岡まで戻り、今回のベースキャンプとなるべく静岡のホテルまで戻ることになりそうです。

府中ー丸子間は平坦な道が予想されますが、丸子ー岡部間には標高170mの宇津の谷峠があり少々、心配です。17時頃までには、こちらの行程を終了したいものです。

東京へ

東京へ
8時5分発のANA602便で東京へ飛びます。東海地方の天候は午後から回復のようでが気がかりです。宮崎空港には、盲導犬を連れたご夫婦がいました。盲導犬は機内ではどうするのでしょうか

2017年5月25日 (木)

お土産

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当ブログにも登場するten.Yさんからまたもやお土産を頂戴しました。湯布院のプリンケーキと豊後牛肉みそです。
 お手紙を拝見すると九州1周の鉄道の旅に出られていたようです。新幹線、特急、観光列車に乗車され鉄道の旅を堪能されたようです。
悠々自適の生活が羨ましいです。ten.Yさん、いつもいつも.お土産をありがとうございます。また、お願いしますね。

ビブリア古書堂の事件手帖---第2巻

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今回は、こちらの本を選択しています。第2巻までは以前、読書していますが、今回、第1巻から再読しているのです。本の帯には以下のように紹介されています。

鎌倉の片隅にひっそりと佇むビブリア古書堂。その美しい女店主が帰ってきた。だが、入院以前とは勝手が違うよう。店内で古書と悪戦苦闘する無骨な青年の存在に、戸惑いつつもひそかに目を細めるのだった。 変わらないことも一つある ── それは持ち主の秘密を抱えて持ち込まれる本。まるで吸い寄せられるかのように舞い込んでくる古書には、人の秘密、そして想いがこもっている。青年とともに彼女はそれをあるときは鋭く、あるときは優しく紐解いていき ──。 大人気ビブリオミステリ、第2巻の登場。

今回も再読にあたり、漫画と一緒に読んでいます。漫画では第4巻から6巻までとなり、漫画の方はこの6巻で終了となっています。

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さて、第3巻は、「時計じかけのオレンジ」「名言随筆 サラリーマン」「UTOPIA 最後の世界大戦」が題材として取り上げられています。「時計じかけのオレンジ」は当方が若かった頃、その映画が上映されていた記憶がありますが全く内容は知りませんでした。名言随筆 サラリーマン」の著者である福田定一が当方の好きな司馬遼太郎氏の本名であることも知りませんでした。さらに「UTOPIA 最後の世界大戦」の著者である足塚不二雄が後の藤子不二雄であることも知りませんでした。第2巻もそれなりに楽しませて頂いています。

2017年5月24日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅84

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5正午頃には興津川を渡っています。ガイドブックによると旧東海道は現代では、このような狭隘な道となっているようです。心細いのですが進んでいくことにします。

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突き当りを右折すると、このような個人宅の裏庭のような道を進むことになります。

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突き当りを左折すると東海道本線と並行に走る道を西方向へ進むことになりました。この付近に居住している人でも、この道が旧東海道であるとは知らない人がいるような気がします。この道を進むと、

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国道1号線に合流しました。その場所に現在地を示す案内がありました。

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東海自然歩道バイパスコースを緑の破線で案内するものです。旧東海道は赤矢印(当方が追加)を進んで来たようです。クリックで写真が大きくなります。

2017年5月23日 (火)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅83

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5正午前には静岡県興津川付近に居ました。こちらは興津東町公園から駿河湾方向を撮影しているものです。緑色の鉄橋はJR東海道本線となります。こちらの鉄橋を潜り右折し、JR興津駅方向へ向かうことになります。

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すると薩埵峠街道の歴史なる案内がありました。ガイドブックに従い薩埵峠を通過して来ましたが、どうやら当方は上道(緑色破線)を通過してきたようです。

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案内には以下のようにあります。「下道 親知らず子知らずの道で海岸線の波打際を道路として利用していました。安政元年(1854年)の地震で海岸が隆起し、それ以後再び道路として利用されるようになりました」「中道 慶長年間から明暦年間まで主として利用されました。慶長6年(1601年)家康、伝馬制度(使者や物資を埋めで運ぶ交通制度)を設ける 慶長9年(1604年)五十三次宿駅制度確立  承応3年(1654年)峠道を開く」「上道 参勤交代で諸大名も通った道です。明暦元年(1655年)9月、江戸幕府は朝鮮使節の一行を迎えるにあたり開いた道で幕末まで利用されました」「脇道 通称じどうみちといい、上古から通行に利用されています」とあります。

