旅行・地域

2017年7月28日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅110

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/6正午前には静岡市葵区付近に居ました。旧東海道沿いには、久能山東照宮道の案内石碑がありました。この道を辿ると久能山へ通じるのでしょう。

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こちらは、花陽院門前町を示す石碑となります。
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案内には、「町名の由来となった玉桂山華陽院は、元来智源院と呼ばれ松平竹千代。後の徳川家康公が今川氏の人質時代に勉学に通った寺として知られています。駿府での竹千代の養育にあたった外祖母源応尼(家康公の生母お大の方の母)の法名に因み華陽院に名を改めました。華陽院には、源応尼の墓と並んで家康の五女市姫の墓があります」

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旧東海道沿いの店舗の特徴を示しているものが残存しています。間口が狭く、奥行きがあるのです。
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こちらは、上伝馬本陣、脇本陣を示す石碑となります。

静岡市というとやや地味なimageがありますが、駿府といえば、さすが家康のお膝元で大きな宿場だったようです。静岡県静岡市ではなく駿河県駿府市にすれば良かったのに。こちらを参照で。

2017年7月26日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅109

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/6午前11時半過ぎには静岡市葵区付近に居ました。こちらは旧東海道駿府府中宿猿屋町の石碑です。

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猿屋町の案内には、以下のような記載があります。「町名は、猿引きの住む町であったことに由来します。猿引きとは、正月などに家々を回り、猿に舞わせて1年の安泰を祈る芸能のことで、猿廻しとも呼ばれます。中略 この地には、今川氏の時代から猿引きが済、正月、五月、九月に駿府城内や城下の家々などに出向いて馬の病災除けや、子供の疱瘡除けを願い、猿の舞を披露していました。猿は馬の守護神であるという古くからの信仰があり、そうした信仰に基づいて厩(うまや)を回っていたようです」
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こちらは鋳物師町を示す石碑となります。

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鋳物師町の案内には、以下のように記載されています。「東海道府中宿の一画に位置し、町名は江戸時代のはじめに鋳物師が住んでいたことに由来します。鋳物師町の名は今はなく、現在では伝馬町、横田一丁目、日出町に分かれています」

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こちらは旧東海道府中宿を示す案内となります。案内文には、江戸から19番目の宿場となること、天保14年(1843年)には、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠?軒(判読困難)、家数は3673軒、人口は14071人の東海道最大規模の宿場でしたのと記載がありました。
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案内の写真には、駿府城前には2つのクランクがあることが判ります。

2017年7月24日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅108

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/6午前11時半過ぎには静岡市静岡鉄道春日駅付近に居ました。こちらが歩道橋上から撮影したものです。旧東海道は写真右に伸びる道路となります。写真左に伸びる道路は国道1号線です。

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この歩道橋を降りると、その橋桁付近に東海道府中宿東見附の案内がひっそりとありました。

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案内には、「横田町は駿府でも古い地名のひとつで、横田の名は平安中期の書物にも登場しています」と記載されています。

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その横には、現在地を示す案内がありました。旧東海道は、写真左方向へ伸びるようです。

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道路には、このような案内板も埋め込まれています。「下横田町 平安時代に編まれた延喜式には東海道の駅の1つに横田の名が記さています」とあります。やはり古い地名であることが判りますね。

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こちらは、案内板の横にあった道標となります。

2017年7月21日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅107

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/6午前11時半頃には静岡市駿河区付近に居ました。東海道本線を潜り右折することになります。

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すぐにこのような旧東海道を示す案内がありました。この付近は曲金という地名のようです。

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さらに数分、歩行を続けるとこのような交差点に出くわしました。どうやら旧東海道は写真中央の道のようです。

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すると、このような道となります。高架は東海道新幹線用のようです。こちらで、再度、東海道本線を潜ることになります。写真左の細い歩道を通過した記憶があります。

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東海道本線を潜り歩道橋の上から撮影しています。写真は静岡鉄道春日駅です。

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歩道橋の上から、通過して来た道を振り返っています。東海道本線と新幹線高架があることが判ります。

2017年7月19日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅106

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/6午前11時頃には静岡市長沼交差点付近に居ました。こちらは長沼交差点から西方向へ向かう旧東海道となります。

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数分、歩くと静岡鉄道長沼駅となります。こちらが、その長沼駅の可愛らしい駅舎となります。

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更に10分程度歩くと柚木駅がありました。車両が停車しているのが判ります。旧東海道はガイドブックによると、この長沼駅柚木駅間でやや南側になるのですが、現在は道が残っていないようです。どういうことで、この柚木駅前の交差点を歩道橋を利用して左折することにします。

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こちらが、歩道橋上から見た進行方向です。太い車道脇の細い歩道を通ることにします。この歩道橋上で写真を撮影していた時に保育園児が保母さんに引率されて通過して行ったことを覚えています。

