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2017年8月

2017年8月31日 (木)

真田太平記---第3巻 上田攻め

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前回から引き続き、今回も池波正太郎氏の「真田太平記第3巻上田攻め」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。
 
上州・沼田城の帰属をめぐり北条家と争う真田昌幸は、ついに徳川・北条連合軍と戦端を開く。出来たばかりの上田城に拠った昌幸父子は、捨身の決戦で数倍の敵を退ける。そして、旧態依然たる北条家のふるまいに嫌気がさした豊臣秀吉は、甲賀忍びの御伽衆・山中長俊の仕組んだ謀略を使って開戦にもちこみ小田原城を攻め落とす。こうして秀吉の天下統一はなったのだが…。    
こちらの巻では、第一次上田合戦から秀吉の小田原征伐までが記載されています。  第一次上田合戦では真田軍と徳川軍が交戦することになるのですが、その後、和睦することになります。特に真田家長男の信幸は徳川家から嫁を娶ることになります。一度、争った相手と和解することはなかなか困難だったと思いますが、秀吉の仲介であれば仕方がなかったのでしょう。小田原征伐では山中長俊の策略があったように記載されていますが、その後の北条家の対応に問題があったようです。天下の空気の流れが読めなかったのでしょう。1巻600ページ程度あるのですが、読みやすく読書のスピードは結構、速いのでした。
追記)この巻で気になった箇所を抜粋してみます。「家は雨がもらぬほどに、食事は飢えぬほどでよい。これこそ御仏の教えであり、茶道の本義というものである」(千利休の言葉)(P518) 今の日本人は食べ過ぎでしょう。      
                                                              

2017年8月30日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅8

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後2時半過ぎには静岡市駿河区丸子宿付近に居ました。こちらは丸子宿の江戸方見付付近となります。丸子宿の関する案内がありました。

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案内には以下のように記載されています。「1189年、源頼朝が、奥州平低の功績により、手越平太家継という駿河の武士に丸子一帯を与え駅家を設けたのが起源といわれています。(中略)丸子宿は品川宿から数えて20番目の宿場町に定められました」とあります。

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他の案内には現在地の記載がありました。江戸方見付から少々、宿場内に入ったことろに居るようです。

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丸子宿の民家の前には、このような木製の案内板が多数あるのでした。

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そして、この民家には丸子宿に関する手作り年表が掲載されているのでした。古くは、1335年の手越河原の合戦、1580年武田勝頼 丸子城改修、1590年秀吉 小田原城征伐 宇津ノ谷通過から2004年静岡市が政令指定都市に指定 駿河区丸子となるとの記載があります。

2017年8月29日 (火)

近所の散策---立秋過ぎ7

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こちらは、当方の庭に植樹されている椿(カメリアファイアーダンス)に実が成っているのを発見しました。植樹されて何年にもなるのですが、今まで気が付きませんでした。勿論、撮影してみます。
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こちらも当家のハイビスカスです。カメリアの撮影のついでに撮影しました。色合いに深みがあって綺麗です。

2017年8月28日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅7

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後2時過ぎには静岡市駿河区丸子宿付近に居ました。丸子はまりこと読み、鞠子とも書いたようです。

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案内には、府中宿(静岡市)-安部川-手越村-佐渡村-丸子宿と記載されています。「何だ、丸子宿はこの先なんだ」と思っていました。

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こちらは、旧東海道の松並木だそうです。「手越から丸子宿入口まで松並木が続いていました。この所は大曲と呼ばれ道の両端には松を植える土手が築かれ土手には笹が生えまていました。戦後までは人家も明かりもなく夜になるとオバケ、オイハギが出没すると噂されるほど淋しい場所でした」と案内板にありました。確かに道路は大きく右へ曲がっていきます。

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この松の対側に交番があり、旧東海道を確認することにしました。駐在さんは、親切に小学生登校用の案内地図で道順を教えてくれました。宇津の谷峠が徒歩では通行可能かどうかは不明との情報も呉れました。とりあえず歩いてみると回答しています。

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道路は分岐します。写真右が国道1号線、左が旧東海道となります。浮世絵にあった山は、やはり写真右のようです。

2017年8月27日 (日)

近所の散策2017---立秋過ぎ6

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こちらも例年撮影している土手沿いのパンパースグラスです。昨日のjoggingの際に穂が出ていることを見かけ、先ほど、撮影してきました。パンパースグラスの手前には、赤いサルスベリが開花していました。赤いサルスベリの花と白いパンパースグラスの穂が対照的で非常に綺麗でしす。
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パンパースグラスの傍には、こちらの実が多数、成っていました。茶色の実です。何の実なのでしょうか?

