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2019年10月

2019年10月31日 (木)

旅の思い出---第7次旧東海道徒歩の旅その10

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2019年4月26日金曜日から名古屋での会議に便乗して第7次旧東海道徒歩の旅へ出発しています。2019年4/27午後3時半過ぎには旧東海道桑名側の七里の渡し付近に居ました。 この付近に木曽三川の治水史に関する案内板がありました。

先ずは治水史Ⅰとして、江戸時代中期の宝暦治水です。「木曽三川は、木曽、長良、揖斐川の順に川床が低くなっており、その川筋は輪中を取り囲んで網の目のように流れていたため、木曽川の洪水は長良川、揖斐川を逆流し、氾濫を繰り返していました」とあります。「江戸幕府は、宝暦3年(1753)、薩摩藩へ木曽三川の分流計画を命じています。その費用は40万両(当時の薩摩藩全収入の2年分以上)にも及び、80余名の病死、割腹者を出した」との記載があります。輪中に関しては、訳もわからず小学校社会の授業の際に出てきた記憶があります。薩摩藩の80余名の殆どが江戸幕府に対する抗議の意味での切腹だったと知恵泉で放送していた記憶があります。穏便に病死と公式には記録されたようです。

 

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宝暦治水の主な工事個所跡の図です。小さくって申し訳ないのですが、「大榑川洗堰、逆川洗堰締切、油島締切」の文字が見えます。難工事だったことでしょう。

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写真中央赤い線が油島締切(喰違堰)となるようです。現在の木曽川と揖斐川分離の基礎となったものかもしれません。

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治水史Ⅱは明治時代となります。概要としては、オランダからヨハニス・デ・レイケらを招き、明治20年(1887)から明治45年(1912)までの26年の長期にわたり三川の改修を行っているようです。

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こちらも小さな写真で恐縮ですが、明治改修により木曽、長良、揖斐川の完全分流が完成したようです。図で黄色は河道掘削、緑は廃川(新田)、赤は築堤とのことです。この改修により木曽三川の洪水は劇的に減少したようです。

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治水史Ⅲは現在となります。昭和34年9月26日の伊勢湾台風のこの地域にもたらした大きな影響に関しての記載です。木曽三川の下流部は海面より低い土地が多かったため、台風による高潮の被害が生じ、浸水し、しかもなかなか水が引かなかったことが記載されています。

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湛水(ちんすい)期間を示した図です。湛水とは沈水でも可かもしれません。黄色が1ケ月未満、青が4ケ月未満、濃い青が4ケ月以上の沈水期間のようです。

黄色の箇所は、現在の東海道本線、東海道新幹線、名神高速道路まで含まれることになります。これらの幹線が1ケ月も沈水すれば、その影響力がいかに甚大であったかが判ります。

2019年10月30日 (水)

旅の思い出---第7次旧東海道徒歩の旅その9

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2019年4月26日金曜日から名古屋での会議に便乗して第7次旧東海道徒歩の旅へ出発しています。2019年4/27午後3時半過ぎには旧東海道桑名側の七里の渡し付近に居ました。こちらの鳥居の間には、東海道を示す傍示石がありました。この付近を散策してみましょう。 

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七里の渡跡の案内板がありました。

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表面がかなり劣化していますが、薄く現在地が提示されています。

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「桑名宿と宮宿(現名古屋市熱田区)の間は、江戸時代の東海道唯一の海路で、その距離が七里(約28Km)あることから、七里の渡と呼ばれていました。七里の渡は、ちょうど伊勢国の東の入口にあたるため、伊勢神宮の「一の鳥居」が天明年間(1781-1789)に建てられました。(中略) 昭和34年(1959)の伊勢湾台風によって、この付近は甚大な被害を受けました」との記載があります。

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前方に櫓が見えます。近づいてみましょう。

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「蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)について 桑名城には、元禄大火後に再建された時点で51の櫓があったと記録されています。このなかでも、川口にある七里の渡に面して建てられていた蟠龍櫓は、東海道を行き交う人々が必ず目にする桑名のシンボルでした。歌川広重の有名な浮世絵東海道五十三次でも、海上の名城と謳われた桑名を表すためにこの櫓を象徴的に描いています。(中略) 「蟠龍」とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のことです。龍は水を司る聖獣として中国では寺院や廟などの装飾モチーフとして広く用いられています。蟠龍櫓についても、航海の守護神としてここに据えられたものと考えられます」とあります。

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こちらが、高校同級生に頂戴した浮世絵葉書となります。確かに石垣の上に櫓のようなものが見えますね。

 

2019年10月29日 (火)

旅の思い出---第7次旧東海道徒歩の旅その8

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2019年4月26日金曜日から名古屋での会議に便乗して第7次旧東海道徒歩の旅へ出発しています。2019年4/27午後3時過ぎには三重県桑名駅近くに居ました。国道1号線沿いには、こちらの案内がありました。それによると七里の渡しまで1Kmとの記載です。国道1号線を左折します。恐らく八間通の交差点を左折したものと推定します。

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すると、「通り井」なる案内板がありました。「桑名は木曽川の土砂が堆積してできた土地であるため、海岸に近い所では昔から水質が悪く、住民は飲み水に苦しんできました。町屋川や大山田から水を汲んできて売る水売りの商売が成り立っていたほどでした。桑名藩第4代目の藩主松平定行(1587-1668)は、寛永3年(1662)町屋川の水源から吉津屋御門までを掘って水路を作り、御門から町の中へは地下水路を通し、所所に井戸を設けて住民の用水にしました。この水道は、町屋御用水と呼ばれ、明治時代まで使用されました。(中略) 通り井とは、一通り道に設けられた井戸の意味です」との記載です。

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さらに、この道路を東方向へ進みます。道路標識の最上段に「七里の渡し」と書かれています。

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進んできた道路と旧東海道とが交差する場所に、料亭柿安の店舗があるのでした。柿安の梅田店には大阪勤務時代には複数回、訪れて食事をとったことがあります。恐らく、この桑名旧東海道沿いにあった店舗から派生したものと推定しています。

