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2018年8月

2018年8月31日 (金)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その35

Dscf1002 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午前8時半過ぎには大津市月輪付近の旧東海道に居ました。この付近の旧東海道も、こちらの写真のように緩やかなカーブを呈しているのでした。信号付近には、
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東海道立場跡と傍示石がありました。傍示石の側面には、月輪の地名由来が記載されていました。荘園主の名前あるいは池に映る月の影由来と、前回のブログと同様の説明がありました。
Dscf1006 傍示石横には、このような平地がありました。「これが月輪池かな」なんて思っていました。さらに京方面へ歩くと案内板があり、江戸側東側の池が下月輪池で京都側西側の池が山ノ神池というようです。これら池の先に一里山公園もあるようです。
Dscf1007 さらに旧東海道を京方面へ進みます。現在となっては、旧東海道はこちら写真のように、クランク状になっています。
Dscf1008 クランク状になっていることから、この付近では、旧東海道が掲示されているのでした。写真は逆光となって、判り難いですね。
Dscf1009 旧東海道を示す案内がありました。赤で示す現在地のように旧街道は、ガタガタとカーブしているのです。Dscf1011 案内板には、この付近が一里山3丁目であることが記載されていました。案内の中間部には、この付近の瀬田丘陵から琵琶湖にかけて山ノ神遺跡があり、窯跡、工房跡が存在したようです。その出土品から7世紀中頃から末頃に操業されていたとの記載もありました。

2018年8月30日 (木)

井堰シリーズ筑後川編---その12

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7/14-7/15と大宰府日田筑後川の旅に行ってきました。山田井堰を見学した後、恵利井堰へ向かっています。ナビには井堰を入力しても、案内はしてくれません。結果的に何度が行き過ぎて、ようやく17時10分過ぎに恵利井堰へ到着しています。この当たりまで来ると筑後川も下流となって川幅が広大となっています。こちらが恵利井堰の広角写真です。といってもあまりよく判らないはずです。
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望遠側で撮影して、ようやく、その姿が確認できます。大きな井堰となりますが、遠すぎて実感が湧きませんね。
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こちらにも石碑がありました。前半部分には、「恵利堰の構築と床島用水路の開削は1711年に完成したが、桂川の平面交差により上流一帯は湿田となりしばしば洪水に悩まされた」とありました。井堰完成に伴い桂川上流付近では、逆に洪水になってしまったようです。
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他にも石碑がありました。桂川床島用水魚道完成記念碑 建設大臣 山﨑拓とあります。
地元選出の自民党議員さんの名前ですね。
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こちらが、その桂川です。やや下流方向で筑後川と合流することになります。
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恵利井堰を見学して戻ってきたことろに大きな石碑がありました。残念ながら漢文で記載されていたので、全く判読は不可でした。恐らく恵利井堰に関する記載があったものと勝手に考えています。
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クルマを駐車していたのは、コミュニティバス下長田バス停付近となります。本来、筑後川堤防沿いに道路があるのですが、旅行の日は生憎、通行不可だったのです。結果的に、こちらのバス停付近から恵利井堰を見学に行ったのですが、往復1Kmは歩いたと思います。非常に暑かったです。その後、小郡市役所近くにある稲吉井堰(宝満川)も見学に行こうかとおもっていましたが、時間切れで割愛しています。次の機会には見学したいと思っています。稲吉井堰も小説「水神」に登場した井堰です。
 

2018年8月29日 (水)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その34

Dscf0987 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午前8時半前には大津市月輪2丁目付近の旧東海道に居ました。月輪というのは、少々、ロマンチックである意味、月輪熊を想像して怖くもあります。
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この付近には、このようなピンク色の花も開花していました。勿論、名称はわかりません。
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名勝月輪大池もあるようですが、約1Kmの距離があるようなので見物に行くのは止めています。
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月輪自治会館がありました。傍示石があるようなので、近づいてみます。
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月輪の由来が記載されていました。「この池に映った美しい月の姿から名づけられたとも、月輪殿九条兼実の荘園内にあったからとも言われます」とあります。当方としては、前者としたいですね。
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曹洞宗普門山月輪寺参道付近には、明治天皇御東遷御駐輦(れん)之所の大きな石碑もありました。
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敷地内には東海道の傍示石もありました。ただ、この傍示石前は、どうやらゴミ集積所となっているようで、多数のゴミが置いてあるのでした。少々、興ざめでした。

2018年8月28日 (火)

井堰シリーズ筑後川編---その11

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7/14-7/15と大宰府日田筑後川の旅に行ってきました。さて、こちらが山田井堰となります。井堰は石畳となっています。筑後川は写真左から右のように流れます。
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実際、少々、アングルを筑木川本流へ変化させると、このようになります。
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さらに案内板がありました。案内には、山田堰は、大石堰、恵利堰と並ぶ筑後川三大堰であること、傾斜堰床式石張堰であること、1790年に完成したこと、この堰の特徴は、取水量を増やし、激流と水圧に耐えうるための匠の技が随所に施されている等のことが記載されています。
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写真左が堰き止められた筑後川で、水門と通過して堀川用水となります
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こちらにも案内板がありました。現在では、663haの水田に灌流している旨が記載されています。
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こちらが、山田井堰となります。写真右下方向に取水口があるはずです。当方の肉眼では確認することはできませんでした。
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この山田井堰からは遠く大分自動車道が見えるのでした。帰宅後、地図を確認すると山田井堰全体を見る展望台があったようです。気が付きませんでした。残念。しかし、この山田井堰は当方にとって、再度、見学にいくべく価値のある井堰だったのです。展望台は次回の見学時の楽しみとして取っておくことにします。

2018年8月27日 (月)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その33

Dscf0976 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午前8時過ぎには草津市狼川町付近の旧東海道に居ました。この付近には大きな町内会の案内図があるのでした。
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少々、カメラのangleを変えると旧東海道らしく木製灯篭のようなものもあります。
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旧東海道は、このような緩やかなカーブを呈する道路となっています。
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日本硬質硝子KKの前を通過しています。
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すると、例の旧東海道の案内標識がありました。
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案内には月輪3丁目とあります。瀬田唐橋まで4.0Kmとあります。
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地図を拡大して撮影しています。現在地を赤で示しています。この地図によると、旧東海道は、現在の国道1号線と京滋バイパスに挟まれるように位置しています。地域の人々にとっては、利便性の高い裏道となっているのでしょうか。

2018年8月26日 (日)

世に棲む日日---第3巻

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前回に引き続き、今回も司馬遼太郎氏の「世に棲む日日---第3巻」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。
狂躁の季節がきた。長州藩は既に過激派の高杉晋作をすら乗りこえ藩ぐるみで暴走をかさねてゆく。元冶元(1864)年七月に、京へ武力乱入し壊滅、八月には英仏米蘭の四カ国艦隊と戦い惨敗…そして反動がくる。幕府は長州征伐を決意し、その重圧で藩には佐幕政権が成立する。が、高杉は屈せず、密かに反撃の機会を窺っていた。

近所の散策2018---処暑過ぎ2

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こちらも近所のお庭に植樹されていた柑橘系の植物です。直径3cm程度でしょうか、表面の皺が多い印象があります。へべすでしょうか?
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こちらも同じお宅にあった百日紅の花です。綺麗に開花しているのでした。
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こちらは、いつもの少々、異なった場所から空を撮影しています。少々、雲がありますが、昨日よりも青空の面積部分が拡大しています。
さて、昨日は夕方からまたもや雨となり、夜間には纏まった雨が降っていたようです。
今朝も午前5:30分頃には起床して、朝食を摂り、約3Kmのjoggingへ出掛けています。
その際に、上記植物を発見して、シャワーの後、自転車で撮影に向かいました。
アジア大会の放送があり、がっちりマンデーはお休みのようです。今日も特に予定はありません。読書をしたり、PCの前にいて時間が経過することでしょう。

2018年8月25日 (土)

近所の散策2018---処暑過ぎ1

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こちらは、近所のいつも公園から西北方向を7時半過ぎに撮影したものです。
写真左には雲がありますが、右には青空が見えています。
台風の影響でこの1週間から10日間は、曇天または雨で青空を見ることがありませんでした。昨日、午前中は少々、青空が出ていましたが、午後からは曇天一時雨で、今朝の青空も貴重な青空です。
南九州以外が猛暑と報道されていますが、南九州では猛暑からはほど遠く、エアコンの必要な時間も少なかった印象です。
今朝も午前5時過ぎには起床し、妻の好きな題名のない音楽会をつき合いでみながら朝食を摂り、その後、約6Kmのjoggingへ出掛けています。今日も含めて週間天気予報でも、曇天が続きます。8月のあのギラギラとした太陽が懐かしいです。

2018年8月24日 (金)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その32

Dscf0964 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午前8時過ぎには旧東海道草津市、野路 萩の玉川を通過しています。この付近の旧東海道を撮影したものです。細く、微妙なカーブが旧街道の風情を残しています。Dscf0965 玉川から数分、歩くと、この写真のような水辺に遭遇しました。

Dscf0967 池のようで、中央に小さな島があるようです。一部が公園のようになりベンチも設置されています。Dscf0968 モニュメントには、弁天池の記載があり、その下に旧東海道の文字も見えます。Dscf0969 反対側の傍示石には、「浄財弁財天参道橋」と記載されています。「弁天」って、「弁財天」の略のようです。初めて知りました。Dscf0970 池の柵には、こちらの案内もありました。カワウ対策実施中のようです。弁天島浮島の自然を守るためカワウ対策が実施されているようです。Dscf0971 弁天池の浮島を再度、西方向から撮影しています。

2018年8月23日 (木)