さて、今朝は少々、寝坊をして午前6時頃に起床しています。体の目覚まし目的で約3Kmのjoggingへ出掛け、シャワー、朝食を頂き、いつものように7:30分からがっちりマンデーを見ています。その後、上に掲載した写真を撮影しに行っています。
今日の天候は曇天です。こちらの方が過ごしやすいと思います。今日も特別な予定はありません。一人の時間を楽しむ予定です。

2017年8月26日 (土)

近所の散策2017---立秋過ぎ5

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こちらも自宅近くのお宅に植樹されていたサルスベリの花です。ピンクのものではなく、紫色の花を撮影してみました。
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こちらはサルスベリを撮影した後に撮影したものです。当方のjogging courseからいつもの山を撮影しました。写真左から朝日が昇って来るのですが、写真では、その光の美しさがなかなか表現困難です。
さて、今朝も午前5:40分頃には起床して約3Kmのjoggingへ出かけています。走り終わったのが6:20分頃でしたでしょうか、1週間前までは午前6時を過ぎると盛んに蝉が鳴いていたのですが、今日は全く鳴いていません。あまり蝉も見かけなくなりました。昨日の宮崎の最高気温は36℃、今日の予想は35℃ですが、確実に季節は変わっているようです。

jogging後、シャワー、洗濯、朝食の順で時間は経過しています。妻は不在です。一人を楽しませて頂く予定です。
 

2017年8月25日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅6

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後2時前には静岡市駿河区手越付近に居ました。つまりは、安倍川を渡った先となります。こちらのような案内があり手越という地名を確認しているのです。

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静鉄ジャストラインの手越バス停がありました。

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バス停の時刻表横には、このような装置があるのです。つまり、夜間、暗くなってからボタンを押すとライトが点灯して時刻表が確認できるのです。少なくとも宮崎にはこのような装置はありません。親切な装置だと思い撮影するのでしいた。
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臨済禅宗高林寺には、このような標語が掲載されていました。身につまされます。

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道路沿いの民家にはサボテンの花が開花していたのでした。そういえば、当家にも同じサボテンがあり以前は、開花していました。そういえば、最近、見かけていません。庭師の方が破棄したのでしょう。そんなことを思いながらオヤジは旧東海道を歩くのでした。

2017年8月24日 (木)

真田太平記---第2巻 秘密

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前回に引き続き今回は池上正太郎氏の真田太平記第2巻秘密を選択しています。本の帯には以下のように記載されています。

天下統一を目前にした織田信長が本能寺に討たれたことから、諸雄は再びいろめきたつ。上・信二州に割拠する真田昌幸は、関東の北条、東海の徳川、越後の上杉と対峙しつつ、己れの命運を上田築城に賭けた。一方、昌幸の二人の子供、兄の源三郎信幸と弟の源二郎幸村、そして従兄弟の樋口角兵衛をめぐる真田家の複雑に入り組んだ血筋が、小国の行方に微妙な影を落としてゆく。

帯にもあるように、於国、源三郎、源次郎、角兵衛らに何やら秘密があるようです。そのことがこの巻で少しづつ明らかとなって来ます。史実か否かは不明ですが、結構、速く読めてしまいます。恐らく、フィクションも含まれていることでしょう。

2017年8月23日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅5

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後1時半過ぎには静岡市葵区安倍川近くに居ました。安倍川近くには、「安倍川の義夫の碑」なるものがありました。

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こちらが、その案内板となります。要約すると、お金を落とした漁夫が拾った川越人夫にお礼を渡そうとしたが受け取らなかった。そこで漁夫は町奉行所に礼金を届けたが、それでも川越人夫は受け取らなかった。そこで奉行所がかわりに褒美の金を渡したとのことです。正直な川越人夫の顕彰碑とのことです。

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こちらの橋で安部川を渡ります。写真でもお分かり頂けるように曇天で、小雨も降ってきたのでした。折りたたみ傘を差しながらの歩行となりました。
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こちらが安倍川の下流方向を撮影したものです。水深はあまりないようです。江戸時代でも、股下程度でしょうから18文で渡れたことでしょう。

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こちらは、2016年末に高校同級生から頂戴した東海道五十三次浮世絵をscanしたものです。江戸時代の安倍川渡しの状況が判りますね。写真中央上部の山が特徴的な形をしています。

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鉄橋から北西方向を撮影したものです。「浮世絵の山は、この写真の山なのかなー」とか思いつつ歩くのでした。こんなことがオヤジには楽しいのです。

2017年8月22日 (火)

水ういろう

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「水ういろう」なるものを頂戴しました。箱には「創作水ういろう」とあります。名古屋の餅文総本店さんの製品となります。
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箱を開けると10ケの水ういろうが入っていました。包装紙には、冷やして頂くとなお一層、美味しく頂ける旨が記載されていました。
03_2 冷蔵庫で約1時間、冷やしてから頂きました。こちらが、水ういろうです。お口の中へいれると、甘すぎず、非常に舌ざわりが良いのでした。水ういろうを初めて食べましたが、とっても美味しかったです。