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こちらが、七里の渡しへ向かう旧東海道となります。幅員がまさしく旧街道を思わせるものでした。

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2-3分の歩行で、桑名の「七里の渡し」へ到着しています。立派な鳥居がありました。

2019年10月28日 (月)

旅の思い出---第7次旧東海道徒歩の旅その7

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2019年4月26日金曜日から名古屋での会議に便乗して第7次旧東海道徒歩の旅へ出発しています。2019年4/27午後2時半前には木曽川に掛かる尾張大橋を渡り切っていました。桑名市長島に居たようです。そこには、ナガシマリゾート長島温泉の案内看板があるのでした。木曽三川の河口ともなる場所に、何故、温泉が湧出するのか当方には理解できません。まあ、この付近では、大きなリゾートとなるのでしょう。生きているうちに一度は当方も行ってみたいものと考えています。

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さらに国道1号線を進みます。写真では判読困難かもしれませんが、「ながら・いび川」と記載されています。これから、伊勢大橋を渡ることになります。この付近では、揖斐川と長良川は殆ど平行して流れています。

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伊勢大橋から下流方向を撮影しています。下流方向には、何やら宇宙船のような形をしたものが延々と続くのでした。何のためのものが、素人の当方には理解不能でした。川面には白波が立っていることから、風が強いことがお判り頂けると思います。

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こちらが、伊勢大橋の歩道となります。風が強く、帽子を飛ばされないように手で押さえていました。下流方向には、新たな橋脚がありました。新規の橋梁を掛けるためのものでしょうか?

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伊勢大橋には、途中で丁字路があるのです。後で調べると、長良川と揖斐川の中州へ通じる道路のようです。橋梁の途中で丁字路になっている橋を初めて体験しました。

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長良川・揖斐川下流には、遠くナガシマリゾートのジェットコースターが見えています。ちょっと、望遠が効かず見えにくいですね。

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伊勢大橋を渡りきると、参宮国道の傍示石がありました。伊勢神宮へ参詣する国道という意味でしょうか。

2019年10月27日 (日)

グロテスク---上巻

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今夏は、こちらの本を選択しています。桐野夏生氏の「グロテスク---上巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。

 

名門女子高に渦巻く女子高生たちの悪意と欺瞞。「ここは嫌らしいほどの階級社会なのよ」。
「わたし」とユリコは日本人の母とスイス人の父の間に生まれた。母に似た凡庸な容姿の「わたし」に比べ、完璧な美少女の妹のユリコ。家族を嫌う「わたし」は受験しQ女子高に入り、そこで佐藤和恵たち級友と、一見平穏な日々を送っていた。ところが両親と共にスイスに行ったユリコが、母の自殺により「帰国子女」として学園に転校してくる。悪魔的な美貌を持つニンフォマニアのユリコ、競争心をむき出しにし、孤立する途中入学組の和恵。「わたし」は二人を激しく憎み、陥れようとする。
圧倒的な筆致で現代女性の生を描ききった、桐野文学の金字塔。

 

さて、今回、こちらの本を選択したのは、同著者の「OUT」上下巻を読書したからです。「OUT」の最後は、あまりにも唐突で、連続性に欠けるので「OUT」の当方の評価は決して高くはありません。「OUT」のみの読書で、桐野夏生氏を評価するのは少々、気の毒かと思い、こちらの本を選択しました。上巻で登場する名門Q学園とは慶応高校と考えています。系列大学で医学部を有しているのが慶応だからです。上巻を読了後に、この稿を記載していますが、上巻の内容は「今、ちょっと」という印象です。下巻でどのように展開するのか期待しましょう。

 

 

 










2019年10月26日 (土)

旅の思い出---第7次旧東海道徒歩の旅その6

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2019年4月26日金曜日から名古屋での会議に便乗して第7次旧東海道徒歩の旅へ出発しています。4/27午後2時頃には木曽川に架かる尾張大橋西詰付近にいました。国道1号線なのですが東海道の傍示石がありました。旧東海道という意味ではなく、(新)東海道という意味なのでしょう。

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尾張大橋を撮影しています。天気は良いのですが、風が強く難儀した記憶があります。

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午後2時過ぎには、桑名市に入ったようです。

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この付近で、柑橘系の果物の実がなっているのを見ました。道路にも複数個、落下しているのです。

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さらに進むと、「桑名5Km」道路案内があります。約1時間で到達可能な距離です。

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国道1号線にあった看板です。「はまぐり最中」とあります。チョット、想像し難いお菓子だと思うのは当方だけでしょうか?

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こちらが、はまぐり最中を販売している藤花堂さんの店舗となります。

2019年10月25日 (金)

旅の思い出---第7次旧東海道徒歩の旅その5

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2019年4月26日金曜日から名古屋での会議に便乗して第7次旧東海道徒歩の旅へ出発しています。翌4/27土曜日です。今回、宿泊したのは三交イン名古屋錦です。サウナはありませんが、大浴場(といっても左程大きくはなかった)付きです。4/27午前6時半前に撮影しています。この後、ホテル1階のムラタステーキハウスで簡単な朝食を取っています。この付近は名古屋の繁華街なのでしょう、歩道にゴミが落ちていたのには興ざめでした。

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午前9時から12:30分頃までの会議に出席し、あおなみ線金城ふ頭駅を後にしています。写真は金城ふ頭駅です。反対側にリニア鉄道館があります。今回は会議と徒歩の旅を優先し入館しませんでした。またの機会に来ることにしましょう。この日は非常に風が強かったのです。「港だから風が強いのかな」なんて思って、こちらの駅を出発しました。

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名古屋駅からは13:06分発の近鉄線準急に乗車し、前日の到着駅である弥富駅へ向かいました。

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13:27分頃には、弥富駅へ到着し、案内板で現在地を確認しています。

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午後1時半頃から国道1号線の歩行を開始し、約20分でこちらの場所へ到達しています。道路標識には、国営木曽三川公園とあります。そのような公園が存在することを初めて知りました。この付近でも、勿論、強風が吹いていました。金城ふ頭付近が港だから強風だったのではなく、濃尾平野全体に強風が吹いていたようです。