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案内を見た後、興津川に掛かる橋を渡ってJR興津駅方向へ向かうのでした。写真左には駿河健康ランドの建物が見えます。サウナ、お風呂があったようです。

2017年5月22日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅82

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5正午前にはおきつ川通りに居ました。興津川に沿って道が走っているようです。

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興津東町公園前には、東海道難所薩埵峠之絵図なるものがありました。漫画で記載されているので親しみやすいです。図の下には、以下のような記載もありました。

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「安政の大地震で土地が隆起し、海岸線が通れるようになりました」とあります。

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また、「薩埵峠の下道は、親知らず子知らずの難所でした」ともあります。

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絵図の横には川越遺跡なる案内もありました。案内には、「蓮台または人足の肩ぐるまで川を越した」、「川の水深により料金が異なること」等が記載されています。水深が四尺五寸を越すと川止めになったこと、冬期は、仮橋が架かり無賃で渡れたとの記載されています。

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現在の興津川です。非常に川幅が広いことが判ります。水面は見えていませんね。

2017年5月21日 (日)

こぼれ種朝顔2017---その1

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毎年、種子を植木鉢に播種しているこぼれ種朝顔ですが、今年はこのように砂利の間から出てきた朝顔を移植して育てています。こちらの株も砂利を取り除いてプランターに移植しました。
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プランターには、他にもこぼれ種朝顔が生長しています。移植した後には十分に水を与えました。順調に生長するでしょうか。他にもプラスチック鉢に勝手に朝顔が双葉を出し、本葉となり生長しています。今後、 不定期に観察することにしましょう。
さて、今朝も午前5:30分頃には起床し、約3Kmのjoggingで出かけました。早朝で未だ気温が上昇しておらず半袖半ズボンでは少々、肌寒かった印象です。
午前8時を過ぎ、日差しが強くなってきました。今日の天気予報は曇天ですが、空は薄い雲のみで気温が上昇しそうです。
昨日は妻が不在だったので、雑用処理が捗りました。今日も本の発注やら雑用をこなすことになりそうです。

2017年5月20日 (土)

稲の定点観測2017---その10

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毎週末に記録している宮崎平野の早期水稲の定点観測地点です。今朝6:30分頃に撮影しています。今朝は非常に天気が良く、いつもの山も喜んでいるかのようです(勝手な思い込みです)。ということで、とぼけたことに写真右下に撮影している当方の影が映っています。
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稲の方は順調に生長しているようです。少しづつ、田圃の地面が見えにくくなっています。
こちらの写真を撮影していると、後ろから声が掛かりました。ちょっとした知り合いで、以前、食堂をしていた高齢男性に、既に畳んでしまったお店に来るように促されたのです。
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丁度、キビナゴのかき揚げを作ったところなので持っていきなさいとのことです。約1Kmをjoggingした後で、当方は、残り5Kmをこちらを右手に持ってrunningをしている奇妙なオヤジとなったのでした。
さて、一応、今日、明日は休日です。妻は朝一番の飛行機で大阪へ飛ぶ予定で出発していきました。帰宅は明日の最終便とのことです。十分、羽が伸ばせそうです。

2017年5月19日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅81

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前11時半杉には静岡県薩埵峠を過ぎ白髭神社方面へ歩いていました。路傍には、このような新しい石碑がありました。往還坂と刻まれています。いかにも東海道を往還する人々が通過した坂なのです。

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同様に路傍には常夜燈もあるのでした。

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道案内に従いJR興津駅方向へ歩きます。白髭神社の境内を避けるように遠回りをして進むのです。

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瑞泉寺というお寺さん前に出てきました。JR興津駅までもうしばらくのようです。

2017年5月18日 (木)

