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2019年11月26日 (火)

旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その12

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2019年5/24から5月恒例の旧東海道徒歩の旅へ出発しています。今回が第8次の旅となります。 今回の予定としては、三重県桑名市から滋賀県甲賀市付近までの徒歩を予定しています。5/24午後3時過ぎには現在の四日市市朝明橋付近に居ました。四日市市に入ると、このような東海道案内板がありました。下部に要所となる地点から次の地点までの距離の記載があります。このような記載は徒歩の旅では概その時間が判り、非常に有用となります。

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これから歩く旧東海道を撮影しています。微妙なカーブとなります。

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何やら案内板があります。接近してみましょう。

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案内板には「松寺の立場跡」の説明がありました。前の写真右の石碑は、「輝子頌徳記念碑」との説明でした。この地域で教育に貢献した方のようですが、ここでは割愛します。

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さらに先には、龍王山宝性寺の案内があり、その下に四日市まで7Km, 100分の記載があります。立場があったことから、この付近が桑名と四日市の中間地点となるようで、こちらの案内からも、そのことが伺えます。

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さらに少々、四日市方向へ進むと、古そうな石柱と案内板がありました。

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鏡ケ池(笠取り池)の案内板でした。「続日本書紀によると、聖武天皇は、奈良時代の天平12年(740)に伊勢国を行幸になり、11月に一志郡河口をたち、鈴鹿郡赤坂の頓宮を経て、23非に朝明郡の頓宮に着かれたとある。その場所の所在は不明であるが、当地近辺であり、松原町のもと松原姓を名乗っていた旧家田村氏宅に伝わる話では、聖武天皇が行幸を際に松原を通られると一陣の風が吹き、天皇の笠が池の中に落ちた。ちょうどその時、傍に洗濯をしたいた娘がその傘を拾って差し上げたため、これが縁となって天皇はこの田村家に宿をとられたという。明くる朝、旅立ちの日は、風邪もなし、空は真っ青に澄んで、馬上の天皇の姿と、見送る娘の姿とが、鏡のような池の上にともの映えて、一幅の絵を見るような光景になった。以後、この池を鏡ケ池とも呼ぶようになったといわれる」との記載です。手打ちで疲れました。

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