井堰シリーズ筑後川編---その10

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7/14-7/15と大宰府日田筑後川の旅に行ってきました。朝倉三連水車から山田井堰方向へクルマで移動しています。筑後川の堤防沿いにある駐車場には、こちらの案内板がありました。現在地は赤く示されています。こちらから、徒歩で山田井堰まで移動しています。
Imgp0189 井堰方向へ進むと、このような水路がありました。水路の上には橋のようになっており家屋も見えます。実は、これが堀川用水であり、その水門上にある水神社社務所のようです。社務所右に大きな樹木がありますが、こちらが後述する大楠となります。
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井堰に近づくと、「山田堰土地改良区(愛称:水土里ネット山田堰)とありました。
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境内には、このような案内板がありました。江戸時代の堀川関係年表、水神社の大楠、山田井堰に関する記述があります。
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山田井堰の記述には、「1790年に筑後川全体を石畳で堰きあげたのが石堰の起源で、面積7687坪、明治7年、同18年、昭和55年などの水害で崩壊、復旧を繰り返した」とのことです。
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水神社の大楠の説明文もありました。
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境内は暗くって判り難いのですが、写真右がその大楠となります。

2018年8月22日 (水)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その31

Dscf09522018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午前8時前には旧東海道草津市野路7丁目を出発しています。その小さな公園には、「野路 萩の玉川」なる傍示石がありました。Dscf0954 こちらが、その玉川の湧水のようです。

Dscf0955 案内板には、「野路の地名は平安時代末期にみえ、平家物語をはじめ多くの紀行文にもその名を見ていていることや、源頼朝が逗留したこと、宇治方面への迂回路の分岐点となり往時には交通の要衝として重視されたこと、その後、草津が宿駅としてクローズアップされ交通上の位置は次第に低下した」こと等が記載されています。

Dscf0958 看板の支柱には、「草津八大名所」とも記載されています。

Dscf0959 再度、湧水の井戸を拡大撮影しています。Dscf0960こちらの案内には、「玉のような清水が湧き出たという故事来歴を有する名所で、諸国六玉川の1つに数えられた。浮世絵や名所図会等で諸国の人々に知られるようになった」と記載されています。

Dscf0961 案内板の左側で現在地を確認しましょう。旧東海道は国道1号線の南側を走行していることが判ります。

2018年8月21日 (火)

井堰シリーズ筑後川編---その9

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7/14-7/15と大宰府日田筑後川の旅に行ってきました。引き続き三連水車から350mと案内のあった九重二連水車も見学に行っています。まあ、「三島二連水車と同じだろうな」と思いつつ、乗りかかった舟なので見学しにいくことにしました。この350m(正確には三島二連水車から270m)の距離が長かったのです。当日が酷暑であったことも、長い距離に感じた原因となったのでした。早急に撮影して、三連水車方向へ戻ります。
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九重二連水車から戻るべく三連水車方向を撮影しています。木陰も殆どなく、本当に暑かったのでした。写真からも、その雰囲気がお判り頂けるかと思います。
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堀川用水を挟んで、先ほどとは反対側から朝倉の三連水車を撮影しています。三連水車のやや上流にある橋を渡り元の場所に戻っています。
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三連水車前にはりんご園があるのでした。「こんなに暑いところでりんごが本当にできるのかな」という疑問を持ちました。リンゴは寒い気候の土地で栽培されるものという先入観があります。
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りんご園前に、こちらの案内板がありました。かなり劣化しています。
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案内板に左下には、これから見学に行く山田堰の案内がありました。1790年、当時の庄屋山田百工を中心に堰を造設し、昔の面影をとどめ、670ヘクタールをうるおすとあります。
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山田堰の案内図もありましたが、案内板の劣化でよく分かりません。とりあえず、三連水車の筑後川上流にあることが判り、クルマを走らせています。

2018年8月20日 (月)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その30

Dscf0932 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。日記によると4/14は午前5:50分に起床してホテル1804号室から南草津駅を撮影してます。写真左が草津駅方向となります。南草津駅の北口方向は、どちらかというと裏となります。南口方向が店舗が多い繁華街となります。
Dscf0934 6:30分からホテル内で朝食を頂き、旧東海道を歩くべく7:20分過ぎにホテルの部屋を出発しています。エレベーターホールには、こちらの案内がありました。ホテル近くに水生植物園みずの森があるようです。綺麗は花の写真が掲げてありました。機会があれば行ってみようかと思いましたが、いつになることでしょう。
Dscf0940 南草津駅からホテルを撮影しています。今回、宿泊したのは以前も宿泊したことがあるアーバンホテル南草津です。Dscf0947 ホテルを出発して前日の到着地点まで向かっています。その目印となったのが、こちらの看板です。新宮神社とあります。国の重要文化財とのことです。
Dscf0949 さて、前日到着地点まで戻って来ました。4/14の旧東海道徒歩の旅の出発です。Dscf0951 歩き始めて10分ほどで、小さな公園のようなものが見えてきました。

2018年8月19日 (日)

世に棲む日日---第2巻

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今回も前回に引き続き司馬遼太郎氏の「世に棲む日日第2巻」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。

海外渡航を試みるという、大禁を犯した吉田松陰は郷里の萩郊外、松本村に蟄居させられる。そして安政ノ大獄で、死罪に処せられるまでの、わずか三年たらずの間、粗末な小屋の塾で、高杉晋作らを相手に、松陰が細々とまき続けた小さな種は、やがて狂気じみた、すさまじいまでの勤王攘夷運動に成長し、時勢を沸騰させてゆく.
こちらの本でも気になった箇所を抜粋してみましょう。

