« 旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その6 | トップページ | 旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その8 »

2019年11月19日 (火)

旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その7

Dscf4243

2019年5/24から5月恒例の旧東海道徒歩の旅へ出発しています。今回が第8次の旅となります。 今回の予定としては、三重県桑名市から滋賀県甲賀氏付近までの徒歩を予定しています。5/24午後2時過ぎには旧東海道桑名宿から四日市宿へ向かって歩いていました。こちらで、旧東海道は地下道を通ることになります。地下道の名称は安永地下道というようです。

Dscf4245

対側の旧東海道は正面の信号が点灯している道路となりますが、クルマが邪魔でよく見えていませんね。

Dscf4246

地下道を通り対側の旧東海道へ出ました。すると伊勢両宮常夜燈の説明文がありました。「この常夜燈は、文政元年(1818)に東海道のみちしるべとして、また伊勢神宮への祈願を兼ねて桑名・岐阜の材木商によって寄進されたものである。(中略) 安永は、町屋川(員弁川)の舟運や東海道筋の通行客を相手とする茶屋などで賑わった場所であり、この常夜燈はその頃をしのばせる遺物である」とあります。

Dscf4247

こちらが、その常夜燈と傍示石となります。

Dscf4251

常夜燈の直ぐそばにある町屋公園には、町屋橋跡の案内板がありました。

Dscf4250

現在地は、こちらとなります。現在では、旧東海道には架橋はされておらず、国道1号線にある橋を渡ることになります。

Dscf4252

案内板はかなり劣化しています。「江戸時代、ここ安永は桑名入口の立場(旅人が休憩する茶屋が集まっている所)であり、また町屋川の舟運が舟着場でもあったので、大い賑わい、茶店では街道名物の安永餅を売っていた。この地点から対岸の縄生(三重郡朝日町)の間に町屋橋がかかていた。寛永12年(1635)にはじめて架橋され、川の中州を利用した大小2本の板橋であったり、1本の板橋であったり、しばしば変わってる。下図の橋は江戸時代中頃のもので、中央は馬が退避できるように幅がやや広くなっていた。昭和8年(1933)、国道1号線の橋がかけられ、旧東海道の町屋橋は廃止された」との記載です。

« 旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その6 | トップページ | 旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その8 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その6 | トップページ | 旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その8 »

2019年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック