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2018年5月

2018年5月31日 (木)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅139

Dscf3827_2 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前11時過ぎにはJR東海道本線浜松駅付近の旧東海道に居ました。真っすぐ行くのが、旧東海道なのですが、こちらの交差点を左折しアクトシティの外観を見に行くことにします。Dscf3828_2 アクトシティには、ホテルオークラ、コンベンションセンター、ブラジル大使館、展示イベントホールがあるようです。ハーモニカ型をした巨大ビルなのでした。今となっては浜松のシンボル的建物となります。さて、旧東海道へ戻ります。Dscf3830_2 写真赤いボタンの場所が現在地となります。旧東海道となる旧国道1号線は現在では、国道152号線と名称を変えているようです。真っすぐ行くと遠州鉄道の高架下を通ることになります。Dscf3831_2 遠州鉄道の高架下を通過すると、浜松城右折0.9Kmとの案内がありました。今回の予定行程も大詰めです。今回は、浜松城にはいかず浜松駅に向かいます。Dscf3833 国道257号線の案内があります。旧東海道は舞阪方面となるのです。Dscf3834 こちらが、連尺交差点となります。国道152号線は交差点を右折するようになっています。今回は、この交差点で左折し国道257線を歩きます。Dscf3836 交差点を左折すると直ぐに、例の旧東海道の道標がありました。浜松市浜松宿とあります。

2018年5月30日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅138

Dscf3820 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前11時前には浜松市東区の旧東海道付近に居ました。琵琶橋を渡り、浜松駅方向へ向かいます。Dscf3821 琵琶橋から、北方向を撮影したものです。橋自体は、それほど大きな橋梁ではありません。Dscf3822 さらに20分程度、歩行すると、こちらの標識がありました。浜松楽器博物館まで0.7Kmとあります。かなり今回の最終地点まで近づきました。Dscf3824 馬込橋を渡り、JR浜松駅方面へ向かいます。Dscf3825 橋の上から南方向を撮影したものです。東海道新幹線、本線の架線が見えます。Dscf3826 浜松のシンボル的建物のアクトシティが見えてきました。勿論、この時点では名称は知りませんでした。非常に立派な高層ビルなのです。

中部国際空港

中部国際空港
先ほど、中部国際空港に到着しました。10時45分発ANA345便で宮崎へ帰ります。中部地方は朝から小雨が降っています。結果的には当方が滞在した5日間には降水はなくラッキーでした。早く到着したので搭乗待合室には誰もいません。

2018年5月29日 (火)

宮の渡し公園

宮の渡し公園
宮の渡し公園
先ほど16時前に今回の目的地である宮の渡し公園に到着しました。

名鉄富士松駅

名鉄富士松駅
先ほど、名鉄富士松駅を通過しました。トイレ休憩です。国道1号と交差する地点で道を間違えましたが、概ね順調です。

第6次旧東海道徒歩の旅---行程その5

01_2 第5次旧東海道徒歩の旅5日目は、宮宿(熱田宿)から旧国道1号線を徒歩し近鉄名古屋線富吉駅までを予定しています。

本来、この間は旧東海道では「七里の渡し」で海路となっていました。現在では勿論、陸地となっており海路での移動は不可です。旧東海道を完全歩行を目標にしていますので、国道1号線沿いに桑名宿を目指そうと思います。中途落伍した場合には、鉄道を利用するかもしれません。 

名鉄知立駅

名鉄知立駅
昨日、到着した名鉄知立駅を出発します。明日は移動のみなので、今日が徒歩最終日となります。熱田神宮へ移動します。

今回のホテル2

今回のホテル2
昨日からブログが不調です。写真が添付出来ません。テスト送信です。

2018年5月28日 (月)

知立駅

先ほど、知立駅に到着しました。今日の行程を終了します。岡崎宿で時間を要しました。約30Kmの歩行でした。

第6次旧東海道徒歩の旅---行程その4

01

第6次旧東海道徒歩の旅4日目は、岡崎宿から宮宿(熱田宿)までを予定しています。この間は30Kmとなります。 旧街道Waling人力では、この間の徒歩移動に12時間20分を要するように記載されています。一方、新規に発見したルートラボでは6時間半程度で徒歩移動可能と記載されています。ルートラボでは勾配の記載もあり重宝しています。この間、殆ど勾配もなく30Kmですが7-8時間程度で移動できるかと思っています。場合によっては鳴海宿で歩を止めるかもしれません。

藤川駅

藤川駅
昨日、到着した藤川駅を出発します。予定を変更して、今日、明日で熱田神宮までの予定とします。

2018年5月27日 (日)

藤川駅

藤川駅
藤川駅
タイムアップで今日の行程を終了します。

第6次旧東海道徒歩の旅---行程その3

01_3

第6次旧東海道徒歩の旅3日目は、吉田宿(豊橋)から岡崎宿までを予定しています。この間は27.3Kmとなります。旧街道Walking人力では13時間以上を要するように記載されています。あまり山間部もないような印象ですが、どうなのでしょう。まあ、行程通りに進行しなくっても誰からも咎められることはないのです。

豊橋駅

豊橋駅
昨日、到着した豊橋駅を出発します。

2018年5月26日 (土)