再び、ビブリア古書堂の事件手帖

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6年前にも一度、こちらの書籍は読書しているのですが、第3巻以降は読んでいませんでした。書庫を整理していると、第2巻から7巻までが出てきました。さらに同タイトルのマンガまで出てきました。ということで再度、第1巻から読書することにしました。本の帯には以下のように紹介されています。

鎌倉の片隅でひっそりと営業をしている古本屋「ビブリア古書堂」。そこの店主は古本屋のイメージに合わない若くきれいな女性だ。残念なのは、初対面の人間とは口もきけない人見知り。接客業を営む者として心配になる女性だった。だが、古書の知識は並大低ではない。人に対してと真逆に、本には人一倍の情熱を燃やす彼女のもとには、いわくつきの古書が持ち込まれることも、彼女は古書にまつわる謎と秘密を、まるで見てきたかのように解き明かしていく。これは“古書と秘密”の物語。

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文庫本第1巻の内容は、マンガの第1~3巻に相当します。今回、並行して読書しています。文章のみでは見落としがちな内容もマンガと一緒に読んでいると理解し易いです。

第1巻のみ欠損していたので、自宅近くのbook offにて購入しました。\360のものと\100のものがあり、外見がほとんど変わらなかったので、勿論、\100の古本を購入しました。

2017年5月17日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅80

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前11時半過ぎには静岡県薩埵峠を下っていました。こちらは下ってきた坂を振り返って撮影したものです。結構、急峻な坂であることがお分かり頂けることでしょう。

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JR興津駅までの距離が記載されています。3.3Km, 60分とあります。不安が残ります。

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坂を下りきったことろは墓地で、杖入れがありました。多数の杖が残っていることから、この日、峠越えをした人が少なかったことが判ります。
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現在地を示すものがありました。このイラストでも山が海岸線に迫っていることが判ります。狭隘な場所を東海道本線と国道1号線が通過しています。

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JR興津駅に向かう道は、このように、ようやく舗装道路となりました。歩きやすいのですが、照り返しで暑かった記憶が残っています。

2017年5月16日 (火)

仮想日本縦断鉄道の旅---その17

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2017年4月1日から4月30日までjoggingで84Km走っています。今回の仮想乗車区間は、JR山陰本線和田山駅から園部駅まで乗車したことと仮定します。この間は85Km、16駅で通常各駅停車で154分で走行するようです。料金は1490円だそうです。残のうち1Kmを使用することにします。残は39Kmとなります。

前回の条件で旅をしていると仮定すると、和田山9:46分発(福知山行)、福知山10:25分着同10:55分発園部行の普通列車に乗車し園部12:13分着となります。

前回の到着駅は和田山駅です。記載が間違っていたので訂正しています。前回の条件の列車がそのまま福知山まで行くようでした。この間で知っている地名は福知山のみですが、勿論、降車した経験はありません。だんだん、京都駅に近づいて来ました。

2017年5月15日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅79

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前1時過ぎには静岡県薩埵峠付近に居ました。旧東海道は、獣道のようです。一人どぼとぼ歩いて行くのでした。この付近で前後を歩く人はいませんでした。

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またもや案内がありました。「薩埵峠の歴史 鎌倉時代に由比倉沢の海中から網にかかって引き上げられた薩埵地蔵をこの山上にお祀りしたので、それ以後薩埵山と呼ぶ。古?代には岩城山と称し万葉集にも詠まれている。岩城山ただ超え来ませ磯崎の不来海(こぬみ)の浜にわれ立ち待たむ このに道が開かれたのは1655(明暦元)年 朝鮮使節の来朝を迎えるためで、それまでの東海道は、崖下の海岸を波の寄せ退く間合いを見て岩伝いに駆け抜ける「親しらず子しらず」の難所であった。この道は大名も通ったので、道幅は4m以上はあった。畑の奥にいまも石積みの跡が見られ、そこまでが江戸時代の道路である。今のように海岸が通れるようになったのは、安政の大地震(1854年)で地盤が隆起し陸地が生じた結果である」

