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2017年12月

2017年12月31日 (日)

近所の散策---冬至過ぎ3---大晦日

Imgp1016_2 こちらは、自宅近くの加江田神社です。午後2時半過ぎに撮影したものです。昨日はありませんでしたが、鳥居の足元に門松が設置されています。Imgp1019 こちらも自宅近くのお宅にあった椿です。空に向かって元気よくその花弁を開花しているのでした。上の写真は、午後のjogging中に撮影したものです。

さて、今朝も午前6時過ぎには起床して朝食を頂き、周囲が明るくなるのを待っていました。曇天ではありますが、雨の予報はありません。ということで第二次旧飫肥街道徒歩の旅へ出かけることにしました。自宅に居てもすることがないのです。やろうと思えばあるのでしょうが、やらないのです。TVも面白くなく、以前より、この年末年始の休暇中にチョットだけ歩いてみようと思っていたのでした。元旦はチョット、躊躇があったので今日となりました。

午前8時半前には宮崎市源藤交差点を出発し清武方面へ県道47号線を歩き、永田交差点から黒坂観音を過ぎてから、県道368号線と交差する地点(石屋さん前)で、今回の行程を終了としています。自宅には丁度、正午に到着しました。約15Kmの歩行でした。昼食を摂り、少々、休憩をして14:30分頃から今年の走り修め目的で約3Kmのjoggingへ出かけています。集計を取ってみると本年はjoggingで1091Km走ったことになります。これ以外でも、旧東海道徒歩の旅にも出ており、結構、自分の足で移動していることになります。

今年は当方にとって、左程、良い年ではなかったような印象があります。2018年が当方、そして皆さまにとって良い年になることを祈っています。では、良いお年を。

竜馬がゆく---第5巻

5前回に引き続き今回も司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく第5巻」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。

池田屋ノ変、蛤御門ノ変と血なまぐさい事件が続き、時勢は急速に緊迫する。しかし幕府の屋台骨はゆるんだようにも見えない。まだ時期が早すぎるのだ…次々死んでゆく同志を想い、竜馬は暗涙にむせんだ。竜馬も窮迫した。心血を注いだ神戸海軍塾が幕府の手で解散させられてしまい、かれの壮大な計画も無に帰してしまった。

この巻でも気になった箇所を抜粋してみましょう。

「(吉田)松陰の人物像というのは、その長所を見出す点で、すぐれている」p15。

「新選組は現秩序肯定派の志士団、古高ら長州系志士団は、現秩序否定派の志士団であった」p80。

勝海舟の竜馬に対する言葉「お前さん(竜馬)を仕込んだおれ自身(勝海舟)を自画自賛しているんだ。頼むよ。竜さん」p132。

西郷隆盛の言葉「人間、不人気ではなにも出来ませんな。いかに正義を行おうと、ことごとく悪意にとられ、ついにはみずから事を捨てざるをえなくなります」p282。

竜馬の言葉「男子は生あるかぎり、理想をもち、理想に一歩でも近づくべく坂をのぼるべきである」p331。

含蓄のある言葉と当時の京都の状況が理解できることが記載されています。

 

宮崎大学正門前

宮崎大学正門前
宮崎大学正門前へ到着しました。あと少しで今回の行程を終了します。

宮崎国際大学

宮崎国際大学
宮崎国際大学
源藤交差点から歩いて宮崎国際大学へ到着しました。意外と近いです。

源藤交差点

源藤交差点
源藤交差点
第二次旧飫肥街道徒歩の旅として、本日は源藤交差点から清武方面へ向かって歩いてみます。こちらの交差点は、何度も通過したことはありますが、徒歩で通過するのは初めてだと思います。

2017年12月30日 (土)

旅の思い出---信州への旅25

Dscf0304_2 2017年10月に有給休暇を取得して出掛けた信州への旅を回顧しています。10/15午前6時過ぎから上田市内をjoggingしています。ホテルから藩主屋敷門ー上田市役所ー上田城櫓門ー本丸前ー西虎口ー上田招魂社前と昨日、歩いたコースを走っています。上田市博物館手前で北虎口方向へ、流鏑馬会場を示す案内板がありました。そちらの方向へ走ることにします。

Dscf0308 すると、百間堀を埋め立てたグランドに流鏑馬の会場が設置されているのでした。おそらく、写真の白い幕に向かって矢が放たれるはずです。その後、公園北ー木町ー原町(池波正太郎真田太平記館)-海野町交差点を左折し、鷹匠町方面へ走っています。Dscf0309 有名なお蕎麦屋さんの「刀屋」さん店頭まで走ってきたのです。後から食べに来ようと考えていたのです。こちらが店舗となります。近づいて見ましょう。Dscf0312 すると、日曜日が定休日だったのでした。今回は、縁がなかったようです。以後、ホテルまで走り約1時間のjoggingを終了したのでした。Dscf0317 11/14に上田市内観光に使用したまちなか循環バス1日フリー乗車券はこちらとなります。Dscf0325 こちらが、そのバス車両となります。少々、小柄なバスでした。Dscf0329 joggingの後、ホテルでシャワーを浴び、朝食を取ってから午前9時すぎにはホテルをチェックアウトしています。みすず飴本舗飯島商店の本館は、このようなアールデコの立派な建物でした。

近所の散策---冬至過ぎ2

P1080550_2 こちらは、今朝joggigng中に撮影したももです。午前7時半過ぎだと思います。近くの加江田神社です。境内に幟があり、鳥居には注連縄があります。鳥居の袂には未だ門松はありません。境内に入ってみます。P1080551 本殿にも注連縄があり、御神酒をふるまうのでしょうかテントも既に準備されています。お正月を向けえる準備は着々と進んでいるようです。P1080558 こちらは、午前10時頃の宮崎空港出発カウンター付近です。多数の人々が居ました。人数的には到着ロビーの方が多いのでしたが、宮崎空港から出発する人も多いようです。帰省していた長女が午前10:30分発の飛行機で早々と本日、旅立って行きました。P1080559 長女を見送ってから駐車場に向かう途中に、「おかえり」とういう表題の石の彫刻がありました。奥村羊一さんの作品のようです。同氏は、石の彫刻家とのことです。

ペットマト2---その18

P1080545 職場窓側で栽培しているペットマト2プチトマトの今朝の状況です。当方の年内の仕事は、昨日の午前中で終了しました。仕事場で栽培しているペットマト2は、最近、非常に水分、肥料の消費が激しいため、年末年始の休暇中に枯れてしまわないように、自宅へ持ち帰りました。本株の方の最も大きなプチトマトは赤く色づきました。P1080546 挿し木をした分株の方もプチトマトの実が鈴なりに実のっています。P1080549 本株のプチトマトを収穫し、帰省中の長女が食べました。こちらが、収穫したプチトマトです。軽く水洗いをしています。良くみると小さな水滴が付着して綺麗です。長女が言うには、美味しかったとのことです。今後、収穫したものを当方も食べて、その味を確認しようと思います。

