旅行・地域

2019年12月 5日 (木)

旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その18

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2019年5/24から5月恒例の旧東海道徒歩の旅へ出発しています。今回が第8次の旅となります。 今回の予定としては、三重県桑名市から滋賀県甲賀市付近までの徒歩を予定しています。5/24午後4時半過ぎには旧東海道四日市宿へ向かって歩いていました。茂福神社の案内がありました。案内には、「1421年摂津守政平が越前朝倉からこの地に赴任すると、建速須佐男命(たてはやすさのおのみとと)と天照皇大神をお祀りした」とあります。昔も越前から遠く、四日市まで赴任していたようです。

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こちらが、茂福神社の正面となります。写真右の道路が参道だったかもしれません。

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この近くには、茂福城跡もあるようですが、街道から逸れるので今回は割愛します。

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八田三丁目西交差点付近まで到着しました。左横には国道1号線まで0.2Kmの案内があります。

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高架の道路下を通り、旧東海道を進みます。

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通過している道が旧街道であることを示すように常夜灯がありました。

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この先の旧東海道は、こちらのような緩いカーブを示します。

2019年12月 4日 (水)

旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その17

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2019年5/24から5月恒例の旧東海道徒歩の旅へ出発しています。今回が第8次の旅となります。 今回の予定としては、三重県桑名市から滋賀県甲賀市付近までの徒歩を予定しています。5/24午後4時半過ぎには旧東海道四日市宿へ向かって歩いていました。富田小学校を過ぎると薬師寺がありました。案内を要約すると、大同年間にこの地域で疫病が流行したようです。弘法大師が足を止めて薬師如来を彫り、開眼したところ難病が平癒したとのことです。

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こちらが、薬師寺の正面となります。

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電柱に東海道の案内がありました。左方向へ向かうようです。指示に従います。

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電柱近くに、何かあります。接近してみます。

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2つの力石がありました。写真左は子供用のものです。

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力石の由来に関しては、「明治の中頃、この村にある二ケ寺の御堂を再建するにあたり各所より土台石の奉納があった。(中略)その節、土台石の中よりこの石を選び休憩時に体力を試さんと持ち上げ競いあったと伝えられている。(中略)」とあります。大人用が120Kg、子供用が19Kgとのことです。この付近の方々は、力石を好むようです。

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「新設用水道碑の由来」なる案内板もあります。3枚前の写真で古い石碑には「新設用水道碑」と書かれているようです。要約すると、十四川の改修工事により茂福町へ流れる水路がなくなり、明治37年に暗渠により水路を整備し昭和中頃まで利用されていたとのことです。その後、国道1号線の開通、伊勢湾台風により水路が消滅したとのことです。

2019年12月 2日 (月)

旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その16

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2019年5/24から5月恒例の旧東海道徒歩の旅へ出発しています。今回が第8次の旅となります。 今回の予定としては、三重県桑名市から滋賀県甲賀氏付近までの徒歩を予定しています。5/24午後4時過ぎには旧東海道四日市宿へ向かって歩いていました。四日市市富田地区センター近くには、明治天皇御駐輦(れん)跡の案内板がありました。案内には、明治天皇が、かつてこの場所にあった庄屋広瀬五郎兵衛方へ4度、立ち寄られ、富田の焼蛤を食した等の記載です。

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小休止を取られた石碑があり、

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明治天皇御駐輦(れん)跡 の古い石碑もあるのでした。

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近くには、最近、見かけなくなった二宮金次郎さんの石像がありました。

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そうです。こちらは四日市市立富田小学校正門前となっているのです。

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小学校から2-3分、歩行すると常夜灯がありました。

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常夜灯裏には、天保十己亥年(1839)の記載があるようです。180年間、風雨に耐えてきたようです。

 

2019年11月29日 (金)

旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その15

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2019年5/24から5月恒例の旧東海道徒歩の旅へ出発しています。今回が第8次の旅となります。 今回の予定としては、三重県桑名市から滋賀県甲賀市付近までの徒歩を予定しています。5/24午後4時過ぎには現在の四日市市富田付近に居ました。現在の近鉄名古屋線富田駅付近に居たことになります。旧街道には、こちらの案内と近鉄富田駅まで200mの案内があるのでした。

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富田の焼蛤の案内板ありました。要約すると、富田は桑名宿と四日市宿の中間の間(あい)の宿として繁栄したこと、桑名の焼蛤として有名ですが、実は焼蛤は小向(おぶけ)(朝日町)と富田の名物であったこと、富田が桑名藩領であったことから桑名の焼蛤となったこと等の記載です。

 

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四日市市富田地区市民センター前には、

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東海道の案内と地図がありました。こちらの案内からは四日市宿まであと1里のようです。