豊橋駅

豊橋駅
先ほど、豊橋駅に到着しました。今日は33Km程度、歩きました。疲れた。

新居関所

新居関所
新居関所
先ほど、箱根に並ぶ二大関所である新居関所を通過しました。

第6次旧東海道徒歩の旅---行程その2

01_2

第6次旧東海道徒歩の旅の二日目は、舞阪宿から吉田宿(豊橋)までを予定しています。勿論、今切の渡しは、現在はないはずなので、国道301号線を徒歩することになりそうです。舞阪宿から吉田宿までは24.2Kmですが、旧街道Walking人力では10時間20分を要することになっています。二川宿を過ぎれば近くに鉄道があるようなので、落伍しても大丈夫だと思います。

今回、チョット、調査してみました。白須賀宿南にある潮見坂付近から結構な登坂となるようです。行程二日目の難所となりそうです。潮見坂から晴れていれば太平洋が綺麗に見えるかもしれません。

舞阪駅北口

舞阪駅北口
昨日、到着した舞阪駅から出発します。駅北口を見て来ました。

2018年5月25日 (金)

舞阪駅

舞阪駅
舞阪駅
舞阪駅に到着しました。今日の行程を終了します。

浜松出発

浜松出発
高速バスの到着が約20分遅延しました。ホテルに荷物を置き浜松を出発します。写真は新浜松駅です。

第6次旧東海道徒歩の旅---行程その1

01
今年も旧東海道徒歩の旅を実施する頃合いとなりました。別に本来、歩く必要性、必然性は全くないのです。ただ、乗りかかった舟のようなものなので京三条を目指すことにします。
初日は空路宮崎から中部国際空港へ飛び、その後、鉄道または高速バスで昨年の到着地点である浜松まで移動することになります。5/25昼過ぎに浜松宿から歩き始め、舞阪宿あるいはその先の新居宿までを予定しています。浜松舞阪間は、旧街道Walking人力によれば11.1Kmで4.5時間を要するようです。通常、11Kmを歩くのは3時間程度で行けるはずなのですが、何か悪路でもあるのでしょうか?
と以上の記事を記載していたのですが、2018年4月13日からの会議で京都へ赴くことがあり、その際に第5次旧東海道徒歩の旅を2日間のみ実施したので、今回が第6次となりました。

中部国際空港へ

中部国際空港へ
さて、今日から有給休暇を取り旧東海道徒歩の旅を再開します。とりあえず中部国際空港まで飛び、浜松へ移動します。月曜日の天候が気がかりです。9時発のANA便に搭乗します。

2018年5月24日 (木)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅137

Dscf3813 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前10時過ぎには浜松市東区JR天竜川駅付近の旧東海道に居ました。何やら立派な建物が見えてきました。Dscf3814浜松アリーナ」とあります。体育館のようです。Dscf3815 浜松アリーナに近づき、敷地内を少々、散策してみました。東海道五十三次浜松の浮世絵がありましたが、なかり、表面のカバーが劣化しているのでした。02 こちらが、高校同級生に頂戴した浜松の浮世絵となります。非常に長閑な風景ですね。Dscf3816 約10分程度、浜松方面へ歩くと、例の旧東海道の道標がありました。「浜松市植松原」とあります。かなり劣化しているのですが、浜松まで17町とあるようです。Dscf3817 記憶が不確かですが、こちらの地下道を通って国道1号線を横切ったのでしょう。Dscf3818 地下道の名称は、子安地下道とあります。あと1時間弱の歩行で、今回の目的地である浜松まで到着することになります。

2018年5月23日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅136

Dscf3806 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前10時前には浜松市東区のJR天竜川駅付近の旧東海道に居ました。歩いて来た方向を振り返って撮影しています。現在の国道1号線と旧東海道が交差している場所となります。Dscf3807 この付近から東海道の松並木が残っています。案内板には、「旧萱場村から植松村まで、東海道筋のうち町屋が並ぶ場所以外には、松並木が整備された」とあります。Dscf3808 確かに、このような松並木が残存しているのでした。Dscf3809 少々、歩いた場所には立場跡の案内もありました。以前は、「藤棚があり旅人を楽しませた」とあります。Dscf3811 現在地(中央黄色)を示す地図がありました。当方は、地図左下から右上方向へ歩いていることになります。左折すると天竜川駅があるようです。Dscf3812 東海道案内板には、やはり、「江戸と京のどまんなか」という記載があります。袋井宿にも、同様のうたい文言がありましたね。浜松市は、現在、静岡県で最も人口が多く、平成19年4月に政令指定都市へ移行されたようです。

2018年5月22日 (火)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅135

Dscf3797_2 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前9時半過ぎには浜松市東区中野町付近に居ました。東海道松並木跡の案内板には、「中野町村の松並木の延長は北側100間、南測40間」とあります。Dscf3798_2こちらの案内板があった付近は、こちらの写真のように、今となっては松並木は見ることができません。 Dscf3800_2 さらに、中野町内には、「金原明善翁生家」なる石碑もあったのです。彼は、明治時代のこの付近の実業家で、治水工事に貢献したようです。Dscf3801_2 こちらが、金原明善翁の生家となります。非常に敷地面積の広い、純和風の建物だったのです。Dscf3802 本坂通(姫街道)安間起点なる案内もありました。ここは、江戸から64番目の東海道安間一里塚が両脇にあったようです。この一里塚は本坂通(姫街道)の一里塚も兼ねていたようですが、現存しないとも記載されています。Dscf3803 こちらが、おそらく姫街道を撮影したものだと思います。今となっては、思い出せません。Dscf3804 この付近では、ご丁寧なことに、当方のように東海道を歩く旅人に向け、写真のような案内があるのでした。非常に助かります。