なるほど、安政の大地震が旧東海道に影響を与えているのでした。

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その隣にも案内板がありました。「薩埵山の合戦 薩埵山は、京都と鎌倉を結ぶ重要な戦略地点で、たびたび古戦場となっている。1351年(観応の騒乱)に足利尊氏はここに陣を張り、弟足利直義の大軍を撃破した。「太平記」に見える陣場山、桜野などの地名は、これより北方の峰続きに存在する。降って戦国時代の1568年12月、武田信玄の駿河進攻の時、今川氏眞はこの山に迎え討って敗退した。その翌年の春には、今川救援のため出兵した小田原の北條氏と武田軍が二ヶ月余も対陣したが決定的な戦果ははなくて武田方が軍を引いた」

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更に旧街道を西に進むと、このような分岐となりました。ここには案内がないのです。どちらへ進むのか判りませんでしたので、安易に下り坂を選択したのです。結果的には正しい選択だったようです。後から考えると上道、中道を通過したようです。右の登り坂は薩埵峠脇道へ通じる道なのかもしれません。ここには是非とも案内が欲しいものです。

2017年5月14日 (日)

近所の散策2017---立夏の頃2

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こちらも今朝のjogging中に見かけた花です。本来はその蕾を撮影していたのですが、マクロ撮影でfocusがあいませんでした。そこで花の方へデジカメを向けています。何の花でしょうか?
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こちらも今朝撮影したものです。薄い褐色のものは葉でしょうか。白いのが花のような気がします。こちらはマクロ撮影が可能でした。
Konica-Minolta Dimage A200では、マクロ撮影が困難な場合があるのです。
今日は午前9時頃から非常に良い天気となりました。外へ出ると日差しが強いのですが、室内にいると心地よい風が吹いています。朝から雑用をして過ごしています。

稲の定点観測2017---その9

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毎週末に観測している宮崎平野早期水稲の定点観測地点です。本日、午前6時頃に撮影しています。いつもの山は、その半分がはげ山になっています。田圃に山の稜線は見えていません。
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稲の方は、少しづつ生長しているようです。写真中央が、おそらく毎週撮影している株です。何となく、目立つことが分かるでしょう。
昨日は夕方、トイレウオシュレットの洗浄レバーの不調を急遽修理して貰いました。今朝は午前6時前には起床し、すぐに約6Kmのjoggingへ出かけています。シャワーの後、一人で朝食を頂き、いつものように7:30分からがっちりマンデーを見て今の時間となりました。
今朝のjogging中には、
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紫陽花の芽のようなものを見つけています。これから梅雨に向かい紫陽花は元気が出てくることでしょう。
妻は昨日から出張で不在です。今朝一番の洗濯は終了しました。読書をしながら雑用を処理することになりそうです。 本日は良い天気になりそうですが、結局、することは天候には無関係なのです。

2017年5月13日 (土)

から揚げせんべい

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昨夜は久しぶりに勉強会に出席して来ました。大阪勤務時代のbossが講演に来られたので参加して来ました。受付前で開始前に偶然 、かつてのbossにお会いました。
立ち話をしていると、大阪発の飛行機が遅延したこと、宮崎空港付近の天候が不良であったころからANA機から急遽、JAL機に搭乗を変更し講演開始30分前にようやく会場にたどり着いたとのことでした。
岡山からではなく、福井から宮崎まで移動されて来られたようです。恐縮なことに、越前海鮮倶楽部から揚げせんべいをお土産として頂戴しました。かつてのbossからお土産を頂戴するのは本当に恐縮します。
案内には、「たこやいかを丸ごと贅沢に使い、昔ながらの手焼き煎餅機で、職人が丁寧に焼き上げました」とあります。これから妻と一緒に食べてみようと思っています。
さて、今朝も午前6時頃には起床しました。深夜の豪雨であまり眠れませんでした。朝からの雨でjoggingへ出かかることもできず、階下の掃除をしていました。午後からは天候が回復するようなので走るかもしれません。午前中は晴耕雨読となることでしょう。

2017年5月12日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅78

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前11時過ぎには静岡県薩埵峠付近に居ました。またもや薩埵峠の案内石碑がありました。「いったいいくつあるんだ」と思いながら、案内板に近づきます。

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「風光明媚あn絶景の地」とあります。「その昔、現在の富士市から興津川河口一帯を田子の浦と呼んでいました。万葉の歌人 山部赤人の有名な歌は、この付近から詠まれた歌ではないかと伝えられています。田子の浦 うち出でてみれば真白にぞ 不二の高嶺に雪は降りける  以下略」