2017年8月21日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅4

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後1時半過ぎには静岡市葵区安倍川近くに居ました。この辺りを弥勒というようです。

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この付近に安倍川の川会所跡の案内がありました。案内には、「小型川超えの興津川、中型川超えの安倍川、大型川越えの大井川」との文字があります。さらに。「脇下から乳通りまでは一人64文、へそ上は55文、へそまでは48文、へそ下は46問、股までは28文、股下は18文、ひざ下は16文」との料金の記載もありました。でも、川超人夫さんも皆、身長が異なりますよね。

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こちらは、上記案内板のあった付近にあった石碑です。「由比正雪公の墓跡」と刻まれています。

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さらに近くには、弥勒町の由来も記載されていました。「(略)江戸時代のはじめ慶長年間に、弥勒院という山伏が還俗して安部川の河原で餅を売るようになった。この餅を安倍川餅という。これが弥勒町の名前の由来となった(略)」。なるほどですね。
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近くには、こように安倍川餅の店舗があるのでした。後日、こちらのお餅を食べてみましたが、特別、美味しいとは思いませんでした。からみもちの方が美味しかったか?

2017年8月20日 (日)

近所の散策2017---立秋過ぎ4

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8/18(金)午後は休暇を取得しています。仕事場からの帰路に7/3NHK鶴瓶の家族に乾杯宮崎市で紹介された場所に立ち寄っています。こちらは絵画教室に面している船引神社です。
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船引神社の正面から鳥居と本殿を撮影してみました。境内に入ってみましょう。当方以外には誰もいません。
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「清武の大クス」という案内があります。こちらは地図にも記載されているので、少々、有名なはずです。まあ、周囲に目立つものがないから地図に記載されているのかもしれません。根回り18m、目通り幹回り13.2m、樹高35mとあります。また、主幹内は空洞を生じ、その広さは7-8畳敷程もあり、樹齢は推定900年とあります。
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こちらが、その大クスです。写真では、その大きさの表現は困難なようです。
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案内路に従い進んでいくと、クスの木には写真のような空洞があります。この内部が7-8畳もあるとのことですので、かなり広いことが判りますね。
 さて昨日は昼食で外出した以外は自室に閉じこもっていました。殆どパソコンの前に座り、時に読書したり、TVを見たりして過ごしました。夕方19:00頃からのjogging後に入浴、夕食といった感じです。
 今朝8/20も午前5:40分頃には起床し体の目覚まし目的で約3Kmのjoggingへ出かけています。早朝のせいか風が涼しくなっています。季節が変わったことを肌に感じます。宮崎の今日の天気予報も良好です。夕方は近くの温泉に行き、明日からの仕事に備えることになるでしょう。宮崎市中心部はまつり宮崎で近づかないほうが良さそうです。

2017年8月19日 (土)

今日の昼食

今日の昼食
今日の昼食
今日の昼食は、とんかつの十兵衛の味噌とんかつです。久し振りに味噌とんかつを食べました。美味しく頂きました。

近所の散策---立秋過ぎ3

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8/18は午後から休暇を取得しています。仕事場からの帰路に黒北橋の上から写真を撮影してみました。以前から、クルマを停めて川を見てみたかったからです。遠く東九州道の高架道路が見えます。
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写真では判りにくいと思いますが、川の水は非常に綺麗だったのでした。
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川の中では、川遊びをしている人が複数いました。夏休み中の子供でしょうか。川遊びが可能なくらい綺麗な水なのでしょう。
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黒北橋から、少々、移動してみました。こちらは7/3NHK放送の鶴瓶の家族に乾杯宮崎市で登場した宮崎長友農園です。こちらもTVで放映されたので撮影してみました。まあ、当方はミーハーなので仕方がありません。
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さらに移動しています。こちらもTVで放映された絵画教室です。絵画教室アトリエ和公和公(わくわく)というのが正式な名称のようです。主催されているのは徳丸晃さんと看板に記載されていました。徳丸晃さんは日展入選7回の偉い先生なのでした。近くにこのような偉い先生がいらっしゃるとは知りませんでした。
 
さて、本日8/19も5:40分頃には起床し朝食を頂き、約3Kmのjoggingへ出かけています。シャワーを浴び、ゴソゴソしていたら現在となりました。
昨日、仕事場の帰路に上記のように寄り道をしているので、既に休日気分を味わってしまいました。今日、明日も休日です。関東地方は天候不順のようですが、九州の天気予報は良好です。エアコンの効いた部屋にいるのが賢明のような気がしています。
 