2018年5月21日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅134

Dscf3789_2 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前9時半過ぎには浜松市東区中野町付近に居ました。「石垣清一郎生家」なる案内板がありました。彼は、「与謝野晶子が主宰する新詩社明星に参加した浪漫派歌人で」との記載があります。案内後半には、「嵐山光三郎は昭和17年、中野町の石垣家に生まれ、清一郎より文学の薫陶を受けた」との記載もあります。「最近、嵐山光三郎氏はテレビで拝見しないな」なんて思いながら、案内を読むのでした。Dscf3790 こちらが、その生家のようです。内科の開業医さんのようです。Dscf3791 さらに、少々、西方向へ歩くと、かやんば高札場跡の立て板がありました。「かやんば」とは、この付近の地名のようです。Dscf3792 すぐ近くには、松林禅寺の案内があります。案内板には、「境内の薬師堂は、徳川家光が浜松城主に命じて建立させたものと伝えられている」との記載があります。すでに約400年が経過していることとなります。Dscf3794 こちらは、同境内にあったものです。先の案内にあったように、航空兵顕彰碑でしょうか。Dscf3795同境内には、こちらの案内もありました。延命地蔵尊、子育地蔵尊と記載されていることのみが判読可能です。Dscf3796 こちらが、その延命地蔵尊、子育地蔵尊なのです。

2018年5月20日 (日)

仮想日本縦断鉄道の旅---その29

20180502

2018年4月1日から4月30日までjoggingで82Km走っています。今回の仮想乗車区間は、JR奥羽本線川部駅から津軽線津軽浜名駅まで乗車したことと仮定します。この間は約84Km、合計20駅で通常各駅停車で139分(乗車時間も110分)で走行するようです。料金は1490円だそうです。残のうち2Kmを使用します。残は33Kmとなります。 前回の条件で旅行したとすると川部駅10:00発、津軽浜名駅12:19分着となります。

この区間で知っている地名は青森程度です。勿論、青森県の県庁所在地程度の知識しかありません。津軽線は北海道新幹線と一部並走するように施設されているようです。勿論、北海道新幹線も乗車したことはありません。一度、冬の北海道新幹線に乗車してみたいものです。

近所の散策2018---立夏過ぎ2

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こちらは近所のお宅に成っていた梅の実だと思います。青々としています。
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こちらは違うお宅にあったビワの実だと思います。
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こちらは、椿の実のような感じです。
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このようなネギ坊主のような花がありました。名称は不明です。
追記、妻から名称を教えてもらいました。アリウムだそうです。
さて、今朝も午前5時半過ぎには起床し約6Kmのjoggingへ出かけています。その際に見かけた植物を日が昇った先ほど撮影して来ました。カメラを持ち出したのですが、電池を挿入するのを忘れ自転車で引き返しています。午前6時前は気温も低く、半袖短パンでは少々、肌寒いくらいでしたが、午前8時すぎからは日差しも強くなって来ました。気温が上昇しそうです。昨日は結構、雑用をこなすことが出来ました。今日はどのように過ごしましょうか?

2018年5月19日 (土)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅133

Dscf3782 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前9時半前には浜松市東区中野町付近にいました。旧東海道には、こちらの案内板がありました。天竜川橋紀功碑と記載され、架橋した浅野茂平を称える石碑であることが記載されていました。

 Dscf3783 こちらが、その石碑の全体像となります。非常に大きなものであることが判ります。詳しくは、こちらをご参照で。Dscf3784 さらに、近くには「伊豆石の蔵」なる案内板がありました。天竜川流域は、江戸時代より船運を利用した交易で伊豆や江戸と繋がっていたこと、伊豆で採れた石は、火に強い建築材料として、蔵や塀に使われたこと等が記載されています。Dscf3785 こちらが、その伊豆石の蔵となります。非常に重厚感のある立派な蔵でした。Dscf3786 さらに少々、浜松方向へ歩くと、「東橋」とあります。Dscf3787_2 下の案内板には、かつてここには土橋が架かっていたこと、中野長村では一番東の橋であること、明治後期から中野町は天竜川の船運による木材集積地として栄えたこと、堤防沿いに19軒の製材所が立っていたこと、この東橋が中野町繁華街への入り口であったこと等が記載されています。

稲の定点観測2018---その9

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毎週末記録している宮崎平野の早期水稲の定点地点です。いつもの山の上には厚い雲が掛かっています。空気は冷ややかで、少々、風も吹き半袖短パンのjoggingで丁度良いのですが、湿った空気でベトベトする印象があります。
P1080609  
稲の方は、青々と生長しているのでした。田圃には殆ど水はありませんでした。
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こちらは、jogging中に見かけた花です。筒状になった紫色の花でした。勝手に「ジギタリスの花」かななんて思いながら撮影していました。
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近所のお宅にはチロリアンハットが多数、その花を咲かせているのでした。
今朝も午前5:30分頃には起床しています。外を見ると曇天状態でした。道路は濡れています。天気予報では九州地方では唯一の晴れが宮崎県でしたが。天気が崩れることを懸念して、さっさと約3Kmのjoggingへ出掛けました。花の状態を見ると、雨が上がった後のようにも思えます。その後、シャワー、朝食を取り、1階の清掃をしながらNHK「チコちゃんに叱られる」を見ていました。
現在も空は曇天でハッキリしない天候です。今週末も、いつもの週末と同様な過ごし方になろうかと思います。そうそう、妻が不要なオーデコランを台所流しに廃棄しました。その臭いが凄いのです。床屋さん状態です。台所には近寄らないようにします。

