旅行・地域

2019年2月18日 (月)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その36

Dscf2250

2018年5/25から5月恒例の第6次旧東海道徒歩の旅に出発しています。5/26午前11時半過ぎには旧東海道新居宿から白須賀宿に向かって歩いていました。正午前になって白須賀マップが掲げられている場所に到着しています。白須賀宿に到着したようです。早速、現在地を確認してみましょう。

Dscf2251
現在地は、写真やや右で赤い文字で示されています。火鎮神社近くのようです。5/26の見どころ、難所である潮見坂は、これから30-40分程度歩く必要があるようです。
Dscf2252
直ぐ近くには、火鎮神社の案内もありました。御祭神には徳川家康も入っているようです。
Dscf2253
例の旧東海道の案内もありました。現在地は、「湖西市 白須賀宿 日鎮神社」とあります。二川宿まで10.1Kmの記載もありました。
Dscf2254
こちらが、火鎮神社の参道となります。神社自体は山を登ったことろにあるようです。
Dscf2256
正午を過ぎて元町東公民館まで到着しています。この公民館前にはコミュニティバスでしょうか、コーちゃんバス白須賀新居鷲津線と記載されたバス停がありました。なんだか、長閑な雰囲気があるのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2019年2月13日 (水)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その35

Dscf2244

2018年5/25から5月恒例の第6次旧東海道徒歩の旅に出発しています。5/26午前11時半過ぎには旧東海道新居宿から白須賀宿に向かって歩いていました。立場跡に到着しました。案内板と傍示石があるのえ近づいてみます。

Dscf2245
案内には、こちらの立場が新居宿と白須賀宿の間に位置し、代々稼働家がつとめていたこと、立場では旅人を見ると湯茶をすすめたので、ある殿様が「立場立場と水飲め水飲めと鮒や金魚じゃあるまいに」といる戯歌を詠んだという話が残っているとの記載があります。ちょっと、粋な殿様がいたようです。
Dscf2246
この附近の旧東海道です。あまり道の幅員は広くはありません。
Dscf2247
近くの民家の玄関先には、こちらのように燕が巣を作っているのでした。
Dscf2248
10分程度、白須賀宿方向へ進んでいくと、「明治天皇御野立所址」がありました。1868年9月、岩倉具視を従え東京へ行幸する際に休息されたようです。
Dscf2249
明治天皇御野立所址の全体像は、この写真のようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2019年2月11日 (月)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その34

Dscf2237

2018年5/25から5月恒例の第6次旧東海道徒歩の旅に出発しています。5/26午前11時過ぎには旧東海道新居宿から白須賀宿に向かって歩いていました。例の旧東海道の案内板がありました。この付近は湖西市紅葉寺跡のようです。白須賀宿まで2.8Kmとの記載もあります。

Dscf2238
他にも、紅葉寺跡の案内があります。非常に優雅な名称ではありますが、風流を理解できない当方は、5月には紅葉は見れないだろうと思ってしまいます。
Dscf2239
こちらの民家の間の細い道路を進むと紅葉寺があるようです。まあ、やっぱり、見学は止めておきます。
Dscf2240
この付近の旧東海道は、こちらの写真のように松並木が残存していはいるのですが、他に見るような名所旧跡はなく、単調な道路を歩くのでした。
Dscf2241
道路脇には、こちらの案内があります。「東海道五十三次コース 旧東海道松並木」の記載があります。でも、このコースを歩くのは、平坦ではありますが、少々、辛いかなと思ってしまいます。
Dscf2242
少々、西方向へ歩くと、こちらの石碑がありました。石碑自体に刻まれている言葉は判読できません。
Dscf2243
手前の案内文です。どうやら、藤原為家とその継室河佛尼の句が刻まれているようです。
当方には、縁がないようです。街道を進みます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2019年2月 8日 (金)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その33

Dscf2228
2018年5/25から5月恒例の第6次旧東海道徒歩の旅に出発しています。5/26午前11時過ぎには旧東海道新居宿を過ぎ、白須賀宿方面へ向かって歩いていました。湖西市橋本付近の旧東海道には、こちらの案内板がありました。「風炉の井」とあります。案内には、「源頼朝が上洛の折、橋本宿に宿泊した時にこの井戸水を茶の湯に用いた」とあります。ちなみに風炉とはこちらを参照で。
Dscf2229
こちらが、風炉の井を示す傍示石となります。
Dscf2230
風炉の井を覗いてみましょう。既に、井戸は埋められているようです。
Dscf2232
風炉の井を過ぎても、旧東海道は直線的に続くのでした。信号には、「橋本西」とあります。
Dscf2233
果てしなく直線道路が続くのかと思っていましたが、直ぐに、旧街道は右へ分岐することになります。
Dscf2235
この付近では、旧東海道を浜名旧街道というようです。
Dscf2236
旧東海道らしく、少々の松並木も存在するのでした。しかし、この付近はあまり見るべきものもなく、ただ単調に歩いていた記憶が残っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2019年2月 6日 (水)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その32

