旅行・地域

2018年11月14日 (水)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その69

Dscf1386 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午後1時半過ぎには、大津市京町3丁目付近に居ました。旧東海道を離れ、JR大津駅方向へ進んでいます。すると、大津市市街地案内がありました。
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まあ、現在地を確認しましょう。こちらの駅前通りは、中央大通りというようです。現在地の斜め左上には、「露国皇太子遭難地の碑」があるようです。吉村昭の小説に、これを題材とした小説があります。犯人を捕まえ、お手柄を挙げた者にはロシアから年金が支給されたような覚えがあります。こちらは、次回、訪れることにしましょう。
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また、同様の案内板がありました。案内には左に、「大津祭曳山展示館」とあります。有名なのでしょうか?
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徐々に、JR大津駅に近づいて来ました。
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こちらが、JR大津駅駅舎となります。やはり、滋賀県県庁所在地らしく、立派な駅舎です。
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駅前の案内板です。現在地はそのものすばり、駅前です。

2018年11月12日 (月)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その68

Dscf1373 2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午後1時半頃には大津市京町3丁目付近の旧東海道に居ました。例の案内板がありました。旧東海道の文字も見えます。ガイドブックによると、これから京都方面への旧東海道は逢坂山超えとなりそうなので、天候も芳しくなく、今回の行程は大津までとしています。
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下の地図で現在地を確認します。赤く表示されています。旧東海道は地図で青色で提示されています。
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この付近はJR大津駅前通りとなり、近代的なビルが建っているのでした。
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当方が歩いて来た旧東海道を振り返っています。このように幅員のない道路でした。
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京町通り、旧東海道を示す傍示石がありました。
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傍示石側面には案内文がありました。「この通りは、江戸時代に大津百町として賑わった旧大津市街地を東西に貫く3本の通りの1つです。この通りは、旧東海道とも重なっており、京都への道筋にあたることから京町通りと呼ばれてきました。かつては多くの商家が軒を重ね、分岐点にあたる札の辻以西は、北国街道となっていました」とあります。
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JR大津駅方向を撮影しています。駅方向へ進むことにしました。

2018年11月 9日 (金)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その67

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2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午後1時過ぎには大津市京町3丁目附近の旧東海道に居ました。例の案内板がありました。写真左方向が進行方向です。

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拡大したものを撮影しなかったようです。写真から東海道本線と京阪石山坂本線の中間地点に居ることが判ります。ここで旧東海道を少々、離れ滋賀県庁を見にいくことにしました。
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こちらが、その滋賀県庁外観となります。非常に立派な建造物でした。
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信号機のある交差点の名称も、そのものズバリの県庁前です。
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滋賀県庁の外観を見学した後、旧東海道に戻っています。すると、「日本最古の銘茶 朝宮茶」の幟を掲げる中川誠盛堂茶舗がありました。まあ、そうなのでしょう。店頭でお茶の焙煎をしているようで、非常に良い香りが流れていました。
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この付近にも、このような家屋がありました。
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文化庁による登録有形文化財の指定を受けている家屋のようです。でも、側面がトタン張りで少々、興ざめですね。

2018年11月 7日 (水)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その66

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2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午後1時過ぎには大津市京町4丁目付近の旧東海道に居ました。例の案内板がありました。JR大津駅、滋賀県庁が近いようです。

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現在地を確認しましょう。現在地の右上に県庁があるようです。東海道本線が内陸を、京阪石山坂本線は琵琶湖に沿って走行しているようです(写真下方向が琵琶湖方向)。
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この付近の旧街道沿いにも、昔ながらの旧日本家屋がありました。一般の家屋のようです。
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小さな川に掛かるときわ橋を渡ります。
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この4月中旬頃の滋賀県地方では、白いトキワマンサクが満開となっていたのでした。本当に綺麗に開花していました。宮崎では2月中旬頃に開花していたと記憶しています。

2018年11月 5日 (月)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その65

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2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午後1時過ぎには大津市石場付近の旧東海道に居ました。写真左の政治家連絡所看板横の電柱に旧東海道の案内があります。道路を直進するようです。

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旧街道進行方向左には蹴鞠の祖神を祭祀している平野神社があるようです。平野神社の傍示石と燈篭がありました。当方はサッカーには興味がないので通過します。
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この付近の旧街道も、こちらの写真のように今となっては道幅の狭い道路となっています。
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街道を進むと、このような格言がありました。「願うこころは道をつくる」との記載があります。有難い言葉だと思います。こちらは、浄土宗西方寺というようです。
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こちらが、西方寺の正面となります。電話で法話が聞けるようです。何だか、有難いような、そうでもないような複雑な気持ちがします。
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さらに街道を進むと幅員の広い道路と交差します。写真中央が旧東海道となります。通常、このような場合、横断歩道があるのですが、見当たりません。少々、迂回して横断歩道を渡りました。
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進行方向右側に、何だかお城のような建物があります。歩行しているときは知りませんでしたが、今回、ブログを記載するに当たり調べてみると滋賀県立琵琶湖文化館とのことです。