2018年5月18日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅132

Dscf3774 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前9時半前には静岡県浜松市東区中野町の天竜川河畔に居ました。こちらにも中野町の案内がありました。東海道膝栗毛にも、ここから江戸へも60里、京都へも60里と記載されていることが書かれていました。Dscf3775 案内板付近は現在となっては細い道路で、東海道を示す道標もあったのです。Dscf3778 道標の近くには六所神社があります。Dscf3779 舟橋、木橋跡の案内がありました。それによると、明治元年天皇御東幸の際に舟橋が架けられたこと、明治9年に木橋に架け替えられたこと等が記載されています。この木橋は昭和8年の鉄橋が完成するまで使用されたようです。Dscf3780 さて、天竜川堤防沿いの散策を終え、浜松方向へ進みます。すると、すぐに「餃子の店かめ」なる看板がありました。当方も、「かめ」には敏感に反応してしまうのです。Dscf3781 西方向へ進むと直ぐに、こちらの案内がありました。中野町銀行跡とあります。交通、物流の要衝であった中野町には明治17年に銀行が設立されたようです。その後、吸収合併を経て、現在の静岡銀行となったようです。

2018年5月17日 (木)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅131

Dscf3763 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前9時過ぎには静岡県浜松市東区中野町の天竜川防波堤付近に居ました。樹木に進むべき道順を示す矢印がありました。優しい心遣いに感謝です。Dscf3764 こちらのように堤防を階段を使用して下っていくのでした。Dscf3765 すると直ぐに横町通りに関する案内がありました。江戸時代には東海道と渡船場を結ぶ往還として多数の旅人が往来したようです。筏師、船頭、小料理屋、銭湯、床屋、魚屋で賑わっていたようです。天竜川上流に鉱山があったことを今回初めて知りました。Dscf3766 横町には、このような案内もあり行ってみることにしました。Dscf3770 だた、こちらのような階段を登らなくてはなりません。天候も良すぎて気温が高く、少々、気合を入れて登坂したことを覚えています。Dscf3771 展望の道路沿いには、こちらのような石碑がありました。Dscf3773 案内には明治天皇が明治11年11月、北陸東海御巡幸の際に休憩されたことが記載されています。

2018年5月16日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅130

02 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。こちらが、先ほど渡ってきた天竜川の江戸時代の様子となります。勿論、橋は掛かってなく、渡船にて渡っていました。何だかこちらの方が風情があって良いようです。Dscf3753 さて、5/30午前9時過ぎには静岡県浜松市中野町付近の天竜川河畔にいました。新天竜川橋を渡ると公園のようなものが見えて来ました。Dscf3754 近づくと東海道案内とあります。た。Dscf3755 現在地を確認しましょう。天竜川河畔の堤防にいるようです。Dscf3756 現在地を示す地図の下には案内が記載されてます。要約すると、この付近は東海道と天竜形が交差する交通の要衝であったこと、中野町の由来としては江戸と京との中間に位置したこと、この先、西方向に新居関所があること、天竜川の水運により製材業が発達していたこと等の記載があります。そういえば、新居関所は箱根関所に並ぶ関所であったことが、長英逃亡という本にありました。Dscf3757 さらに旧東海道を歩く旅人用の周辺案内もありました。こちらの案内に従って進むことにします。Dscf3762 こちらの大きな案内板には、昭和初期の堤防沿いの製材工場の写真もあったのでした。同時は、製材業でこの付近は繁盛していたのでしょう。往時が偲ばれます。

2018年5月15日 (火)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅129

Dscf3745 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前9時前には静岡県天竜川付近に居ました。こちらは、天竜川橋となります。歩道がなく、人が通行することは不可のようです。この時点では、非常に不安を感じた記憶があります。何やら道が続いているので、そちらの方向へ行ってみました。Dscf3746 こちらの道をトボトボと歩いて行きました。すると、新天竜川橋に到達するのでした。Dscf3747 新天竜川橋には、きちんと歩道が整備されています。Dscf3748 新天竜川橋から天竜川橋を撮影しています。天竜川の水がとっても綺麗でした。Dscf3750 川の中では、釣りを楽しむ人がいました。これ以上、zoomできなかったので釣り人は小さく、写っています。Dscf3751 新天竜川橋から遠く、浜松方面を撮影したものです。写真中央に浜松駅前にある高層ビルを見ることができました。あとからこちらは、ハーモニカの形状をしたアクトシティ浜松であることを知りました。Dscf3752 新天竜川橋を渡りきる付近で、こちらの案内がありました。原付は、こちらで流出するようにあります。この「流出」という言葉が言い得て妙と思い撮影しています。