2017年8月18日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅3

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後1時前には静岡市葵区静岡市庁付近に居ました。市庁付近にはこのような案内板がありました。御用水と町方用水の案内です。こちらの案内では良く判りませんのでリンク先の説明が良いかもしれません。要は、安倍川あるいは鯨ケ池から場内に水を引いたということでしょう。なお、案内にあるQRコードはこちらとなっています。

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さらに静岡市庁付近には駿府町奉行所跡もありました。

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案内には、「駿府町奉行は、老中直属の組織で、町政全般の掌握から訴えなどの裁き、城下の整備や府中宿の管理などまで駿府の町民生活に直接関わる広範な業務を担っていました」とあります。老中直属ということは幕府が直轄していたということでしょうか。

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対側となる静岡県庁側に案内板があることを発見したので横断歩道で道路を渡ってみます。教導石とあります。「教導石は、明治という新しい時代を迎え、富や知識の有無、身分の垣根を越えて高いに助け合う社会を目指すとの趣旨に賛同した各界各層の人たちのぜんいをもって明治19年7月に建立されました」とあります。正面の文字は、山岡鉄舟の筆とのことです。


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こちらが、山岡鉄舟の文字となります。

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さらに旧街道を進みます。上石町の石碑がありました。

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案内には、「徳川家康駿府在城時に、穀物販売を上石町と下石町に限定したことにより、穀物商人が集まっていたとされています」

上石町の読みは、「かみごくちょう」なのでした。

2017年8月17日 (木)

真田太平記---第1巻 天魔の夏

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今回はこちらの本を選択しています。池波正太郎氏の「真田太平記第1巻」です。当方の後輩というか、旧街道徒歩の旅の師匠というか、その方がお好きだと言っていたのを記憶していたからです。本の帯には以下のように紹介されています。
 
天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍によって戦国随一の精強さを誇った武田軍団が滅ぼされ、宿将真田昌幸は上・信二州に孤立、試練の時を迎えたところからこの長い物語は始まる。武勇と知謀に長けた昌幸は、天下の帰趨を探るべく手飼いの真田忍びたちを四方に飛ばせ、新しい時代の主・織田信長にいったんは臣従するのだが、その夏、またも驚天動地の事態が待ちうけていた。
実は内容を知らずに読み始めています。表題から戦国時代の真田氏のことが記載されているのが予想されますが、どうやら真田氏と忍者との関わりの物語のようです。全12巻で初めての池上正太郎氏の本だったので読破可能か否か不安でした。このためbook offで見かけた古本で読書しています。

2017年8月16日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅2

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26正午頃には静岡駅に到着しています。今回のベースキャンプとなるホテル(くれたけインプレミアム)に荷物を預け、歩行に必要な物品のみをリュックに背負い第4次旧東海道徒歩の旅に出発しています。こちらは静岡駅地下街にて撮影したものです。

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2016年9月に到着した新静岡駅近くの勝海舟と山岡鉄舟会見の史跡まで来ています。

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ガイドブックに従い旧東海道を進みます。すると大きな建物が駿府城内にありました。後から気が付いたのですが静岡県庁でした。大きなものが新館、その隣(写真左)に旧館が見えます。

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さらに旧街道を進むと静岡御用邸跡の石碑がありました。

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御用邸は以後、静岡市庁として使用されたようです。こちらが旧館となるようです。

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その隣には新館となるべく高層ビルがあるのでした。やはり静岡市は政令指定都市になっているだけに市庁も立派なものでした。

写真でお判り頂けるように、天候はあまり良くありませんでした。曇天です。しかし、傘が不要であること、天気予報では午後から回復傾向にあることから徒歩の旅を継続することにしました。まあ、日程的にも可能であれば今回の旅で浜松まで歩きたかったので強行したのでした。




2017年8月15日 (火)

仮想日本縦断鉄道の旅---その20

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2017年7月1日から7月31日までjoggingで101Km走っています。久々の100Km超えとなりました。7月が雨が少なかったことによります。今回の仮想乗車区間は、JR北陸線鯖江駅から金沢駅まで乗車したことと仮定します。この間は90Km、合計22駅で通常各駅停車で117分で走行するようです。料金は1660円だそうです。残は46Kmとなります。

前回の条件で旅をしていると仮定すると、鯖江駅16:41分発、福井駅16:55分着、同駅17:12分発、金沢駅18:38分着となります。

この区間で知っているのは、福井、小松、金沢くらいです。福井、金沢は県庁所在地、小松は重機、松井秀喜さんの出身地で有名なはずです。

 

2017年8月14日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅1

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。最近では、旅をするのが目的なのか、このブログを記載するための旅なのか良く判らなくなっています。少々、考えるべき時期が来ているような印象もあります。さて、5/26午前8:05分発のANA602便に搭乗しています。