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午後2時頃には木曽川に架かる尾張大橋を歩いていました。非常に川幅のある大きな川でした。写真の川面からも強風が吹いていることがお判り頂けると思います。逆光になっていますが、これから三重県に入ります。橋上の県境です。

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渡りきった尾張大橋を振り返って撮影しています。橋の上では、風で帽子が飛ばされそうになり手で押さえていました。

ペットマト---ハバネロの生長記録4

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仕事場窓側で水耕栽培しているペットマトのハバネロの生長記録です。約3週間ぶりの登場です。前回は10/4に記載しています。生長記録をさぼっていました。ハバネロは順調に生長しています。全高は5cm程度で、最も大きな葉の長径は4cm程度ありそうです。ここまで生長すれば、あとは安心です。 

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こちらは100円ショップで販売されたいたパクチーの栽培キットです。10/16に播種したところ、昨日、発芽しました。少々、ピンボケですが、全高1cm程度で、双葉の長径も1cm弱と小さいのです。写真左には、2つ目のパクチーが発芽しています。面白い、楽しいですね。

2019年10月24日 (木)

旅の思い出---第7次旧東海道徒歩の旅その4

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2019年4月26日金曜日から名古屋での会議に便乗して第7次旧東海道徒歩の旅へ出発しています。4/26午後4時半頃には名古屋市蟹江町から愛知県弥富市に入ったようです。いくつかの川を渡ることで名古屋市から弥富市に入ったようです。でも、弥富市って、その存在を初めて知りました。国道沿いの看板には、「本葉弥富金魚」とあります。金魚が有名なようです。

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電話ボックスの上には文鳥が居ます。その下には、「弥富特産 手のり文鳥」との記載があります。手乗り文鳥も有名なようです。

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電話ボックスから直ぐに、こちらの道路標識が見えてきました。桑名まで9Kmとあります。9Kmであれば2時間強で歩行可能な距離です。

夕刻ともなりましたので、弥富から桑名までの歩行は4/27にすることにしました。

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午後4時半過ぎには近鉄弥富駅手前まで到着しました。「弥富幹部交番」とあります。何が幹部なのでしょうか、このような文言が入った交番は聞いたことがなかったので、撮影しています。こちらを右折すると弥富駅に通じます。

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近鉄弥富駅まで到着しました。

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駅構内の料金表を撮影しています。名古屋までは10駅あるようです。

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16:47分の急行に乗車し名古屋まで戻っています。名古屋からは地下鉄名城線に乗車し栄駅で降車しホテルへ向かったはずです。4/26の歩行は終了です。

2019年10月23日 (水)

旅の思い出---第7次旧東海道徒歩の旅その3

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2019年4月26日金曜日から名古屋での会議に便乗して第7次旧東海道徒歩の旅へ出発しています。4/26午後2時半過ぎには名古屋市中川区付近の国道1号線沿いを歩いていました。権野バス停まで到着しました。こちらも、他に撮影するものなく、位置確認になろうかと思い撮影しています。記憶では、この付近でHolux m-241GPSロガーの時刻表示が表示されていないことに気づいたと思います。以前、記載したGPSロールオーバーが発生していたのです。その時点では、何故、時間表示が消失しているのかは分かりませんでした。

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こちらのバス停付近で撮影したものです。自転車の駐輪禁止の看板があるのですが、複数の自転車が駐輪、放置?されているのでした。

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こちらの付近の国道1号線の表示です。恐らく、東京から365.8Km地点であることを示しているはずです。起点は江戸日本橋でしょうか?

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午後3時前には、包里バス停に到着です。こちらは、「かのさと」と読むようです。地名の読み方は難しいですね。

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さらに午後3時過ぎには、蟹江まで到着しました。この辺りで4/26の歩行を終了しようかと思ったのですが、近鉄蟹江駅まで少々、距離があるので歩行を継続することにしています。

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15:40分頃に撮影したものです。道路標識には弥富5Kmとあります。この付近で、国道1号線と近鉄線が接近する弥富まで4/26は歩くことにしています。

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濃尾平野では、この時期、麦が栽培されているのでした。恐らく、麦だと思います。

2019年10月22日 (火)

旅の思い出---第7次旧東海道徒歩の旅その2

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2019年4月26日金曜日から第7次旧東海道徒歩の旅へ出発しています。第7次は旧東海道といっても名古屋市宮の渡し公園から桑名宿まで国道1号線を歩いています。宮の渡し公園を出発して直ぐに、熱田魚問屋モニュメントがありました。案内には、この付近にはかつて熱田魚市場が存在したことが記載されています。

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案内板中央にあった地図となります。現在地は、宮の渡し公園から左やや上方の大瀬子公園となります。青い点線で旧東海道が示してあります。

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こちらが、熱田魚問屋モニュメントとなります。

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魚問屋モニュメントを過ぎ、白鳥橋東交差点で国道1号線と合流することになります。

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道路案内標識には、四日市、弥富の文字が見えます。4/26は、弥富まで歩いたことになります。国道1号線を西進します。

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白鳥東交差点から約40分の歩行で昭和橋バス停まで到着しています。バス停以外にあまり撮影するようなものがありません。

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さらに40分程度、歩行すると松陰公園前バス停まで到着しました。こちらは、「しょういん」とは読まず「まつかげ」と読むようです。吉田松陰とは全く関係がないのでしょう。

2019年10月21日 (月)

旅の思い出---第7次旧東海道徒歩の旅その1

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2018年5月下旬に第6次旧東海道徒歩の旅は現在の名古屋市宮の渡し公園まで到着していました。旧東海道はこの宮宿(熱田宿)から桑名宿までは「7里の渡し」といい旧東海道で唯一の海路となります。どのように対応しようかと考えていましたが、丁度、2019年4月に名古屋で会議があるので、これに便乗して宮宿から桑名宿まで現在の国道1号線を歩くことにしました。江戸日本橋から折角、名古屋まで徒歩で来たので、ここはついでに歩くことにしたのでした。距離的には、7里の渡しとのことで約28Kmを想定していました。「28Kmなら2日の行程で歩行可能」と思いました。ということで、2019年4月26日金曜日、宮﨑空港8:50分発中部国際空港行きのANA342便へ搭乗するのでした。