「事にあせるばかりで十分な準備と工夫をしかなかったためであった」p44。
「実物、実景を見てから事態の真実を見きわめるべきで---」p57。
「わき見をしてくれるなよ。人間は馬とはちがい、自分で自分の手綱をもたねばならぬ」高杉晋作の祖父の言葉、p71。
「もともと教育という公設機関は、少年や青年というものの平均像を基準として、一定の過程を強制することによって、平均的成長を期待しうるものとして設置されている(一部改変)」p78。
「余は人の悪を察すること能わず、ただ人の善のみを知る」松陰の言葉、p156。
「中庸的人物こそ偉大である」高杉晋作の父の言葉、p198。
こちらの本にも、色々と心に響く言葉が散らばっています。

 

休日の過ごし方

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当方のお気に入りのマグカップの持ち手が壊れました。妻が片付ける際に落としたようです。20年程前にも同様に落下にて持ち手を補修した記憶があります。
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道具箱を探してみると、その20年前に使用したエポキシ系接着剤がありました。キャップを外すことは不可でしたが、お尻の方から搾り出して2剤を混合して使用しました。
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どうにか接着できたようです。
こちらのマグカップで毎朝、紅茶を飲んでいます。このマグカップの大きさ、容量が当方にとって丁度良く、今まで愛用して来ました。今回の修理、補修でまた使用可能となるでしょうか。休日には、こんなことをして過ごしています。

さて、今朝も午前5:30分頃には起床して朝食を頂き、6:30分頃から約3Kmのjoggingへ出掛けています。霧雨のような天候でしたが、今週、また、台風が九州地方に接近し、走ることができないようなので走ってきました。運よく、jogging中に多量の降水とはならず良かったです。シャワーを浴び、マグカップを補修、修理して現在の時間となりました。
外は少々、雨が降っています。昨夜は殆どエアコン冷房を必要としませんでした。現在も扇風機のみ対応できます。まあ、今日も読書でもして過ごすことになりそうです。

2018年8月18日 (土)

近所の散策2018---立秋過ぎ1

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近所のお宅の生垣が枯れ、その代わりにヘチマが植えられたようです。黄色の花が開花しています。
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花の下には、大きなヘチマの実が成熟しているのでした。こちらのヘチマで全長は30cm程度でしょうか。他にも全長40cmくらいで、まさに大根のようなヘチマの実もありました。
その昔はスポンジなどなく、ヘチマをスポンジ代わりにして体を洗っていたのですが、最近の若い人はそのようなことは知らないでしょう。
さて、今朝は夜勤明けで午前9:10分頃には帰宅しています。以後、洗濯したり、スニーカーをコンイランドリーに持参して洗浄しています。

本日は曇天で、日差しもなく、今のところエアコンは不要で扇風機で過ごしています。
この週末は特に予定はありません。雑用をして経過することでしょう。

2018年8月17日 (金)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その29

Dscf0921 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13午後3時前にはJR琵琶湖線南草津駅付近に居ました。こちらは、4/13行程の終了目標となっていた願林寺の石柱となります。Dscf0923 さらに進むと、このような立て看板がありました。野路町生活道路への立命館大学生の自転車、バイクでの進入自粛を呼び掛けるものです。しかし、大学生と思われる若者が乗車して数台の自転車が当方の横を通り過ぎるのでした。

Dscf0924 旧東海道には、このような傍示石もあるのでした。「野路在郷軍人用地」とあります。Dscf0925 こちらの傍示石があるのは、野路五丁目6の住所表示のある電柱の袂にあるのでした。土地は更地ではなく、既に一般家屋が建っていました。よく分かりません。Dscf0927 更に、八幡神社前を通過して、Dscf0931 南草津駅に到着しています。その後、新快速に乗車して山科駅まで移動し、地下鉄京都市営東西線に乗り換え会議をしている東山駅まで移動しています。山科駅で乗り換えてみたかったのでした。

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4/13の行程は、地図上の赤い線となります。つまり手原駅から南草津駅まで徒歩したようになります。

2018年8月16日 (木)

井堰シリーズ筑後川編---その8

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7/14-7/15と大宰府日田筑後川の旅に行ってきました。7/15午後4時前に朝倉の3連水車へ到着しています。当方が見学にいく数日前に、三連水車が再稼働し始めたとの報道がありました。前年の九州北部豪雨で被害があったのでしょうか。こちらが、朝倉の三連水車となります。近くには無料の駐車場もあり、20人前後の観光客もいるのでした。
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案内がありました。他にも三島二連水車まで80m、九重二連水車まで350mとあります。この付近に多数の水車があることは、事前に朝倉市観光協会に連絡してパンフレットを入手して知っていました。
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日本疎水百選堀川用水の案内板もありました。案内によると堀川用水が1663年に完成したこと、水田を潤す、ただ1つの揚水車として、今なお原形をとどめて稼働していること等が記載されていました。
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三連水車をやや下流側から堀川用水を撮影しています。
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ついでなので、二連水車も見学することにしました。こちらは三連水車から80mの三島二連水車となります。大きさは三連水車とほぼ同等かやや小さいくらいでしょうか。
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二連水車の上流側には異物が入り込まないように柵もありました。Imgp0159
堀川の水流は速く、従って水車の回転の速いのです。結果的にかなりの量が揚水されているのでした。

2018年8月15日 (水)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その28

Dscf0914 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13午後3時前にはJR南草津駅近くに居ました。旧東海道沿いに「平清宗胴塚」なる案内がありました。こちらの清宗は源平合戦で生虜となり、この地で永眠されたのでしょうか?胴塚については、こちらを参照で。首塚っていうのは聞いたことがありますが、胴塚というのは今回、初めて知りました。Dscf0915_2 表札には、遠藤とあります。

  Dscf0916 遠藤さんのお宅は、このようにかなり立派な家屋となっています。経営されている南草津病院とは同一敷地内にあるようです。Dscf0917 近くの案内板には、「南草津病院を営む遠藤勉医師宅の庭には、平家の悲劇の若武者平清宗の胴塚(五輪塔)がある」と記載されています。

Dscf0918 現在地は、こちらとなります。4/13の行程としては、願林寺を過ぎてから右折して南草津駅へ向かう予定としています。Dscf0920 この付近の旧街道には、こちらのような大きな日本家屋が現在となってはひっそりの佇んているのでした。

2018年8月14日 (火)

井堰シリーズ筑後川編---その7

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7/14-7/15と大宰府日田筑後川の旅に行ってきました。こちらは大石井堰の用水路取水口となります。写真上が筑後川、下が取水口となります。

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取水口から水門方向を撮影しています。青い構造物が現在の水門となります。
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少々、アングルを変えて筑後川北側の山を撮影です。小説「水神」には北側の山の名称は出てこなかった記憶です。何という山でしょうか?
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境内には大石水神社の由来もありました。「大石水神社は、大石水道の完成に際して、首唱五庄屋が自然石を建てて、堰や水路の守り神としたものである」とあります。
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境内には古い水門と思われる構造物もある(石垣で囲まれている部分)のでした。大石水神社の見学を終え、次の目的地まで移動します。
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その途中にも、水をなみなみと流す水路があるのです。写真上から下方向へ幅5m程度の水路がありました。
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その付近には、このような施設もありました。水量を調節しているのでしょうか?特に案内板はなく、よく判りません。

2018年8月13日 (月)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その27

Dscf0904 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13午後2時半過ぎには旧東海道草津色矢倉を過ぎJR南草津駅方向へ歩いていました。一里塚がありました。大きく分かりやすいように赤い文字で、そのものズバリ記載されています。Dscf0905 東屋の天井(たぶん)部分に、こちらの浮世絵がありました。東海道五十三次草津とあります。当時のこの付近を描いたもののようです。Dscf0906 このようなプレートもありました。プレート後半には、「東海道分間延貝絵図(文化5年)には、この野路の北川の北方の街道の両側にも長く松並木とともに一里塚が描かれている」との記載がありました。まあ、そうなのでしょう。Dscf0907 さらに旧東海道は、現在の道路によって、この写真のように分断されているのでした。結果的には写真左歩行へ進み横断歩道を渡り、旧街道へ復帰することになります。Dscf0911上北池公園を過ぎ、 教善寺前まで歩いてきました。その横には草津歴史街道なる案内板がありました。Dscf0912 案内板には、草津宿には70軒の旅籠、500軒の民家が存在したことが記載されていました。他は、一般的な東海道の説明なのでした。

2018年8月12日 (日)

世に棲む日々---第1巻

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今回は、こちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「世に棲む日日第1巻」です。同氏の「花神」を読書した後、そういえば当方は吉田松陰に関しては、あまり知識がないことに気づき、こちらの本を選択しました。本の帯には以下のように紹介されています。

時は幕末。嘉永六(1853)年、ペリーの率いる黒船が浦賀沖に姿を現して以来、攘夷か開国か、勤王か佐幕か、をめぐって、国内には、激しい政治闘争の嵐が吹き荒れる。

長州萩・松本村の下級武士の子として生まれた吉田松陰は、浦賀に来航した米国軍艦で密航を企て罪人に。生死を越えた透明な境地の中で、自らの尊王攘夷思想を純化させていく。その思想は、彼が開いた私塾・松下村塾に通う一人の男へと引き継がれていく。松陰の思想を電光石火の行動へと昇華させた男の名は、高杉晋作。身分制度を超えた新しい軍隊・奇兵隊を組織。長州藩を狂気じみた、凄まじいまでの尊王攘夷運動に駆り立てていくのだった……
骨肉の抗争をへて、倒幕へと暴走した長州藩の原点に立つ吉田松陰と弟子高杉晋作を中心に、変革期の青春群像を鮮やかに描き出す長篇小説全四冊。
吉川英治文学賞受賞作。

