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2022年8月22日から夏季休暇を利用して旧甲州街道徒歩の旅へ出かけています。第4日目の8/25午前6時過ぎには多摩センターの実家を出発し、多摩モノレール柴崎体育館駅には午前7時半前には到着しています。その後、柴崎体育館付近から徒歩の旅を再開しています。午前8時半過ぎには日野宿本陣付近を、午前9時頃には日野駅駅前を通過しています。臨済宗法泉禅寺を通過すると、こちらの案内板がありました。
地図の上が大坂上2丁目、下が大坂上3丁目となるようです。進行方向に中央高速もあるようです。現在地は、写真ほぼ中央となります。
すぐ近くに日野市立大坂上中学校がありました。こちらが正門のようです。
正門横には、中学校の位置をしめす石碑がありました。東経139度23分21秒、北緯35度40分14秒と記載されています。
日本の目安として、秋田が東経140度、北緯40度、東京が東経140度、北緯35度程度ですので、日野あたりでは妥当な位置となるでしょう。
今回は、こちらの本を選択しています。真山仁氏の「ハーディ ハゲタカ2.5 下巻」です。本のカバーには、以下のように紹介されています。
世界的リゾートグループのパリ本社で激しい権力闘争に巻き込まれる松平貴子。中国の富豪・将陽明と娘の美麗はあらゆる手を尽くして事態を混乱に陥れる。冷酷な買収者・鷲津の影もちらつき、中国内部の暗闘も表面化、物語はさらなる局面へ。ミカドホテルの運命は?「ハゲタカ」から生まれた国境サスペンス劇!
こちらの本でも読書中に気になって付箋を貼付した箇所を抜粋してみましょう。
誰にも頼らず自分で戦って下さいよ。そうすれば、あなたにとって本当に大切なものが分かるはずだ。鷲津の言葉、p127。
憎しみや対立からは何も生まれない。本文、p299。
生きるということは、フィッシングと一緒だと、今、改めて思う。相手が引けばリールを緩め、相手が押した時、その勢いで一気に巻き上げる。本文, p348。
うーん、本来、ハゲタカシリーズは経済小説だったと理解しているのですが、spin offとはいえ、こちらの本はスパイ小説になっていますね。
当方にとっては、少々、現実離れしているほど舞台は壮大すぎるのでした。
2022年8月22日から夏季休暇を利用して旧甲州街道徒歩の旅へ出かけています。第4日目の8/25午前6時過ぎには多摩センターの実家を出発し、多摩モノレール柴崎体育館駅には午前7時半前には到着しています。その後、柴崎体育館付近から徒歩の旅を再開しています。午前8時半過ぎには日野宿本陣付近を、午前9時前には八坂神社前、上宿の辻公園を通過しています。午前9時頃には日野駅まで到達しています。
立川駅と八王子駅の間に日野駅と豊田駅があるのですが、やはり、当方にはちょっと馴染みがありません。地理的に立川、八王子なら少々、理解できるのですが。
日野駅前に、現在地を示すイラストがありました。まあ、日野駅前なのです。
日野駅前にも、「まちかど写真館 in ひの」がありました。案内には、昭和12年に中央線の複線化により現在地に日野駅が移転してきたこと、と、駅舎設計の記録に、日野の風土に合わせて多摩の農家を模したとの記載がありました。
2023年10月1日から10月31日までjoggingで78Kmを走りました。10月もjogging走行100Km以上を達成することが不可でした。ただ、10/6から旧甲州街道徒歩の旅に出発していますので、実際の歩行距離は伸びているはすです。
今回は青い森鉄道八戸駅から青森駅まで仮想乗車したことにしましょう。この区間は96Km、料金は2330円、所要時間は1時間35分、乗車時間も1時間35分のようです。この区間の全駅数は20駅となります。残のうち18Kmを使用します。残は14Kmとなります。次回の仮想乗車の旅で使用することします。
この区間も、いわて銀河鉄道と同様に青い森鉄道という第三セクターで運営されているようです。このルートを乗車した経験があるのでしょうか? 約50年前の高校修学旅行で関東から北海道まで鉄路で移動していますが、果たして、このルートを通過したのが否か、記憶が全くありません。
さて、10月の万歩計の結果です。今回は、縦軸のscaleが異なっています。総歩行数は18.4万歩、消費カロリーは4610al、歩行距離は101.4Km、脂肪消費量は274gとのことです。
10/6-10/10は前述のように旧甲州街道徒歩の旅で出ていますので、歩行距離が伸びています。