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中部国際空港に到着後、荷物をホテルへ預けるべく名古屋市栄地区へ到着しています。写真に撮影日時を挿入するのを失念していますが、午前11:20分頃に撮影しています。やはり名古屋は都会です。もともと当方は、no sense of directionなのですが、予約しているホテルを発見するまで少々、彷徨するのでした。

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無事、荷物をホテルに預けた後、地下鉄名城線栄駅から宮の渡し公園近くの伝馬町駅まで移動しています。こちらは、地上の出入り口です。空に雲はありますが、晴天です。街はランチを終了したサラリーマンが居るのでした。

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この付近の看板で、現在地を撮影しています。現在地の近くには、「歩道橋をジグザグに上り堀川側の公園に降りる」と記載されています。その通りに歩きます。

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1年ぶりに宮の渡し公園へ到着しました。大きな燈籠が当方を出迎えてくれました。

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こちらは、堀川から伊勢湾方向を撮影したものです。本来であれば、旧東海道はこちらから海路となり、当方も船上の人になるはずでした。

2019年10月20日 (日)

真田騒動

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今回は、こちらの本を選択しています。池波正太郎氏の「真田騒動」です。本の帯には以下のように紹介されています。

信州松代藩――五代目・真田信安のもと、政治の実権を握り放縦な生活に走った原八郎五郎を倒し、窮乏の極にある藩の財政改革に尽力した恩田木工を描く表題作。関ケ原の戦い以来、父昌幸、弟幸村と敵対する宿命を担った真田信幸の生き方を探る『信濃大名記』。ほかに直木賞受賞作『錯乱』など、大河小説『真田太平記』の先駆を成し、著者の小説世界の本質を示す“真田もの"5編を収録。

こちらの本でも気になって付箋を貼付した箇所を抜粋してみましょう。

「血で贖ったものには、必ずその痕跡が残るものだ」恩田木工の言葉、p180。

「太平の世がつづくにつれて増える一方の浪人たちが各国の農村にも入り込み、百姓から庇護を受ける代わりに、領主の民治に対する百姓たちの対策を指導する」記述、283。

「これだけの騒ぎになれば、領内に点在する天領に聞こえぬ筈はない」記述、p284。

「おれ達の一生が、おれ達の後につづく人々の一生も幸福にするし、不幸にもする」恩田木工の言葉、p350。

第2項目で一揆の発生の裏側を、第3項目で幕府の全国統治方法を理解することが出来ました。それで天領は全国に分散しているのですね。

 

さて、2年前の今頃でしょうか、同氏の真田太平記を読書していました。非常に面白く全12巻を一気に読み上げたことを覚えています。その関連小説が、こちらとなります。時代は真田信幸から5代目の真田藩財政逼迫の時期となります。こちらは、本来、5編の短編を集めたものですが編者が優秀なのでしょう、いずれもが関連して物語が展開していきます。解説を読み、池波正太郎氏のいわゆる真田ものとして、「獅子」なる小説の存在を知りました。いずれ「獅子」も読書することになろうかと思います。

2019年10月19日 (土)

仮想日本縦断鉄道の旅---その46

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2019年9月1日から9月30日までjoggingで133Kmを走りました。9月も100Km越えとなりました。やっぱり、他にすることもないので、ただ、走っているのです。

今回の仮想乗車区間は、三陸鉄道リアス線岩手船越駅からJR気仙沼線BRT志津川駅で乗車したと仮定します。この区間は距離143Km、駅数は44駅です。料金は¥3380で乗り換え2回、乗車250分、その他58分で合計5時間8分とのことです。残17Kmのうち10Kmを使用します。残は7Kmとなります。

前回の条件で列車に乗車したとすると、岩手船越駅15:02分発-盛駅16:35分着、JR大船渡BRT盛駅17:20分発-気仙沼駅18:32分着、JR気仙沼線BRT気仙沼駅18:44分発-志津川駅20:10分着となります。

当方は知らなかったのですが、BRTとはbus rapid transitの略で、バス専用レーンを使用して運用されているようです。この企画の趣旨は鉄道の旅なのですが、東日本大震災による線路被災により、このような運用がされているようです。

この付近で知っている地名は、気仙沼のみです。なんだか、漁業基地のイメージがあります。あと、新沼謙治さんの出身地だったかな。

 

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さて、9月の万歩計の結果です。総歩行数は13.5万歩、消費カロリーは3272Cal、歩行距離は74Km、脂肪消費量は199gとのことです。

 

2019年10月18日 (金)

帰ってきたよ、ばあちゃん

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今回は、こちらの本を選択しています。島田洋七氏の「帰ってきたよ、ばあちゃん」です。本の帯には以下のように紹介されています。

埼玉に住んでいた十年前のある日、佐賀の実家からの電話を取った嫁のリツコの顔が青ざめた。「お母さんが…脳梗塞で倒れた!」義母の介護のために、四十年ぶりに佐賀に戻り、新たな生活を始めた洋七一家。そこには予期せぬ驚きと不安、そして何ものにも変えられぬ喜びが待ち受けていた…。家族の絆を笑いと涙で綴る、がばいシリーズ最新作。

こちらの本でも気になって付箋を貼付した箇所を抜粋してみましょう。

「明るく元気にやっていれば、また何かみえてくるものもある」記述、p9。

「幸せは、突然やってくる」ばあちゃんの言葉、p9。

「わからないことがあったら聞けばいいんだよ。偉そうにするから、誰も教えてくれない」ビートたけしの言葉、p139。

「お金にも金利はつくけど、人間につく金利ほど素晴らしいものはない」ばあちゃんの言葉、p188。

「三人(たけし、さんま、紳助)に共通しているのは、どんなに売れてもいっさい休まず、仕事には手を抜かず、地道な努力を積み重ねているということだ」記述、p190。

「平凡な毎日を非凡にするのは自分次第」記述、p196。

この本にも、素敵は言葉が沢山あるのでした。島田洋七さんは、ただものではないようです。

2019年10月17日 (木)