2018年5月14日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅128

Dscf3737_3 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前9時前には静岡県磐田市豊田町付近に居ました。例の旧東海道の道標がありました。道標には豊田町長森立場とあります。Dscf3738 その横には、長森立場と長森かうやくの案内がありました。立場とは、江戸時代では宿場と宿場の間に存在した休憩所であること、明治時代以降では人力車や馬車の発着場になったこと等が記載されています。また、長森かうやくは、江戸時代の前期万治年間(1658-1660)から、山田与左衛門が作り始めたあかぎれや切り傷に抜群の効果があった塗り薬との記載もありました。Dscf3739 長森を過ぎ、天竜川沿いを北上しています。すると、こちらの案内がありました。天竜橋跡とあります。案内には、明治6(1874)年に船橋が、明治9(年には木橋が架けられたことにより利便性が向上したことが記載され、橋の全長は1163m、全幅は3.6mであり、長い間、「はしぜに」が徴取されていたようです。木橋の位置を留めるために、この記念碑が建立されたようです。Dscf3740 こちらが、その石碑で、天竜橋跡と刻印されています。Dscf3742 天竜橋東の交差点まで北上して来ました。江戸時代では、この交差点より北に渡船場があったようですが、勿論、現在ではありません。橋を渡ることにします。Dscf3743 橋の方向へ向かうと、天竜川治水祈念公園なるプレートがありました。昭和40年に祈念碑が建立され、公園が整備されたようですが、平成14年国道1号線新天竜川橋の架橋に伴い、その姿を消したことが記載されています。Dscf3744 こちらには、このようなモニュメントがあるのでした。

2018年5月13日 (日)

悲素---上巻

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今回は、こちらの本を選択しています。帚木蓬生氏の「悲素」です。本の帯には以下のように紹介されています。
一九九八年、和歌山市内の夏祭りでカレーを食べた住民六十名以上が中毒症状を呈し、四名が死亡した。県警から、毒物中毒の第一人者である沢井直尚九州大学医学部教授のもとに、協力要請が入る。現地入りした沢井は、事件の深刻さを前に誓う─本物の医学の力で犯罪をあぶりだすと。被害者たちの診察と診療録の解析の果てに浮上する、小林真由美の保険金詐取疑惑と過去の事件、戦慄の闇。

先日、本屋さんを散策している時に偶然、こちらの本を発見しました。帚木蓬生氏の本は今までにも読書したことがあり、「水神」がお好みの小説となっていたのでした。そこで、こちらの本を購入しました。我々の年代の人間では経験したことがある和歌山カレー事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件に関しての記載があります。その記載が非常に詳細で正確なのです。上巻は3日程で一気に読書してしまいました。それどほ、良く出来ています。

近所の散策2018---立夏過ぎ1

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久々の近所の散策シリーズです。といっても誰も期待はしていないことでしょう。今朝は朝から天候がすっきりしません。午前5時過ぎには起床しましたが、外は雨でした。読書をしながら妻が起床するのを待ち、朝食を頂いてきます。妻が日帰りで博多へ出張すべく午前6:40分頃には出発して行きました。午前7時前に、こちらの写真を撮影しています。ゆりの花弁には雨粒が付着しています。
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同様に、その葉にも水滴が付着しているのです。この後、自室に.て読書をしていると午前8時過ぎから日差しが急に強くなって来たのです。外を見ると何と太陽が出ています。本日は諦めていたjoggingへ出掛けています。日差しが強く、湿度も高いので半袖短パン姿でのjoggingです。約6Kmを走ると汗びっしょりとなりました。9時半前にはシャワーを終えたのですが、その後から又、天候が悪化してきました。纏まった雨はないのですが、小雨が降っています。あの時間帯にjoggingが出来てhappyでした。
jogging後は、自室の片付け、旅行用の鞄内の整理などして過ごしています。

2018年5月12日 (土)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅127

Dscf3728 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前8時過ぎには静岡県磐田市宮の一色を通過しています。この付近に遠州鉄道の同名のバス停がありましたが、こちらの道標を優先しています。この付近にのみ、「東海道と歴史の道」なる道標があるのでした。Dscf3729 交差点の信号には森下南なる名称がありました。この付近の町の名なのでしょう。Dscf3731 この付近では旧東海道は、このような国道1号線の裏道となっているのです。Dscf3732 またもや、東海道と歴史の道の道標がありました。今回のものは案内板も付随しているのでした。オヤジとしては、勿論、自然に見入ってしまうのです。Dscf3733 案内には森下から一言坂付近までの約3Kmを磐田市は東海道と歴史の道と定めていることが記載され、案内の下には、この付近の名勝が紹介されているのです。若宮八幡宮は、各村にあった28の神社を合祀して建てられたこと、西之島学校は明治5年の学制施行とともに発足したこと、宮之一色秋葉燈籠、旧蹟提燈野(ちょうちんの)の石碑に関する記載もありました。Dscf3735 浜松方向へ歩くと直ぐに若宮八幡宮があるのでした。Dscf3736 こちらが、若宮八幡宮の表参道で、鳥居と本殿が街道沿いから見ることができました。