こちらの本からも気になった箇所を抜粋してみましょう。
「年齢の上の者に対しては礼儀をまもれ、後輩には親切に導け、他人には寛容であれ、意見があれば遠慮なく言え」松陰の言葉p41。
「実行のなかにのみ学問がある。行動しなければ学問ではない」王陽明の伝習録からp87。
「人間の運命をきめるものは、往々にしてその能力であるよりも性格によるものらしいが」著者の記載p95。
「鉄砲の操法や部隊の進退法に達しない者は戦術を語るな。つまり実技のやれないものは理論をいうな。その逆も真である」著者の記述p180。
「孔明も天祥も戦場で三軍を指揮した実務家であり、市井の詩文の徒ではない。かれらが後世の心をふるわせつづけるのはその詩文よりも、その作品に裏打ちされた劇的行動によるものなのである」著者の記述p222。
このように、こちらの本にも勉強となる記載が多数ありました。

さらに、「もともと日本人の倫理は忠孝をやかましくいうが、横の関係である友情や友誼についてはさほどに言わない。この倫理が日本人のなかに鮮明になってきたのは、むしろ明治後、西洋からそういう思想が輸入されたからだといってもいい」著者の記載p139。だそうです。そうなんですね。

2018年8月11日 (土)

仮想日本縦断鉄道の旅---その32

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2018年7月1日から7月31日までjoggingで118Km走っています。今年2回目の100Km超えとなりました。今回の仮想乗車区間は、JR室蘭本線登別駅からJR千歳線札幌駅まで乗車したことと仮定します。この間は約111Km、合計23駅で通常各駅停車で123分(乗車時間は114分)で走行するようです。料金は2160円だそうです。残は28Kmとなります。 この区間は特急列車も走っているようですが、普通列車での仮想旅行したとすると登別駅6:06分発、札幌8:09分着となります。

この区間で知っている地名は、苫小牧、千歳、札幌程度です。苫小牧は製紙業、千歳は空港のある街、札幌は北海道の代表的都市といった印象です。他は外部の人間にとってはあまり馴染みがありません。

2018年8月10日 (金)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その26

Dscf0890 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13午後2時半過ぎには旧東海道草津宿からJR琵琶湖線南草津駅方向へ歩いていました。旧街道を歩いていると、こちらの鳥居を見かけました。なんだか伏見稲荷の千本鳥居のようにも見えます。Dscf0893 「何かな」と思い周辺を見てみると、やはり稲荷神社のようです。家屋には稲荷神社社務所とあります。近くに案内板を発見できず由来等は不明なのでした。Dscf0895 歩いて来た旧街道を振り返って撮影しています。写真右の木々が青々としていることろが稲荷神社となります。Dscf0896 さらに進むと、旧街道と国道1号線の分岐合流地点となりました。写真右が国道1号線、左が旧東海道となります。Dscf0898 この付近に案内板がありました。Dscf0899 矢倉小学校先で道路が分岐合流しています。現在地が赤▲で提示されています。この先に一里塚があるようです。Dscf0902 旧東海道は現在の国道1号線で分断され、写真左方向へ進むことになります。

2018年8月 9日 (木)

井堰シリーズ筑後川編---その6

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7/14-7/15と大宰府日田筑後川の旅に行ってきました。さて、大石井堰横にある大石水神社境内に入ってみましょう。こちらが、道路側の入口から見た水神社の全景となります。

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入口から向かって右側には三堰碑がありました。漢文で記載があったような記憶があります。何が記載されているのかは不明でした。
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鳥居上には水神社との額があります。鳥居には「数子之偉功 水遠山而山嵩」と記載されているようです。意味が判りません。
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水神社の筑後川側には案内板がありました。大石用水路全体図とあります。
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水路延長約148Km、受益農地約1940haとありました。すごい水路全長です。
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こちらの案内板もありました。こちらには、毎秒16tの農業用水が取水されること、現在の大石堰は、昭和28年の大水害後に改修され、五庄屋時代に設営された玉石積の堰の面影は残っていないことが記載されています。
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こちらの案内板にも同様のことが記載されていました。

2018年8月 8日 (水)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その25

Dscf0880 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13午後2時半過ぎには旧東海道草津宿矢倉付近にいました。旧街道を歩いていると、こちらの傍示石を見かけました。ガイドブックによると、右やばせ道古連(これ)より十五町大津船わ多し(渡し)」と刻印されているようです。以下の案内板によると、こちらの道標は1798年のもののようです。

 

Dscf0881 こちらの傍示石があったのは、瓢泉堂の店舗前となります。ガイドブックによると、ここには東海道と分かれて矢橋に入り、そこから船で大津に渡る矢橋の渡しに行く矢橋道があったようです。Dscf0882 店舗近くには、矢倉立場の案内板もありました。こちらの案内によると、「急がば廻れ」の語源になったようなことが記載されています。つまり、近道であっても湖上が荒れて舟が出なかったり、風待ちをしたりする矢橋の渡しを利用するより、回り道でも瀬田橋まわりの方が着実であることのことが語源のようです。

Dscf0884 瓢泉堂の駐車場には、こちらの案内図もありました。

Dscf0885 現在地は、写真Eの地点となり、矢橋道は写真上に向かう道のようです。Dscf0886 E地点の案内を拡大して撮影しています。「急がば廻れ」の語源である旨が記載されています。

2018年8月 7日 (火)