2017年12月29日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅60

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前10時過ぎには、静岡県島田市金谷付近に居ました。旧東海道を進むと線路がありました。南側を撮影したものです。大井川鐡道の新金谷駅があるようです。ちょっと、寄り道をしてみましょう。
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こちらが、新金谷駅の駅舎となります。駅名に「新」とありますが、駅舎は決して新しいものではないようです。JR東海道本線の金谷駅に対して、新金谷と命名したのでしょう。
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新金谷駅構内には、単行の列車が停車していました。列車の上には架線があります。電化されているのでしょうか。大井川鐡道といえはSLが有名ですが、電車は走行しているのでしょうか。調べてみると大井川本線は電化されているようです。
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駅舎の前には、こちらの写真のような黒いポストがありました。勿論、オヤジとしては近づいてみます。
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案内には、「このポストあh、大井川鐡道のSL復活40周年を記念して設置されました。SLポスト本体の黒色は、実際のSLを同じ塗料を使用しています」とあります。かめかめさんが見たら喜ぶことだろうと思いながら撮影しています。
Dscf3174 さらに駅前には、本日のSL座席状況の案内がありました。5/28が月曜日だったからでしょうか、空席がありました。週末、祝日であれば満席であったことでしょう。

2017年12月28日 (木)

旅の思い出---信州への旅24

Dscf0279 2017年10月に有給休暇を取得して出掛けた信州への旅を回顧しています。10/15は朝6時頃に起床しています。ホテルの自室から外を見ると天気予報に反して、曇天ではありますが、雨は降っていません。慌てて持参したjogging suitsに着替えて、未だ1ケ所のみ見ていない上田藩主屋敷門を観に出かけました。Dscf0280 藩主屋敷門はホテルから走って約5分程度のことろにありました。ホテルからの道路はやや狭いものでしたが、位置的には上田市役所近くなのでした。こちらが藩主屋敷門となります。近づいてみましょう。Dscf0281 藩主屋敷内は、今となっては長野県上田高等学校があるのでした。ここで面白いのは、「長野県立」ではなく「長野県」となっていることです。当方の卒業した高校は、「神奈川県立」となっています。何か意味があるのでしょうか?Dscf0283 上田藩主屋敷門と堀跡なる石碑もありました。上田高校の正門が、こちらになるのか否かは知りませんが、もし、こちらた正門であれば登校するのが楽しいことでしょう。少々、偉くなった気持ちになれるかもしれません。Dscf0287 こちらが現在地となります。上田城からは少々、離れているのとが判りますね。Dscf0289 お堀の向こうに白塀に囲まれた上田高校の校舎が見えます。

2017年12月27日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅59

Dscf3157 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前10時頃には、静岡県島田市金谷宿川越し場跡付近に居ました。こちらは水神社内にあった石像です。何かと思い案内の石碑を撮影します。
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石碑には、「義人 仲田源蔵経歴」とあります。判読困難なので、仲田源蔵について調べてみましょう。詳しは、こちらを参照して下さい。要約すると、明治3年に川越え制度が廃止された後、失業した川越人足をお茶で有名な牧之原台地の開墾へ斡旋、指導した人です。
地理の教科書には、静岡県=お茶=牧之原台地は必ず記載されているはずです。牧之原台地開墾の裏話を今回、初めて知りました。勉強になります。
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水神社を出て、八軒屋橋を通過します。 こちらの橋はさほど大きな橋であった記憶はありません。
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渡河した川は、新堀川という1級河川の起点でした。何やら2つの川が合流して新堀川となっているようです。
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金谷宿川越し場に入ったようです。こちらの建物には「九番宿跡」の看板が掲げられています。
Dscf3163 さらに進むと、このような案内もありました。平成16年までは旧家加藤家が存在したようですが、現在は残っていません。このように川対側の島田宿大井川川越遺跡町並に比し、こちらの金谷の川越し場跡の保存状態は決して良くないのでした。

2017年12月26日 (火)

旅の思い出---信州への旅23

Dscf0258 2017年10月に有給休暇を取得して出掛けた信州への旅を回顧しています。10/14午後4時半前には長野県上田市別所温泉安楽寺境内にいました。日没までに、どうにか国宝八角三重塔を見学することができ、帰路についています。少々、余裕が出て往路には撮影できなかった安楽寺本堂を撮影しました。Dscf0259 こちらは、鐘撞堂でしょうか。立派なものがありました。
Dscf0268 約20分程度の歩行で別所温泉駅に到着しています。小銭がなく窓口で上田駅までの乗車券を購入し、慌てて電車に飛び乗りました。復路は、こちらの電車に乗車しています。Dscf0269_2 別所温泉駅窓口で購入した乗車券は、昔ながらの硬券でした。車内シートの上において撮影しています。Dscf0270_2 約30分の電車の乗車で別所温泉駅から上田駅まで到着しています。こちらが、上田電鉄上田駅改札付近となります。Dscf0271 上田駅到着後、駅構内を少々、散策しています。すると、翌日10/15には上田城流鏑馬(やぶさめ)が開催されるようです。ポスターには、実際の流鏑馬行事は午後2時半からの開催との記載があります。「時間的に無理じゃん」と思うのでした。飛行機の搭乗時刻の関係上、どんなに遅くとも正午頃までの新幹線に乗車する必要があるのです。Dscf0272 上田駅には「りんご三兄弟」なるポスターもありました。秋映、シナノスイート、シナノゴールドの三種のことをいうようです。これで、10/14の予定行程を終了としました。一応、翌日は雨の予報なので新幹線乗車までホテルでゆっくり過ごす予定としていました。

ペットマト2---その17

Img_2155 職場窓側で栽培しているペットマト2プチトマトの今朝の状況です。こちらは本株の方のプチトマトです。今まで気づかなかったのですが、最も大きな実は下の方から少々、赤味を帯びてきて成熟しているような印象があります。大きさは直径31mm程度ありました。Img_2151 こちらは挿し木をした分株の方です。トマトの実の数は、本株より多く、実が成長するにつれ頭を重たそうにしています。昨日、割りばしで支柱を作成しました。分株の最も大きなもは直径26mm程度ですが、未だ、赤味は帯びていません。

2017年12月25日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅58

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前10時頃には静岡県島田市の旧東海道金谷宿手前に居ました。こちらにも大井川を渡河する江戸時代の浮世絵がありました。
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東海道五十三次金谷も大井川の川渡しを描いたものになっています。
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旧東海道を示す案内がありました。かなり劣化していて判読が困難です。
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金谷側にも川越し場跡があるようです。保存状態は島田宿側の方が良好であった記憶が残っています。

2017年12月24日 (日)

