旅行・地域

2018年2月19日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅82

Dscf3352 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午後1時半過ぎには旧東海道日坂宿に居ました。こちらは、萬屋さんの対側にある川坂屋さんです。こちらも旅籠ですが、士分の方が利用されたもののようです。
Dscf3353 こちらが、川坂屋さんの全体像となります。白い帽子のご婦人が案内を読まれています。この方は、非常に上品な顔立ちの方でした。職業はお聞きしませんでしたが、その所作から、普通の主婦ではなく、ただ者ではないと思っています。
Dscf3354 さらに日坂宿西口方向に進むと、秋葉常夜灯があります。
Dscf3355 案内には、「日坂宿はしばしば火災にあっているためか、火伏せの秋葉信仰が盛んであった」とあります。
Dscf3356 常夜灯の近くには、高札場がありました。
Dscf3357 こちらが、高札場の全体像です。かなり大きなものでした。

2018年2月17日 (土)

旅の思い出---第2次飫肥街道徒歩の旅6

Dscf0391暇にまかせて2017年12月31日、第二次旧飫肥街道徒歩の旅に出ています。12/31午前9時過ぎには県道47号線宮崎北郷線を宮崎国際大学方向へ向かって歩いていました。平野団地前(宮崎駅方向)のバス停近くには、Dscf0392宮崎自動車道があるのでした。Dscf0393バス停付近から国際大学方面を撮影しています。こちらの橋を渡ることになります。Dscf0394橋の名称は、経田橋というようです。Dscf0396こちらは平野団地前(国際大学方向)のバス停から県道47号線を撮影したものです。宮崎市内から清武町方向へは、やはり、国道269号線が主の道路となり、こちらの道路の通行量は決して多くはないようです。Dscf0397国際大学方向へ歩くと、謎の廃車バス置き場がありました。門扉には特に名前はありません。よく判らない施設です。Dscf0399歩行を続けると、チロリアンハットが開花しているのでした。心が和みますね。

2018年2月16日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅81

Dscf3345 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午後1時半過ぎには旧東海道日坂宿に居ました。こちらは日坂宿脇本陣黒田屋さんのようです。旧脇本陣も今となっては一般、民家のようです。

Dscf3346 案内には、黒田屋の構えは1862年の宿内軒並取調上帳には、間口8間、奥行15間、畳101畳、板鋪(敷?)15畳、惣坪数〆120坪とあります。さらに明治天皇が、街道巡幸の際、明治2年3月21日、明治11年11月2日に、ここ脇本陣で小休止を取られたとの記載もあります。

Dscf3347 近くには、日坂宿の浮世絵もありました。

Dscf3348 浮世絵の横には、風情のある古風な家屋があるのでした。

Dscf3349 案内には、日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七邸とあります。子々孫々、栄えた家のような説明文があります。

Dscf3350 さらに、近くには萬屋さんがありました。今回、ブログを記載するに当たり説明文を拡大して見てみると、こちらの萬屋さんは庶民が利用する旅籠だったようです。

Dscf3351 こちらも、木造の古風な日本家屋なのでした。案内には、安静年間(1854-1859年)の早い時期に建築されたとの記載がありました。

2018年2月14日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅80

Dscf3340 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午後1時半過ぎには旧東海道日坂宿に居ました。日坂宿に入る前に道を少々、間違え、地元の人に聞いています。こちらは、日坂宿の案内板です。白い帽子のご婦人が写真左に写っているので、案内板の大きさがお判り頂けると思います。そうです。この白い帽子のご婦人とは掛川まで一緒に歩くことになりました。
Dscf3339 現在地を拡大して撮影しています。道を間違えたのは、旧国道1号線から日坂郵便局前を通過して、こちらの案内板に到着しているのです。一人で歩いていれば、引き返して旧街道を歩くのでしたが、白い帽子のご婦人が一緒だったので、そのまま歩くことにしたのでした。
Dscf3341 案内には、要約すると、江戸から54里、東海道三大難所の小夜の中山峠の西麓にあること、家数168軒、人口750人、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠33軒、宿場の東口から西口までの距離は700mとあります。
Dscf3342 こちらが、東海道を示す道標です。掛川市日坂本陣跡とあります。
Dscf3343 本陣扇屋さんの跡地は、公園になっているようでした。
Dscf3344 そして、問屋場跡は何の変哲もない普通の門扉内にあるのでした。何故か家屋はないようです。

2018年2月13日 (火)

旅の思い出---第2次飫肥街道徒歩の旅5

Dscf0381暇にまかせて2017年12月31日、第二次旧飫肥街道徒歩の旅に出ています。12/31午前9時頃には宮崎市清武町下加納付近に居ました。日豊本線を横断すべく踏切に来ています。加納駅方面を撮影したものです。すると、こちらの踏切の名称が書かれた機材がありました。機材には飫肥街道踏切とあります。こちらの踏切は今までに何度もクルマで横断していますが、初めてその名称を知りました。こちらの県道47号線が旧飫肥街道であることを裏付けるものですね。Dscf0385こちらは、飫肥街道踏切から都城方向を撮影したものです。学生時代に居住していたアパートが写っているようです。Dscf0386踏切から宮崎国際大学方向へ歩くと直ぐに、牧の札バス停がありました。Dscf0387時刻表を見てみると、結構な便数があることが判ります。Dscf0388しかし、12/25-1/5間は学校が冬休みとなるので学休日運休ダイヤとなる旨が記載されています。学生さんの利用が多いようです。Dscf0389さらに少々、登坂を続けると旧家を思わせる大きな和風家屋があるのでした。