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東海道総合案内をみて現在地を確認してみましょう。

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赤い線が旧東海道となります。写真中央に現在地の表記があります。この付近は、JR線と近鉄線に挟まれた土地となるようです。利便性が高いですね。

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この付近で、比較的新しい東海道の傍示石がありました。

2019年11月28日 (木)

旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その14

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2019年5/24から5月恒例の旧東海道徒歩の旅へ出発しています。今回が第8次の旅となります。 今回の予定としては、三重県桑名市から滋賀県甲賀市付近までの徒歩を予定しています。5/24午後4時過ぎには旧東海道四日市宿へ向かってあるいていました。現在の近鉄富田駅付近にいたことになります。こちらは八幡神社址のようです。案内板があります。接近してみましょう。 

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「八幡神社の力石」とあります。「力石は豊作の願いと村一番の力持ちの競い合いと仕事士の証としての踏ん張りの精神力、そこに集まった人々の笑いを意味していて生きる喜びの証であったろうと思われる」との記載です。「重量約100Kg」も併記されています。

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太陽光で非常に見難いのですが、こちらがその力石となります。

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八幡神社址近くには、行啓記念道路の案内板があるのです。「この碑は、大正天皇が皇太子時代にこの道路を通られたことを祈念して建てられたものである。(現在の石柱は、昭和2年(1927)1月に再建されたものである。明治43年(1910)11月16日、第三師団と第15師団の対抗演習を見学のため西下された皇太子殿下は当時三重県立第二中学校(旧制富田中学校・現四日市高校)にお立ちよりになられた。当日、小雨降る関西線富田駅に降り立たれ殿下は、21発の祝火のとどろく中を中学校へと向かわれた。(後略)」との記載です。

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こちらが、その行啓記念道路の傍示石となります。側面には明治43年11月の文字が見えます。

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電信柱の案内に従って旧東海道を進みます。

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富田3丁目2の付近には、「津市元標拾里」記載された傍示石があるのでした。県庁所在地である津から現在地まで約40Kmなのでしょう。

2019年11月27日 (水)

旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その13

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2019年5/24から5月恒例の旧東海道徒歩の旅へ出発しています。今回が第8次の旅となります。 今回の予定としては、三重県桑名市から滋賀県甲賀氏付近までの徒歩を予定しています。5/24午後3時半過ぎには旧東海道四日市宿へ向かって歩いていました。前方に踏切と鉄道の高架線が見えてきました。 

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こちらはJR関西本線の西冨田踏切のようです。

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通過した踏切を振り返って撮影しています。ガイドブックには、高架になっているのは三岐鉄道三岐線であるようです。

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高架近くの電信柱には、東海道を示す看板がありました。助かります。

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さらに少々、旧街道を進むと「富田の一里塚跡」の案内がありました。後半には「明治以降は、交通機関等の発達によりほとんどが取り除かれてしまい、本市においても、その面影をみることができなくなった。古地図や文献によると四日市には、富田、三ツ谷、日永、采女の4ケ所にその跡が判明されており、これはそのうちの1つで日永の一里塚跡とともに県の史跡に指定されている」との記載です。

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一里塚跡といっても、塚はなく古い傍示石があるのみでした。

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そして、一里塚橋を渡り富田方面へ向かうのでした。

2019年11月26日 (火)

旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その12

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2019年5/24から5月恒例の旧東海道徒歩の旅へ出発しています。今回が第8次の旅となります。 今回の予定としては、三重県桑名市から滋賀県甲賀市付近までの徒歩を予定しています。5/24午後3時過ぎには現在の四日市市朝明橋付近に居ました。四日市市に入ると、このような東海道案内板がありました。下部に要所となる地点から次の地点までの距離の記載があります。このような記載は徒歩の旅では概その時間が判り、非常に有用となります。

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これから歩く旧東海道を撮影しています。微妙なカーブとなります。

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何やら案内板があります。接近してみましょう。

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案内板には「松寺の立場跡」の説明がありました。前の写真右の石碑は、「輝子頌徳記念碑」との説明でした。この地域で教育に貢献した方のようですが、ここでは割愛します。

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さらに先には、龍王山宝性寺の案内があり、その下に四日市まで7Km, 100分の記載があります。立場があったことから、この付近が桑名と四日市の中間地点となるようで、こちらの案内からも、そのことが伺えます。

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さらに少々、四日市方向へ進むと、古そうな石柱と案内板がありました。

