旅行・地域

2017年6月23日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅94

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/6は沼津駅7:18分発の浜松行の普通列車に乗車し旅が始まりました。

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清水駅には午前8時過ぎには到着しています。清水駅東西自由通路下江尻口にはちびまる子ちゃんイラストがあるのでした。そういえば、ちびまる子ちゃんは清水在住の設定となっているはすです。

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前日昼過ぎに到着した江尻東交差点から旧東海道の徒歩の旅の再会です。

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旧東海道沿いには、このような張り紙の案内もありました。「町名の由来 鍛冶町 永禄12年(1569)武田信玄あ江尻城を築き江尻は城下町として発展した。その後、天正19年(1591)城下町から出荷して周囲の民家を焼き尽くし、この火事が原因で鍛冶職とか鋳物職のような火を扱う家屋を海岸近くの現在に地に移したといわれている。江尻宿には27戸の鍛冶職があり、その大部分が鍛冶町にあったといわれる。はじめは江尻城の御用鍛冶として刀剣類を作り、その後刃物鍛冶から鍬や鎌を作る農鍛冶となった。このように鍛冶職人が多く住んでいたので鍛冶町と名づけられた。城や宿場のあった町に数多くの鍛冶町の名が残れている」 そうか、はじめは武田信玄がこの地に城を築いたようです。

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旧街道は、このような道となります。歩いて来た道を振り返って撮影したように思います。

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この交差点には、このような案内がありました。稚児橋方面へは右折するように矢印が付いています。

2017年6月21日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅93

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午後2時半前には旧東海道江尻宿手前まで来ています。こちらは細いの松から江尻宿への案内板となります。

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写真左には国道1号線があるのですが、旧東海道は写真のようにクルマの往来も少ないのでした。ひっそりと落ち着いた風情があります。
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約10分程度歩くことで江尻東の交差点まで来ました。こちらを左折すると清水駅になるはずです。

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数分、歩くと清水駅前に到着です。駅前には久能山東照宮の記念碑があるのです。東照宮の文字の下には、従是弐里三拾町との記載があります。東照宮までの距離を示しているようです(拡大して確認しています)。

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こちらが清水駅前となります。JR清水駅の江尻口となります。ここで9/5の行程を終了しベースキャンプとなる沼津へ戻っています。

2017年6月19日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅92

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午後2時過ぎには旧東海道江尻宿(清水)へ向かって徒歩していました。この辺りは国道1号線と旧街道は重なっています。清水駅までの案内がありました。

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9/5の午後2時頃、陸橋上から撮影したものです。この日はこのように雲が垂れ込めていましたが、降雨することはなかったので助かっています。
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旧東海道清水宿手前に「無縁さんの碑」がありました。何だろうと思い近くの案内を見るのです。

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「細井の松原無縁さんの碑 辻村の東辺りから西久保にかけて細井の松原と呼ばれた松並木が続いていた。この並木は昭和19年、松根油採取のため伐採されたが、この折多量の人骨が出土した。東海道で倒れた旅人を埋葬したものと推察されたが、町内の人々寺に葬り、松原の一隅に記念碑を建て霊を慰めた」とありました。納得です。

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この辺りは静岡市清水区となっているのです。あと300mで江尻宿に到着するような記載があります。
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現在は、松並木とはほど遠く1本の松が植樹されているに過ぎません。

2017年6月16日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅91

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午後1時半過ぎには旧東海道興津宿を通過しています。二級河川波多打川を渡ります。この川が興津と清水の境だったのかもしれません。


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東海道本線横砂踏切を渡ります。

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細い旧街道を進むと古めかしい建物がありました。近づいてみましょう。

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「横砂・延命地蔵尊とは」なる案内がありました。案内の意味が良く判りませんが、寿命は延ばせないが病は治せるということなのでしょう。

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地蔵尊の前には、常夜燈もあるのでした。この日、この時間帯は暑かった記憶が残っています。こちらの写真もなんだか露出オーバーのようです。

2017年6月14日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅90

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午後1時半頃には旧東海道興津宿付近に居ました。当時の興津宿の旅館の分布図がありました。少々、近づいてみましょう。

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先の水口屋半平(脇本陣)、扇子屋宇兵衛、油屋惣兵衛、佐野屋惣蔵さんらのの名前が見えます。▲は明治5年に旅館業を営んでいたもの。●は明治18年5月に旅館業を営んでいたもののようです。

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「大正天皇在東宮海水浴御成道」なる石碑もありました。大正天皇が海水を楽しまれた海辺があるようです。当方は泳げないので興味がありません。

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「興津坐漁荘」に関する案内板がありました。「坐漁荘は、西園寺公望公が70歳になった大正8年(1919)に老後の静養の家として風光明媚な清見潟に臨むこの地に建てた別荘で、命名は渡辺千冬子爵によります」とあります。西園寺公望って名前は憶えているけど具体的には何をしたかを忘れてしまいました。勿論、渡邉千冬さんは存じ上げません。