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その上の案内には以下のような記載があります。「薩埵峠は、東海道興津宿と由比宿の間に横たわる3Km余の峠道で、古来、箱根・宇津の谷・日坂などと共に街道の難所として知られてきました。江戸幕府の東海道伝馬制度が定められたのは関ケ原の戦いから間もない慶長6年(1601)のことで、その後一里塚なども整備されましたが、この峠道の開通はずっと遅れて、明暦元年(1655)と記録されています。薩埵峠には上道、中道、下道の三道がありました。下道は峠の突端の海岸沿いの道であり、中道は、明暦元年に開かれた山腹を経て外洞へ至る道です。また、上道は、峠を下ることろより内洞へ抜ける道であり、この道が江戸後期の東海道本道です」

なるほど、薩埵峠には3道があるようです。

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この付近では、このような案内もありました。JR興津駅まで3.7Km、70分とあります。「普通、3.3Kmで70分は必要ないやろ」と思いつつ、「余程、悪路なのだろうか」と不安が起きるのでした。

2017年5月11日 (木)

城塞---下巻

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今回は、こちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「城塞 下巻}です。本の帯には以下のように紹介されています。

外濠も内濠も埋められて裸城となった大坂城に対して、家康は最後の戦いをしかける。夏ノ陣を前にして、大坂方には、もはやいかなる勝機も残されてはいなかった。数十万の東軍を相手に、真田幸村、毛利勝永らは、家康の本営にまで斬り込む働きをするが、後続の部隊がなく、いずれも城を墳墓に討死してゆく。秀頼、淀殿は自尽し、巨城の炎上をフィナーレに戦国時代はその幕を閉じる。

それまで謹厳実直であった家康が、以後、老獪、狡猾といわれるようになったのが、大阪の陣での対応です。

徳川幕府を盤石な組織にしていくには、2代将軍秀忠は家康の目から見れば凡庸に見え、自分の老いに対しても焦りがあったようです。

関ケ原の戦いでは、東軍の先鋒を外様大名に部署したのに対して、大阪の陣では譜代大名に指名し、外様大名の発言権を脆弱化させることにも徳川体制確立の礎があるようです。

大阪の陣の頃には秀忠は30代半ば過ぎですが、関ケ原の戦いに遅着するという失態の過去もあり、親(家康)にとって子(秀忠)はいつまでも心配の種になるようです。

2017年5月10日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅77

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前11時過ぎには静岡県薩埵峠付近に居ました。駐車場横のこのような細い道が旧東海道となります。周囲はびわ畑です。びわ畑は私有地となるので立ち入らないような注意書きもありました。これから急峻な坂となるのでしょう、歩道横には「杖入れ」があり自由に使用可能となっていました。

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駐車場横の細い街道を2,3分歩くと、展望台がありました。もう少し大きなものを予想していましたが、このような木造のこじんまりとした展望台です。勿論、階段を登って展望台から富士山方向をみてみます。

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またもやXF-1が不機嫌となりCasioのデジカメで展望台から撮影しています。東名高速道路(高架)と国道1号線が見えます。その彼方に本来であれば富士山が見えるはずなのです。この付近が浮世絵に最も近い位置なのでしょうか。雰囲気が良く似ています。

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この付近には、このような案内もありました。興津駅まで4.0Kmのようです。通常であれば、約1時間で興津駅に到着するはずです。

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展望台を降りて、再度、富士山方面をやや広角で撮影します。歩いて来た旧街道がいかに細いかが判ると思います。道幅は約1m程度だったと記憶しています。

2017年5月 9日 (火)

井堰シリーズ---杉安井堰その2

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2017年黄金週間4/30午前には西都市にある杉安井堰を見学しに行っています。水路を観察した後、井堰の周囲を散策してみました。といっても10分程度ですが。井堰の入り口には、このような「杉安井堰改築の碑」なる非常に立派な石碑がありました。昭和のはじめに大改修が実施されたように記憶しています。

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勿論、近くにはそのものすばりの「井堰」のバス停があるのです。バス停から井堰方向へ脇道に入ると、