稲の定点観測2018---その8

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毎週末に記録している宮崎平野早期水稲の定点観測地点です。こちらは本日午前7時ころのいつもの山です。山の上には線状の雲があるようですが、他には雲はありません。綺麗な青空があるのみです。少々、風もあって気持ちが良いのです。
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稲の方は、やや生長している印象があります。本日は田圃に水の注入はないのでした。天気もよく稲の方も気持ちよさそうです。
Imgp1420 
こちらは、jogging course沿いにある土手にあったきつねのあざみです。こちらの土手にきつねのあざみが群生しているのでした。ほぼ雑草なので群生という表現は不適切かもしれません。
Imgp1426 
こちらも以前、撮影したことのある植物です。学生アパート駐車場脇にあったものです。奇妙な形の花が開花していたので撮影しました。
さて、今朝は少々、朝寝坊をして午前7時前に起床しています。それから約3Kmのjoggingへ出掛け、シャワー、洗濯、朝食、1階の清掃をして現在に至っています。
先週は関西方面へ遊びにいっていたので、今週からは少々、腰を落ち着けて生活しようかと思っています。今日は天気も良く、雑用が捗ることでしょう。

2018年5月11日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅126

Dscf3719 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。 5/30午前7時半過ぎには静岡県磐田市中泉付近に居ました。こちらが、その中泉交流センターの全容となります。センター前の旧街道を西方向へ進みます。Dscf3720 JR磐田駅から離れるにつれ、旧街道はややその幅が狭くなって来た印象です。Dscf3721 しばらく歩くと、大乗院坂界隈なる案内がありました。この付近に大乗院があったことから、この旧東海道の坂を大乗院坂というようです。また、中泉駅のホームは、この地で製造された赤煉瓦を使用して築造され、この辺りを磐田の煉瓦発生の地であることも記載されています。Dscf3722 こちらの祠は、大乗院の説明文にあった地蔵菩薩像、阿弥陀如来像を祀ったものなのか、次のくろん坊様なのかが判然としません。どちらなのでしょう。金網もあり、よく判りません。Dscf3723 大乗院坂の説明文の横には、こちらの案内もありました。くろん坊様とあります。説明文には、咳や熱病の神様とされ、インド人の旅僧を葬ったものとの記載があります。こちらの名称は、蔑称なのか敬称なのか良く判らないものだと思ったのを記憶しています。Dscf3724 10分程度、西方向へ歩くと旧東海道には、この写真のように少々、松並木が残存しているのでした。Dscf3725さらに少々、浜松方向へ歩くと、この付近で良く見かける常夜燈らしきものが見えてきました。Dscf3726 案内には宮之一色秋葉山常夜燈との記載があります。1828年に建てられ、竜の彫り物があるので竜燈と呼ばれる燈籠の中でも貴重なもののようです。

2018年5月10日 (木)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅125

Dscf3709 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前7時半過ぎにはJR磐田駅前に居ました。JR磐田駅前の自動販売機にもジュピロ磐田の名称が描かれています。Dscf3710 駅前の地図を見てみると、ヤマハ発動機本社、ヤマハスタジアム、ヤマハコミュニケーションプラザの名称(写真中央下)があり、磐田市がヤハマの企業城下町であることが伺えます。Dscf3712 駅前広場から北方向へ歩き、こちらの店舗を西方向へ左折することで旧東海道となります。この付近では、道を間違いそうであったので、予め左折箇所を前夜にネットで確認していたのです。Dscf3713 店舗前から西方向の旧東海道を撮影したものです。さて、本日の行程を開始しましょう。Dscf3716 歩くこと10分程度で、中泉交流センター前に、こちらの案内板がありました。江戸時代のこの付近を描いたものです。今回、ブログを記載するに当り写真を拡大して確認してみましたが、この付近には民家、寺社のみの記載のようです。

Dscf3717 大正時代の中泉の地図には、東海道線、中泉軌道の中泉駅、宮崎中泉製糸所、尋常高等小学校の記載があります。大正時代には既に東海道線が開通していたようです。Dscf3718 こちらが、中泉交流センター前にある例の旧東海道を示す道標となります。かなり劣化しています。磐田市中泉とあります。

2018年5月 9日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅124

Dscf3701 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/30午前6時過ぎにはJR静岡駅へ向かった歩いていました。静岡駅周囲には近代的なビルが建っているのでした。写真右は当方には無関係な高級なホテルアソシア静岡で、写真正面がエクセルワード静岡ビルとなります。何だかこちらのビルはMicrosoft社の関連ビルのような名称だと感じていました。Dscf3703_2 静岡駅6:22分発の普通列車に乗車し昨日の到達地点の磐田駅まで向かう予定としています。 Dscf3704 ホテルでの無料朝食にも飽きたので駅のホームで朝食を頂戴しています。本日の行程は磐田から浜松までで、歩行距離としては昨日よりもやや短距離ではあるものの、やはりエネルギー補給目的で炭水化物を多めに摂取しています。Dscf3705 こちらが乗車した普通列車となります。この列車には酔客が乗車しており、駅員がその対応をすることで出発が約7分遅れています。Dscf3706 約1時間の乗車でJR磐田駅に到着しています。Dscf3707 JR磐田駅にはジュピロ磐田のシンボルマークがあるのでした。Dscf3708 駅前広場では、大クスが当方を迎えてくれました。晴天で大クスも気持ちよさそうです。