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鏡ケ池(笠取り池)の案内板でした。「続日本書紀によると、聖武天皇は、奈良時代の天平12年(740)に伊勢国を行幸になり、11月に一志郡河口をたち、鈴鹿郡赤坂の頓宮を経て、23非に朝明郡の頓宮に着かれたとある。その場所の所在は不明であるが、当地近辺であり、松原町のもと松原姓を名乗っていた旧家田村氏宅に伝わる話では、聖武天皇が行幸を際に松原を通られると一陣の風が吹き、天皇の笠が池の中に落ちた。ちょうどその時、傍に洗濯をしたいた娘がその傘を拾って差し上げたため、これが縁となって天皇はこの田村家に宿をとられたという。明くる朝、旅立ちの日は、風邪もなし、空は真っ青に澄んで、馬上の天皇の姿と、見送る娘の姿とが、鏡のような池の上にともの映えて、一幅の絵を見るような光景になった。以後、この池を鏡ケ池とも呼ぶようになったといわれる」との記載です。手打ちで疲れました。

2019年11月25日 (月)

旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その11

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2019年5/24から5月恒例の旧東海道徒歩の旅へ出発しています。今回が第8次の旅となります。 今回の予定としては、三重県桑名市から滋賀県甲賀市付近までの徒歩を予定しています。5/24午後3時過ぎには旧東海道桑名宿から四日市宿へ向かって歩いていました。朝明川に架かる朝明橋を渡ります。看板の文字は劣化しており判読困難です。 

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朝明川を渡ると、こちらの看板がありました。ここから四日市のようです。「ここは四日市の東海道北玄関 松寺」との記載があります。

五十三次の四日市浮世絵も掲載されていますが、浮世絵は三重川を描写しているようです。

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看板左下には、「昔の朝明橋」の写真がありました。木製の橋だったことが伺えます。

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さらに旧街道を進むと、何やら石が鎮座ましましているのでした。何かと思い、案内板に接近します。

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「力石 (前略) 石には27メと刻まれ、その目方が27貫目(約100Kg)と想像される、北勢地方で見かける力石は、その多くが神社仏閣に境内にあるが、これは数少ない民家の軒先に保存されているものである。東海道を往来した旅人や籠かき衆等が休んだりおりに余力を誇示するがごとく自慢げにこの石を持ち上げたであろう。往時の様子が偲ばれる。(後略)」との記載があります。

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道路反射ミラーには、東海道を示す木製の案内がありました。ミラーには小さく写真撮影をする当方も写っているのでした。

2019年11月22日 (金)

旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その10

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2019年5/24から5月恒例の旧東海道徒歩の旅へ出発しています。今回が第8次の旅となります。 今回の予定としては、三重県桑名市から滋賀県甲賀氏付近までの徒歩を予定しています。 5/24午後2時半過ぎには、近鉄名古屋線伊勢朝日駅付近に居ました。先ほどの案内板の説明部分を撮影しています。「町名の由来は、大海人皇子(のちの天武天皇)が、672年に起きた壬申の乱の際、朝日を望拝した古事によるものです」との記載があります。壬申の乱って、小学校、中学校の歴史で習った記憶がありますが、内容は失念しています。

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こちらは、近くを通過する近鉄の車両です。近鉄ですので恐らく標準軌のはずです。

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こちらが、近鉄伊勢朝日駅となります。

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伊勢朝日駅近くには、東芝インフラシステムズの三重工場があるのでした。

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近くに公園のような場所には、旧東海道を示す傍示石があり、

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国学者本居宣長の弟子となる橘守部誕生地遺跡の説明文があるのです。

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さらに近くの民家の塀には、このらの案内がありました。旧東海道を歩く人々を歓迎してくれているようです。

2019年11月21日 (木)

旅の思い出---第8次旧東海道徒歩の旅---その9

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2019年5/24から5月恒例の旧東海道徒歩の旅へ出発しています。今回が第8次の旅となります。 今回の予定としては、三重県桑名市から滋賀県甲賀氏付近までの徒歩を予定しています。5/24午後2時過ぎには桑名市の員弁川(いなべかわ、町屋川)を渡っていました。川を渡ると電信柱上に東海道の案内がありました。これに従い旧街道を進みます。

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こから進む旧街道は、微妙なカーブがあるのでした。この曲り型や道幅が旧街道らしいです。

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一里塚跡前を通過します。

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こちらは、「やましたこどもクリニック」の看板を撮影したものではなく、写真右の仕出し屋さんを撮影したものです。ちなみに、こちらの店舗は「食事処 仕出し 日乃出」と記載されているようです。その店舗家屋上を望遠で撮影しましょう。

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そうです、旧東海道の案内があるのでした。個人的には、こちらの店舗には好意を持つのでした。

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「食事処 仕出し 日之出」さんのすぐ近くに、こちらの案内板がありました。地図があります。

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現在地は、近鉄名古屋線伊勢朝日駅の近くとなるようです。

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