竜馬がゆく---第4巻

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前回に引き続き、今回も司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく第4巻」を選択しています。本の帯には以下のような案内があります。
志士たちで船隊を操り、大いに交易をやり、時いたらば倒幕のための海軍にする―竜馬の志士活動の発想は奇異であり、ホラ吹きといわれた。世の中はそんな竜馬の迂遠さを嘲うように騒然としている。反動の時代―長州の没落、薩摩の保守化、土佐の勤王政権も瓦解した。が、竜馬はついに一隻の軍艦を手に入れたのであった。
この巻でも気になった箇所を抜粋してみましょう。
竜馬の言葉「世間というものは、あたりまえのことを望むものじゃ」p121。
竜馬の武市半平太に対する言葉「お前は完全主義でいかん」p241。
竜馬の山内容堂への評価「貴族は馬鹿でいい。貴族が利口すぎるのはかえって害が大きいことが多い」p271。
竜馬の言葉「明智光秀は、天を察せずに事を急いだがために本能寺で信長を殺しただけにとどまった。秀吉は時運に乗ってきたがために天下をとった」p312。
この巻にも含蓄のある言葉が多数、散らばっているのでした。

近所の散策2017---冬至過ぎ1

Imgp1002 毎年、天皇誕生日の前後に年賀状の宛名書きをしています。年末の貴重な祝日だと思っています。当家でも年賀状の宛名書きをしました。

さて、昨日は夜勤明けで帰宅し、数々の雑用を処理しています。一部を紹介すると、クルマのガソリン給油、洗車、銀行で振り込み、資源ごみの処理、回覧板回し、先輩への葉書書きと投函、自室の窓の清掃、1階の清掃等です。本当に雑用です。何故かというと妻が出張で不在だったのです。夕方からは温泉へ入浴しに行きサウナを堪能してきました。

今朝は午前6時前には起床し朝食を頂き、霧雨のようななか約3Kmのjoggingへ出かけています。本来、雨の場合には走らないのですが今日も夕方から夜勤なので朝の時間帯に走りました。

昨日、自宅で使用しているパソコンもupdateとなりました。仕事場ではWindows10 Pro(32bits)を、自宅ではWindows10 home edition(64bits)を使用していて、updateの日がズレることを今でにも経験しています。懸念していた通りにWindows10のupdateに伴い自宅で使用しているMicrosft-Wordが壊れたようです。仕事場同様に日本語入力が不可となりました。MS-IMEは使用可能でブログの記載には支障ありません。ワープロソフトの購入の必要性があるのですが、少々、pendingすることにします。恐らく仕事場同様Powerpointは使用可能でしょうから、ワープロソフトのみの購入を検討しています。でも、updateに伴い自社製品となるMS-Wordが使用不可となるWindowsのupdateはいかがなものかと思います。

外は曇天、霧雨状態で、今日も夕方まで自宅で雑用をして過ごすことになりそうです。

2017年12月23日 (土)

旅の思い出---信州への旅22

Dscf0244 2017年10月に有給休暇を取得して出掛けた信州への旅を回顧しています。10/14午後4時過ぎには長野県上田市別所温泉から安楽寺方向へ向かっていました。どうにか日没前に安楽寺に到着することができました。こちらの宗派は曹洞宗で当家の宗派と同じでした。ちょっとだけ身近なものに感じられるのでした。

Dscf0245 安楽寺に到着したものの、山門までには長い昇り階段があるのでした。Dscf0247 社務所で拝観料を支払い、さら昇り坂を上っていくのでした。すると漸く、木々の間に国宝八角三重塔が見え始めました。Dscf0250 案内には次のようにあります。「この塔は一見、四重塔に見えるが昭和27年長野県最初の国宝と指定された折り、初重の屋根はひさしに相当する裳階(もこし)であるという見解で、裳階つき八角三重塔として認定された」とあります。

Dscf0251 案内左を撮影しています。少々、文字が撮影されていませんが、以下のような注意書きがあります。「三重塔は仰いでお参りすつことが大切です。山の上から見おろすものではありません」とありました。Dscf0255 こちらが、裳階付き八角三重塔の全体像となります。注意書きにあるように見上げて撮影しています。一番下の屋根のようなものが裳階となります。Dscf0256 こちらのような注意書きもありました。こちらの三重塔は詳細は不明ですが、鎌倉時代末期に建立されたようです。どうにか日没までに石湯と三重塔を見学することができました。ほぼ、これで今回の信州への旅の目的は達成できたのでした。10/15の天候が雨になっても、ほぼ、観光には支障がないのです。

WPS Office Standard Edition

Img_2142 WPS Office Standard Edition(以前のKingSoft Office)を購入しました。現物が手元にないと不安なのでCD-ROM版を購入しています。実は、12月のWindows10のupdate後に当方が使用していた古いMicrosoft Office 2000の内、MS-Wordのみが壊れてしまい、日本語入力不可となってしまいました。Powerpoint、Excelは使用可能でした。ということで、text editorである「メモ帳」でも良かったのですが、以前から気になっていたOffice互換ソフトであるこちらのソフトを購入した次第です。アマゾンギフト券の残を使用して購入しています。まあ、実質、ワープロのみの使用で支障はないと考えています。IMEのユーザー辞書も使用可能の印象です。

さて、昨夜は夜勤でした。先ほど、朝食を頂きながら当方のお気に入りの「ピタゴラスイッチ」を見ていました。あの番組は決して幼児向けの番組ではなく、大人向けの番組だと思います。当方が気に入っているのは、ビー玉三兄弟の冒険、アルゴリズム体操、巻き尺のジャック等です。その番組を見ながら当方は「動くものが好き」なのだと感じています。元旦の「大人のピタゴラスイッチ」を楽しみにしています。そろそろ、夜勤明けで帰宅します。雑用をすることになるでしょう。

2017年12月22日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅57

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前9時半過ぎには静岡県大井川河畔に居ました。大井川橋を渡りきると、こちらの旧東海道を示す案内がありました。当方にとって非常に嬉しい心配りです。
Dscf3150
大井川金谷側にも、同様に橋に関する案内がありました。撮影した時には気づいていなかったと思いますが、石碑にカメラを構える当方が映っています。とぼけています。
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大井川河川敷に降りて大井川橋を撮影しています。立派な橋であることが判ります。
Dscf3152
河川敷から堤防へ戻ると、旧東海道を示す矢印があります。本当に助かります。
Dscf3153
旧東海道は、現在となっては、こちらのような何気ない道路となっているのです。気づかずに歩いている人も多いはずです。

2017年12月21日 (木)

旅の思い出---信州への旅21

Dscf0238 2017年10月に有給休暇を取得して出掛けた信州への旅を回顧しています。10/14午後4時過ぎには上田市別所温泉に居ました。真田幸村公隠しの湯がある別所温泉も現代となっては近代的なホテル形式の建物が林立している温泉街となっていました。Dscf0239 石湯から別所温泉駅方向へ戻りつつ北向観音まで戻って来ました。ここから北向観音とは反対方向へ左折しています。Dscf0240 すると、すぐにこの案内がありました。「別所の市神」とあります。下には小さく、「昔の市の跡 市神は市の安全と市を護る神」とありました。

