旅行・地域

2017年3月29日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅58

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時前には旧東海道蒲原宿に居ました。旧街道は右へカーブし、旧国道1号線と合流することになります。写真正面には何やら石碑があります。近づいてみると、

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浄土真宗法流山長栄寺とあります。まあ、当方にはあまり興味のないお寺さんでした。更に旧街道を西へ進みます。

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すると非常に立派な建物がありました。鉄筋コンクリート製です。写真左にあるように五十嵐医院とあります。先のブログの五十嵐歯科医院と縁戚関係があるのでしょうか。たぶん、五十嵐家はこの地の旧家なのでしょう(想像です)。勿論、駐車場にはベンツがあるのでした。

2017年3月27日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅57

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時前には旧東海道蒲原宿に居ました。旧街道を歩いていると、こちらのようなモダンな家屋がありました。近づいてみましょう。

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表札には五十嵐歯科医院とあります。

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案内がありました。大正時代の洋館 国登録文化財「旧五十嵐歯科医院」とあります。「旧五十嵐歯科医院は、町屋を楊数に増改築した擬洋風建築と呼ばれる建物で、外観は洋風、内観は和風というユニークな建物です。当時の洋風建築としては珍しくガラス窓が多く使われ開放的であり、下見板の白いペンキとあいまってモダンな息吹が感じられます。大正3年、五十嵐準氏が自宅を3回にわたり洋風に改造し、歯科医院を開業しました。水道がなかった時代、井戸水を二階の診察室まで通したポンプや配管も残っています。名医として知られ、当町在住の元宮内大臣田中光顕伯爵も患者の一人でした」とあります。
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街道の対側にも旧家らしきものがあります。

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行燈でしょうか、志田邸東海道町民生活歴史館と記載されているようです。時間的に未だ開館前だったようです。

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蔀戸のある家 国登録文化財志田家旧宅主屋となります。「志田家はヤマロクという屋号で、味噌や醤油の醸造を営む商家でした。安静元年(1854)の大地震の直後に再建されたという東側二階建て部分は、通り土間一列型と呼ばれる町屋形式の典型です。蔀戸とは、日光や風雨などをさえぎる戸のことです。上下二枚に分かれていてじぇ半分を長押から吊り、下半分は懸金で柱に打った寄せにとめ、全部解放するときは下のものは取り外せます。昼は上に吊りあげて目隠しに用い、寄るは下して戸締りの役を果たしました」とあります。うーん、やっぱり蔀戸が理解できない。

2017年3月25日 (土)

スーツケース

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長女用のスーツケースです。当家では海外旅行の際でもスーツケースはレンタルとしています。理由は購入すれば自宅内で場所を取ってしまうためです。今回は止むを得ずスーツケースを購入しています。本来であればレンタル落ちのスーツケースを格安で購入する方法もあったのですが、妻と長女が新品のプロテカを購入して来ました
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サイズは100Lのようです。容量も大きいですが、お値段も凄いです。何と\64800(税込み)もするのです。まあ、一生物と考えて良いとしましょう。

2017年3月24日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅56

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時前には旧東海道蒲原宿に居ました。蒲原宿がお勧めの旧街道であるのは、その雰囲気が残り、案内がしっかりしている上に、このように旧東海道見学者用駐車場が完備されているのです。これなら足腰が不自由でクルマでお越しになった方々でも見学が可能です。これこそが、「おもてなし」だと思います。
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高札場跡もありました。「高札とは徳川幕府の禁令、定などを記した立札のことで、辻札ともいわれました。宿場や村には必ず高札場が設けられ、民衆に法令や定を周知させていました。正徳元年(1711)に出された五高札が有名で、①伝馬に関する定 ②忠孝を奨励する定 ③毒薬や贋金銀売買の禁止の定 ④切支丹宗門禁制の定 ⑤火付(放火)重罪の定 が墨書されて掲げられていました。また貨客運搬の駅場や忍足の賃金も改定のたびに掲げられられました」とあります。宗教の件以外は、現在でも通用する内容となっていますね。
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街道沿いには、「御殿道跡」なる案内もありました。「かつて、このあたりに蒲原御殿がありました。はじめは武田氏を攻めて帰る織田信長を慰労するために徳川家康が建てた小規模なものでしたが、二代将軍秀忠、三代将軍家光がとうかいどうを往来するたびに拡張、整備され、規模も大きくなりました。御殿の正確な位置はわかりませんが、このあたり一帯の相当広い地域を占めていたと思われます。背後の山を御殿山、ここから下る道を御殿道と呼んでいます。ちなみに寛永11年(1634)家光上洛以降、蒲原御殿は使用されなくなりました」とあります。