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こちらが搭乗した機体です。多分、BOEING767-300だったような記憶が残っています。金曜日の朝一番の飛行機で機内にはかなりの搭乗客がいた印象があります。いつものように、「羽田空港に向かう航空路混雑のため離陸時間を調整しています」というアナウンスがあり実際に離陸したのは8:25分頃でした。

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そうなのです。宮崎空港を朝一番で離陸する他の航空会社の東京行きの便に搭乗しても、羽田空港から東京方面へ出発するのは午前10時頃となってしまうのです。今回は新幹線を使用するので品川まで京急で移動します。SUICAを使用しても良いのですが、品川駅での混乱を避けるために切符を購入しています。品川駅で京急からJRへ乗り換える際にまたもやハプニングが発生しました。品川駅までの切符、新幹線の乗車券、特急券等3枚を改札器に入れると通行を阻止されました。女性の係員に聞くと、ここでは特急券の挿入は不要とのこと。漸く、新幹線乗り場に到着しています。

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新幹線品川駅構内でお弁当を購入した後、ホームへ降りています。今回もe5489で新幹線の切符を予め購入しておきました。乗車するのは静岡駅に停車するひかり469号(品川発11:10分)です。こちらの列車は2016年9月にも三島駅まで乗車しています。

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当日の朝食が5:30分頃だったので、乗車早々、昼食です。こちらが昼食となる鶏照り焼き重(鶏どぼろ入り)です。¥1000程度だった記憶があります。新幹線に乗車後、約50分で静岡駅に到着してしまいます。新幹線はやはり速いです。

2017年8月13日 (日)

井堰シリーズ---岩熊井堰その6

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7/29午前には、西臼杵郡日之影町舟の尾を訪問していました。墓所を見学した後、監物父子が獄死した牢屋跡を見学しています。
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案内の右に石碑が建立されています。刻まれている文字は判読できませんでした。まあ、案内にあるようなことが刻まれているのだろうと勝手に納得していました。細い道をどうにかUターンして帰路につくこにしました。
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日之影町には、このような棚田があるのでした。宮崎平野では早期水稲の刈り取りが始まりましたが、この地域では稲の高さは20-30cm程度だったでしょうか。
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藤江監物父子の史跡を見学した日之影町舟の尾から高千穂までは約25Km程度だったので、高千穂まで足を延ばそうかとも思いましたが暑かったので取りやめ、帰路につくことにしました。延岡に向かう途中に、干支大橋があります。こちらがその橋です。クルマを道路脇に駐車し、橋の下を見ようと思いました。
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橋からは、鉄橋ののようなものが見えます。恐らく廃線となった高千穂鉄道の線路が通っていた鉄橋なのだろうと勝手に納得していたのでした。
往路は昔からの県道218号線で日之影町まで行っていますが、復路は北方町蔵田付近から県道218号線が九州中央自動車道(無料)となり延岡南ICまで行っています。そして、今回、初めて知ったのですが、延岡から佐伯までは高速道路料金が無料だそうです。本当かな?。延岡南ICからは東九州道で宮崎まで戻って来ています。この道路は非常に単調で、何の変化もない片側1車線道路なので、クルーズコントロールで走っていると非常に眠かったのでした。どうにか無事故で自宅まで到着しています。

今日の昼食

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今日の昼食は、日清食品の「濃厚青森煮干ラーメン」です。実は、以前から少々お値段の高いカップラーメンを食べてみたかったのです。昨日、スーパーマーケットに行った際、ちょっと見かけたので購入して来ました。お値段は\170前後だった思います。
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熱湯を注いで待つこと約4分でできあがりとなります。こちらが出来上がりの写真です。美味しく頂きました。
 
さて、今朝も午前6時前には起床し、すぐに約3Kmのjoggingへ出かけています。その後、シャワー、朝食、先輩への葉書書き、清掃、読書等でお昼になってしまいました。
夕方からは仕事となります。2.5日の連休なのでした。

2017年8月12日 (土)

井堰シリーズ---岩熊井堰その5

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7/29には宮崎県日之影町舟の尾の藤江監物父子の墓所を訪問していました。こちらが墓所近くにあった案内です。監物は、舟の尾代官所に3人の息子と幽閉され、長男図書と牢死したことが記載されています。
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墓所脇には、従五位藤江監物之霊碑とあります。
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そして、こちらが監物父子のお墓となります。こちらでは、以下のように紹介されています。「監物は城主名代で度々、舟の尾を訪れており、薬草の知識などを村人に教えたので尊敬され、古くは牛馬の薬、戦時中は騨避けの護符として削られ、現在の墓は三基目である」
      