Dscf0241 さらに歩を進めると、こちらの立派な門がありました。額には「崇福山」と見て取れます。Dscf0242 門に近づくと案内がありました。「黒門」とあります。案内には、「安楽寺境内の入口にあたること、1792年に建てられたこと、寺院には吾寺号のほかに山号があり寺域全体がこれにあたること」等が記載されています。

2017年12月20日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅56

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前9時半頃には静岡県島田市大井川河畔付近に居ました。大井川東詰付近には、こちらの巨大な石碑があったのでした。「永仰景迹」と記載されているようです。こちらの石碑には特に説明文がなかったような記憶があります。意味不明です。手前には旧東海道を示す案内もありました。
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こちらが、旧国道1号線に掛かる大井川橋に関するプレートですが、かなり劣化しており判読困難でした。正式名称は、静岡県道381号島田岡部線大井川橋というようです。全長1026m、日本百名橋の1つで昭和3年に完成したようです。
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大井川橋の南側にある歩行者自転車専用レーンを歩行することにします。橋の青色と空が一体化しているかのように見えますね。
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こちらが、橋梁の上から大井川下流方向を撮影したものです。治水工事がなされているのでしょう。川は直線状に流れていました。水量も、この日は多くはなかった印象です。
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こちらが東海道五十三次浮世絵島田を示したものです。島田宿といえば大井川だったのでしょう。江戸時代の渡河風景が描かれているのでした。

2017年12月19日 (火)

旅の思い出---信州への旅20

Dscf0229 2017年10月に有給休暇を取得して出掛けた信州への旅を回顧しています。10/14午後4時頃には上田市別所温泉石湯前にいました。こちらが今回、別所温泉を訪れた目的です。別所温泉「石湯」の前には、「真田幸村公隠しの湯」と刻まれた石碑がありました。Dscf0230 石碑の下の龍の口からは、温泉が湧出しているのでした。

Dscf0231 石碑の横には、このような案内板がありました。「上田城から10Kmの別所温泉は、幸村や忍びの若者達がたびたび訪れ、重要な場面として登場する」とあります。Dscf0232 こちらが、「石湯」の全体像となります。

Dscf0234 入湯料は、大人、子供、幼児とも一律\150でした。日が暮れる前にもう1ケ所、訪問したい場所があるので入浴はしませんでした。Dscf0235 隠しの湯の石碑の横には、昭和54年3月 池波正太郎識の文字も見て取ることができます。

ペットマト2---その16

Img_2141 職場窓側で栽培しているペットマト2プチトマトの今朝の状況です。こちらは本株となるプチトマトとなります。最も大きなプチトマトは写真右となります。他にもトマトの実が大きく生長しています。Img_2140 こちらは、挿し木をした分株の方です。実の大きなは本株には未だ到りませんが、実の数は分株の方が多くなっています。先週、本株の方は支柱で支えるようにしましたが、移動の際には頭を重たげにしています。生長に従い水分の消費量も増加し、毎日、30ml程度が減少していきます。今後、成熟して赤みを帯びてくるでしょうか。収穫が楽しみです。

2017年12月18日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅55

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前9時過ぎには静岡県島田市大井川河畔付近に居ました。こちらは、河畔近くに見たイラストです。現在地としては、写真やや左の「せぎ跡」付近にいることになります。
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こちらが、その「せぎ」のようです。石積みがなされています。
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案内にも、簡単に「せぎ跡」とあります。今回、ブログを記載する際に「せぎ」について調べてみました。せぎ=堰のようです。せぎとは甲州弁で用水路、小川を指すようです。この場合は、小さな防波堤のことでしょうか。
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せぎ跡の横には島田市博物館があるのでした。博物館には興味があるのですが川越遺跡町並で充分に堪能させて頂いたので通過することにします。
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勿論、川渡しは現在ありませんので、現在地の左にある大井川橋を渡ることになります。
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現在の大井川堤防沿いを歩くことになるのですが、橋はかなり遠くに存在するのでした。今でも非常に広い川幅がありました。

2017年12月17日 (日)

竜馬がゆく---第3巻

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前回に引き続き今回も司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく第3巻」を選択しています。帯には以下のように紹介されています。
浪人となった竜馬は、幕府の要職にある勝海舟と運命的な出会いをする。勝との触れ合いによって、竜馬はどの勤王の志士ともちがう独自の道を歩き始める。生麦事件など攘夷論の高まる中で、竜馬は逆に日本は開国して、海外と交易しなければならないとひそかに考える。そのために「幕府を倒さねばならないのだ」とも――司馬文学の金字塔、シリーズ累計2500万部超の第3巻。
こちらの巻では、多数の可笑しな笑える内容、格言的なものがあります。ちょっとだけ抜粋してみましょう。
「長州の殿様は、べつに愚鈍ではなかったが、英邁でもない。明治になったとき、維新の功臣たちに、---おい、おれはいつ将軍になるんだ」p59。
「古来、公卿などというものは、歴史上ろくなことをしていないが、奇妙な権威がある」p107。
勝海舟がアメリカ航海から帰朝して将軍に謁見したときのこと。「アメリカでは政府でも民間でも、およそ人の上に立つ者はみなその地位相応に利口でございます。この点ばかりは、まったく我国と反対のように思います」p169.
 

近所の散策2017---大雪過ぎ3

Imgp0986 こちらも今朝のjogging中に見かけた植物です。何かの植物の実でしょう。朝日を受けて綺麗だったので撮影してみました。
 
さて、今朝も午前6時頃には起床して、録画していた昨日の有村架純さんのカナダへの旅の番組を見ながら朝食を頂き、午前7時半前から約3Kmのjoggingへ出かけています。12月も中旬過ぎとなると、この時間帯は寒く、帽子、手袋が必需品となります。
実は、12/15の金曜日は休暇を取得し3連休としています。午前7:30分発の高速バスに乗車し博多まで1泊2日の小旅行へ行っていました。12時半前に博多駅バスターミナルに到着し、昼食を摂り、紀伊国屋書店、丸善を散策後、、初めて筑紫口にあるヨドバシカメラ店舗に入店しました。売り場面積が非常に広く、戸惑っていました。博多での常宿である西鉄ホテルクルーム博多に投宿したのは17時前だった思います。18時頃から博多港までjoggingへ行っています。jogging後は、大浴場、サウナを堪能しました。昨日も朝7時頃から博多港までjoggingをしています。前日、12/15のニュースで知ったのですが、マリンメッセでは福岡モーターショウが開催されているようです。早朝なので特にその気配は感じられませんでした。jogging後、シャワーを浴び、再度、書店を散策しています。13:05分発の高速バスに乗車し、運よく17:30分宮交シティ発のバスに乗車でき、無事、帰宅しています。
今日は特に予定はありません。雑用をしているうちに時間が経過することでしょう。

2017年12月16日 (土)