当方が使用していたインクジェットプリンターCanon MG6230が壊れたようです。プリンターがないと非常に困るので、急遽、こちらの機種を購入しました。購入基準は、やはりCanon製であること、今回はあまり高機能のものは必要としないので、印刷、scan、copy機能がありWiFi接続可能なこちらを選択しました。Canon Pixus TS7530です。
すぐに必要でしたので、Edionで直接、購入しました。MG6230に比し、非常に安価に作成されているような印象です。プラスチックも何だか非常に薄いのです。まあ、印刷ができれば可としましょう。
MG6230は修理に出すか否かは検討中です。未使用のインクが残っているので少々、未練がありますが、10年以上使用してきたので可なのでしょう。
2022年8月22日から夏季休暇を利用して旧甲州街道徒歩の旅へ出かけています。第4日目の8/25午前6時過ぎには多摩センターの実家を出発し、多摩モノレール柴崎体育館駅には午前7時半前には到着しています。その後、柴崎体育館付近から徒歩の旅を再開しています。午前8時半過ぎには日野宿本陣付近を、午前9時前には八坂神社前を通過しています。ギャラリーカフェ大屋を過ぎるとすぐに、こちらの東屋風のものが見えて来ました。
上宿の辻公園との看板があります。右に説明文があるようです。
案内によると、「日野宿は、上宿、中宿、下宿に分かれており、この公園は甲州街道が西の八王子宿に向かうかぎ形に折れる辻に接しています」
とありました。
今回は、こちらの本を選択しています。真山仁氏の「ハゲタカ2.5 ハーディ(上)」です。本のカバーには以下のように紹介されています。
日本を代表するクラシックホテルの日光ミカドホテルは、経営難に陥り世界的リゾートグループのリゾルテ・ドゥ・ビーナス傘下に。創業家の長女、松平貴子はビーナスから執行役員になって目標値を達成すればミカドを返すと約束される。一方、謎多い中国の大富豪から救済案の提示が。
陰謀の渦巻くなか貴子が闘う!
こちらの本でも読書中に気になって付箋を貼付しか箇所を抜粋してみましょう。
意識改革というのは、難しい。本文、p155。
吹雪の中でも、顔をあげて前に進む人になりたい。貴子の言葉、p214。
怒りからは何も生まれません、貴子の言葉、p237。
世界の運命を左右する最大のエネルギーは、カネでも経済的合理性でもない。人間の感情や欲望です。将の言葉、p249。
失ったものを取り戻すのではなく、今あるものを大切にすればいいじゃないか。呉の言葉、p273。
ハゲタカシリーズでは、ハゲタカ、ハゲタカⅡ、レッドゾーンの順で真山仁氏の本を読書してきました。そこで、ハゲタカ2.5であるこの本を選択したのですが、どうやら、この本はハゲタカシリーズのspin off作品のようです。やはり、設定が壮大すぎて当方には付いていけませんが、、自分の知らない別世界もあるんだと思いながら読書するのでした。
2022年8月22日から夏季休暇を利用して旧甲州街道徒歩の旅へ出かけています。第4日目の8/25午前6時過ぎには多摩センターの実家を出発し、多摩モノレール柴崎体育館駅には午前7時半前には到着しています。その後、柴崎体育館付近から徒歩の旅を再開しています。午前8時半過ぎには日野宿本陣付近を、午前9時前には八坂神社前を通過しています。旧甲州街道沿いにギャラリーカフェ大屋という看板がありました。その店舗前には、「甲州街道左へ」との案内があります。
店舗前に、こちらの写真を掲げられていました。表題は「まちかど写真館 in ひの」とあります。志村家(屋号大屋)との記載もあります。昭和14年頃に撮影のようです。大屋は、戦前まで荒物屋さんを営んでいたようです。写真後ろのクルマはダットサンとの説明もありました。
こちらが、ギャラリーカフェ大屋さんの正面となります。未だ、開店前のようですね。
2022年8月22日から夏季休暇を利用して旧甲州街道徒歩の旅へ出かけています。第4日目の8/25午前6時過ぎには多摩センターの実家を出発し、多摩モノレール柴崎体育館駅には午前7時半前には到着しています。その後、柴崎体育館付近から徒歩の旅を再開しています。午前8時半過ぎには日野宿本陣付近を通過しています。道路対側に八坂神社の鳥居が見えて来ました。幟には、安産祈願と記載されています。
八坂神社付近から進行方向を撮影しています。写真左に太い道路が、右に少々、細い道が見えます。こちらが旧甲州街道のようです。