井堰シリーズ筑後川編---その5

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7/14-7/15と大宰府日田筑後川の旅に行ってきました。筑後川に掛かる橋を再び渡り、南側に移動しています。この付近は、長閑な田園地帯で、現在では、日本有数の穀倉地帯となっています。この時期、水田には水稲が成長しつつあるのでした。恐らく普通期作と考えます。こちらからも遠く耳納山地が望見できます。
Imgp0111 五庄屋遺跡にはクルマを乗り入れすることができませんでした。勿論、周囲に駐車場もなく、離れた鉄塔付近に駐車して徒歩で遺跡まで移動しています。暑かった。
Imgp0115 筑後川を撮影したものです。写真左が筑後川で井堰から見て上流側となります。写真右が取水口となります。旅行前に大雨があり水が茶色く汚染されていることを懸念していましたが、写真のように綺麗な水が流れているのでした。
Imgp0118 筑後川南側から大石井堰を撮影したものです。井堰からやや上流側となるため、このような写真となります。さらに下流側へ向かえばさらに良い写真が撮影できたかもしれません。しかし、暑かったのです。
Imgp0120 こちらの青い建物が水門上にある管理施設のようです。
Imgp0121 こちらが、水門を通過して流れる水路となります。多量の水が流れているのでした。この水路のことを大石水道と称しているものと考えます。この水が広く、筑紫平野を灌流して巨大な穀倉地帯を形成している源となっているはずです。最初に井堰を造設した五庄屋の偉大さが判りますね。

2018年8月 6日 (月)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その24

Dscf0865 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。 4/13午後2時過ぎには旧東海道草津宿黒門跡付近に居ました。黒門とは草津宿の南側の出入り口だったようです。「黒門の由来」なる案内板がありました。Dscf0867_2

現在地は、黒門跡となります。

Dscf0868

反対側を見てみましょう。通過した来た東海道と中山道の分岐合流地点です。現在、草津本陣と称している場所は、七左衛門本陣というのが正式名称のようです。

Dscf0872

黒門跡付近には、このようなプレートもありました。新しい草津川の造成にあたり多くの住民が転居されたことが記載されています。Dscf0873

黒門跡付近から今まで歩いて来た方向を振り返って撮影しています。なかなか風情のあるカーブとなります。

Dscf0874 矢倉橋を渡ります。Dscf0877 すると、「草津の自慢 清酒天井川蔵だし」なる幟を掲げる店舗がありました。この付近では天井川であった旧草津川が自慢の種だったようです。

2018年8月 5日 (日)

My favorite book series---水神下巻

Photo 前回に引き続き今回も「水神下巻」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。

ついに工事が始まった。大石を沈めては堰を作り、水路を切りひらいてゆく。百姓たちは汗水を拭う暇もなく働いた。「水が来たぞ」。苦難の果てに叫び声は上がった。子々孫々にまで筑後川の恵みがもたらされた瞬間だ。そして、この大事業は、領民の幸せをひたすらに願った老武士の、命を懸けたある行為なくしては、決して成されなかった。故郷の大地に捧げられた、熱涙溢れる歴史長篇。

こちらの本の中にも有益な言葉がありました。


「先の話をするにしても、心配気に話すのと、望みばもって話すのでは、月とスッポンの差があります」p205。要は明るい未来が待っていると生活するのと、そうではないと思って生活するのでは雲泥の差があるということなおでしょう。


こちらの本を読書することで、当方は井堰に非常に興味を持つようになりました。現代の我々の生活が、先人たちの努力に依存しているということを切実に感じさせてくれる有益は書籍だと思っています。


今年は、大石、恵利、山田、稲吉等の筑後川にある井堰を見学に行ければと思い、6月下旬に再読していました。

近所の散策2018---大暑過ぎ2

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こちらは昨日昼前に撮影した近所の柿です。秋に向かって実が成熟しつつあります。
Imgp0243
その隣では、ヤツデの葉でしょうか、その葉の間に実がなっているのでした。
さて、昨日は外は非常に暑かったので朝夕の涼しい時間帯にjoggingに出る以外、屋内の冷房の効いた自室に居ました。
夕方頃から、何だか腹筋に軽度の痛みを自覚していましたが、まあ、大丈夫だろうと思い午後7時頃から約3Kmのjoggingへ出掛けています。途中、全くスピードが上がらず、体の変調を自覚していました。jogging後、入浴し夕食を摂ろうかと思ったのですが、全く、食欲がありません。
自室に戻ってベッドで横になっていても腹筋に痛みを感じ、悪寒戦慄が出始めました。妻が体温測定をしてくれました。何と、38.8℃の発熱です。キチンと水分は摂取し、冷房の効いた部屋に居たのですが、熱中症でしょうか。解熱剤を内服し、熱さまシートをおでこ、首に貼付し、脇の下には氷嚢が入り、スポーツドリンクを飲んだ後、就寝しています。暫くの間は、悪寒で非常に寒くって冷房を停止しましたが、妻に再度、スイッチを強制入力されました。
今朝、起床後には解熱しています。一応、朝食も摂取できました。「やっぱり、熱中症だったのかな」なんて思っています。

2018年8月 4日 (土)