旅の思い出---信州への旅19

Dscf0224_2 2017年10月に有給休暇を取得して出掛けた信州への旅を回顧しています。10/14午後4時前には長野県上田市別所温泉にいました。別所温泉駅から温泉中心部に向かって歩いていくと、このような案内がありました。「将軍塚」というようです。案内には、「鬼女(嫁ではない)を打ち滅ぼした余吾将軍平維茂の塚」とあります。まあ、そうなんでしょう。Dscf0225 こちらが将軍塚の全体像となりまる。Dscf0226 将軍塚から安楽寺、北向観音方面へ歩きます。

Dscf0227 現在地を確認しましょう。目的地は写真左にある「石湯」となります。Dscf0228 当方が歩いている道から川を隔ててかしわや本店さんの前の街路樹は紅葉しているのでした。観光客が紅葉の下で喫茶しているのを見かけています。

2017年12月15日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅54

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前9時過ぎには旧東海道島田宿大井川沿いに居ました。大井川河畔には、「朝顔の松」という石碑がありました。どうも、こちらは朝顔の松公園というようです。
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石碑の後ろにある樹木が「朝顔の松」か?と思って、こちらの写真を撮影したのですが、どうやら違うようです。
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隣にあった、こちらの松が「朝顔の松」のようです。ガイドブックには、「浄瑠璃 生写朝顔話にちなんで命名された」とあります。詳しくは、こちらを参照で。
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松の横には、こちらの石碑もありました。厳谷小波の朝顔の松句碑というのが正式名称のようです。石碑には、「爪音は松に聞けやと春の風」とあるようです。当方には殆ど判読不可能です。くわしくは、こちらで。
43134 朝顔の公園を出て、現在の堤防方向へ進みます。旧東海道の案内がありました。こちらのように木製部分は非常に劣化しているのでした。

2017年12月14日 (木)

旅の思い出---信州への旅18

Dscf0214 2017年10月に有給休暇を取得して出掛けた信州への旅を回顧しています。10/14午後0時半過ぎから約2時間を池波正太郎真田太平記館で過ごした後、まちなか循環バスに乗車し、上田電鉄上田駅へ移動しています。別所温泉へ向かうためです。本来であれば、別所温泉の散策は10/15j午前に予定していたのですが、生憎、10/15の天気予報が雨だったので、予定を前倒しして急遽、行くことにしました。上田駅に到着すると発車時間まで2-3分でした。飛び乗ったとの印象が残っています。こちらが乗車した上田電鉄1000系電車となります。東急1000系電車が譲渡されたようです。中間車からの改造型を6000系と称しているようです。なんだか、鉄ちゃんのようです。Dscf0216 別所温泉駅に到着し、駅にあった時刻表を撮影してみました。約30分に1本の頻度で運行されています。意外に本数が多いので少々、驚きを感じました。上田駅-別所温泉駅間11.6Kmを28分で走行します。Dscf0218 別所温泉駅の駅舎とホーム(写真左)となります。

Dscf0219 駅舎から登坂すると、こちらの案内がありました。別所温泉は侵襲の鎌倉というようです。Dscf0220 別所温泉駅から温泉街へ向かって歩いて行きました。空からは雨が降り落ちることはありませんでしたが、厚い雲に覆われているのでした。Dscf0222 道路を歩いていると進行方向左に「山極内科医院」がありました。「あれ、人工癌で有名な山極勝三郎先生と血縁者かな」なんて思いながらオヤジは道を歩くのでした。

Dscf0221 こちらが、山極内科医院建物です。何だかちょっと、年季がはいっているのでした。

2017年12月13日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅53

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前9時過ぎには旧東海道島田宿大井川川越遺跡町並付近に居ました。川会所の入口近くに島田大堤の案内板がありました。慶長の大洪水(1604-1605)で川除堤が決壊したこと、この大洪水で島田宿が流失したこと、1644年までに水門と灌漑用水を併せ持つ大堤が完成したこと、この治水灌漑工事でコメの生産高が20倍の増加したこと。堤の高さは3.6m、全長は5.7Kmに及ぶこと等が記載されています。
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こちらの石積みが、その大堤のようです。
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角度を変えて撮影です。現在でも大堤の上部は道路になっているようです。写真左の大井川沿いに向かいます。
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少々、進むと八重枠稲荷神社がありました。その案内となります。「昔、ここは大井川の出し堤防があり、洪水時には蛇籠に石を詰めて杭で固定し、これを幾重にも並べて、激流から村を守りました。八重枠稲荷の名前はここから来ています(以下、略)」とあります。
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こちらが、八重枠稲荷神社の鳥居と本堂となります。写真右に案内板があります。
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神社近くにも、島田宿大井川川越遺跡町並とありました。こちらまでが町並となるようです。

仮想日本縦断鉄道の旅---その24

20171102 2017年11月1日から11月30日までjoggingで94Km走っています。11月は比較的天候が順調ではありましたが、100Km越えは出来ませんでした。さて、今回の仮想乗車区間は、JR越後線内野駅から村上駅で乗り換え、JR羽越本線の越後寒川駅まで乗車したことと仮定します。この間は102Km、合計27駅で通常各駅停車で162分で走行するようです。料金は1940円だそうです。残のうち8Kmを使用します。残は33Kmとなります。 前回の条件で旅行したとすると、15:10分内野駅発、17:04分村上駅着、同駅17:10分発酒田駅行に乗車して、17:42分越後寒川駅着となります。

この間で知っている地名は、新潟、新発田程度でしょうか。少々、縁遠い地域となります。新潟は勿論、県庁所在地として知ってはいます。新発田は何だか、高校野球で見かける地名のような気がします。そして、堀部安兵衛の出身地であったような気がします。どちらも行ったことはありません。堀部安兵衛の出身地が、後の赤穂浪士討ち入りに関係しているようです。さらに近くに「胎内」という面白い地名もあります。

2017年12月12日 (火)

旅の思い出---信州への旅17

Dscf0200 2017年10月に有給休暇を取得して出掛けた信州への旅を回顧しています。10/14午後0時半過ぎには上田市柳町の北国街道を散策していました。散策途中で、保命水と刻まれた石碑を見かけました。Dscf0201 井戸のようにも見えますが、水が湧き出ているかのようにも見えます。案内板がありました。Dscf0202 「明治14年(1881年)、先人達が新田の海禅寺の境内に湧きでる清水を木管で引き、町の南北に四角な石升を造り、生活用水、非常用水とした」とあり、「北国街道を往来する人々にも喜ばれ、昭和24年(1949年)の水道事故の際には水源として功績をあげた」とも書かれていました。Dscf0206 北国街道の散策を終え、木屋バス停に戻ることにしました。すると、こちらの店舗が目に入りました。Dscf0207 手打百芸おお西とあります。お蕎麦屋さんでした。外から店舗内を覗くと、丁度、お昼時でもありかなり混雑しているのでした。当方には、この後にも見学予定の場所があり、先を急ぐことにしました。Dscf0209 帰路に再度、岡崎商店さん前を通ると、「2015年関東信越国税局酒類鑑評会 信州亀齢 最優秀賞受賞」との幟がありました。どうやら有名なお酒のようです。あまり、お酒を飲めない当方は、ただ、通り過ぎるのでした。Dscf0211 木屋バス停からブラブラと歩いて移動しています。歩くこと数分でしょうか。池波正太郎真田太平記館に到着しています。今回の旅の第2の目的は、こちらの記念館を訪れることでした。丁度、同氏の真田太平記を読書していたので、来てみたかったのです。そうです、基本的には当方はミーハーなのです。