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監物の墓所を見学した後に、代官所を見学すべく細い道をU-ターンしました。道路脇の側溝に脱輪すると誰も救助には来てくれないような気がしました。この辺りはカーナビでも地図が省略されているのです。JAFに連絡しても場所の確認が大変だと思いました。さて、代官所の跡です。案内板がありました。
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舟之尾代官所跡 この上200mとあるので、徒歩で行ってみました。直ぐに道が分岐し右への案内があったのですが、民家しかないのです。民家横の細い獣道を進んでみましたが行き止まりでした。サンダルで行っていたので諦めて引き返してきたのでした。

近所の散策2017---立秋過ぎ2

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こちらも近所のお宅に開花していたブーゲンビリアです。宮崎空港の名称にも入っています。
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こちらはjogging中に見かけた柿です。こちらは以前にも撮影した記憶があります。少々、生長しているので再度、撮影してみました。
連休2日目の今朝も午前6時前には起床し約6Kmのjoggingへ出かけています。当方が居住する地域は約25年前の新興住宅地です。今となっては壮年というより高齢者の居住地となっています。ということで早朝にjoggingへ出かけても、皆、殆ど高齢者なので朝が早いのです。当方が走っている時間帯に、同年配の人々が同じようにwalkingや犬の散歩をしているのです。
さて、今日も特に予定はありません。ゆっくりと過ごす予定です。

2017年8月11日 (金)

近所の散策2017---立秋過ぎ1

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こちらは今朝、jogging中の午前6時前に撮影したものです。近所のお宅にサルスベリが開花していました。以前から開花していて、いつか撮影しようと思って来ましたが、やや時期が過ぎてしまったようです。
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こちらも同じお宅内にあったものです。なにやら表面に凹凸のある実が成っていました。これ以上、倍率を上げて撮影できませんでした。ヘベスかもしれません。
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こちらも同じお宅にあったものです。何となくビワににているような気がします。
猛暑が続きますが季節は実りの秋への向かっているのです。
 
さて、今朝も午前5時半過ぎには自然と目が覚めました。「体の目覚ましに」と思い直ぐに約3Kmのjoggingへ出掛け、上の写真を撮影しています。
 
世の中は、今日からお盆休みに入っていることでしょう。当方も少々、休みがあります。朝のテレビではお盆の帰省ラッシュを報じています。この時期、ニュースで帰省ラッシュを報じているのを見るのが好きです。
当方は残念ながら遠出をする予定がありません。今日、明日とも特に予定はありません。いつもの週末と同様に過ごすことになりそうです。
 

2017年8月10日 (木)

播磨灘物語---第4巻

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前回から引き続き今回はこちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「播磨灘物語第4巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。
信長が殺された。秀吉は「主の仇」光秀を山城山崎で討ち、その2年後には、豊臣政権を確立した。官兵衛は自分の天下構想を秀吉という素材によって、たとえ一部でも描きえたことに満足だっただろう。この戦国の異才が秀吉に隠居を許され、髪をおろし入道し「如水(じょすい)」と号したのは、48歳のときであった。
黒田官兵衛が秀吉近くで重用されたのは山崎の合戦までだったようです。以後、秀吉は石田三成、大谷吉継といった官僚を重用し始めます。官兵衛は九州制圧へ向かうこととなります。
切れすぎて秀吉に恐れられた官兵衛は、その自覚もあって入道してしまいます。賢い選択だったような気がします。
 

2017年8月 9日 (水)

井堰シリーズ---岩熊井堰その4

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7/29(土)には、岩熊井堰に関連する藤江監物父子史跡を訪問しています。こちらは、舟の尾神社の参道となります。
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近づいて鳥居を見上げると、「正一位天神」とあります。由緒正しい神社なのでしょうか?
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樹木の間に、本殿のようなものがありました。木漏れ日の中で、綺麗な写真が撮影できました。
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舟の尾神社からクルマで2分程度の場所に、藤江監物父子のお墓があります。こちらが、その入口となることろです。

2017年8月 8日 (火)

井堰シリーズ---岩熊井堰その3

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7/29延岡市下三輪町の岩熊井堰を見学した後、日之影町舟の尾の藤江監物史跡を訪問しています。井堰から約1時間を要しての移動です。県道218号線沿いに、このような案内がありました。
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標識には、「藤江監物父子の墓および牢獄跡入口」とあります。写真右の細い道を入っていくようです。旧東海道徒歩の旅で細い道には慣れているので、大きな恐怖感はありません。小さな恐怖感は勿論、あります。今回は特にクルマで来ているので、果たしてUターンが可能か否かが不安なのです。
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舟の尾地区史跡および文化財案内がありました。ただ、こちらの地図は、概念的な地図で殆ど役には立ちませんでした。
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道に迷うこと約20分程度だったでしょうか? 結果的には上記写真の入口から細い急激な上り坂を昇ったところに追分地蔵の案内がありました。これで漸く、orientationが掴めました。結果的に役立ったのは、こちらにある地図だったのでした。
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こちらが、そのお地蔵さんのようです。