Dscf2220 2018年5/25から5月恒例の第6次旧東海道徒歩の旅に出発しています。5/26午前11時過ぎには旧東海道新居宿を過ぎ、白須賀宿方面へ向かって歩いていました。棒鼻跡に来ました。案内板には、「駕籠の棒先の意味であるが、大名行列が宿場へ入るとき、この場所で先頭(棒先)を整えたので、棒鼻と呼ぶようになった」との記載があります。また、この付近は、新居宿の西境で、一度に多数の旅人が通行できないように土塁が突き出て枡形をなしていたとの記載もあります。
Dscf2221
棒鼻跡の説明文と傍示石です。
Dscf2222
棒鼻跡から少々、後ずさりして撮影しています。旧東海道は左方向へやや下っています。写真左に例のサイクリング中の大学生が休憩していました。
Dscf2223
棒鼻跡から進行方向の旧東海道を撮影しています。大学生達が休息している場所は、枡形の名残りでしょうか?
Dscf2224
旧街道を進み、棒鼻跡を振り返って撮影しています。棒鼻跡には、駄菓子屋さんふうのチョットした店舗があり、こちらで飲み物を購入して大学生達は休息しているのです。
Dscf2225
棒鼻跡を過ぎると、例の旧東海道の案内がありました。この付近は、湖西市橋本というようです。新居宿加宿との記載もあります。白須賀まで3.5Kmとなります。
Dscf2226
これから白須賀宿までは、このような直線の道路となっているのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2019年2月 4日 (月)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その31

Dscf2213
2018年5/25から5月恒例の第6次旧東海道徒歩の旅に出発しています。5/26午前11時頃には旧東海道新居宿を過ぎ、白須賀宿方面へ向かって歩いていました。一里塚跡の案内板がありました。こちらの一里塚では、東側には榎、西側には松が植樹されていたようです。
Dscf2214
案内板の下には、古い一里塚の傍示石もありました。
Dscf2216
こちらが、一里塚案内板のあった方向です。今となっては一里塚の面影も残ってはいません。
Dscf2215
こちらは、一里塚跡のあった反対側となります。こちらも民家があり、その面影は伺えませんね。
Dscf2217
一里塚を過ぎて白須賀宿へ歩きます。クルマの居る交差点を右折するようです。この付近を歩いていた時、大学生と思われる自転車に乗車した集団が当方を追い越していきました。サークルなのでしょうか、白いユニホームを着衣しているのでした。
Dscf2218
交差点を右折すると、旧街道は少々、登り坂となっていました。逆方向から来れば、下り坂です。
Dscf2219
すると、民家の塀に、このような旧東海道図なるものがありました。非常に助かります。旧東海道で、このような手作り案内板をよく見かけます。ということは、旧東海道を徒歩している旅人が少なからず、存在するということでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2019年2月 2日 (土)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その30

Dscf2201

2018年5/25から5月恒例の第6次旧東海道徒歩の旅に出発しています。5/26午前10時半過ぎには湖西市新居泉町付近の旧東海道に居ました。泉町交差点付近に飯田武兵衛本陣跡がありました。案内文には、建坪196坪で。門構え玄関を備えていたこと、小浜、桑名、岸和田藩などが利用したこと、明治元年以降、天皇行幸の際に行在所となったこと、1885年にその行在所は奥山方広寺へ移築されたこと等の記載があります。

Dscf2203
こちらが、その本陣跡となります。何だか、一般の民家のように見えます。まあ、本陣跡なので本陣が残っているのではないのですが。こちらで旧街道は、南側へ曲がることになります。写真左が旧東海道となります。
Dscf2207
旧街道を少々、進むと寄馬跡がありました。傍示石と案内板があります。
Dscf2208
案内文には、「東海道の宿場では常に百人の人足と百匹の馬を用意した。しかし、交通量の多い時には助郷制度といって、きんざいの村々から人馬を寄せ集めて不足を補った。この場所は、寄せ集められた人馬の溜まり場になったところである」とあります。まあ、現在で言えば、コンビニ前といったことろでしょうか。
Dscf2210
この付近の旧東海道は、この写真のようになっています。現在地から南下することになります。
Dscf2212
旧街道で良く見る常夜燈もやはり、存在しました。逆に言うと、常夜燈がある場所は旧街道であるかと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2019年1月30日 (水)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その29