小説 遠山金四郎

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今回は、こちらの本を選択しています。童門冬二氏の「小説 遠山金四郎」です。本の帯には、以下のように紹介されています。

出版統制令の真っ只中で「柳亭種彦が自決した」という知らせが飛び込んできた。「バカ野郎……」そうつぶやいた金四郎の目に思わず涙が込み上げてきた。江戸の改革という大義名分のもと、次々と禁令を発して取り締まる老中・水野忠邦と鳥居燿蔵。一方、江戸の遊興を守ろうと立ち上がった町奉行・遠山金四郎。組織の論理と戦いつつ、己れの信念を貫き通した金四郎の実像。

言わずと知れた「遠山の金さん」に関して、当方が好きな作家である童門冬二氏が記載しているのです。ブックオフを散策していたら目に入ったので勿論、購入しました。こちらの本でも気になって付箋を貼付した箇所を抜粋してみましょう。

「どんなに意に染まないことがあろうと、直ぐに手をつけるな。しばらくはじっとしておれ」老中水野忠邦の言葉、p18。

「(上役や同僚たちは)、たとえ仕事がなくとも仕事をしているふりをしている役人が好ましい.のである」記述、p91。

「問題の本質と真っ向から向き合わないということだろう。本質を据え置いたまま、他の面に問題を逸らしてしまう。そして、相手があれよあれよと思っている間に、片付けてしまうのだ」金四郎の父を評して、p99。

「罰を受ける武士にはやはり共通した性格があった。・酒癖が悪いこと。・口数が多いこと。・常に不平不満が多いこと。・上司や上層部の批判ばかりしていること。・部下からの人望がないこと。・幕府(組織)が問題としている人物と親しいこと」記述、p111。

「自分の思うようにならないからといって、すぐさま人事異動を考えるようでは駄目だ。自分の意に沿わない人間、自分の行動を批判する人間などを全部抱えながら、改革を推し進めていくところに老中首座としての器量があるのではないか」将軍家慶の考え、p153。

「なんでも言ってくれ。特に耳の痛い意見を歓迎する。と、いまでも口にするトップ層がいるが、これはウソだ。部下が本気になってそんなことを言えば、必ず飛ばされる」記述、p275。

こちらの本にも素敵な言葉がありました。でも、著者は何の目的があってこちらの書籍を書いたのでしょうか?ドラマで見る遠山金四郎という虚像に対して、実像に近い金四郎を記載したかったのでしょうか。人気者には虚像が付いて回るようです。

 

2019年10月16日 (水)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その164(第6次の最終回)

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2018年5/25から5月恒例の旧東海道徒歩の旅に出発しています。今回が第6次の徒歩の旅となります。5/29午後4時半前には旧東海道宮宿を通過し名鉄神宮前駅付近に居ました。こちらから神宮前駅の名鉄線のりばへ向かいのでした。

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恐らく、16:40分神宮前駅発の特急に乗車したような記憶があります。

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こちらが、神宮前駅に入線して来た特急電車のはずです。

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5/29の行程は、GPSロガーによると知立駅から宮の渡し公園までの約24Kmとなりました。写真の茶色で提示されています。

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翌5/30は豊橋から宮崎への移動のみです。6:30分からホテルで朝食を取り、6:50分過ぎには豊橋駅に向かって歩いていました。

こちらは、豊橋駅前階上から撮影しています。

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名鉄線に乗車し、8:40分頃には中部国際空港に到着していたようです。写真右が国内線出発ゲートとなります。

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10:45分中部国際空港発のANA345便へ搭乗し、宮﨑へ戻っています。第6次の旧東海道徒歩の旅も天候に恵まれ予定行程を歩くことができました。良かった良かった。

 

2019年10月15日 (火)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その163

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2018年5/25から5月恒例の旧東海道徒歩の旅に出発しています。今回が第6次の徒歩の旅となります。5/29午後4時前には旧東海道宮宿に到達していました。宮の渡し公園内にあった地図となります。現在地は、赤い△で記載されている場所です。

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こちらの写真が順光で、比較的よくこちらの公園を表現したものになりそうです。写真右には、七里の渡しとの道標があります。写真左が港となります。

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案内には、1826年にシーボルトが通過した記載があり、

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松尾芭蕉が滞在した記載もありました。この後、ベースキャンプへ戻るべく名鉄名古屋本線神宮前駅まで徒歩で移動することになります。

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熱田神宮手前に、「ほうろく地蔵」なるものがありました。説明文を読んでも、当方にはよく理解できないのでした。要は、石仏があるようです。

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こちらが、その「ほうろく地蔵」なのです。

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ほうろく地蔵から、約10分程度の歩行で、熱田神宮参道?付近に到着しました。神宮前駅を相対しています。

2019年10月14日 (月)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その162

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2018年5/25から5月恒例の旧東海道徒歩の旅に出発しています。今回が第6次の徒歩の旅となります。5/29午後3時半過ぎには旧東海道宮宿手前まで到達していました。現在の名古屋市熱田区伝馬1丁目付近に居たことになります。歩道橋上から、これから進むべき方向を撮影しています。写真中央の道が旧東海道です。

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歩道橋を降りるとすぐに、宝勝院がありました。なんだか、色々と説明が記載されていますが、お寺さんには興味がないのでpassします。

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といいながら、法勝院正面を撮影するのでした。

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そして漸く、今回も目的地である宮の渡し公園へ到着しました。旧東海道宮宿となります。

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熱田常夜燈の説明がありました。解説では、1625年に建立されたとのきおとです。こちらの常夜燈は昭和30年に復元されたもののようです。

こちらの常夜燈を管理していたのが、先の宝勝院とのことです。

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こちらが、その常夜燈です。少々、逆光となってしまいました。

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この辺りには、歌川広重による「宮の宿舟着場風景」がありました。

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高校同級生に頂いた宮/熱田・熱田神宮の浮世絵は、こちらとなります。舟着場風景とは異なります。色々のバージョンがあるのでしょう。