すると、日野宿と甲州街道なる案内文がありました。
一部を撮影しています。現在地が八坂神社の近くにあることが判ります。黄色破線は、昭和7年に甲州街道が拡幅工事されてための道路のようです。旧甲州街道は、現在地から写真左下方向へ進むことになります。
2022年8月22日から夏季休暇を利用して旧甲州街道徒歩の旅へ出かけています。第4日目の8/25午前6時過ぎには多摩センターの実家を出発し、多摩モノレール柴崎体育館駅には午前7時半前には到着しています。その後、柴崎体育館付近から徒歩の旅を再開しています。午前8時半過ぎには日野宿本陣付近に到着していました。道路対側を撮影しています。建物敷地内に「甲州街道日野宿問屋場跡、高札場跡」の石柱が見えます。こちらの建物は、日野図書館でした。
この付近は、日野本町というようです。まあ、本陣があったくらいですから、本町であることは当然ですね。
さらに、写真右の建物が日野駅前郵便局となるのですが、写真中央のなまこ壁を持つ石造りの立派な建物が見えます。こちらも確認できていません。
2022年8月22日から夏季休暇を利用して旧甲州街道徒歩の旅へ出かけています。第4日目の8/25午前6時過ぎには多摩センターの実家を出発し、多摩モノレール柴崎体育館駅には午前7時半前には到着しています。その後、柴崎体育館付近から徒歩の旅を再開しています。午前8時半過ぎには日野宿本陣付近に到着していました。日野宿本陣前には、こちらのような写真がありました。表題は、「奉納賽銭箱ー下佐藤家前」とあります。昭和29年5月に撮影されたもののようです。この時代では、四輪よりもオート三輪が主だったようです。オート三輪を知らない世代が多いでしょうな。
こちらの写真もありました。下佐藤家表門との表題です。撮影時期は明治30年代とのことです。どうやら長屋門のようです。庄屋さんでも長屋門を設置できたのでしょうか?
2022年8月22日から夏季休暇を利用して旧甲州街道徒歩の旅へ出かけています。第4日目の8/25午前6時過ぎには多摩センターの実家を出発し、多摩モノレール柴崎体育館駅には午前7時半前には到着しています。その後、柴崎体育館付近から徒歩の旅を再開しています。午前8時半過ぎには日野宿本陣付近に到着していました。案内文がありました。それによると、上佐藤家と下佐藤家が本陣を務めていたようです。現在の建物は脇本陣で1864年に竣工したもののようです。
こちらの説明には、本陣が117坪、脇本陣が112坪で、甲州街道で本陣、脇本陣とも100坪を超えるのは日野宿と犬目宿のみだったとの記載です。
「日野宿本陣ご案内」がありました。開館時間が午前9時半からとの記載です。この時点では8時40分過ぎでしたので、見学するなら40分以上、待機することになります。旧東海道徒歩の旅で、草津本陣へ入館し見学しているのでpassするこにしています。
2022年8月22日から夏季休暇を利用して旧甲州街道徒歩の旅へ出かけています。第4日目の8/25午前6時過ぎには多摩センターの実家を出発し、多摩モノレール柴崎体育館駅には午前7時半前には到着しています。その後、柴崎体育館付近から徒歩の旅を再開しています。「日野の渡し場」を午前7時半過ぎには通過し、午前8時頃には日野市へ入っています。午前8時半過ぎには新奥多摩街道入口交差点を通過しています。進行前方に、川崎街道なる標識がありました。
直行するように甲州街道の案内もあります。
こちらは、川崎街道入口交差点となります。どうやら、この交差点で甲州街道と川崎街道が交差するようです。左折すると川崎に到着するのでしょう。
2022年8月22日から夏季休暇を利用して旧甲州街道徒歩の旅へ出かけています。第4日目の8/25午前6時過ぎには多摩センターの実家を出発し、多摩モノレール柴崎体育館駅には午前7時半前には到着しています。その後、柴崎体育館付近から徒歩の旅を再開しています。「日野の渡し場」を午前7時半過ぎには通過し、午前8時頃には日野市へ入っています。午前8時半頃には新奥多摩街道入口交差点付近に到着しています。
この交差点付近に何だか立派な石造りの建物が見えて来ました。
こちらの建物には、こちらの案内板がありました。案内板には、「有山家(屋号綿十)」との表題です。明治期推定とあります。
案内には、「有山家、仲嶋家(屋号嶋屋)、古谷家(屋号油屋)、土方家(屋号土屋)と蔵の連なる甲州街道沿いの街並みがよく判る1枚です」とありました。
有山家には、こちらのような蔵も現存しているようです。古谷家(屋号油屋)の蔵はどうなったのでしょう?