2017年8月 7日 (月)

井堰シリーズ---岩熊井堰その2

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7月29日に延岡市下三輪町にある岩熊井堰を見学しています。井堰の近くには、写真のような立派な石碑もあるのでした。周囲には雑草が多数あって半ズボンで行っている当方は近づくことができません。
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井堰をやや下流方向から撮影したものです。井堰の上流両側に取水口があるようです。
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水門の施設には水利使用標識なるものがありました。かんがい面積は458haに及ぶようです。458haと言われてもちょっと、ピンと来ませんが、非常に広い田畑を灌漑しているのでしょう。
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水門施設の横が、先ほどの3つの石碑がある場所です。施設側から見ると鳥居があります。鳥居には岩熊水神社とありました。
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そして、こちらがその岩熊水神社のようです。井堰を見学した後、藤江監物のお墓がある日之影町舟の尾へ県道218号線を利用して移動しています。

2017年8月 6日 (日)

台風5号

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台風5号が接近しています。宮崎県では、宮崎空港発着の航空機が欠航され、TVのニュースでは宮崎県下のJR全路線の運転見合わせと宮崎カーフェリーの欠航を報道しています。
本ブログを記載するに当たり調べてみると、高速道路は一応、通行可能なようですが、福岡、熊本を結ぶ高速バスは運休しています。
先ほどTVでは自宅近くの宮崎市鏡洲地区の避難勧告を報じていました。
昨夜は台風接近に伴い暴風雨による騒音で十分、眠れないことを危惧して、耳栓をしてから就寝しています。
宮崎市は、現在、風は強いのですが雨は殆ど降っていません。
昨日同様、今日も一日、台風の影響で外出することは困難でしょう。自宅内で大人しくしていることにします。

2017年8月 5日 (土)

今日の昼食---ララチーチャン弁当

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今日の昼食は、7/3放送NHKの「鶴瓶の家族に乾杯宮崎市」で紹介のあった宮崎大学近くのLALACHI-CHAN(ララチーチャン)弁当の鶏飯(けいはん)です。
自宅近くなので、放送直後にお尋ねし注文しようとすると、仕込みに時間が掛かるとのことで予約が必要とのことでした。
そこで、本日午前10時前に電話で注文し12:30に取りに行っています。写真右のスープを具材ののったご飯に掛けて食べるのです。スープも直接飲んでみましたが温かく非常に美味しかったのであります(店舗から当家までクルマで5分以内です)。
ご飯も含めて美味しく頂戴しました。放送後は、お客さんが増加していることでしょう。

JR九州の利用状況

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7/3(?)付けの朝日新聞の切り抜きをscanしました。JR九州の路線別利用状況の記事がありました。欄外に「輸送密度は1日1Kmあたりの平均利用客数」と記載されています。確か記事には、この数字が1000を割ると経営的に厳しい状況になるようです。
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そして同じ記事には、利用状況のワースト5区間の表もありました。地方路線は、いずれも厳しい数字のようです。
かめさんの好きな鉄道の一部が存続の危機にあります。
 
さて、今朝も午前5:30分頃には起床し約3Kmのjoggingへ出かけています。起床時、「雨かな」と思って外を見ると一応、雨は降っていなかったのでrunningへ出かけた次第です。
外は台風5号による湿った生温かい空気が吹いていたのでした。
 
jogging中に道路脇で「ニャーニャー」と.声がするので何だろうと思ってみてみると、猫が2匹、世間話(?)をしていました。
台風は停滞せず、さっさと通り過ぎてくれればいいのにと思いながら走り終えています。
天気予報では今日、明日、8/7の月曜日もはっきりとしない天候のようです。
特に8/7月曜日に台風が南九州に最接近するような予報です。今週末は大人しく自宅で過ごすことにします。
 
 

2017年8月 4日 (金)

井堰シリーズ---岩熊井堰その1

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7月上旬の九州北部豪雨により、うきは市にある大石井堰の見学は今年は無理と判断して宮崎県内にある有名な井堰を訪問してみることにしました。訪れたのは7/29(土)です。午前8時頃に宮崎市内を出発し東九州道を利用して延岡へ向かっています。
こちらが延岡市下三輪町付近の五ヶ瀬川にある岩熊井堰です。通り過ぎてしまい上流方向から戻って来て撮影しています。こちらも大きな井堰となり、西都市の杉安井堰より幅がありそうです。
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県道49号線沿いには、3つの石碑があるのでした。石碑の中央には「藤 監物 江尻喜多右衛門 用水開設?紀念碑」とあります。何故か藤江監物ではなく、藤 監物とあります。
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岩熊井堰史なる案内文がありました。案内文には、こちらのようなことが書かれています。
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このような案内もありました。写真右です。「釣り人各位 ダム 井堰などの上流50m 下流200mは禁漁区です」とあります。魚が集まっているからでしょうか?