2019年10月13日 (日)

がばいばあちゃんスペシャルかあちゃんに会いたい

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今回は、こちらの本を選択しています。島田洋七氏の「がばいばあちゃんスペシャルかあちゃんに会いたい」です。シリーズ第4弾となるようです。アマゾンでは以下のように紹介されています。

がばいばあちゃんの血をひく、すごいかあちゃんがいた! 
「ひとつ芸を身につけておけば、何があっても身を助けるばい!」ばあちゃんの言葉に従い、3歳の時から三味線、踊りといった芸事を始めたかあちゃんは、7歳で満州に慰問に行き、兵隊さんたちに大人気。女学生の時じいちゃんを亡くし、生活が苦しくなるとすぐ学校をやめて中華料理店で働き出し、歌と踊りの芸能部を作って活躍。とうちゃんを原爆症で亡くしたあとは、女手ひとつで子供たちを育てあげ、「どんなときも楽しく生きる」ばあちゃんの心を受け継いだかあちゃん。そんなかあちゃんと洋七との母と子の愛情を、涙と笑いと感動でつづる、「がばいばあちゃん」シリーズ第4弾!

 

こちらの本でも気になって付箋をつけた箇所を抜粋してみましょう。

「俺が考えるに、強さというのは明るさじゃないだろうか」記述、p6。

「人はまず、仕事しろ。仕事さえすれば、米、みそ、しょうゆ、友だち、信頼がついてくる」ばあちゃんの言葉、p9。

 

以下はかあちゃんの手紙から

「厳しい言葉の中にも、優しさをみつけろ。優しい言葉の中にも、厳しさがあることに気づけ」

「苦しいと思ったら、人に親切にすること。いつかは全部、自分に戻ってくるから」

「苦労は幸せになるための準備運動だから、しっかりやれ」

「人に頑張れと言わなくとも、自分が頑張れば、周りも自然と頑張ってついてくる」

「みんな誰かに嫌われているから大丈夫。愛する夫も、愛する妻も、誰かに嫌われているから、気にせず自然に生きていけ」

 

こちらの本は、上記したように、あとがきにある母ちゃんの手紙からの言葉が最も印象に残るのでした。

 

2019年10月12日 (土)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その161

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2018年5/25から5月恒例の旧東海道徒歩の旅に出発しています。今回が第6次の徒歩の旅となります。5/29午後3時半頃には旧東海道宮宿手前まで到達していました。現在の名古屋市熱田区付近に居たことになります。裁断橋を過ぎて名古屋市内では旧東海道は、こちらの写真のようになります。

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旧街道沿いに、総本家亀屋芳広がありました。どうやら和菓子屋さんのようです。こちらも、「亀」に過剰反応してしまいます。

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こちらの案内板から当方が熱田区に入ったことが判ります。

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休日急病診療所近くには、道標がありました。案内には1790年に設置されたようです。西面には「東 江戸街道、北 名古屋木曽道」と、北面には「南 京伊勢七里の渡し これより北あつた御本社弐丁」との記載があったようです。

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こちらが、その道標となります。

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前方に歩道橋が見えてきました。歩道橋には熱田区伝馬1丁目との記載があります。

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歩道橋上から熱田神宮方面を撮影しています。遠く緑の杜が熱田神宮となります。

名護屋城博物館

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今回の旅の第二の目的地は、佐賀県立名護屋城博物館です。これから観覧します。

今回のホテル

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今回のホテルはダイワロイヤルホテル唐津です。前日に急遽、旅に出ることにしました。

2019年10月11日 (金)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その160

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2018年5/25から5月恒例の旧東海道徒歩の旅に出発しています。今回が第6次の徒歩の旅となります。5/29午後3時半前には旧東海道宮宿手前まで到達していました。現在の名古屋市瑞穂区付近に居たことになります。前方に「水と緑と歴史のまち 宮地区」の案内板があります。勿論、近づいて見てみましょう。

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案内板の劣化が激しいのですが、旧東海道は赤線で示してあります。現在地の記載もあります。写真右から左へ向かって進むことになります。これから先、左折するようです。

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歴史の項では、「熱田社の門前町である宮地区は、佐屋、美濃、木曽の諸街道への重要な分岐点となっていたことから、経済情報、文化の中心都市的役割を担い、東海道五十三次の41番目の宿場町宮宿として古くから栄えたところでした」との記載があります。「また、東海道五十三次のうち唯一の海上路で桑名までの距離が7里だったため七里の渡しと呼ばれ熱田社の門前町であることから、宮の渡しとも呼ばれていました」のも記載されています。

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こちらが、七里の渡しを記載したものですが、劣化しており判然としません。

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こちらの案内板のあった場所の全体像です。なんだか一里塚を彷彿とさせるような景観です。

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直ぐ近くには、裁断橋址なる傍示石がありました。

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案内には、こちらの橋が宮宿の東外れを流れる精進川の東海道筋に掛かっていたこと、1590年の小田原の陣でわが子を亡くした母親が橋の架け替えを行ったこと等の記載があります。

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こちらが、旧裁断橋桁石とのことです。かなり古そうな石ですね。

吉野ヶ里歴史公園2

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櫓の上から撮影です。

吉野ヶ里歴史公園

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今回の旅の目的の一つである吉野ヶ里歴史公園へ到着しました。しばらく、散策してみます。

北熊本サービスエリア

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関東地方は台風接近で大変なようですが、当方は、のんびり休暇を取得しドライブ中です。

2019年10月10日 (木)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その159

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2018年5/25から5月恒例の旧東海道徒歩の旅に出発しています。今回が第6次の徒歩の旅となります。5/29午後3時過ぎには旧東海道宮宿手前まで到着していました。現在の名古屋市瑞浪区付近に居たことになります。名古屋を実感させる建物が前方に見えてきました。パロマです。その後ろにも名古屋らしい会社の看板が見えます。

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少々、旧街道を進むとその看板が見えてきました。トヨトミです。当家でもトヨトミのファンヒーターを使用しています。

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さらに旧東海道を進むと踏切となりました。こちらで鉄道を横切ることになりました。

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踏切を渡ると「東海道踏切」との記載があります。どうやらJRの東海道本線のようです。

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熱田橋を渡りました。こちらの名称から熱田神宮のある宮宿付近まで到達していることを実感できます。

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さらに進むと、今後は鉄道橋の下を潜ることになります。こちらは何の線路でしょうか?

