旅行・地域

2017年4月22日 (土)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅69

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前10時前には東海道本線由比駅付近に居ました。由比駅を出てこの日の難所である薩埵峠へ向かいます。旧街道には、このように案内がありました。距離が記載されていると、凡その時間が予測できるので非常に助かります。

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道路左側には、東海道本線が通り、その奥には太平洋の海がみえます。陸地が見えるのは伊豆半島でしょうか。

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またもや案内がありました。どうやら、薩埵峠へは、赤矢印の方向へ進んでいけば良いようです。

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薩埵峠入口の案内がありました。ここから峠が始まるのでしょうか。



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バスの回転場のすぐ手前の細い道が薩埵峠への道のようです。小池邸、あかりの博物館、蔵想等の案内があります。

恐らく旧東海道を歩く人が多いのでしょう。多数の案内があり道を間違えることなく、非常に助かりました。

2017年4月21日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅68

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前9時半過ぎには東海道本線由比駅手前に居ました。今宿の案内がありました。由比宿と興津宿の間宿となるようです。
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この付近の旧東海道は、由比桜えび通りという名称のようです。この付近は桜えびが特産のようです。

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現在地は、由比駅のやや東側に居ることが判ります。薩た峠が一回り大きく記載されていることが判ります。薩た峠へは、この由比駅が最寄り駅となります。
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こちらが由比駅となります。小さく小奇麗な駅舎でした。

2017年4月19日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅67

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前9時半前には旧東海道由比宿を後にし由比駅方面へ歩いていました。このような案内がありました。「せがい造りと下り懸魚」とあります。「せがい造り 軒先を長く出した屋根を支えるために、平軒桁(ひらのきげた)へ腕木を付け足して出桁として棰(たるき)を置いたもの」「下り懸魚 平軒桁の両端が風雨による腐食を防ぐための装置で、雲版型の板に若葉、花鳥などを彫り込み装飾も兼ねている。稲葉家は、この下り懸魚が施されている建物である」

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こちらが、稲葉家の全体像となります。妻となるところに懸魚らしきものが観察できます。

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こちらがせがい造りでしょうか? 当方にはよくわかりません。でも懸魚への変換がワープロで可能なことに驚きを感じます。

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旧東海道を西に進むと由比太郎左衛門屋敷跡がありました。岩辺郷右衛門家が代々本陣職を勤めた家に対して、由比太郎左衛門は加宿問屋職を勤めた家のようです。
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この付近は旧東海道と東海道本線を並走していいます。遠く由比駅があります。貨物列車が走ってきます。桃太郎だったのかもしれません。

2017年4月17日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅66

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前9時過ぎには旧東海道由比宿付近に居ました。こちらは、由比宿案内板となります。

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案内には、「江戸から16番目の宿場であること」「由比宿の本陣職、問屋職を勤めた岩辺家は、鎌倉時代よる続く由比氏の系統であり、江戸時代は岩辺郷右衛門を名乗ったこと」「宿場の町並みは東西約600m、宿高は340石、人口は707人、個数は160軒、本陣1、脇本陣1、旅籠32と小規模であったため、義務であった百人、百匹の常備の人馬をおくことができず近隣の村を加宿とし応援をしてもらっていた」「宿場西端にある由比川は仮板橋で、大水の際にはとり外す」「宿場の東西の入口には万一の攻撃に備えて街道をカギの手に曲げた枡形がある」との記載があります。

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案内板にある宿場の構成です。手前から、「かわらや」、「三度屋」、「興津屋」、「油屋」等があったようです。

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こちらが由比川にある新旧の常夜燈でしょうか。写真左には東海道本線が見えます。

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由比川を渡って由比宿を後にします。

2017年4月14日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅65

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前9時頃には旧東海道由比宿付近に居ました。「加宿問屋場跡」がありました。「ここは江戸時代加宿11(?)ケ村(北田、町屋原、今宿など)が共同で問屋場を設営したところです。問屋場とは、ば宇fるの命令で街道通行者のために人足と駄馬(百人百匹)を用意した役所で由比宿の場合は本宿と加宿が1ケ月交代でこの負担を努めました。加宿とはこお負担で本宿に化生を命ぜられた村のことです」とあります。

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加宿問屋場跡の案内は、正雪もなかの店舗前にあるのです。こちらも月曜日で定休日でした。

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さらに西方向へ歩くと、東海道由比宿おもしろ宿場館があるのです。
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おもしろ館の正門です。江戸時代の旅人のような人形が居ました。こちらも休館日なのでした。

2017年4月12日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅64

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前9時頃には旧東海道由比宿付近に居ました。正雪紺屋の隣には、脇本陣溫飩屋(うんどんや)がありました。由比宿には3軒の脇本陣があったようで、江戸時代後期から幕末にいたるまでつとめたのが、この溫飩屋のようです。脇本陣には門構え、玄関があったようです。

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塀に囲まれていて脇本陣の全容が判りませんでしたので、道路対側から広角で撮影していあます。

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本陣公園横には、馬の水呑場がありました。「この横の長い水路状の濠、(幅1m、東西20m)は、馬の水呑場といって、むかし大名行列の馬に水を呑ませたり、身体を洗ったりしたことろです。したがって水深も、もとは60cmもありました。屋敷の前の道路にこのような施設があるのは、他の宿場の本陣にはあまり類例を見ない珍しいものです」とあります。