2018年5月 8日 (火)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅123

Dscf3691 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/29午後3時過ぎにはJR磐田駅に向かって歩いていました。駅前通りの歩道には、ジュビロ磐田のサッカー選手の足型のプレートがありました。こちらは名波浩選手の足型です。当方はサッカーにも全く疎いのですが、こちらの選手の名前は聞いたことがあります。Dscf3692 現在地を示す案内板がありました。磐田駅の直ぐ近くまで来ているようです。Dscf3694 JR磐田駅の駅舎が見えてきました。Dscf3695 駅前広場には、善導寺の大クスとの案内板がありました。案内板には樹齢700年とあります。江戸時代はじめにも、この樹木が存在していることになります。こちらの樹木は、多くの旅人が通過するのを見ていたことでしょう。

Dscf3698 こちらが、その大クスとなります。かなりの大きさであることが判りますね。Dscf3699 JR磐田駅に到着後、恐らく15:22分の熱海行の普通電車に乗車し、ベースキャンプである静岡駅へ戻っています。

2018年5月 7日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅122

Dscf3677 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/29午後3時前には旧東海道見付宿からJR磐田駅に向かって歩いていました。加茂川橋を渡り磐田駅方面へ向かっていると、電動バイクを多数、見かけました。多数といっても2台なのですが、やはり、この付近はヤマハ発動機の本拠地であることを感じています。Dscf3678 日限地蔵尊奉安所の前を通過しています。こちらの意味は知る由もありません。Dscf3679 この付近には見付宿の西木戸のモニュメントがありました。

Dscf3681 さらに街道沿いには、ややピンボケですが、こぶしの花のような白い花も開花していました。Dscf3686 「文化財の道しるべ」なる案内板がありました。遠州国分寺跡の案内です。Dscf3687 案内には、「奈良時代の中泉と見付には、遠江国府や国分寺、国分尼寺、大宝院廃寺などが置かれました」とあります。そういえば、小学校の頃、聖武天皇が全国に国分寺建立を指示したことを習ったことを思い出しながら、この看板の前を通過するのでした。

2018年5月 6日 (日)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅121

Dscf3671 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/29午後2時半過ぎには旧東海道見付(静岡県磐田市)宿の西の梅塚付近に居ました。旧街道沿いの公園風の場所に西の梅塚と記載があります。Dscf3670 こちらが、その全体像となります。梅の木が植樹されているのでしょうか。梅塚に関してはこちらを御参照で。当方はリンク先を読んでもよくは理解できませんでした。Dscf3672 5/29の行程は、こちらの見付宿までとすることにして道路を左折して磐田駅方向へ向かうことにします。この1.7Kmが結構、長く感じられた記憶が残っています。

Dscf3673 こちらが左折した交差点です。写真右上方向へ向かう小さな道が姫街道となります。良い名称です。オヤジにはフラフラと行ってしまいそうな名前ですね。

Dscf3674 こちらが、姫街道となります。Dscf3675_2 姫街道入口にはこのような看板あるのでした。三州御油宿まで繋がるようです。

稲の定点観測2018---その7

Imgp1411

毎週末に観測している宮崎平野の早期水稲定点観測地点です。いつもの山の上には雲が乗っかっています。午前6時過ぎに撮影していますが、空気もやや冷え込んでいて少々、肌寒く感じます。
Imgp1414
稲の方は、茎というののでしょうか、ややその太さを増している印象があります。田圃に水が注入されていることはありません。
Imgp1417
こちらはjogging中に見かけた花です。勿論、名称は知りません。ちょっと綺麗だったので、撮影してみました。絞り優先でやや絞っての撮影です。
さて、昨日は16:00頃には京都駅付近に居ました。大阪空港行きの高速バス乗り場には行列があったのですが、2台目のバスには乗車できそうなので待機することにしました。荷物があったからです。臨時バスに乗車することができ結局、16:35分頃には京都駅八条口を出発しています。17:40分頃には大阪空港に到着し、19:50分発のANA機の搭乗しています。この飛行機がいかんかったです。後ろの座席にいた若い3人組の女性が搭乗中の1時間、ずーっと大きな声で喋り続けていたのです。近くにいた他の老夫婦(当方も老夫婦ですが)も呆れ顔でした。電車内ではあまり大きな声で喋る人はいないのに、何故、飛行機内では喋るのでしょうか?エンジン音が大きいからでしょうか?
折角の読書時間が邪魔されました。
さて、本日も午前6時頃には起床し、約3kmのjoggingへ出掛け、7:30分からは朝食を取りながら「がっちりマンデー」を見ています。大型連休中に大分方面や関西方面へ出向いていたので曜日の感覚が消失しています。今日も、これから、通常の日曜日と同様に過ごして、明日からの仕事に対応しようと思っています。

2018年5月 5日 (土)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅120

Dscf3660 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/29午後2時半頃には旧東海道見付(静岡県磐田市)宿にいました。旧東海道を歩いていると見付宿町のバス停がありました。バス停上には秋葉バスとの記載があります。この地域は、秋葉信仰が強く、その名を冠したバス会社まであるようです。Dscf3661 さらに西方向へ歩くと、旧見付学校の案内がありました。Dscf3662 直ぐ近くには例の旧東海道を示す道標もあります。奥へ進んでみましょう。Dscf3664 こちらが旧見付学校の建物となります。門扉が閉まっていて内には入ることができませんでした。Dscf3666 旧見付学校の近くには、こちらの案内板がありました。市指定文化財 旧見付宿脇本陣大三河屋門とあります。薬医門だということです。Dscf3667 こちらが移築された脇本陣の薬医門となります。