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公衆トイレもあります。杉安堰への案内矢印もあるのです。この付近は九州自然歩道となっているようです。

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西都市土地改良歴史資料館の入り口を撮影しました。資料館の前には、

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かご堰、はこ堰、コンクリート堰が屋外展示されています。この順に近代化されて行ったようです。はこ堰、コンクリート堰の写真は割愛します。

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資料館の入り口付近には、宮崎県の鉄道の歴史も展示されていました。既に廃線となった妻線が記載されていました。かめかめさんの好きな廃線路線です。どうやら杉安まで鉄道が開通していたようです。恐らく大正11年から15年に開通したような記載です。写真をクリックすると拡大しますので確認してみて下さい。

見学は正味1時間もなかったと記憶しています。この後、西都市にあるすき家でネギキムチ牛丼おしんこ豚汁セットを昼食として取り帰宅したののでした。当方はすき家の店舗に入ったのは初めてでした。オーダーしてからテーブルに運ばれる時間も短く、牛丼も非常に美味しかったです。

2017年5月 8日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅76

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前11時前には静岡県薩埵峠付近に居ました。案内板がありました。当方は写真右下の緑色の破線の道を由比駅方向から歩いて来ました。これから左方向(西方向)へ進むことになります。デジカメXF-1が撮影可能となり、このカメラで撮影しています。
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薩埵峠駐車場から由比駅方面も再度、見てみます。富士山は見えません。

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駐車場には、このようなパネルがありました。晴天であれば、こちらのパネルのように絶景が見えるはずなのでした。

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案内板がありました。「左手・駿河湾を望む歩道を西に進むと、眼下に由比の町、彼方に富士を望む展望台があります。更に進めば、興津川を渡り興津駅に向かいます。 以下略」とあります。これらか西方向に進むことになります。どうやら展望台があるようです。期待しましょう。
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案内板にあった現在地を示す地図です。東海道本線、東名高速道路の上に居ることになります。

近所の散策2017---立夏の頃1

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今年は5/5が立夏だったようです。この時期、宮崎は晴天となると夏のように暑くなります。日焼けするくらいの日差しとなります。
さて、こちらもjogging中に見かけたネギ坊主です。発見して何だが嬉しくなったので撮影しました。

2017年5月 7日 (日)

井堰シリーズ---杉安井堰その1

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2017年の黄金週間4/30午前に杉安井堰を見学して来ました。自宅から高速道路に乗り西都ICで降りてから15分程度の距離だったでしょうか。4/30は天気も良く水を観察するには丁度良い天気だったのです。こちらは、西都土地改良資料館前にある案内です。児玉久右衛門杉安井堰に関しての記載があります。

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土手を上がって現在の杉安井堰を見てみます。非常に立派なコンクリード製の堰となっています。写真左が上流で、水が堰き止められているのが判りますね。


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対側には行けなかったので頭首工の取水口は見えませんでしたが、こちらの写真の赤い3点付近が取水口と推定されます。

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こちらは、水門の用水路側となります。水がなみなみと流れています。

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水門の直ぐ横には児玉久右衛門翁の胸像がありました。その周囲には何やら石碑が多数あるのです。

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児玉久右衛門翁胸像の対側には、このようなお宅があります。というより、こちらのお宅の庭先に児玉久右衛門翁の胸像があるのです。表札を見てみると「児玉久伸」とありました。

この後、西都土地改良資料館に入館したのですが、井堰作成に私財を投げ売った久右衛門翁に感謝の意味を込めて村人が家屋を建てたとあり、資料館にも児玉久伸氏寄贈の資料が残っていました。つまり、こちらは久右衛門翁の末裔となるのです。

