旅行・地域

2018年7月17日 (火)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅その16

Dscf0753 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13午後1時前には草津市内の旧東海道に居ました。この付近を元一町というようです。町内案内図がありました。写真上左右に走行しているのが旧草津川のようです。東海道は右上から左下方向の道のようです。
Dscf0754 接近して撮影しています。元一会議所にある赤い点線が現在地のようです。さあ、旧街道を進みましょう。
Dscf0756 数分の歩行で、市指定文化財 道標 「右東海道いせみち」「左中山道美のじ」とあります。そうです、こちらで旧東海道と旧中山道が分岐するのです。
Dscf0757 こちらが、その道標となります。案内によると、1816年に建立されたもので、高さは4.45mとのことです。本当に見上げる程、大きなものです。
Dscf0758 道標の横には、「川津草」と刻んだ石もありました。勿論、右から読むのです。
Dscf0759 道標の案内文には英語表記もありました。道標のことをsignpostと言うようです。
Dscf0761 こちらが、その付近の広角全体像となります。写真右が旧東海道、左方向が旧中山道となります。旧東海道は、ここで直角に曲がることになります。

2018年7月14日 (土)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅その15

Dscf0746 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13午後0時半過ぎには草津川跡地公園付近の旧東海道に居ました。実は、この看板の付近で進行方向が判らなくなったのでした。何となく、赤い矢印の方向へ進んでいくことにしました。
Dscf0748 すると、「火袋付石造道標」の案内がありました。高さ3.9mで1816年3月に建立されたようです。竿には「右金勝寺志がらき道」「左東海道いせ道」とあるようです。でも、ちょっと、道標が視野に入らなかったのです。どこかと捜すと、
Dscf0749 やや離れた場所に、このような大きな道標があったのです。
Dscf0750 道標の左側を撮影しています。遠くに橋が見えます。どうやら、以前の草津川上流方向の川床となっているようです。
Dscf0751 下流方向は駐車場として整備されていました。草津川は氾濫するので流れを変えたようです。この付近は以前、川の流れていた所のようです。草津川も天井川です。
Dscf0752 天井川なので、街道筋に向かうと下り坂となっていました。写真は草津方向を撮影したものです。

2018年7月11日 (水)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅その14

Dscf0738 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13午後12時半過ぎには栗東市と草津市の境界付近の旧東海道に居ました。進行方向右に草津市の案内があります。
Dscf0739 少々、進むと傍示石のようなものがありました。接近してみましょう。
Dscf0740 石柱には「わが町のシンボル いるはモミジ」とあります。
Dscf0741 案内板には、樹高9m、樹幹周囲200cm、推定樹齢150年以上とあります。今年2018年は明治維新からちょうど150年ですから、こちらの樹木は幕末から明治初期から植わっていることになります。Dscf0742 いろはモミジの近くには帝産バス東草津のバス停がありました。草津へ徐々に接近しているようです。
Dscf0744 大きな道路と旧東海道は交差しています。現在の国道1号線です。
Dscf0745 交差点の名称は、「大路3丁目」とあります。京都まで26Km、大津まで17Kmとあります。結果的に、2日間の第5次徒歩の旅では大津まで歩いています。

2018年7月 9日 (月)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅その13

Dscf0728 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13正午過ぎには現在の栗東市から草津市へ向かう旧東海道に居ました。東海道新幹線の高架を潜った後、こちらの傍示石に出くわしました。「従是東膳領(これよりひがし ゼ りょう)」とあるようです。側面には平成18年8月15日 岡自治会復元建立とありました。
Dscf0730 付近には帝産バス新屋敷のバス停もありました。時刻表を見てみましょう。
Dscf0731 栗東市役所前方向と、草津駅東口方向へのバスが走っているようです。写真のように意外と(失礼)、本数、便数があります。需要があるのでしょう。
Dscf0732 近くには、「史跡老牛馬養生所跡」とあります。案内には、東海、中山両道を集約する草津宿の近くであることから、老牛馬の余生を静かに過ごせる養生所を設立したとあります。このことが、現在の栗東市にある競馬JRAトレーニングセンターにつながるのでしょうか?
Dscf0733 同様の傍示石もありました。
Dscf0735 付近のお宅には、「東海道 小柿村 天秤棒 棒喜(ぼうき)」なる看板を掲げる家屋もありました。
Dscf0736 その全体像は、こちらとなります。昔は、天秤棒屋さんであったことでしょう。