2018年2月12日 (月)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅79

Dscf3335 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午後1時過ぎには、静岡県掛川市中山峠付近に居ました。二の曲がりと沓掛の案内がありました。
Dscf3336 こちらの急カーブを「二の曲り」というようです。
Dscf3337 二の曲りを過ぎ、坂を下った場所にこちらの案内がありました。沓掛は不明でした。
Dscf3338 案内には、「東海道五十三次 日坂 浮世絵版画 安藤広重作 狂歌入東海道」とあります。017 こちらが、高校同級生から頂戴した浮世絵の東海道日坂を描画したものです。安藤広重の東海道五十三次の浮世絵にも、図柄が異なるものがあるのでしょうか?

2018年2月10日 (土)

旅の思い出---第2次飫肥街道徒歩の旅4

Dscf0373暇にまかせて2017年12月31日、第二次旧飫肥街道徒歩の旅に出ています。12/31午前9時前には宮崎市清武町下加納付近の追分交差点に居ました。こちらの交差点の名称はなんとなく知っていましたが、今回、旧飫肥街道を徒歩で歩くことにより、その由来が判りました。街道の分かれ道となっているのです。Dscf0375追分交差点から、これから歩くべき方向を撮影しています。宮崎国際大学方向へ登坂となるのです。Dscf0376旧飫肥街道は、現在の県道27号線で宮崎北郷線なのです。宮崎国際大学まで約2Kmとあります。勿論、クルマで通行したことはありますが、徒歩で通行するのは初めてです。Dscf0377県道の表示からすぐに橋がありました。Dscf0378牧の札橋というようです。歩行者用に側道橋も架橋されているのでした。Dscf0379牧の札側道橋から清武町方面を撮影したものです。どちらが、上流なのかが良く分かりません。Dscf0380川の名称がありました。そうそう、八重川です。一級河川なのでした。1級河川にしてはやや小ぶりな川なのでした。

2018年2月 9日 (金)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅78

Dscf3330 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午後1時過ぎには静岡県掛川市中山峠付近に居ました。この付近は本当に句碑が多いのです(今回、ブログを記載するに当り、割愛しているものもあります)。こちらにも句碑がありました。
Dscf3331 こちらも松尾芭蕉の野ざらし紀行にある句のようです。「馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」。「あれ、これって、諏訪原城跡付近にも同じような句碑があったような気がするなー」。そうです、第4次旧東海道徒歩の旅66でも同じ句碑がありました。当ブログのように使いまわしをしているようです(笑)。
Dscf3332 近くには、夜泣石跡の石碑がありました。
Dscf3333 「妊婦の霊魂が移り泣いたという石(夜泣石)が明治元年までここの道の中央にあったが、明治天皇御東幸のみぎり道脇に寄せられた。その後明治初年とうきょうで博覧会があり、出品された帰途、現在の位置に移る」と説明文にはあります。

2018年2月 7日 (水)

旅の思い出---第4次旧東海道徒歩の旅77

Dscf3320 2017年5月に有給休暇を取得して実施した旧東海道徒歩の旅を回顧しています。5/28午後1時前には、静岡県掛川市中山峠付近に居ました。この辺りには、句碑が多いのです。旧東海道を偲ばせます。句碑に書かれている文字は当方には判読不可なので、説明文の方を撮影しましょう。
Dscf3321 こちらは、芭蕉の野ざらし紀行にある句のようです。まあ、そうなのでしょう。
Dscf3322 近くには白山神社もあるのでしたが、非常にこじんまりとした神社なのでした。旧東海道を示す道標があります。
Dscf3327 こちらの石碑には、涼みの松広場と刻まれています。広場というには、少々、狭かった印象が残っています。
Dscf3328 説明文がありました。「小夜の中山夜泣石のあった駅路の北側に大きな松があり、松尾芭蕉がこの松の下で、「命なりわずかの笠の下涼み」と詠んだと言います(以下略)」
Dscf3329 こちらが石碑です。「命」は判読可能ですが、以下は、なかなか読み難いですね。

2018年2月 6日 (火)

旅の思い出---第2次飫肥街道徒歩の旅3

Dscf0366 暇にまかせて2017年12月31日、第二次旧飫肥街道徒歩の旅に出ています。12/31午前9時前には国道269号線加納神社付近にいました。こちらが、どうも国道269号と旧飫肥街道の分岐点のようです。写真左が国道、右が旧街道だと思います。Dscf0367 少々、進むと石柱がありました。判読困難ですが、宮崎元標壱里宮崎郡清武村大字加納と刻まれているようです。Dscf0368 裏には、清武へ壱里壱町拾四間と刻まれています。旧街道を忍ばせるものが発見できて、このような時に徒歩の旅の醍醐味を感じるのでした。Dscf0371 石柱の近くには加納神社がありました。この当たりに神社があることも、今回、初めて気が付いたのでした。Dscf0372 こちらは、加納にあるハンズマンです。対側には加納豪商跡があるはずなのですが、今回、残念なことに気が付きませんでした。

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