ペットマト2---その15

Img_2127 職場窓側で栽培しているペットマト2プチトマトの今朝の状況です。今回は本来の株が写真右で、挿し木をした分株が写真左となっています。先週に比し分株の方にも実がなりました。Img_2133 こちらは本株の方です。最も大きなプチトマト(写真右下)は直径27mm程度となりました。未だ赤くはなっていないので成熟はしていないのでしょう。Img_2131 分株の方にも、こちらの写真のような実がなりつつあります。最も大きなもので直径16mm程度あります。分株の方が花の数が多く、沢山の実がなるかもしれません。

2017年12月11日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅52

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前9時頃には旧東海道島田宿大井川川会所に居ました。連台超しの手順なる案内がありました。それには、川庄屋により旅籠に当日の料金が伝達されていたこと、同様に川会所の高札場にも料金が掲げられていたこと、旅人は川会所で住所、氏名、旅の目的を告げたことが掛かれています。この下にも手順の続きがあるようでしたが、何故か撮影していませんでした。残念。
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同様に、越立の方法も記載されていたのでした。ここには、通常は人足の肩車で渡ること、棒渡しの方法が記載されていました。同様に下部を撮影していないのでブログを書く時点では不明となり、ちょっと、調べてみました。無賃で渡れる人は、相撲取り、大道芸人だったようです。詳しくは、こちらを参照で。
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こちらには、川会所の説明がありました。川会所は、川越賃銭の決定や徴収など川越業務の管理運営をしたことろとのことです。また、川札、台札とは川越しのために切符にあたるようです。
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川会所は、今となっては近所のお婆ちゃん達のサロンとなっているのでした。
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こちらが、川会所の全体像となります。写真左に小さく、お婆ちゃん達が写っています。
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こちらにも大井川川会所と案内がありました。

2017年12月10日 (日)

竜馬がゆく---第2巻

2 前回に引き続き、今回も司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく第2巻」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。

黒船の出現以来、猛然と湧き上ってきた勤王・攘夷の勢力と、巻き返しを図る幕府との抗争は次第に激化してきた。先進の薩摩、長州に遅れまいと、固陋な土佐藩でクーデターを起し、藩ぐるみ勤王化して天下へ押し出そうとする武市半平太のやり方に、限界を感じた坂本竜馬は、さらに大きな飛躍を求めて、ついに脱藩を決意した。

この本で気になった箇所を抜粋してみましょう。

「(武市)半平太は普通人ではないところは、学問の害も見抜いていた。せっかく型破りにうまれついた竜馬が、腐れ学問でただの人間になってしまうのは惜しい、とおもったのである」p169。

竜馬が武市半平太に対して発した言葉です。「むかしから理想好きはお前の性分じゃ。完全を望み、理想を追いすぎる。それを現実にしようと思うから、気があせる。無理な芝居を打たねばならんようになる。かならず崩れ去る」p308。

「讃岐男に阿波女、伊予の学者に、土佐の高値は鬼ざむらい(侍)」p315。四国では、このような気風があるのでしょうか?

「花は咲いてすぐ散る。その短さだけを恋というものだ。実れば、恋ではない、別なものになるだろう」p348。

さらに面白いのが、永福寺門前事件に関連してか、竜馬が土佐上士の闇討ちを受けることになります。襲ったのは後の板垣退助(この当時、乾退助)で、どうも密告したのが後の三菱財閥の総帥岩崎弥太郎なのです。当方が歴史の教科書で習った有名人が、江戸時代末期から関わっていたことを初めて知りました。

近所の散策2017---大雪過ぎ2

Imgp0953 今日12/10は青島太平洋マラソン大会の開催日となります。恐らく午前9時にフルマラソンがスタートすることでしょう。当方は午前5時半過ぎには起床して朝食を頂き、周囲が明るくなるのを待って午前7時頃から約6Kmのjoggingへ出かけて写真を撮影しています。当方のjogging courseにはマラソン大会無料臨時駐車場への案内板がありました。近くには案内の人も居ました。Imgp0951 当方の自宅は宮崎大学近くとなりますが、宮崎大学駐車場が大会の臨時無料駐車場となるのです。クルマを無料駐車場に停めたランナーを会場へ運ぶシャトルバスが運行されています。通常の日曜日の午前7時過ぎよりもこの辺りのクルマ通行量が多く感じます。無料臨時駐車場へ向かうクルマが多いのだと思います。シャトルバス内には多数のランナーが着席していました。Imgp0957 当方のjogging couse沿いには、こちらの花が開花していました。勿論、名称は不明です。Imgp0958 jogging終了後のいつもの公園です。綺麗な青空が出て晴天です。吐く息が白く、気温は低い印象です。マラソン大会としては絶好の天候となり本当に良かったと思います。当方も約10年前にはハーフマラソンに参加していますが、天候が非常に気になりました。

当方の自宅から市内へ向かう国道220号線はマラソン大会で使用され、交通が一時遮断されているはずです。今日は、自宅で大人しくしておく方が良さそうです。

2017年12月 9日 (土)

旅の思い出---信州への旅16

Dscf0187 2017年10月に有給休暇を取得して出掛けた信州への旅を回顧しています。10/14午後0時半前には上田市木町バス停付近に居ました。バス停付近には、こちらの案内もあるのでした。北国街道に関するものです。案内には、「真田幸村が上田城を築いた15年後の1598年に上田城下に北国街道が通り、参勤交代の大名や、佐渡金山の金の通路、善光寺参りの参道として賑わった」とあります。Dscf0189 バス停付近から北国街道を撮影したものです。現在では、石畳風に整備されているのでした。Dscf0190 さらにバス停付近には、「縁結び水掛け地蔵と水琴窟」もあるのでした。Dscf0193 案内には、「お地蔵さまが悩みを持つ人々を大きな慈悲の心で救い導く力を持っていること、ここに祀ったお地蔵さまは長い間地中で修業を続けたこと、お地蔵さまに水を掛けるとその身体を清めた水が地中に滴となって落ち、縁を結ぶ始まりとなること、その落ちた滴が水琴窟を鳴らすこと」等が記載されています。当方は既婚ですので、不倫騒動を記載する文春報(砲?)の餌食になることは避けたいので、お地蔵さまに水を掛けることは控えたのでした。Dscf0195 こちらは北国街道沿いにある酒屋さんです。岡崎商店さんというお店のようです。亀齢(きれい)というブランドの日本酒を醸造しているようです。店頭には、杉玉が掲げられ新酒ができたことが判ります。Dscf0197 こちらは、柳町屋さんとい甘味屋さんのようです。写真が小さくて恐縮ですが、二階の格子を見ると親付き切り子格子となっているのが判ります。Dscf0198 北国街道沿いには、こちらのポスターもありました。人工癌で有名な山極勝三郎は、北里柴三郎、森鴎外と灯台医学部で同僚であったことを示すものです。物理学者で湯川秀樹、朝永振一郎を育てた長岡半太郎とはドイツ留学先の下宿で同宿との記載もありました。

