旅行・地域

2017年9月22日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅18

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。さて、2日目です。日記によると5/27は午前5:30分頃には起床しホテル1階で朝食を頂いた後、午前7時頃にはホテルを出発しています。昨日5/26とはうって変わった良い天気となりました。空の青が目に痛いくらいでした。

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こちらが今回、宿泊しbase campとしたホテル正面玄関です。くれたけinnプレミアムとなります。勿論、大浴場、サウナ、洗濯機、乾燥機付きのホテルとなります。プレミアムとは何がプレミアムだったのかは良く判りません。ホテルを出て静岡駅前まで移動します。時間にして信号待ちも含めて数分です。

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静岡駅前には竹千代(徳川家康の幼名)像がありました。像の後ろには簡単な案内があります。

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家康は、駿府(静岡)には幼少期、5ケ国時代、大御所時代の三度暮らしたことが簡単に記載されています。

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蔵の裏面には、このようなプレートも埋め込まれていました。撰文は、TVにもよく出演されている静岡大学名誉教授の小和田哲男さんの名前もありました。

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静岡駅前は、このように大都会なのでした。

2017年9月20日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅17

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後4時半過ぎには藤枝市岡部町宇津ノ谷峠付近に居ました。案内には岡部宿方向へ行くには写真左方向へ行くようにあります。

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案内に従って進むと国道1号線をunder passするようです。路面が濡れています。この頃には折りたたみ傘を差していたような記憶があります。写真左には小さな川が流れています。下の浮世絵に記載されている川のようです。

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国道一号線を潜り、道の駅宇津ノ谷峠に到着しました。

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道の駅の案内には、現在地を示しています。当日の予定行程は岡部宿までだったのですが、降雨で岡部宿まで到着することは困難と判断し始めています。

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道の駅からやや下ったところにバス停廻り沢口がありました。こちらで静岡駅行のバスを待機することにしました。約10分程度でバスが来て、当日の予定行程を終了することにして静岡駅まで戻っています。

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こちらが浮世絵の岡部宇津ノ谷峠です。沢とは、この川を示していることでしょう。結構、大変な印象が残っている峠ですが、通過するのに要した時間は約30分強だったのでした。

2017年9月18日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅16

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後4時半頃には静岡市駿河区宇津ノ谷峠付近にいました。どうやら峠の頂上に到達したようです。木にこのような案内が掲げられていました。このような手作り案内でも、一人で未知の場所を旅をしている場合には非常に嬉しくなるのです。

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どうやら、旧東海道も下り坂となって来ました。でも写真のように、獣道のような道なのです。

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更に数分、歩くとこのような案内がありました。写真右へ向かうと岡部宿のようです。この場所を坂下というのでしょうか?落ち葉が濡れていることがお判り頂けると思います。

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このような下り坂ですので、足元に注意しながら転倒しないように気を付けて歩きます。

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さらに数分、歩くとこのような案内があります。岡部町東海道参勤交代の道との記載があります。江戸時代にこの道を大名行列が通過したのです。大変だったでしょうね。

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今、降りて来た道を振り返って撮影しています。夕方でもあり、寂しさが漂っている雰囲気がお判り頂けることでしょう。

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坂下地蔵堂までやって来ました。写真左の階段を登れば地蔵堂があるはずなのですが、既に気持ちは逃げているのでした。

2017年9月15日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅15

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後4時半前には静岡市駿河区宇津ノ谷峠付近に居ました。峠の静岡側には「雁山の墓」なる石碑と案内がありました。

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写真左の小さな石碑が墓のようです。でも、「雁山っと唐突に言われても」というのが正直は感想です。このブログを記載するにあたって少々、調べてみると芭蕉と同門のようですが、どのような俳句を詠まれたのかは全く知りません。というより、当方は日没時間と天候が気になって仕方がないのです。

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宇津ノ谷峠の道は、このように未だ上り坂なのです。前後に人はいません。小雨が降りそうなのです。足元も少々、濡れていた記憶があります。転倒しないように歩くのでした。

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峠には、このような案内もありました。「峠の地蔵堂跡の石垣」だそうです。こちらの石垣は江戸時代中(18世紀末)頃に積まれたとのことです。

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確かに、この写真のように石垣がありました。でも、日没時間と天候が気になる当方には既にどうでもよかったので、早々に通過することになるのです。

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宇津ノ谷峠の案内がありました。現在地は未だ峠の半分にも来ていないことが判ります。

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こちらが、石垣ではなく地蔵堂跡の案内となるのです。案内には、江戸時代末期に「蔦紅葉宇都谷峠」というお芝居があり、その舞台となった場所である旨が記載されています。

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こちらが、その地蔵堂跡の平地ですが、やはり、日没時間と天候が気になるのでした。

2017年9月13日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅14

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後4時過ぎには静岡市駿河区宇津ノ谷峠下付近に居ました。こちらが峠付近での案内となります。左が明治宇津ノ谷隧道(明治のトンネル)、右が東海道宇津ノ谷峠越えとなっています。この案内の前で悩みました。さて、どちらへ行こうかと。本来の趣旨は旧東海道を走破することでしたので、右の峠越えを選択しています。
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こちらの案内にも次の岡部宿は右と案内されているのです。
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しかし、峠越えはこのように草が鬱蒼と茂っている中を歩くことになるのです。写真中央左に小さくの「のぼり口」という案内があるかと思います。こちらを曇天で、今にも雨が降りそうな中を一人、歩くのです。非常に心細かった記憶があります。
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数分、歩くと、このような案内がありました。「宇津ノ谷は間宿で、無事に峠を越えてほっと息をついたころこです」といあります。逆にこの記載が不安を掻き立てるのでした。
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こちらの峠から静岡方面を撮影したものです。山の間に小さく、民家があることが判ります。
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この後も、このような小さく細い道をトボトボを歩くのでした。