2017年8月 3日 (木)

播磨灘物語---第3巻

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前回から引き続き、今回もこちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「播磨灘物語第3巻」です。アマゾンでは以下のように紹介されています。
官兵衛を信長に取りついでくれた荒木村重が信長に謀反を起こし毛利についた。翻意させるべく伊丹を訪れた官兵衛は囚われてしまう。信長は官兵衛も裏切ったと錯覚し、子の松寿丸を殺せと命じた。竹中半兵衛の策で救われるが、官兵衛が牢を出た時は、半兵衛、既に病死。牢を出てからの官兵衛は身も心も変る。
秀吉を支えた軍師で、後に両兵衛と言われる官兵衛と半兵衛の接点がこの巻で記載されています。半兵衛は信長の命に反して官兵衛の嫡男を自分の領地で匿(かくま)い、官兵衛が救出される半年前に死亡してしまう半兵衛が少々、可哀想でもあります。
ただ、半兵衛に関しては後世の創作された部分もあるのかもしれません。
さあ、次は最終巻となります。

久々の雨

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深夜から久々に纏まった雨が降っています。就寝中にも雨が降っている雨音に気が付きました。今朝、出勤時にもクルマのワイパーを久しぶりに使用しています。当方の記憶によると1ケ月ぶりの纏まった雨のような気がします。
台風5号の影響の降雨のようです。世の中には、雨が降って好都合の人がいる一方で、不都合な人もいることでしょう。昨日、お会いした方は、今日が雨の天気予報だったので、慌てて早期水稲の刈り取りをしたとのことです。
雨雲のため、気温の上昇を抑えられています。

2017年8月 2日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅112

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/7は最終日で特に旧東海道を歩く予定はありませんでした。宮崎への移動のみです。今回、ベースキャンプとして宿泊したのは三交イン沼津駅前です。朝食を取り6:45分頃にはホテルを出ています。

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ホテルを出て直ぐのことろに、小田原屋さんという干物屋さんがあります。神奈川県在住の高校時代からの友人に、お土産を送ろうと思っていたのですが、沼津から神奈川県在住の友人に小田原屋さんから物を送るのはチョット抵抗がありました。しかも、店内には強面のオヤジが座っていたのです。若い可愛い女の子が座っていれば、勿論、購入して友人へ送っていたことでしょう。But, あとから調べてみると、こちらの干物屋さんは老舗で有名店だったのです。残念。

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9/3~9/6まで曇天もありましたが、天候に恵まれ、雨に遭うことはありませんでした。最終日で移動日の9/7のみ雨となりました。沼津駅前が雨で道路が濡れていることがお判り頂けると思います。この撮影後、沼津駅のみどりの窓口へ行っています。普通列車グリーン券を購入するためです。ここでハプニングが発生しました。大阪(恐らく)のオバチャンが非常に時間を食っているのです。高槻駅に向かうのに、三島駅まで戻って新幹線に乗車するのはダメとか、乗り換え駅は京都駅ではなく、新大阪駅とか。朝早く、係員が一人のみで既に7-8人が列を作って待機しているのに、何と一人で切符を購入するのに15分もの時間を要するのでした。皆、イライラして待っています。普通列車グリーン券は沼津駅ホームでは購入できないのです。漸く切符を購入してホームへ移動しています。

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7:32分沼津駅発の列車に乗車します。先ほどの大阪のオバチャンは見当たりません。

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こちらが乗車した普通列車です。沼津駅はJR東海の担当地区になるので、東京駅まで直通の普通列車はないのかと思っていました(通常、熱海駅で乗り換え)。しかも、沼津駅が始発なのです。

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こちらが、普通列車グリーン車内です。東京駅まで約2時間を要しますが十分、旅気分が味わえます。当方が乗車したときはガラガラでしたが、小田原付近を通過した頃には満席となりました(たぶん)。

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東京駅に到着後、八重洲口方向へ移動して八重洲ブックセンターが開店するのを待っていました。10時開店と同時に入店し、本を散策しています。その後、羽田空港へ移動して14:30分発のJAL機に搭乗しています。天候にも恵まれ、予定行程以上の徒歩の旅ができました。

2017年8月 1日 (火)

近所の散策2017---大暑過ぎ3

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こちらもjogging中に見かけたアメリカ芙蓉だと思います。花弁に小さな蟻が1匹居ます。何故か芙蓉の壁には蟻がいることが多い印象があります。
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こちらも同様にjogging中に見かけました。海鮮茶屋うを佐の生垣にあったものです。白いのが花のようですが名称が分かりません。雨の後で植物が何だか生き生きとしているようです。
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こちらはカノコユリだと思います。花弁が下を向いて開花しているためjogging中に跪いて撮影しました。

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