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通過する歩道は、このような細く心細い道なのです。東海道本線を潜ることになります。

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東海道本線を潜り対側へ出てきました。写真中央の階段を登ることになります。暑かった記憶があります。

2017年7月17日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅105

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/6午前10時半過ぎには旧東海道古庄(静岡市葵区)付近に居ました。道を間違えたので、引き返しています。すると、このような旧東海道の案内がありました。ホッと安心しています。

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旧東海道右には後久橋があります。さらに進むと、

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先ほどの北村地下道の階段がありました。

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旧東海道は、この写真のように東海道本線沿線を進むようになっているのです。高架となって通過しているのは静岡鉄道線のようです。

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旧東海道を進み、長沼の交差点までやって来ました。比較的大きな交差点です。

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写真左が国道1号線、写真右が旧東海道となります。旧東海道は静岡鉄道長沼駅方向へ向かっているのです。

2017年7月14日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅104

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/6午前10時過ぎには旧国鉄操車場付近に居ました。旧東海道記念碑の右側にはこのような地下道があります。そうです。旧東海道は、この地下道を通過しているのです。地下道により東海道本線、静岡鉄道線をunder passすることになります。

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この地下道は北村地下道というようです。その下には、「この地下道は幅員3.0mで狭いため通行にはご注意下さい」とあります。写真を撮影していると、丁度、クルマが通過して行きました。少々、身の危険を感じながら、そしてクルマの来る気配に注意しながら潜入することにします。

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地下道の中には、クルマが離合可能なように、このような退避帯がありました。ちょっと、安心しましたが、その先は、やはり幅員が狭くなっているのです。注意しながら進みます。

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こちらが、出口となります。こちらの階段を登って歩を進めました。

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階段を登ると、このような道路となっています。ガイドブックを見ながら旧東海道を進んだのですが、途中、ガイドブックと少々、食い違いを感じるのでした。

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国道古庄のバス停を通過してから、このような交差点に出てきました。通過して来たのは写真左の道路です。旧東海道は写真右の道だったのです。午前中で、未だ時間的にも余裕があるので引き返して、どこで道を間違えたのかを検証することにしました。

2017年7月13日 (木)

梅雨明け2017

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鹿児島地方気象台から本日午前、九州南部が梅雨明けしたとみられるとの発表があったようです。平年より1日早く、昨年より5日早い梅雨明けのようです。
既に、宮崎では日差しが強くジリジリと肌を焦がすような感じがします。日中は外には出ず、朝夕のみの外出の方が賢明なようです。熱中症に皆さん、注意しましょう。

2017年7月12日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅103

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/6午前10時過ぎには静岡鉄道県総合運動場駅付近に居ました。御覧のようになかなか立派な駅舎です。

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駅ビル内には、平日は午後しか診療しない整形外科医院がありました。午前中は往診に出かけているのでしょうか?土曜日のみ午前中の診療となっています。

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駅舎横の、このような道が旧東海道となります。進んでいくと、


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旧東海道記念碑なる石柱がありました。
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その横には、このような比較的新しい石碑がありました。石碑中段には以下のようの記載があります。「国道一号線(静清国道)が整備されてことから交通量も減り、旧東海道と呼ばれるようになりましたが、昭和37年国鉄操車場建設により栗原の西側が分断され、更に静清土地区画整理事業による新しいまちづくりが行われたことから栗原地内の旧東海道もその姿を消すことになりました」とあります。

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確かに、石碑の後ろには多数の線路が敷設してありコンテナ車も停車しています。かなり大規模な操車場のようです。

2017年7月10日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅102

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/6午前9時半過ぎには静岡市草薙付近に居ました。草薙地下道を渡って、来た道を振り返って撮影しています。写真左に地下道入口、正面が草薙駅、横切っているのが国道1号線となります。

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先に進みます。この付近は文教地区なのでしょうか、県立大学、中央図書館、県立美術館等の文教施設があるようです。

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この付近で旧東海道は右折しています。クルマも殆ど通過しないような、このような佇まいとなっているのです。一人てくてくと歩を進めます。

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暫くすると、このような案内がありました。「閻王寺と閻魔大王 かつてここには、閻魔大王をご本尊とする閻王寺とういう寺があり、この閻魔大王を敬えば、極楽にいけるばかりでなく現世における罪も許され、その家は子宝に恵まれて代々繁栄すると伝えられた」とあります。閻魔大王のご本尊とは、どのような顔をしていたのでしょうか?なんだか怖そうなイメージがあります。

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閻王寺跡を過ぎてから、旧東海道はこのように東名高速道路をunder passします。

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少々、西方向へ進むとこのような道と交差します。旧東海道は写真正面(右折)となります。再度、国道1号線を横切ることになるのです。

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