2018年11月 3日 (土)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その64

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2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午後1時過ぎには大津市松本2丁目付近の旧東海道に居ました。例の案内板がありました。勿論、条件反射的に現在地を確認します。
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案内図で見ると、京阪石場駅すぐ南西横にいるようです。
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その下には、呼次松の由来が記載されています。江戸時代、この辺りには石場の渡しがあり船客で賑わっていたようです。渡し場には呼次の松とよぶ一株の老松があり、船頭がこの松の根元に立って客を呼んだので、その名がついた」とあります。
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この付近の旧東海道もなんだか裏びれた雰囲気が漂っています。
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石場の案内板がありました。
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現在地は石場駅から、さほど離れていないことが判ります。
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案内板下部には平野神社の説明がありました。「蹴鞠の祖神という精大明神を祭神とし、古くから芸能の神として信仰を集めてきた」とあります。

2018年10月31日 (水)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その63

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2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午後1時頃には、大津警察署付近の旧東海道に居ました。例の案内板がありました。現在地を確認します。
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こちらも、警察署からは少々、離れているように記載があります。実際は、警察署の真裏に居たような記憶が残っています。
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案内板下部には以下のような説明文があります。「石場の常夜灯 現在、琵琶湖文化館の前にある弘化2年(1845?)建立の大常夜灯は、この付近の石場の渡し場にあったものを移設したものである。花崗岩でつくられ、高さは8.4mで船仲間が費用を提供した。琵琶湖を行き交う船の安全を守る灯台の役目もはたしていた」
ちなみに、こちらの写真は傾斜していますが、交通量の多い道路が後方にあり、これ以上、下がれなかったからだと記憶しています。
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京阪石山坂本線石場駅が見えてきました。
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石場踏切を渡ります。
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電信柱には、旧東海道を案内する掲示があります。本当に道が複雑な地域では旧東海道を歩く者にとっては助かります。このような掲示があると、その自治体への印象も良くなります(笑)。

2018年10月29日 (月)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その62

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2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午後0時半過ぎには大津市馬場1丁目付近の旧東海道に居ました。例の案内板がありました。位置を確認してみましょう。
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現在地は赤●で提示されています。旧東海道は、この図の青い色で提示されているものとなります。
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この付近の旧街道は、このような雰囲気です。この道路を通過する人の何割が旧東海道であることを自覚していることでしょう。
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さらに案内板がありました。義仲寺前とあります。
 
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位置を再確認します。「義仲寺前」とある割には、少々、義仲寺から離れているような印象です。
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案内下を見てみましょう。案内には、「義仲寺は、粟津の合戦で敗死した木曽義仲の菩提を弔うために建立された寺院で、義仲と芭蕉の墓があり、芭蕉が住んだ無名庵ほか句碑も二十数基あり、俳跡としても有名である」とあります。
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義仲寺前からその全体像を撮影します。このような感じです。木曽義仲は当方にとってあまり良い印象がないので通過します。

2018年10月26日 (金)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その61

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2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午後12時半過ぎには大津市西ノ庄付近の旧東海道にいました。この付近の街道沿いには純和風日本家屋が残存しているのでした。

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さらに進むと、膳所城北総門跡の傍示石がありました。
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その傍示石は、まったく一般民家の前にひっそりの建っているのです。たまたま。バイクのお兄さんが通りかかています。こんな写真も、その時の状況を伝えることができ、嫌いではありません。傍示石は写真中央にあります。
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4月中旬頃の滋賀県付近では、トキワマンサクが綺麗に開花しているのでした。
「そういえば、当家のマンサクは最近は開花しないな-」なんて思いながら、写真を撮影しています。
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さらに歩を進めます。滋賀県立大津高等学校前の交差点から撮影しています。何故か、この交差点はクルマで混雑していたのを覚えています。

2018年10月24日 (水)

旅の思い出---第5次旧東海道徒歩の旅---その60

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2018年4月、京都へ会議で出張した際に挙行した第5次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。4/14午後0時半過ぎには大津市西ノ庄付近の旧東海道に居ました。響忍寺から2つのクランクを過ぎ、こちらの案内板のある西ノ庄付近に来ています。

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現在地は赤丸で提示されています。現在地から写真左方向へ進むことになります。こちらの案内板によると、暫くの間、旧東海道は直線的に道なりに進めば良いようです。
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こちらの案内板は、フレンドマートの前にありました。案内板が写真右端に小さく写っています。フレンドマートは恐らく、スーパーマーケットだろうと思います。
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旧東海道を京都方面へ進むと、石坐(いわい)神社がありました。表参道となるべき場所から撮影しています。
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神社の由緒が記載された案内板がありました。「石坐神社は、天智天皇が琵琶湖の神様を祭祀したことに始まる」との文書で、その説明が始まっています。以下、長々と説明の記載があるのですが、どうしても当方は読み飛ばしてしまうのです。
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石坐神社を過ぎると、公衆浴場がありました。「ゆ」の文字があります。看板には「西ノ庄湯」とあり、サウナ、リラックスバス(すわりジェット風呂)、水風呂、ブロアーの文字がみえます。「ブロアー」って何だろうなんて思いながら通過しました。
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西ノ庄湯を過ぎると、こちらの傍示石がありました。「天智天皇御尊牌奉安 法傳寺」とあります。まあ、天智天皇に関わる何かがあるのでしょう。今回、このブログを記載するに当たり調べてみました。こちらを参照で。

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