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鉄橋の下には、東海道を示すコンクリート製の杭があるのでした。自分の位置する場所が確認できて助かります。

近所の散策2019---寒露過ぎ

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近所の染井吉野が勘違い開花をしているのを先日、当ブログに掲載しましたが、今朝、joggingから戻ると、当家の河津桜も勘違い開花をしていました。こちらが、今朝、撮影したものです。染井吉野よりもピンク色が強いのが特徴です。

さて、台風21号が接近していますが、どうやら、九州はあまり影響がないようです。九州各地の天気予報も3連休を含めて良好です。関西、関東地方の方々には、チョット、申し訳ないです。さて、どうするかな?

2019年10月 9日 (水)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その158

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2018年5/25から5月恒例の旧東海道徒歩の旅に出発しています。今回が第6次の徒歩の旅となります。5/29午後2時半過ぎには旧東海道宮宿の手前まで到着していました。現在の名古屋市天白区から瑞穂区付近に居たことになります。こちらは熊野三社となります。何故、撮影したのかというとガイドブックにあったからです。写真右には宿駅制度制定400年記念碑があります。

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2-3分、進むと東海道の傍示石の側面に山崎の長坂とあります。文字通りの坂があるようです。

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こちらが、その長い坂となります。写真では判り難いと思いますが、緩やかな登り坂となっています。

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旧東海道は、山崎橋と渡ると川沿いに進むことになります。写真左に川があります。

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すると、名古屋の基幹産業の1つであるブラザー瑞穂工場が見えてきました。

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穂波歩道橋を渡ります。歩道橋には瑞穂区の記載があります。知らないうちに天白区から瑞穂区へ移動していたようです。

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穂波歩道橋から交差点を撮影しています。こちらの歩道橋は片道3車線を跨ぐ大掛かりな歩道橋なのです。

2019年10月 8日 (火)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その157

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2018年5/25から5月恒例の旧東海道徒歩の旅に出発しています。今回が第6次の徒歩の旅となります。5/29午後2時半前には旧東海道鳴海宿を通過し宮宿へ向かって歩いていました。現在の名古屋市天白区内に居たことになります。例の東海道の傍示石がありました。調べてみると塩付街道とは、江戸時代笠寺星崎一帯で生産された塩を、長野方面に運搬するルートの一部として用いられていた」とあります。 

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さらに少々、進むと「名古屋十名所」なる傍示石がありました。

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名古屋十名所の1つが、こちらの施設のようです。

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鳥居の右には、宿駅制度制定400年記念碑がありました。

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こちらの施設は、長楽寺のようです。子犬、子猫の里親会が開催されているようです。でも、何故、お寺さんに鳥居なのでしょうか?

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長楽寺を過ぎ、呼続小学校前歩道橋を渡ると、街燈には東海道呼続発展会による東海道の表示がありました。こちらは通学路になっているようです。

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誓願寺さん前にも東海道の傍示石がありました。

 

2019年10月 7日 (月)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その156

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2018年5/25から5月恒例の旧東海道徒歩の旅に出発しています。今回が第6次の徒歩の旅となります。5/29午後2時過ぎには旧東海道鳴海宿を過ぎ宮宿へ向かって歩いていました。現在の名古屋市天白区内に居たようです。笠寺には、こちらのような楽しげな看板があるのでした。商店街店主、代表者たちの似顔絵でしょう。

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近くには笠寺を示す石製のモニュメントがありました。

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旧街道の前方に踏切が見えてきました。

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踏切から南方向を撮影したものと思います。恐らく名鉄名古屋本線本笠寺駅のはずです。

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踏切を渡るとすぐに、東海道の傍示石がありました。側面には、「是より北よびつき」との記載があります。「よびつき」って?と思いました。

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「よびつき」=「呼続」という地名なのでした。

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既に名古屋市天白区内に到着しているのですが、旧東海道はこの付近では長閑な感じです。

2019年10月 6日 (日)

OUT---下巻

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今回も、前回に引き続き桐野夏生氏の「OUT---下巻」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。

主婦ら4人の結束は、友情からだけではなく、負の力によるものだった。その結びつきは容易に解け、バランスを欠いていく。しかし動き出した歯車は止まることなく、ついに第二の死体解体を請け負うはめになる。彼女たちはこの現実にどう折り合いをつけるのか。
大きな話題を呼んだクライム・ノベルの金字塔。

うーん、アマゾンの書評の箇所にも指摘があるように、結末が頂けません。こちらの著者の情景描写、心理描写等、文章力はかなりなものだと思います。しかし、やはりこの小説の終わり方が通常の人間では理解困難でしょう。佐竹、雅子の心理状態も理解不可能です。当方が、著者の領域にまで達していなかからでしょうか?

こちらの本で唯一納得できたのは、解説に記載されることです。「特別に上昇への志向が芽生えるきっかけでもなければ、他の階級の人間と親しく交わることもなく、流れのままに生きていくのが一般的な人間なので、---(後略)」解説、p337。

こちらの表題である「OUT」は登場人物がアウトという意味のようです。でも、小説の結末がアウトかな。

文章力が凄いので、違う顛末にして欲しかった。同氏の違う本を既に購入してしまいましたが。

2019年10月 5日 (土)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その155

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2018年5/25から5月恒例の旧東海道徒歩の旅に出発しています。今回が第6次の徒歩の旅となります。5/29午後1時半過ぎには旧東海道鳴海宿を通過しつつありました。旧街道は、こちらでクランクがありました。

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クランクを過ぎると、旧街道沿いのこちらのお宅の前には、名古屋らしく昔のトヨペット・コロナがあるのでした。今どき、このようなクルマが残っていること自体が珍しいですね。当方が小学生の頃には、こちらのクルマが近所にあったような記憶があります。