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この馬の水呑場には、現在、多数の亀がいるのでした。甲羅干しをしている亀もいます。

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脇本陣横には、明治の郵便局舎(平野氏宅)があります。「前略 明治39年5月、平野義命氏が局長となり自宅に洋風の局舎を新築し、明治41年1月より郵便局を移転した。この局舎は昭和2年7月まで使用され、現在は平野氏私宅となっている」とあります。

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明治時代の郵便局舎は、このようになっています。塀が少々、邪魔なようです。一部しか見ることができませんね。

2017年4月10日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅63

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前9時頃には旧東海道由比宿付近に居ました。由比宿本陣公園、広重美術館の前には、このような常夜燈、明治天皇由比御小休所、天皇陛下皇后陛下行幸啓記念碑がありました。

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「明治元年東京行幸の際10月6日及12月12日同11年北陸東海巡幸の際11月5日御小休あらせられたる處なり。元年御使用の建物は?せざるも11年御使用の離れ家あり?その8畳の座敷を以って御座所に充てさせられしが?規模よく保存せらる」とあります。(一部、判読不可能)

この案内板の最後には昭和17年4月文部省とあります。判読困難なのも無理はありません。この案内板自体が骨董の類になりそうです。

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由比本陣公園の対側には、このよな風情のある建物があります。何やら暖簾に文字が記載されています。近づいてみましょう。

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暖簾には「正雪紺屋」とあります。
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軒下の案内には以下のように記載されています。「表に蔀戸を残すこの紺屋(染物屋)は、江戸時代初期より400年近く続くといわれ、屋内には土間に埋め込まれた藍甕(あいかめ)等の染物用具や、天井に吊られた用心籠は火事等の時に貴重品を運び出すもので、昔の紺屋の様子を偲ぶことができる。

慶安事件で有名な由比正雪は、この紺屋の生まれといわれていることから、正雪紺屋の屋号がつけられている。平成6年3月 由比町教育委員会」

こちらは平成6年のもので判読ができました。由比正雪って歴史の教科書で出てきたような記憶がありますね。

2017年4月 7日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅62

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前9時前には旧東海道由比宿付近に居ました。こちらの案内板には、「御七里役所之跡」とあります。

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案内には以下のように記載されています。「江戸時代 西国の大名には江戸屋敷と領国の居城との連絡に七里飛脚という直属の通信機関を持つ者があった。此処は紀州徳川家の七里飛脚の役所跡である。同家では江戸和歌山間-584Km-に約七里-28Km-毎の宿場に中継ぎ役所を置き五人1組の飛脚を配置した。中略 普通便は毎月3回、江戸は5の日、和歌山は10の日に出発。道中8日を要した。特急便は4日足らずで到着した」

江戸から和歌山まで結構、速かったのが判ります。
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由比宿の旧東海道は、このような感じで当時の道幅が保存されているようです。
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七里役所跡から西方向へ歩きます。由比本陣公園無料駐車場の案内があります。蒲原宿同様、クルマで来られる旅行者にも優しいオモテナシとなります。

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こちらが、由比本陣公園、東海道広重美術館の碑となります。しかし、

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9/5は月曜日で休館日でした。残念!

2017年4月 5日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅61

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前9時前には静岡県清水区由比付近に居ました。旧国道1号線と旧東海道の分岐点は神沢というようです。クルマを運転中には、普段何気なく見ている信号の地名も徒歩の旅では重要な情報を与えてくれるのです。自分がどこに居るたのかを確認するするのです。

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こちらの交差点には、ベニヤ板に「由比宿」と記載されたくたびれ果てた板がありました。クルマの運転中には気づかれないものだと感じます。

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見上げると歩行者用ガイドとあります。由比本陣公園、東海道広重美術館と記載されています。そちらの方向へ進みましょう。

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駿河湾は桜えびが名産のようです。看板には旧街道を赤矢印で案内しています。玉鉾さん、ありがとうございます。

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さらにその横には、由比宿の案内がありました。由比宿すぐそこ 0.6Kmとあります。

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この由比宿近くに、このようなリックを担いだオッサンが居ました。写真では少々、小さく写っています。当方と同じように旧東海道を歩いているオッサンのはずです。同類ですから、その挙動で分かるのです。まあ、向こうのオッサンも当方のことを同じように思っているはずです。

2017年4月 3日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅60

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午前8時過ぎには旧東海道蒲原宿西木戸付近にいました。西木戸を過ぎて直ぐ蒲原市民センター近くに案内板がありました。勿論、この先の道順を確認するために立ち止まるのでした。

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案内板の下には蒲原駅までの距離が1.1Kmと記載されています。通常に歩いて約15分程度だと考えました。

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予想通り約15の歩行で蒲原駅まで到着しています。こちらの駅待合室で清涼飲料水を購入して休憩した記憶があります。

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駅前の旧街道を西に向かって再び歩くのでした。高架は東名高速道路です。当方はこの区間の東名高速は通行したことがありません。まあ、いっか。
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前方に分岐点が見えてきました。写真右が旧国道1号線、左が旧東海道となります。

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