2017年9月11日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅13

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後4時前には静岡市駿河区宇津の谷峠手前に来ていました。こちらはつたの道の案内となります。写真右の雑草が生えた小道が蔦の細道のようです。うーん、これを徒歩するのは無理と判断し、通常の旧東海道を歩くことにしました。
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旧東海道は、遠く写真中央の鉄橋を通過するようです。あまりにも立派な鉄橋で、果たして歩道があるか否かが不安でした。車両用道路のみの場合には歩くのが怖いのです。
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ただし、クルマの交通量が少ないのが救いです。殆どクルマが通過していません。今となっては、平成のトンネルを使用し通過することが多いのでしょう。
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鉄橋を通過すると、直ぐに、こような案内がありました。宇津の谷へ到着したようです。これからが峠越えとなります。
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案内板の対側には案内碑もありました。
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高札風の案内もありました。拡大して撮影してみましょう。
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案内には「交通の難所 宇津ノ谷峠」とあります。以下、「蔦の細道 平安の道」、「山越えの旧東海道 参勤交代で諸大名も往来した重要な交通路」との記載があります。
薩埵峠も難所でしたが、こちらの宇津ノ谷峠も難所のようです。
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旧東海道は、このような石畳風になっているのでした。路面が濡れていることがお判り頂けると思います。
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更に旧東海道は登坂となるのでした。この付近で中年女性に道を聞きましたが、この道を歩くように教えていただきました。
 

2017年9月 8日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅12

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後3時過ぎには静岡市駿河区丸子宿を出て宇津ノ谷峠に向かって歩いていました。旧街道には、この写真のような手作り案内板もあるのでした。
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旧東海道は国道1号線(写真右)からそれて赤い歩道のようになるのでした。ここを通り過ぎ戻ってきた記憶があります。
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旧街道を歩くと、このような案内がありました。日本の紅茶発祥の地丸子紅茶とあります。
コーヒーよりも紅茶党の当方には少々、親しみやすく感じるのでした。
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丸子赤目ケ谷長源寺付近には、このような案内板がありました。この先の宇津ノ谷峠越えには「蔦の細道」と「旧東海道」があるように案内されています。山とトンネルの記載があり、不安を覚えるのでした。この付近の公衆トイレで用を足しています。
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さらに旧東海道を西へ進むと道の駅宇津の谷峠があるのでした。天候も悪く、殆ど人影をみませんでした。天候も曇天で、時間も15:30分を過ぎ、これから未知の峠越えをするのに不安を感じていました。
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道の駅の案内板には、明治のトンネル、昭和初期、中期のトンネル、平成のトンネルの記載があります。 明治のトンネル付近に旧東海道の記載があるのです。色々なルートがあるようです。

2017年9月 6日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅11

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後3時頃には静岡市駿河区丸子宿付近に居ました。とろろ汁で有名な丁子屋さんを過ぎると直ぐに丸子橋を渡ることになります。
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丸子川には殆ど水は流れてなく、このように水無川の状態でした。

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丸子橋を渡ると直ぐにそこは丸子宿の京方見付なのでした。
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同時に高札場でもあったようです。写真のように沢山の高札があるのでした。
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こちらの高札(忠孝症例諸法度)を抜粋してみましょう。忠義や孝行を奨励する、何事にも奢りいたすべからず、家業に勤しむべき、盗賊、悪党者あれば奉行所へ訴えでること、喧嘩、口論は停止する、死罪を行うときに集まらず、人身売買を停止する等の記載があります。
当然といえば当然ですね。
 
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丸子宿京方見付を出て数分で、このように茶畑があるのでした。さすがお茶で有名な静岡県です。

2017年9月 4日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅10

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後3時前には静岡市駿河区丸子に居ました。こちらは明治天皇御小休所跡の石碑となります。その隣の木製案内には、脇本陣跡との記載があります。「天皇陛下が本陣ではなく、脇本陣で休憩を取られるのには何か理由があったのかな」と思うのでありました。

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その近くには、紀州藩の駅伝中継所となるお七里役所跡の石碑もあるのでした。

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こちらは芭蕉の句碑となります。旅行中は判読困難でしたが、今回、ガイドブックで調べると、「梅若菜まりこの宿のととと汁」とのことです。この付近はとろろで有名なようです。

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東海道五十三次の丸子でも、このように描写されているのです。
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こちらが、そのととろ汁のお店となります。丁子屋さんという名称のようです。写真右の石碑に寄ってみましょう。

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「とろろじる」と彫られています。ガイドブックには以下のように説明されています。「この辺りは、昔からとろろ汁の店がならび、旅人は宇津ノ谷峠への登りを控え、ここで精気をととのえ出立した」とあります。当方は、天候が気になり精気を整える暇なく出立するのでした。

2017年9月 1日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅9

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2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/26午後2時半過ぎには静岡市駿河区丸子付近に居ました。丸子宿には、このような大きな酒店がありました。立派なお店です。店舗の名称は、

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しらい酒店というようです。こちらの店舗入り口には、
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このような告知があるのです。「大人気の焼酎!年2回のみ発売です。赤霧島 入荷しました 本数限定のためお早目に」とあります。「エッ、赤霧島って宮崎の焼酎じゃん(なぜか横浜弁)。そんなに有名やったんか」と思うのでありました。美味しいのかな?焼酎の飲めない当方は、そのように思うのでした。

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さて、丸子宿の問屋場跡は民家の前に案内があり、




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本陣跡は石碑になって残っているのでした。

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