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坐漁荘の正面はこのようになっていますが、当然、月曜日で入口には柵があるのでした。

2017年6月12日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅89

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午後1時過ぎには旧東海道興津宿付近に居ました。こちらは興津宿東本陣址を示す石碑です。こちらの石碑は、ごく一般的な民家の前にあるのでした。

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旧東海道をさらに西方向へ進むと「水口屋」さんがありました。少々、戻って入口を拝見しましょう。

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興津宿脇本陣水口屋跡なる石碑があります。その奥には一碧楼水口屋跡ともあります。明治時代以降、別称旅館として繁盛したようです。

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さらに西方向へ進むと、西本日址の石碑がありました。現在は駐車場になっているようです。こちらの石碑は、駐車場の出入りには少々、支障がありそうな位置にありました。

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西本陣址の石碑のお隣は、自転車屋さんとなっていました。脇本陣の水口屋さんが明治時代以降繁盛したのに対し、本陣址が寂しくなっています。時代の流れは酷なものがあります。

2017年6月 9日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅88

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午後1時過ぎには旧東海道興津宿に居ました。こちらは興津宿公園となります。

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公園内には興津宿の由来が記載されています。抜粋してみましょう。「この付近一帯が興津と呼ばれたのは、宗像神社の祭神(興津島姫命;おきつしまひめのみこと)がここに住居を定めたころからと言われている。また、平安末期から興津家一族(興津・小島地区を治めていた)が住居していたのでその名を地名としたとの説もある。古代から呼び名は、奥津、沖津ともいわれていた」とあります。ようやく、宗像神社との関連がハッキリして来ました。九州と関連があるようです。

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公園内には興津町役場跡なる石碑もありました。「清水市合併20周年記念」ともあります。現在では、興津町、清水市とも静岡市に合併されてしまったようです。

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この興津宿公園は、興津交番の横に位置していたのでした。

2017年6月 7日 (水)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅87

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午後1時過ぎには旧東海道興津宿付近に居ました。こちらは興津宿の米屋高山仙吉商店さんを撮影したものです。店先には、時期外れの杉玉が掲げられているのです。もう、新酒ができたのでしょうか?

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少々、西に進むと興津宿を示すモニュメントがありました。静岡市清水区と記載があります。清水市って市町村合併で消失したようです。

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興津宿案内板なるものもありました。拡大してみましょう。

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旅籠の油屋さんと、油屋をしている松原屋さんがあったようです。チョット、混同してしまいそうです。

2017年6月 5日 (月)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅86

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5午後0時半前にはJR興津駅手前に居ました。旧東海道を歩いていると、このような石碑がありました。石碑には身延山道と彫られているようです。ここから身延山道がはじまるのでしょうか?

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さらに西方向に進むと、鉄工所の前にひっそりと一里塚の石碑があるのでした。

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ようやく、興津宿に入ったようです。大きな看板がありました。看板には清水区の記載もあります。


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直ぐに、JR興津駅に到着しました。正午を過ぎ、空腹感もあったので駅前のコンビニで昼食を探そうかと思っていましたが、駅前にコンビニがありませんでした。300m程度でしょうか旧街道まで徒歩で戻り昼食をgetしています。

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駅前まで戻り、駅前にあった日よけつきのベンチで昼食を頂くのでありました。

2017年6月 2日 (金)

旅の思い出---第3次旧東海道徒歩の旅85

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2016年の夏休みを利用して強行した第3次旧東海道徒歩の旅を回顧しています。9/5正午過ぎにはJR興津駅手前まで来ていました。すると、このような石碑がありました。当然、男性としては興味を惹かれるのであります。しかも、通学路にあるのです。

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こちらが、表参道となるのでしょう。足が勝手に、こちらの方向に進みそうなのを必死にこららえて旧東海道を進みました。ブログを記載する際に、女体の森 宗像神社について調べてみました。オキツヒメという宗像神社の女性の神を祀り、この神社の大きな松の木が漁師にとって灯台代わりになったようです。


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さらに西方向へ歩を進めると、桜の樹がありました。


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案内には、「興津の薄寒桜 この樹は、1912年(大正元年)、ワシントンのポトマック河畔に当時尾崎東京市長が桜の苗木を寄贈する為、高値の農林省果樹試験場にそれの育成を懇願された際の一種である。従って、この時の苗木はポトマック河畔の桜と同年生まれの兄弟である。尚、この薄寒桜はその子供に当たる」とあります。

やはり、デジカメの露出が変ですね。でも、ゴミ集積場の横に、こちらの寒桜があるのは、少々、もの悲しいと感じます。

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