Dscf2192
2018年5/25から5月恒例の第6次旧東海道徒歩の旅に出発しています。5/26午前10時半過ぎには湖西市新居泉町付近の旧東海道に居ました。チョット、旧街道から路地奥方向へ入ってみました。「旅籠屋(船割宿)中屋才兵衛」の簡単な案内がありました。説明文には、「薩長御用達の旅籠屋でした。ここに泊まった伊藤博文にお金が貸したという逸話が残されています」とあります。
Dscf2193
旅籠屋中屋さんは、現在では、すずらん写真さんの店舗となっています。
Dscf2195
旧街道へ戻って来ました。「旅籠屋(舟割宿)紀伊国屋弥左衛門」とあります。「新居名物のうなぎの蒲焼きの味が評判でした。昭和30年代まで旅館業を営み、新居宿と共に歴史を刻んだ旅籠です」とあります。
Dscf2197
こちらが、紀伊国屋さんの建物となります。遠州鉄道新居泉町のバス停があります。現在でもバス停があるくらいですから、やはり、交通の要なのでしょう。
Dscf2198
さらに西方向へ進むと、「旅籠屋伊勢屋長吉」がありました。「現在、金松酒店のこの場所は江戸時代、旅籠屋として東海道を行く旅人たちをもてなしていました」とあります。
Dscf2199
伊勢屋さんの建物がこちらの写真となります。立派な建物でした。間口が広いので、それなりのお金持ちだったのでしょう。
Dscf2200
この付近に例の東海道の案内板がありました。「湖西市新居宿 飯田武兵衛本陣跡」とあります。白須賀宿まで4.5Kmの記載もありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2019年1月28日 (月)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その28

Dscf2178 2018年5/25から5月恒例の第6次旧東海道徒歩の旅に出発しています。5/26午前10時半頃には旧東海道新居関付近に居ました。漸く、バイクの青年が腰を挙げてくれました。案内板に近づき撮影します。
Dscf2176
こちらは「大御門」というようです。説明文には、「大御門は、明六ツ(午前6時頃)に開き、暮六ツ(午後6時頃)に閉じました。大御門の前には、高札を置く枡形広場があり、東海道へつながります。大御門の大きさは、高さ5.8m、幅4.6mです。城門と同じ屋根付きの堂々とした高麗門です。礎石建ちではなく、地表より2.7m下に礎石をすえ、柱を埋めた堀立柱の門です」とあります。
Dscf2174
こちらが、その高札となります。枡形は現在では、ハッキリしませんでした。当方が気が付かなかっただけかもしれません。
Dscf2179
大御門を過ぎると、こちらの簡単な案内がありました。「髪結い 時五郎」です。案内には、「関所改めを受けた女性たちの髪を結い直した」とあります。
Dscf2181
「髪結い時五郎」があった場所には、ちょっとした休憩用のベンチがありました。一般民家の前にあります。
Dscf2190
さらに5分程度、歩くと常夜燈と和風民家がありました。旧街道を偲ばせるような建物です。
Dscf2191
玄関口には、「小松楼まちづくり交流館」とあります。先を急ぐので立ち寄るとこはしませんでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2019年1月25日 (金)

旅の思い出---第6次旧東海道徒歩の旅その27

Dscf2160 2018年5/25から5月恒例の第6次旧東海道徒歩の旅に出発しています。5/26午前10時過ぎには、旧東海道新居関所付近に居ました。案内板で現在地を確認します。こちらの案内図には旧東海道の記載がないようです。旧街道は、現在地の新居関所を西方向へ進み、その後、南進するはずです。
Dscf2161
こちらが、新居関所の建物です。かなり大きな立派な和風建築物です。新居関所は、箱根に並ぶ旧東海道に二大関所の1つとなります。舞阪とは渡船で連絡することから、交通の要衝だったはずです。合目的な場所に関所を作ったわけです。
Dscf2162
こちらが新居関所の入り口となります。当方は、箱根関所を既に見学、通過しているので、こちらの関所は見学していません。
Dscf2165
関所の周囲には、こちらのような石垣が残っていました。写真左が雁木となっているようです。
 
Dscf2167
こちらが、雁木付近を撮影したものです。石垣が斜面となっており、こちらで舟を降り上陸したことでしょう。
Dscf2172
西方向へ進むと、「史蹟 新居関址」と刻印された傍示石がありました。
Dscf2173
さらに、その傍示石近くには、新居関の門もありました。大きく、立派な門でした。関所の権威を示し、後ろめたいことがある旅人にとっては脅威を感じたことでしょう。

写真左にバイクと青年がいます。青年がバイクで旅をしているようです。門の前に腰かけて、なかなか案内板が撮影できません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

より以前の記事一覧