井堰シリーズ筑後川編---その4

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7/14-7/15と大宰府日田筑後川の旅に行ってきました。一泊二日の旅行二日目午後2時過ぎから当方の本来の目的である井堰を見ることになります。原次郎右兵衛門の店舗を出発してから、とりあえず、筑後大石駅を目的地としてナビに入力しています。こちらが、その駅舎となります。こじんまりとした駅舎なのでした。
Imgp010002 筑後大石駅の駅前広場に停まっていいるのは当方のクルマのみでした。一人、女子高校生のような子が駅舎内にいたような記憶が残っています。こちらから、大石井堰を目指します。筑後川に掛かる橋を渡って筑後川北側に向かいます。
Imgp0103
こちらが、筑後川北側から見た大石井堰となります。非常に大きな井堰でした。
Imgp0102
少々、アングルを変えて耳納山地方向を撮影します。台地のような山が耳納山地でしょうか。小説「水神」に登場した山です。
Imgp0105
デジカメの望遠側にして撮影します。どうも対岸側に「五庄屋遺跡」があるようです。再び、橋を渡って筑後川南側に向かうことにします。
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こちらは、筑後川下流側を撮影したものです。下流には久留米市が存在します。

2018年8月 3日 (金)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その23

Dscf0852 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13午後2時すぎには旧東海道草津宿付近に居ました。こちらは旧東海道に面した浄土宗正定寺正面となります。Dscf0853 お寺さんには、このような言葉が掲げられていました。「感謝は感謝を呼び、不平は不平を呼ぶ」。このように素敵な言葉が山門前によく掲げられているので、旧東海道徒歩の旅では注意して見るようになりました。Dscf0854 お寺さんの直ぐ近くには、このような看板を掲げた家屋があったのです。その下には登録有形文化財の案内がありました。Dscf0855 案内には、「江戸中期寛保年間の創業であること、鋤、鍬、天秤、火鉢等の日用品全般を商っていたこと、建物は昭和3年の建築も、格子窓、虫籠窓などの意匠が用いられていること」等が記載されていました。初めは八百屋さんかと思っていました。違いました。

Dscf0856

八百久(やおきゅう)店舗兼主屋の全体像となります。

Dscf0857 さらに旧街道を西方向へ進むと立木神社がありました。ガイドブックによると767年創建の草津、矢倉の氏神様とのことです。

Dscf0859 こちらの神社、鳥居の裾に鎮座しているのは狛犬ではなく、御神鹿なのでした。どのような意味があるのでしょうか?

2018年8月 2日 (木)

花神---下巻

Photo
前回に引き続き今回も司馬遼太郎氏の「花神---下巻」を選択しています。
本の帯には、以下のように紹介されています。

百姓が武士に勝った。幕長戦での長州軍の勝利は、維新史の転換点となり、幕府は急速に瓦解へとつきすすむ。この戦いではじめて軍事の異才を発揮した蔵六こと大村益次郎は、歴史の表舞台へと押し出され、討幕軍総司令官となって全土に“革命”の花粉をまきちらしてゆく。──幕末動乱の最後の時期に忽然と現れた益次郎の軍事的天分によって、明治維新は一挙に完成へと導かれる。

さて、こちらの本でも気になった個所を抜粋してみましょう。
「医者というものは師匠の緒方洪庵が医戒でやかましくいったように、人の病苦をすくうだけために存在し、自分のためには存在しない」p15。
「ひとびとの需要のために村田蔵六という男は存在している。(中略) 蔵六からそれをしたいと思ったことは一度もなく、ひとびとが蔵六の技能を必要とするままに蔵六は生きてきた」P16。
「桂小五郎にいたっては、江戸にいるころ、若手剣客としては随一の腕をもっていたが、京都で幕吏にさんざんつけねらわれてときも逃げてばかりいた」p77。
「私は政治と宗教の話はしない。そういう話題がいかに危険なものであるかを、子供のころから体験しつくしてきた」アイルランド人船長の言葉p180。
「明治10年代までの軍制もいわゆる鎮台制で、国内の治安維持に目的がむけられており、外征用の軍隊ではなかった」p232。
こちらの巻で、村田蔵六、大村益次郎の人生はあっけなく終了してしまいます。幕末のあの時期のみ、時代は彼を必要としたかのような人生の終焉です。
上記のように、こちらの本の中にも多数、参考となる記載がありました。需要に任せて生きること、桂小五郎のように逃げることの重要性、特に海外旅行中では政治、宗教の話は厳禁であること等です。でも、鎮台制が国内治安維持目的とは知りませんでした。

2018年8月 1日 (水)

世界の果てまでイッテQのカレンダー---2018年8月

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とうとう8月です。世界の果てまでイッテQのカレンダー8月は、デヴィ夫人・出川哲郎さんのターコイズブルーの滝だそうです。メキシコで撮影されたようです。

こちらのon airも日曜日のこの時間帯は近所の温泉へ行っているので見ていないような記憶です。宮崎は7/11に梅雨があけ、その直後からうだるような暑さが続きました。

妻が言うには、「海の日から山の日までが最も暑い」とのことです。まあ、7/7が小暑、7/23が大暑なので当たり前と言えば、当たり前です。お盆過ぎには、高校野球も終了し、夕方には秋風を実感し、少々、寂しくも感じていることでしょう。

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