稲の定点観測2017---その8

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毎週末の観察している宮崎平野早期水稲の定点観測地点です。いつもの山は田圃の水面にその稜線を映していません。稲が生長しているからでしょう。今朝の天気予報では黄砂が飛来しているようです。そう言われると、何だか空の透明感が下がって見えますが、気のせいかもしれません。
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定点観測地点の田圃には、今日は少々、水が注入されているのでした。それなりの理由があるのでしょう。
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稲の方は、先週と比しあまり変化はないようです。ここ2-3日は天候が良く、植物は喜んでいるようにも勝手に思えます。
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今朝も午前6時前には起床し、約3Kmのjoggingへ出かけています。住宅地の土手には、きつねのあざみが開花しているのでした。
jogging後、いつもようにシャワーを浴び、朝食を頂き、7:30分からがっちりマンデーを見るという通常通りの日曜日を過ごしています。
今日で黄金週間も終了です。今日は午前10時から床屋さんで散髪予定です。その後、宮崎空港駅に行き予約している切符を受け取ることになりそうです。
昨夜は暑く、今季初めて窓を開けて寝ていました。今日は黄砂が飛来するようなので、窓はあまり開けれないかもしれません。
 

2017年5月 6日 (土)

青島ボタニックガーデン

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本日、午前中、天候が良かったので妻と 二人で青島へ行って来ました。以前から気になっていた青島ボタニックガーデン(正式には宮交ボタニックガーデン青島、旧青島亜熱帯植物園)って何だろうと思っていたのです。青島を通り過ぎると無料駐車場がありました。クルマを駐車してブラブラと歩きます。青島より南側の海岸線を歩くのは初めてでした。遠く青島が見えます。
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空を見上げると、はやり南国風情があります。ワシントニアパームでしょうか。何だかハワイワイキキビーチを闊歩しているような錯覚に陥ります。
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ブーゲンビリアも多数の種類があるようです。大温室でマンゴーを見たり、熱帯果樹温室でバナナ、パイナップル、ドラゴンフルーツの樹木を見た後、外の風に吹かれていました。すると、
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芝生の上に何やら落ちています。なんだろうと思い上を見上げると、
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黒い実と白いものが見えました。
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案内にはトックリキワタとあります。
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確かに芝生の上に綿のようなものがあり、風に舞っている綿もあるのでした。
 
管理棟でマンゴーソフトクリームを頂き、少々、休息を取って来ました。2時間程度の散策でしたが、なかなか楽しめる施設でした。
1980年に宮崎に来ましたが、初めてこの施設に入園しました。中高年にとっては、なかなか良い施設だと思います。青島観光に際に寄ってみるのが良いでしょう。
 
そして、無料駐車場の隣に、仮称青島Fisherman's Beach Hotel and Spaが建設中でした。日帰り温泉もあるようです。修学旅行生が対象のような施設ですが、サウナがあるか気がかりです。今年秋にOPEN予定とありました。楽しみです。
 
帰路に鮮度館ボンデリスというお店に昼食を買いに入店しました。休日夕方に温泉へ行った帰路にあるお店です。以前からチョット、気にはなっていたので入ってみました。すると、イオン系列のスーパーマーケットとは全く品揃えが異なるのです。お醤油、お酢の品揃えが豊富で、日田のラムネまでありました。こちらのお店で江夏醤油なるものを購入して正午頃には帰宅しています。気温も上昇し、十分、休日気分を味わえました。
 
 
 

2017年5月 5日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅75

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前10時半過ぎには静岡県薩埵峠東坂付近にいました。正式な表現かは不明です。要は薩埵峠の東手前に居たということです。この9/5一番の難所となり、また、景勝地でもありますが、なんとFujifilm XF-1がこの付近で露出オーバー(ネット上で有名な不具合)をするようになりました。そこで、この写真は予備で持参していたCasio EX-V8で撮影しています。静岡方面を撮影したものです。駿河湾沿いに東海道本線、東名高速道路が見えます。

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デジカメXF-1が機嫌を取り戻し撮影可能となりました。「親知らず子知らず」で知られたこの付近では、東名高速道路が海の上を通過していることが判ります。それだけ平地が狭小化しているのです。
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案内板がありました。現在地は薩埵峠のやや手前(神奈川県方向)にいるようです。

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薩埵峠に到着しました。新旧3つの石碑が建立されています。

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広重の浮世絵(東海道五十三次 由比)で有名な富士山方向を見てみましょう。やはり、曇天で富士山は見えないのでした。ライブカメラでも見ることが可能です。pasteできませんので、「さった峠 富士山 ライブカメラ」で検索してみて下さい。

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薩埵峠は、丁度、道路拡幅工事をしているのでありました。

2017年5月 4日 (木)