近所の散策2017---大雪過ぎ1

P1080540_2 今年は12/7が二十四節気の大雪だったようです。今朝も午前6時前には起床し朝食を頂き、高校時代の先輩に葉書を書き、周囲が明るくなるのを待って約6Kmのjoggingへ出かけています。そのjogging途中で上の写真を撮影しています。jogging道路沿いにある赤い椿が写真左から朝日を受けて綺麗に開花していたのでした。南国宮崎と言えども先週から冷え込むようになり、朝出勤時の外気温は0℃近くまで低下するようになりました。このため、腰の部分に懐炉を防寒目的で張って仕事に向かうようになりました。joggingの際にも帽子、手袋は必須のアイテムです。Imgp0939_2 さて、こちらは今朝の朝日新聞の記事となります。見出しは「JR九州在来線減便へ」とあります。記事の内容は、吉都線が1日11往復から8往復へ減便、観光列車はやとの風の毎日運行から週末のみ運行へ、宮崎鹿児島間の特急列車のワンマン化でした。原因はJR九州鉄道部門の赤字とのことです。かめかめさんが知れば落胆することでしょう。

今週末も連休となりました。特に予定はありません。読書をしたり、PCの前で過ごすことになりそうです。

2017年12月 8日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅51

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前9時頃には旧東海道島田宿大井川川会所付近に居ました。石碑には、「国指定史跡 島田宿大井川川越遺跡」とあります。川会所の家屋があるので入ってみました。
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会所の入口近くには、「年行事 川庄屋」とあります。「年行事」とはお相撲の行司さんのようなものでしょうか? 恐らく、こちらの人物が川会所を取り仕切っているのでしょう。
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川札の値段を示す案内もありました。「股通 48文(約1440円)」「帯下通 52文(約1580円)」「帯上通 68文(約2040円)」「乳通 78文(約2340円)」「脇通 94文(約2820円)」となるようです。
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こちらは、高貴な人が使用したと思われる「大高欄輦台だいこうらんれんだい)」とあります。
欄(てすり)が高く、屋根まで付属していますね。
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こちらは、「平輦台(ひられんだい)」とあります。欄(てすり)がありません。
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こちらは、「半高欄輦台」とあります。大高欄輦台に比し、屋根が省略され欄も低いようです。
 

2017年12月 7日 (木)

旅の思い出---信州への旅15

Dscf0178 2017年10月に有給休暇を取得して出掛けた信州への旅を回顧しています。10/14正午前には上田城、上田市立博物館の見学を終え上田市役所前まで戻っています。こちらが上田市役所となります。Dscf0179 市役所前の公園市役所前バス停から再度、まちなか循環バスに乗車し次なる目的地へ向かっています。Dscf0181 木町バス停で降車して柳町付近に、その面影が残る北国街道を見学しに来ました。乗車時間は約10分弱です。Dscf0182 バス停近くには、こちらの案内がありました。柳町の案内、見どころが記載されています。一部を拡大して撮影してみました。Dscf0184 「二階建て平入りの町屋が並びます。軒や屋根の行程さが少なく、整然と揃った美しさを感じさせます」とあります。Dscf0185 親付き切り子格子の説明では、「長いもの(親)と短いもの(子)があり、それぞれの本数も家によって異なっています」とあります。

2017年12月 6日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅50

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前10時頃には旧東海道島田宿大井川町並遺跡付近にいました。町並遺跡は、こちらの写真のように続くのでした。
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町並を進むとこちらの道標がありました。「関川庵 八百屋お七の恋人 吉三郎の墓」とあります。八百屋お七は有名ですが、恋人は知りませんでした。
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さらに町並を進みます。「札場」とあります。川越人足が得た川札を換金する場所のようです。
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こちらが札場の家屋となります。
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さらに進むと川会所となります。大きな松の木がある場所は堤となります。

2017年12月 5日 (火)

旅の思い出---信州への旅14

Dscf0168 2017年10月に有給休暇を取得して出掛けた信州への旅を回顧しています。10/14午前11時頃には上田城二の丸西虎口付近まで歩いて来ました。こちらの案内では、西虎口では櫓門の礎石跡が確認されたことから二の丸にも櫓門を建造する予定だったようですが、仙石忠政の病死により未完成に終わったことが記載されています。
Dscf0172 他にも案内がありました。二の丸の西出入口で上田城で裏門となること、上田城の背後を守る百間堀、捨堀、小泉曲輪があった場所とのことです。
Dscf0173 こちらが、百間堀に造成された野球場となります。広大な堀であったことが推測されますね。
Dscf0174 二の丸西虎口を見終わってから、大手門方向へ歩いています。すると、「本丸土塁の隅欠(すみおとし)」なる案内がありました。「上田城や藩主屋形の土塁、堀、城下の神社の配置等には鬼門除けが見られ---(略)、鬼門とは北東の方位で、鬼が出入りする方角として忌み嫌われ、建物唐の東北の角をなくして隅欠としたり、城下町の鬼門に寺社を置いたりした」とあります。Dscf0175 こちらが、本丸土塁の隅欠となります。土塁が凹んでいるのが判ります。Dscf0177 上田城を散策した後には、場内にある上田市立博物館を見学しています。館内は撮影禁止であったので写真はありません。
館内では、ウサギの耳にコールタールを塗擦し人工癌を作成した山際勝三郎さんの展示もありました。山際勝三郎さんが信州上田の出身であることを今回、初めて知りました。

ペットマト2---その14

Img_2122 職場窓側で栽培しているペットマト2プチトマトの今朝の状況です。本来の株が写真左で、挿し木をした分株が写真右となっています。Img_2123 本株の方には、プチトマトの実が3ケに増えています。先週からある最も大きなものは直径22mm程度、中程度のものは13mm程度、最も小さなものは8mm程度です。Img_2124_2 分株の方にも多数の花が開花しています。これらが全て実になるとすれば壮観となることでしょう。今後の成長が楽しみです。