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こちらの旧家の横に、御殿道の案内がありました。写真左の小さな道が御殿道なのでしょうか?

2017年3月22日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅55

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時前には旧東海道蒲原宿に居ました。こちらの蒲原宿は、旧街道を薄いブラウン色にしているようです。信号左には案内図がありました。

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案内図の茶色で塗装されているのが旧東海道となります。以前、記載した本町を区画するのは図の水色の川です。写真上方向が本町となるのです。
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案内の横には、蒲原宿すたんぷ処がありました。スタンプ好きなかめかめさんであれば、必ずスタンプを押していたことでしょう。当方は、こちらの中にあった案内パンフレットを頂戴して来ました。

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街道沿いには旧家らしきものがありましたので近づいてみます。

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案内には、「手作りガラスと総欅の家(磯部家)」とあります。「明治42年(1909年)に建築された当家は、素材の美しさから近世以降、寺院建築に用いられた欅を材とし、柱や梁から一枚板の戸袋に至るすべてが欅づくりで、長年磨き込まれた木目がみごとです。二階の窓ガラスは、波打つような面が美しい手作りのガラスです。日本における板ガラスの生産開始が明治40年ですから、国産、輸入品の見分けは困難ですが、当時の最先端の建築用材といえます」とあります。

確かに下から二階の窓ガラスを見上げると波打っていた記憶があります。写真撮影は不可でした。木目に関しては記憶がありません。

2017年3月17日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅54

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前7時半過ぎには静岡市清水区旧東海道蒲原宿付近に居ました。広重の蒲原夜之雪記念碑の見学を終え、旧街道を進みます。すると古い商家のような住居がありました。自動販売機に横には案内がありそうです。近づいてみます。

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案内には以下のようにあります。「旅籠 和泉屋(鈴木家) 当家は江戸時代和泉屋という上旅籠でした。天保年間(1830-44)の建物で、安政の大地震でも倒壊を免れました。今に残る二階の櫛形の手すりや看板掛け、柱から突き出た腕木なのに江戸時代の上旅籠の面影を見ることができます。弘化2年(1845)の蒲原宿商売調帳に、和泉屋間口間数6.1とあり、現在は鈴木家4.1間、お休み処2間に仕切られています」とあります。間口により税金が掛けられていたのしょう。
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対側にも立派なお屋敷があります。勿論、近づいてみます。


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どうも本陣跡のようです。案内には以下のように記載があります。「本陣は、大名宿、本亭ともいわれ、江戸時代に街道の宿場に置かれた勅使、大名、公家などの貴人が宿泊した大旅籠です。主に大名の参勤交代の往復に使用あれました。原則として門、玄関、上段の間がある点が一般の旅籠とん異なりました。ここは当宿の西本陣(平岡本陣)の跡で、かつてはここより100m程東に東本陣(多芸本陣)もありました。本陣の当主は名主、宿役人などを兼務し、名字帯刀を許されていました」とあります。