Dscf3669 さら西方向へ歩きます。現在地を確認できる案内板がありました。現在地は西坂の梅塚付近となります。

寺田屋

寺田屋
坂本竜馬が襲撃された寺田屋も、多数の観光客が来ています。天候は良好です。

伏見稲荷

伏見稲荷
伏見稲荷
伏見稲荷は、原宿並みの混雑です。千本鳥居は途中で挫折しました。

2018年5月 4日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅119

Dscf3649 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/29午後2時過ぎには旧東海道見付(磐田)宿東木戸付近に居ました。木戸付近には、見付宿と阿多古山一里塚の案内板がありました。しかし、残念なことに既にかなり劣化しており、なかなか判読困難なのでした。Dscf3652 東木戸から西方向へ向かって歩き出します。すぐに、橋の欄干があるのに気が付きました。Dscf3653 欄干には愛宕橋とあります。周囲には水面は見ることができず、暗渠となっているようです。Dscf3655 東木戸付近から数分の歩行距離の所に、こちらの案内板がありました。オヤジとしては、直ぐに近づいて現在地を再度、確認するのでした。

Dscf3656 この付近は見付宿東坂という地名のようです。東坂の梅塚前にいるようです。近くには家康寄進の梵鐘の記載もあります。Dscf3658 この付近の歩道には、こちらのような案内があるのでした。逆光となるので、進行方向とは逆に向いて撮影しています。地蔵小路の案内が記載されています。延命地蔵をご本尊とする宣光寺があり、ご開帳の日には大変な賑わいを見せたようです。

Dscf3659 こちらは、寺小路の案内です。大見寺に通じることが小路の由来で、境内には三代将軍家光の休憩所があったようです。

平等院

平等院
平等院も長蛇の列です。

パナソニックミュージアム

パナソニックミュージアム
パナソニックミュージアム
門真市にあるパナソニックミュージアムを見学して来ました。

2018年5月 3日 (木)

大阪城

大阪城
大阪城へ来ています。大きいです。

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅118

Dscf3640 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/29午後2時過ぎには旧東海道見附(磐田)宿の東木戸付近に居ました。民家の前に、こちらの看板がありました。「東海道五十三付之内 遠州見付宿木戸跡」とあります。Dscf3641 木戸付近には、こちらの案内があるのでした。「見付宿を一望できる愛宕山には、愛宕神社が鎮座し火防の神として人々の信仰を集めました」とあります。この付近は秋葉神社といい、愛宕神社といい火防に関する神様が信仰を集めるようです。

Dscf3642

愛宕神社へは、こちらの急な階段を登る必要があるので、参拝は割愛しています。 Dscf3645今となっては、この付近に木戸風モニュメントが残っているのみのようです。見付宿では、東と西の入り口に木戸が設けられたとの記載があります。

Dscf3646 こちらが、その木戸風モニュメントです。道路の両側にそれらしき木戸があります。Dscf3647 木戸風モニュメント近くには、見付の文化財なる案内板がありました。Dscf3648 近づいて現在地を確認してみましょう。現在地は愛宕神社、木戸跡付近となります。写真右から左方向へ向かって歩くことになります。

近鉄京都駅

近鉄京都駅
近鉄京都駅も、凄い人だかりです。

空港バス

空港バス
京都行きの空港バスは長蛇の列です。

関西へ

関西へ
この春4回目の大阪行きです。ANA便で大阪へ飛びます。大型連休で宮崎空港は混雑しています。

2018年5月 2日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅117

Dscf3632 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/29午後2時過ぎには旧東海道見附宿(磐田)東側の行人坂を登坂しています。こちらは登坂して来た坂を振り返って歩道橋の上から撮影しています。写真右の横断歩道向こうの細い道が行人坂でした。Dscf3633 歩道橋を渡ると「遠州金鈴ヶ森」なる案内がありました。急峻な階段を十段程度、登って見学に行っています。Dscf3634 すると、何と彫ってあるのか判読不能な石碑があるのみなのでした。落胆しつつ、急峻な階段を降りています。Dscf3635 すると直ぐに、旧国道1号線と旧街道は分岐するのでした。写真右が旧東海道となります。Dscf3636 分岐地点からすぐに、「三本松御旅所」なる案内がありました。「神輿巡航の際、神輿が休む場所」との説明です。Dscf3637 さらに西方向へ進むと例の秋葉燈籠がありました。Dscf3638 案内には、「遠州地方では古くから秋葉信仰が盛んであること、こちらの石燈籠は大正14年に建立されたもの」等が記載されています。Dscf3639 石燈籠の横には、旧三本松の石碑があるのですが、不敬にも犬が放尿したような跡が残っていました。

2018年5月 1日 (火)

世界の果てまでイッテQのカレンダー---2018年5月

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世界の果てまでイッテQのカレンダー5月は、宮川探検隊in メキシコ 石の滝です。
滝の頂上に人が写っています。小さくてその存在は注意しなければ判りません。この中に宮川大輔さんがいるのでしょう。
 こちらのon airも観た記憶がありません。近くの温泉に行っていたことでしょう。
こちらの写真、本当に石が川のように流れているかのように見えます。一度、行ってみたいような気もしますが、TVで見ている方が綺麗なのでしょう。

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