2017年12月 4日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅49

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前9時前には旧東海道島田宿大井川付近にいました。こちらは大井川川越町並のイラストです。イラスト左には有名な標語が記載されています。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」 有名ですね。
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町並は、このようになっています。昔の風情がそのまま残されているようです。
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三番宿に入ってみました。入口近くに川越人足の人形がありました。この人形が大きかったのです。当方は身長173cmですが、見上げるほど大きく、体躯も太いのです。体が大きくなかったら勤まらなかったのでしょう。
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案内がありました。案内には、川越人足が詰めていた場所であること、人足は10組に分かれていたこと、連台が5丁あったこと、輪番で仕事にあたっていたこと等が記載されています。
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こちらが川越人足が詰めていた部屋のようです。6畳の和室でした。
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隣には、荷縄屋の建物がありました。荷縄屋とは、荷くづれした荷物を直したり、荷連台や馬に荷をくくりつけるときに使用する縄を主として用立てたところですと説明がありました。

2017年12月 3日 (日)

竜馬がゆく---第1巻

1今回は、こちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく第1巻」です。大昔にNHKの大河ドラマ(調べてみると1968年)で放映されており、両親が見ていたのを記憶しています。何となくbookoffをぶらついていたことろ、目に入ったので古本で購入してみました。本の帯には以下のようにあります。

「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ竜馬一人がやったことさ」と、勝海舟はいった。坂本竜馬は幕末維新史上の奇蹟といわれる。かれは土佐の郷士の次男坊にすぎず、しかも浪人の身でありながらこの大動乱期に卓抜した仕事をなしえた。竜馬の劇的な生涯を中心に、同じ時代をひたむきに生きた若者たちを描く長篇小説。
こちらの本を読むまで、竜馬と桂小五郎が剣の達人であることをすっかり忘れていました。若き日に、この二人は黒船騒動、剣の諸流試合で既に接点があったことも初めて知りました。末っ子で、姉(乙女)に育てられたことに起因するのでしょうか、その豪胆な気性の竜馬に憧れを抱きます。

オヤジのいたずら実験---その2

Imgp0912 10/21のオヤジのいたずら実験で自宅で植えたプチトマトが生長しています。約6週間が経過して全高7cm程度に大きくなりました。耕作面積が狭いので仕事場でしたように挿し木をすることにしました。少々、可哀想ですが仕事場で挿し木をしたものが順調に生長しているので、初回程、躊躇はありません。茎が曲がっている方を挿し木してみます。Imgp0923 挿し木をしたものが写真左となります。スポンジに十分に水を含ませています。通常、挿し木をした場合には植物の水分需要を抑制するために葉を半分程度に切るようですが、可哀想ですし、仕事場でも順調に生長したので十分、水分を供給することで対応していみます。元気に育つと良いのですが。

近所の散策2017---小雪過ぎ4

P1080537 こちらも週末のjogging中に見かけた植物です。ヤツデの花とその蕾だと思います。当方がjoggingをする道路沿いの土手にあったものです。昨年も同様に撮影したと思いますが、この時期になると、どうなっているのか観察しにいくようになりました。

さて、今朝も午前5時半過ぎには起床し、録画した知恵泉(新渡戸稲造編その1)を見返しながら、朝食を頂いています。6時半過ぎから約6Kmのjoggingへ出掛け、シャワー、がっちりマンデーを見て現在に至っています。昨日は、散髪、銀行振り込み、買い物等で時間が経過してしまいました。今日は、天候も曇天で自宅内で過ごすことになりそうです。アマゾンへ何か買い物でもしようかと思っています。

2017年12月 2日 (土)

旅の思い出---信州への旅13

Dscf0150 2017年10月に有給休暇を取得して出掛けた信州への旅を回顧しています。10/14午前10時過ぎには上田城内の真田神社付近に居ました。真田神社近くには「御神木真田杉由緒」なる案内がありました。案内には、「(略) かつて城址には老杉が林立しておりましたが、今は数本を残すのみとなりました。その内の1本が大風害により倒木の恐れがあり、伐採のやむなきにいたりました。年輪を数えましたところ、450年に及び、まさに築城当初より真田三代を始め、仙石、松平とこの城の栄枯盛衰を見て来た老木であることが判明いたしました」とあります。オヤジには、このような経緯がたまらないのです。
Dscf0151 こちらが、その伐採された真田杉の切株のようです。きちんと屋根があつらえてあるのでした。
Dscf0154 さらに、真田神社には兜松なる案内板がありました。文字す薄くて判読困難です。写真右には、「天文17年(1548年)上田原合戦の時、信玄公が真田幸隆とともに兜をかけたと云われている」とあります。しかし、実際、その松がどれなのかは不明なのでした。Dscf0155 真田神社の鳥居近くまで戻ってきました。鳥居右には神社の由来が記載されています。真田父子が主神、歴代藩主が祭神と記載されています。
Dscf0159 真田神社を出てから本丸付近を散策しています。本丸内には、戊辰役上田藩従軍紀念碑なるものもありました。江戸時代から明治時代への時間の経緯を彷彿とさせます。Dscf0160 現在地を示す略図がありました。写真が小さく判り辛いと思いますが、どうやら本丸の中心部にいるようです。Dscf0163 「虎口とは、場内への敵の侵入を防ぐために城の門に枡形を造って曲げるようにした出入り口のことです」とあり、「石垣の天端には、櫓門下層最前列の冠木と、最後列の敷桁を載せるため井の切り欠きが残っています」ともあります。小さいですが、写真左下の石垣の写真には、「本丸西虎口櫓門の礎石(写真下赤丸)と石垣天端の切り欠き(写真上赤丸)」と記載されています。

近所の散策2017---小雪過ぎ3

P1080535 こちらも今朝のjogging中に見かけた風景です。宮崎では珍しい紅葉した葉が落ちていました。その樹木の根元のみ赤くなっているのです。

さて、今朝も午前5時半過ぎには起床し、録画した知恵泉を見ながら朝食を頂いています。夜が明けて周囲が明るくなった午前7時頃から約6Kmのjoggingへ出かけています。平日は仕事が終了してからのjoggingとなり、今の時期となっては真っ暗で周囲の変化も気づきません。明るくなってからのjoggingで、季節の変化を目を通して実感できます。
今日は、これから散髪予定があります。近所の床屋さんでいつものように猫談義となることでしょう。

2017年12月 1日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅48

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午前8時半過ぎには静岡県島田市の旧東海道島田宿付近に居ました。島田宿の案内がありました。
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大井川川越遺跡を見に製紙工場沿いの道(写真左)方向へ進みます。典型的な旧街道への分岐点です。
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しばらく進むと「上段の間が現存する塚本家」とあります。案内には九州肥前大村藩が建てたこと、大村藩の関係者が川越する際に休憩したことが記載されています。
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こちらが、塚本家の全体像となります。古い家ですが、上段の間があるような格式高い家には見えないのです(失礼)。
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さらに大井川方向へ進むと木製案内標識がありました。「国指定 島田宿大井川 川越遺跡町並」とあります。
43094
こちらの道を進むと、その町並になるようです。進んでみましょう。

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