城塞---中巻

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今回はこちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「城塞-中巻」です。本の帯には以下のように記載されています。

真田幸村、後藤又兵衛ら、関ヶ原ノ合戦でむなしく敗れた豪将たちを迎えて籠城作戦をとる大坂方。みずから四十万の兵をひきいて包囲する徳川家康。かくて大坂冬ノ陣の激戦の火蓋は切られた。真田丸にたてこもる幸村の神技を思わせる戦闘指揮にもかかわらず、天守閣に大筒を撃ち込まれた淀殿は、家康の調略にのって和議に応じ、さらには城の外濠ばかりか内濠までも埋められてしまう。

この巻を読んで、後年、家康が「たぬき親父」と評されることが理解できます。やはり、老いとの戦いであり、2代将軍秀忠を思う気持ちからなのでしょう。豊臣家に対して、言いがかり、無理難題を押し付け、狡猾な方法で戦になるように仕向け、豊臣家を滅ぼそうと画策してしまいます。

まんまと家康の罠に掛かってしまう豊臣家には優秀な人材が居なかったということでしょう。惣濠(本来、外濠の意味)を総濠と解釈して内濠まで埋めてしまい、裸城となった大阪城勢力を攻撃するのは簡単なこととなったはずです。家康の老いが名誉を捨て、実利を取ったということなのでしょうね。

2017年5月 3日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅74

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前10時半頃には静岡県清水区倉沢付近に居ました。望嶽亭の斜め前から薩埵峠に至る旧東海道は写真右の道となります。だんだんと急な登坂となるのです。

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望嶽亭斜め前には一里塚がありました。薩埵峠まで1.3Kmとの記載もあります。白い看板には、
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「戦国時代 足利尊氏が弟直義と合戦せし古戦場として知られ、また、東海道随一の難所親知らず子知らずの悲話が伝えられている。峠は磐城山、岫崎(くまざき)ともいい万葉集に「磐城山ただただ越えきませ磯崎の こぬみの浜にわれ立ちまたむ」と詠まれ、江戸時代安藤広重の東海道五十三次のうち、ここ薩埵峠より見て富士山、駿河湾の景観を画いたものは、あまりにも有名です」

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こちらた倉沢の案内となります。

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少々、標高が上がって来ました。駿河湾沿いから、東海道本線、東名高速道路となります。残念ならが空は曇天状態です。富士山もよく判りません。

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このような今となっては細い道が旧東海道です。急傾斜なのが写真で分かるでしょうか?

2017年5月 2日 (火)

近所の散策2017---穀雨の頃1

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こちらもjogging中に見かけた八重桜です。いつの間にか、やや満開の時期を過ぎたようです。写真右から朝の太陽の光が射しています。

2017年5月 1日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅73

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前10時半前には静岡県清水区倉沢付近に居ました。川島家の隣には、このような案内がある家屋がありました。「明治天皇こ小休 柏屋」とあります。今となっては、デジカメの露出が悪いのか、案内時代が薄れていたのか判りません。「江戸時代から間の宿にあって柏屋と称して茶屋を営んできた。明治元年および11年、明治天皇ご東幸のみぎりは、ご小休所に当てられた。明治15、6年頃、静岡県令大迫貞清が療法のため柏屋に逗留された際、倉沢の気候風土が郷里の九州ににているところから、田中びわの種子をとりよせ栽培をすすめ、当地に田中びわが普及するところとなった」

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こちらが、柏屋の全体像です。写真左には蔵が見えます。繁盛したのでしょう。

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玄関横には、「明治天皇御小休所跡 間の宿 脇本陣 柏屋」とあります。

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柏屋の隣には「望嶽亭 藤屋」がありました。看板には、「山岡鉄舟ゆかりの家」とあります。
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案内板を撮影していますが、ピンボケ写真となっています。読みずらいので記載します。「間の宿 藤屋 薩埵峠の東登り口に位置しているところから一名をサカグチやといわれ、本来は藤屋と称して茶屋を営み、磯料理、あわび、さざえのつぼ焼きを名物としていた。ここより富士山の眺望がよいので望嶽亭と称し、文人墨客(書画をよくする人)が好んで休憩したといわれている」

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