今回は、こちらの本を選択しています。さだまさし氏の「アントキノイノチ」です。本のカバーには以下のように紹介されています。
杏平はある同級生の「悪意」をきっかけに二度、その男を殺しかけ、高校を中退して以来、他人とうまく関われなくなっていた。遺品整理会社の見習いとなった彼の心は、凄惨な現場でも誠実に汗を流す会社の先輩達や同い年の明るいゆきちゃんと過ごすことで、ほぐれてゆく。けれど、ある日ゆきちゃんの壮絶な過去を知り…。「命」の意味を問う感動長篇。
こちらの本でも読書中に気になって付箋を貼付しか箇所を抜粋してみましょう。
悲しいけど僕は、人を疑る人間になってしまったのだ。本文、p16。
自分の事、大事にせにゃいけねえだよ、佐相さんの言葉、p67。
一所懸命生きた人は、一所懸命に死ぬことができる。永島の父の言葉、p115。
大切なのは、死ぬほど口惜しいって思いをね、どんな風にして自分のの生きるエネルギーに変えるかってことだよ。永島の父の言葉、p117。
山登りで一番難しいのはね、登ることじゃない。登った山を無事に下りることだ。永島の父の言葉、p118。
私が元気があるっていうのはね、眼に力のある人。雪ちゃんの言葉、p223。
私ね、老人ってホントに凄いと思う。だってね、ずっと生きていないと老人になれないんだよ。雪ちゃんの言葉、p295。
こちらの本にも、沢山の素敵な言葉が散らばっていました。古本屋さんを散策中に、さだまさし氏の本で、面白いタイトルだったので購入しました。佐相さんの仕事への態度、凄いと思いました。敬意を払います。こちらの本も楽しませて頂きました。
2022年8月22日から夏季休暇を利用して旧甲州街道徒歩の旅へ出かけています。第4日目の8/25午前6時過ぎには多摩センターの実家を出発し、多摩モノレール柴崎体育館駅には午前7時半前には到着しています。その後、柴崎体育館付近から徒歩の旅を再開しています。「日野の渡し場」を午前7時半過ぎには通過し、午前8時頃には日野市へ入っています。前回の「日野宿と甲州街道」の続きです。こちらは、「日野橋竣工間際の日野渡船場」の写真のようです。説明には、「下流に建設中の日野橋を望む渡船場です。大正15年にコンクリート製の日野橋ができすまで、冬は仮橋で、水の多い夏場は渡し舟で往来していました」との記載です。大正末期の撮影のようです。
同様に、「多摩川側から見た旧渡船場道」なる案内文がありました。旅人は渡船場を南に進み、旧高木家の角を右折し日野宿へ入ったとあります。写真は昭和43年に撮影との記載もありました。
さらに、「拡幅工事前後の甲州街道 下町高木家前」という写真もありました。昭和7,8年の拡幅工事前後で撮影されたもののようです。
2022年8月22日から夏季休暇を利用して旧甲州街道徒歩の旅へ出かけています。第4日目の8/25午前6時過ぎには多摩センターの実家を出発し、多摩モノレール柴崎体育館駅には午前7時半前には到着しています。その後、柴崎体育館付近から徒歩の旅を再開しています。「日野の渡し場」を午前7時半過ぎには通過し、午前8時頃には日野市に入りました。地蔵尊、馬頭観音菩薩像の石碑のある場所に到着しました。
近くには、「日野宿と甲州街道」なる表題の案内文がありました。
緑破線で示されたのが1684年以前の旧甲州街道、赤破線で示されたのが1684年以後の旧街道のようです。つまり、「万願寺の渡し」から多摩川上流側の「日野の渡し」へ渡しの場所が変わったようです。
何の変哲もないカレンダー2023年11月は、京都府京都市保津峡で撮影された紅葉です。
保津峡って何、と思いましたが、京都府亀岡市から渡月橋に至るまでの渓谷とのことです。「へーそうなんだ」って感じです。
さて、昨今は大分、冷え込むようになりました。10月の第1週には冷房が必要でしたが、その後、急激に季節が進み、第3週には暖房のことを考えるようになり、第4週には灯油を購入しています。
季節も帳尻を合わせるかのように進んでいるようです。今年もあと2ケ月です。進歩したのかな?
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