2018年7月 6日 (金)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅その12

Dscf0716 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13午前11時半過ぎには、栗東市岡付近の旧東海道に居ました。こちらにも傍示石がありました。「田楽の里」とあります。しかし、田楽の店舗らしきものは今となっては確認できなかったのです。
Dscf0717 道路脇には、草津本陣までの道案内がありました。迷子になることなく前進できるので本当に助かります。
Dscf0718 道路分岐の手前に岡ほっこりマップなるものがありました。これから、あじさい公園、草の根広場、桜並木を経て東海道新幹線を横切って進むようです。あれっ、この看板の横にあるのは「田楽茶屋ほっこり庵」とありますが、どう見ても営業しているようには見えなかったのです。
Dscf0719 Y字路となっている旧東海道とは頃なる方向へ約20mほど進むと、芭蕉句碑がありました。俳句が彫られているのですが、文学的才能の欠如している当方の心が動くことは全くありませんでした。
Dscf0720 句碑の後ろには、このような案内文がありました。「膳所城大手門」とあります。案内には、膳所城は1600年、関ヶ原合戦直後に家康が大坂方への供えとして築城したこと、設計は藤堂高虎であったこと、天下普請の第1号であったこと、門の形式は高麗門であったこと、明治の廃藩置県で膳所藩領の村に移築されたこと等が記載されています。
Dscf0721 こちらが、その大手門の全体像となります。後ろに写っている高架電線塔に比べると、今となっては小さく見えます。
Dscf0726 旧東海道へ戻ります。写真左は「草の根広場」となり、写真正面に遠く東海道新幹線の高架が見えます。

2018年7月 4日 (水)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅その11

Dscf0707 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/19午前11時半過ぎには栗東市岡付近の旧東海道に居ました。このような徒歩の旅では信号にある地名が現在地を確認する上で重要となります。
Dscf0708 この付近にはNPO街道をいかしたまちづくりの会による看板があるのです。こちらには、「東海道岡村 油屋治兵衛」とあります。以前は、油屋だったのでしょう。
Dscf0709 こちらの油屋さんのお宅は非常に立派な家屋で、石造りの門もありました。
Dscf0711 そして、3軒目の田楽茶屋の案内板がありました。こちらは「京伊勢屋跡」となります。
Dscf0710 こちらが、京伊勢屋跡の全体像となります。案内板の他に立派な石柱もあります。
Dscf0714 そして、その直ぐ近くには「?跡 人吉藩主相良候御対面所跡 山本家」とあります。?の文字が、語彙不足の当方には分かりません。今回、調査してみると?は「𦾔」であり、「旧」の異体字のようです。今どき、「𦾔」を判読可能な日本人が何人いることでしょう。しかもこちらの石柱は平成26年に移築されたものなのです。ちなみに、このような石柱を傍示石というようです。
Dscf0715
傍示石の後ろにある家屋は、このようなものです。今でも人が住んでいるような印象があります。山本家とは違うかもしれません。傍示石のみ移築されたのでしょうか?
 

2018年7月 2日 (月)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅その10

Dscf0698 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13正午過ぎには現在の栗東市目川付近に居ました。旧街道沿いに、こちらの案内板を発見しました。「目川立場 田楽茶屋 元伊勢屋跡」とあります。
Dscf0699 隣立する石柱にも、「田楽発祥の地」とあります。側面には、「東海道間の宿岡村目川立場 立場茶屋元いせや岡野五左衛門屋敷跡」とあります。
Dscf0702 近くには、こちらの看板もありました。「田楽茶屋は、立場の元伊勢屋(岡野屋)と、この古志ま屋(寺田屋)、京伊勢屋(西岡屋)の三軒を言い」とあります。そうのなのでしょう。
Dscf0703_2 隣には立派な石柱もありました。石柱下には、滋賀県栗東市岡388番地ともあります。
Dscf0704 こちらが、その全体像となります。今でも立派な家屋があるのでした。
Dscf0706 この付近の旧東海道は、この写真のようになります。旧街道らしく、緩やかにカーブしているのでした。