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さらに数分、進むとこちらの常夜燈がありました。

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案内には、「丹下町常夜燈」とあります。「鳴海宿の西の入り口丹下町に建てられた常夜燈である」「1792年に設置された」との記載もあります。

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天白橋バス停を過ぎます。

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笠寺の一里塚が見えてきました。写真左が旧東海道のはずです。

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笠寺一里塚の傍示石となります。

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説明文には、江戸から88里の距離にあり、名古屋市内に唯一残る一里塚との記載です。

近所の散策2019---秋分過ぎ

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自宅近くに、毎年、1本のみ早く開花する染井吉野があります。春先には、いつ開花するのか楽しみにています。ところが、昨朝のjoggingの際に勘違い開花をしているのを発見し、本日午前中に撮影して来ました。こちらの写真のように数輪の花弁が開花しています。よく見ると、隣の染井吉野も1輪開花していました。1年で2度、楽しませてもらっています。

さて、今朝も午前5:30分頃には起床し、朝食を頂き、その後、約6Kmのjoggingへ出かけています。午前6時頃ですと空気もややヒンヤリしていて走っていても気持ちが良いです。その後、雑用をして今の時間となりました。

今日は快晴で、正午前ともなるとやや暑く、自室では冷房を入れています。本日、高校時代同級生が日本野鳥の会の講演で宮崎へ来ることになっています。明日の夕方、会食をする約束です。宮崎空港へ到着した際には、この暑さに驚くことでしょう。

今日はrugby world cupのサモア戦があります。ルールはよく判りませんが、アイルランド戦をliveで見て面白かったので、今夜もTVで観戦するかもしれません。

2019年10月 4日 (金)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その154

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2018年5/25から5月恒例の旧東海道徒歩の旅に出発しています。今回が第6次の徒歩の旅となります。5/29午後1時半前には旧東海道鳴海宿に到着していました。こちらは名古屋市緑生涯学習センターの建物になります。

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センターの前に、こちらの鳴海宿の案内板がありました。

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看板右上部には、「東海道五十三次に描かれている鳴海宿」があります。

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その左隣りには、明治末期の祭礼の様子の写真がありました。

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この地には、鳴海町役場旧庁舎があったようです。

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鳴海町役場→名古屋市緑区役所→緑社会教育センター→緑生涯学習センターと変遷したようです。役場があった場所ですので、鳴海宿の中心地であったことと思います。

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右下の案内文には、「鳴海宿は休息や人馬の継立の場として1.8Kmにわたって栄え、その様子は道中記や紀行文のほか、浮世絵でも伝えられています」との記載があります。

ペットマト---ハバネロの生長記録3

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仕事場窓側で水耕栽培しているペットマトのハバネロの生長記録です。約2週間ぶりの登場です。前回は9/19に記載しています。

この植物の特徴でしょうか、非常に生長が遅いのです。本来であれば、毎週、記録したいのですが、生長速度が遅いです。

本日、このような状況となりました。2粒、種を蒔いたのですが、発芽したのは1つのみです。まあ、いいか。今後の生長が楽しみです。

 

2019年10月 3日 (木)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その153

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2018年5/25から5月恒例の旧東海道徒歩の旅に出発しています。今回が第6次の徒歩の旅となります。5/29午後1時前には旧東海道池鯉鮒宿から鳴海宿へ向かって歩いていました。殆ど鳴海宿の手前まで来ていることになります。空飛ぶ道路の橋脚には、こちらの案内がありました。国道1号線になり、その先には蒲郡、高速道路となるようです。

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橋脚の直ぐそばに有松一里塚がありました。傍示石に刻印があります。

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一里塚の全体像です。こちらは、現代風に作り直されたもののようです。

 

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約15分程度、歩行すると常夜灯がありました。

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案内には平部町常夜灯の記載があります。案内には1806年に設置された旨の記載があります。200年以上の時間が経過していることになります。有松の一里塚とは、その星霜の経過を対比するかのようです。

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電柱には、鳴海町相原町の記載があります。どうやら鳴海宿に近づいたようです。

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さらに進むとクランクがありました。こちらから鳴海宿が始まるようです。

2019年10月 2日 (水)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その152

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2018年5/25から5月恒例の旧東海道徒歩の旅に出発しています。今回が第6次の徒歩の旅となります。5/29午後0時半過ぎぎには旧東海道池鯉鮒宿から鳴海宿へ向かって歩いていました。殆ど鳴海宿の手前まで到達しています。こちらにもこの付近特融の家屋がありました。

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仲舛竹田荘とのことです。案内には、「有松絞りの開祖である竹田庄九郎ゆかりの江戸自体の建物であったと伝えられている」とあります。

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現在は、デイサービス松柏苑として使用されているようです。「ありまつ」と記載されている暖簾が有松絞なのでしょう。

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この付近は名古屋市有松町並み保存地区に指定されているようです。清涼飲料水の自販機も落ち着いた色合いになっています。

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岡家住宅の案内がありました。「有松における代表的な美しい外観を備えた塗篭造(ぬりかごつくり)の建物である」と記載されています。

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こちらが、岡家住宅となります。

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有松の町並みを過ぎると、空飛ぶ道路があるのでした。

2019年10月 1日 (火)

世界の果てまでイッテQのカレンダー---2019年10月

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世界の果てまでイッテQのカレンダー10月は、手越祐也さんの「ミステリーすぎる地上絵」です。地上絵といえは、やはりナスカです。ナスカで撮影されたようです。地上絵としては、おそ松くんで出てくるイヤミが「シェー」をしているような絵です。写真左が頭部、右が下肢となります。まあ、イヤミを知っていているような年代は、歳が判りますね。勿論、こちらのon airも見ていない記憶です。

さて、10月といえば本格的な秋です。今年も残すところ3ケ月となりました。10/22(火)には、天皇陛下の即位の礼があり、今年のみの祝日となります。9月と同様に祝日が多く、何だか少々、恐縮してしまいますね。まあ、働き方改革で可なのでしょう。

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