2017年3月15日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅53

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前7時半過ぎには静岡市清水区旧東海道蒲原宿付近に居ました。なまこ壁の家を過ぎ、更に西方向へ歩を進めます。数分で、このような案内板を発見しました。案内には、「蒲原夜之雪」記念碑となります。蒲原夜之雪って言われれてもなーと思いつつ、案内の読みます。案内には以下のようにあります。「蒲原夜之雪の絵は、歌川(安藤)広重が、天保3年(1832)4月、幕府の朝廷への献上施設の一行に加わって京へ上った折、この地で描いたもので、東海道五十三次シリーズの中でも最高傑作といわれています。昭和35年、蒲原夜之雪が国際文通週間の切手になりました。これを記念して広重がこの絵を描いたと思われる場所にほど近い地に記念碑が建てられました」

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こちらが、その記念碑のある場所を広角で撮影したものです。

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蒲原宿と刻まれた石碑も建てられています。

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石碑の近くに、このようなプレートがありました。なるほど、この絵なら、見たことがあると思いました。

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石碑の近くには旧東海道を連想させるような新しい松の木が植樹されていたのでした。

2017年3月13日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅52

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前7時半過ぎには静岡市清水区旧東海道蒲原宿付近に居ました。こちらにも旧街道内を案内するものがありました。蒲原宿が旧東海道を観光資源として利用していることが伺えます。吉田邸、本陣方向へ進みます。

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すると何やら石碑が建立されていました。近づいてみましょう。

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馬頭観音供養石塔のようです。案内がありました。案内には、馬頭観音は馬の守り神であること、江戸時代、この付近は伝馬や宿役に使用された馬を飼育する家が立ち並んでいたこと、昭和の初めまで馬小屋があったこと、平成10年に馬頭観音供養石塔が発見されたこと等が記載されています(一部、判読不能)。

この場所でご年配の男性から声を掛けられました。当方が旧東海道を散策していることが分かったのでしょう。馬頭観音に関して、説明文と同様な内容をお話し頂きました。さらに、西方向に進むと小さな川があり、川を境に本陣のある本町となるとのことでした。本町は位が高く、この馬頭観音のある付近はその位がやや下がるとのことでした。なるほどですね。恐らく、この「本町」という概念は、どの町でも通用することなのでしょう。

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さらに、西方向へ歩を進めます。何やら古そうなお宅があります。案内に近づいてみましょう。
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案内には、塗り壁で、このような町屋を塗り家造りということ、塗り家造りは土蔵造りに比し壁の厚みは少ないが、防火効果が多く贅沢普請といわれたこと、もともとは城郭などに使用された技術であり、一般には江戸時代末期以後に広まったこと等が記載されています。また、街道筋には珍しい寄棟(切妻ではなく)の屋根であることも記載されています。前の写真を見ると確かに寄棟の屋根となっています。

2017年3月10日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅51

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前7時半前には静岡市清水区旧東海道蒲原宿に居ました。こちらにも蒲原宿の案内板がありました。色々と見どころがあるようです。

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近くには、このような4本の太いパイプがありました。こちらも見どころに1つのようです。

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場所は丁度、諏訪橋の下を潜り抜けていくように設置されていました。水力発電用のパイプかと考えていました。

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すぐ近くに案内がありました。

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「静岡県近代化遺産 日本軽金属発電用水路」との記載がありました。高低差を利用した水力発電用の水路のようです。以前は川として水が流れていたのでしょう。

2017年3月 8日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅50

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前7時半前には静岡市清水区旧東海道蒲原宿付近に来ていました。こちらが蒲原宿を示す案内となります。

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常夜燈と案内板がありました。
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案内には、江戸時代の宿場の入り口には、見附や木戸と呼ばれるものがあったこと、木戸と木戸の間のことを木戸内(きどうち)と呼ぶこと、東木戸は僅かに桝形を呈していること等が記載されています。また、こちらの常夜燈には「宿内安全」と刻まれていること、文政13(1831年)のものとも記載されています。

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少々、見難いですが、黒い道が旧東海道となり、東海道本線との間にある道が旧国道1号線となります。
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こちらが旧東海道西側(静岡方面)を撮影したものです。旧街道の雰囲気を感じますね。

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