2018年6月29日 (金)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅その9

Dscf0687 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13正午頃には現在の栗東市目川付近にいました。旧東海道沿いには、こちらの店舗がありました。「目川ひょうたん展示販売」とあります。瓢箪は理解できるのですが、牛らしき張りぼてに、何やらビニールが掛けてあるのでした。しかも2体あるのです。
Dscf0688 店舗の全景は、このようになります。まったく不思議な店舗なのでした。何やら紙に記載されています。「目川ひょうたん YAHOO JAPAN 川寅こばたけ商店を検索して下さい。商品紹介No.2見て下さい。 オンラインショップ栗東市特産手作り目川ひょうたん見て下さい」とあります。こちらです。今回、ブログを記載するに当たり、写真を拡大して解読しました。
Dscf0689 目川ひょうたん店舗の近くには、東海道一里塚がありました。側面には「草津宿まで半里」とあります。安心できますね。
Dscf0690 一里塚の案内には、目川村の一里塚には「椋」の大木があったと記載されています。椋が使用されるのは珍しいと思います。何か意味があるのでしょうか? 椋と榎については、こちらを参照で。
Dscf0691 一里塚の全景がこちらのとなります。今となっては石柱と立て看板があるのみです。
Dscf0693 さらに広角で撮影したものとなります。

2018年6月27日 (水)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅その8

Dscf0679 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13正午頃には、旧東海道の栗東市坊袋付近に居ました。この付近を坊袋というようです。写真奥が川となります。T字路となっていて、草津方面へかなりのクルマの交通量があった記憶が残っています。
Dscf0680 バス停も坊袋となっているので、地名としては間違っていないものと考えます。
Dscf0681 旧街道を進むと、「皇太神宮の碑」なる案内文がありました。神様と仏様が同じく祀られていたようです。説明文にも、神仏混交の文字があります。Dscf0682 正面には浄土宗延命山地蔵院とあるので、やはりお寺さんのようです。
Dscf0685 暫く進むと、今後はこちらの表札?がありました。「東海道 目川村 栄町 飴屋甚五良」とあります。
Dscf0686 家屋が非常に立派です。昔は飴屋さんって、儲かっていたのでしょうか? 水飴として薬剤にも利用されていたのでしょうか?

2018年6月25日 (月)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅その7

Dscf0669 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/13正午前には栗東市川辺付近にいました。こちらの川辺は「かわづら」と読むようです。地元の人以外は読むことは不可でしょう。石柱には稲荷神社とあります。
Dscf0670 石柱の側面には稲荷神社の由来が記載されています。それによると、「伏見稲荷神社に勧請して建立されてもので、笠杉、三吉、批杷大明神の三神が祀られている」とあります。
Dscf0671 稲荷神社を過ぎると、こちらの看板がありました。「酒、乾物 魚菊」とあります。まあ、酒屋さんだったのでしょう。Dscf0673 家屋は非常に立派なもので、魚菊さんの全景は、こちらの写真のようになります。間口も広いのでした。Dscf0674 さらに旧東海道を進むと、東海道と中郡街道を示す石柱がありました。右折すると、川辺、坊袋、目川、岡、新屋敷を経て草津へ至るとあります。
Dscf0676 新しい石柱の横には歴史を感じる石柱もあります。東海道の下には、「やせうま坂」ともあります。さほど、急激な坂とは記憶していないのですが。さて、石柱の背面は土手となっているので上ってみました。
Dscf0678 すると、川が流れているのでした。恐らく天井川(川の名称不明)だと思います。この付近の河川は、草津川も天井川となっています。何か理由があるのでしょうか。

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