書籍・雑誌

2017年11月18日 (土)

仮面病棟

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今回は、こちらの本を選択しています。知念実希人氏の「仮面病棟」です。yhideさんから連絡のあった本です。本の帯には以下のように紹介されています。
 
療養型病院に強盗犯が籠城し、自らが撃った女の治療を要求した。事件に巻き込まれた外科医・速水秀悟は女を治療し、脱出を試みるうち、病院に隠された秘密を知る―。閉ざされた病院でくり広げられる究極の心理戦。そして迎える衝撃の結末とは。現役医師が描く、一気読み必至の“本格ミステリー×医療サスペンス”。著者初の文庫書き下ろし!
 
予備知識が全くなく、こちらの本を読み始めました。こちらの本は医療ミステリーなのです。事件発生の経過が少々、突飛かと思っていましたが物語が進むにつれ、それなりに整合性が保持されています。当方、怖い物語は少々、不得手なのです。人が死んだりするのが怖いのです。怖かったので一気読みは出来ませんでしたが2-3日で読了可能です。楽しませて頂きました。

2017年11月11日 (土)

真田太平記---第12巻

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前回から引き続き、今回も池波正太郎氏の「真田太平記第12巻雲の峰」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。
関ヶ原の折の屈辱を忘れかねる徳川秀忠は、家康が死去するとただちに信之の真田藩に襲いかかった。秀忠は、信之の側近に送り込んだ隠密を使い、冬の陣の直後に幸村と密会した事実を突いて取潰しに追込もうとするが、ただ一人生き残った草の者お江の活躍で信之は難をまぬがれる。そんなある日、上田城に向井佐助の最期を見とった摂津の農夫が遺品を届けに現われる…。全十二巻完結。
当方にとって真田幸村が討ち死にした第11巻でこの小説は終了と思っていました。第12巻は付け足しなのかと思いがこの巻途中までありましたが、それなりに楽しませて頂きました。どうもこの本の主人公は、真田幸村ではなく、お江と真田昌幸、信之、幸村のようです。
この巻での気になった記述を抜粋してみましょう。
「昔から川に水がながれるように、おのれの環境に逆らうことなく、それでいて、自分を捨てたことのない三九郎であった」p514
「人間の基本は「ものを食べる、眠る、男と女の営みをする」ことだと、池波さんは言う。しかも、その営為のすべては死へ向かってなされている、のである」p519解説の項
なかなか、意味深いですね。
さて、全12巻の真田太平記を予定より早く読了してしまいました。さて、次はどのような本を楽しみましょうか?

2017年11月 4日 (土)

真田太平記---第11巻 大坂夏の陣

11
前回から引き続き、今回も池波正太郎氏の「真田太平記第11巻大坂夏の陣」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。
 
和議休戦の翌日から、徳川家康はすべての参陣者を動員して外濠のみならず内濠までも埋め立てさせ、真田丸もまた破却されてしまう。幸村を取りこもうとする家康の計略により、信之(信幸改め)と幸村は京都で会見するが、幸村の家康の首を取るという信念はゆるがない。元和元年五月七日、裸城となった大坂城を打って出た幸村は、若き日の予感どおりに向井佐平次とともに戦場に倒れる。
この本でも、気になった箇所を抜粋してみましょう。
「女という生きものは、何事につけても、よいことのみ---を、思っている。先の見通しなどは、ほとんどもたぬ。すべての女が、そうだというのではない。しかし、それが女の本性なのだ」(p184)
「真の力量のない者が、人の上に立つことほど怖いものはない」(p445)
「人の墓も三代を経れば無縁と相なるが世の常でござる。まして、わが名、わが家名など世に残そうとはおもいませぬ」(p453)
そして、この本は良い本です。p433に大坂夏の陣布陣図があるからです。想像、妄想するには丁度良いです。
 

2017年10月28日 (土)

真田太平記---第10巻 大坂入城

10
前回に引き続き、今回も池波正太郎氏の「真田太平記第10巻大坂入城」を選択しています。本の帯には、以下のように紹介されています。
徳川家康が方広寺の鐘銘に難癖をつけるなどして強引に豊臣方を開戦に追い込むのを見てとった真田幸村は、密かに九度山をぬけ出て大坂城に入ることを決意する。大坂入城を果たした幸村は、外濠の外に真田丸と名づけた小さな砦を設け、これに拠って徳川軍を散々に打ちすえる。この一戦によって幸村の武名が初めて天下に轟くが、すでに家康の和平工作が淀君周辺に及んでいるのだった。
こちらの本も「良い本」です。p395に大坂冬の陣の布陣図があります。こちらを参考にして読書すると妄想の世界へ入ることができます。当方、大阪勤務の時代があり、凡その地名は理解できますが、生粋の関西人ではありませんでの全ての地名を理解することはできないのです。
こちらの本で気に入った文を抜粋してみましょう。「人間という生きものは、その肉体の変化によって心も変わる」(p440)です。秀頼のことを指しているのです。まあ、納得できます。
さて、全12巻のうち10巻まで読破できました。残り2巻となりました。次に読書する本の準備が必要になって来ました。
 
 

2017年10月12日 (木)

真田太平記---第9巻 二条城

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前回に引き続き今回も池波正太郎氏の「真田太平記第9巻二条城」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。
淀君によって大坂城から一歩も外に出されたことのなかった秀頼であったが、豊臣家を思う加藤清正らの奔走によって、ついに二条城において家康との対面が実現する。しかし立派に成長した秀頼の姿は、あらためて家康に豊臣家取潰しの決意を固めさせ、甲賀忍びに清正毒殺の使命が下る。東西手切れに向かって情勢が緊迫化する中、その日を見ることなく真田昌幸は永眠する。
この巻では、上洛した秀頼と謁見したことにより、秀頼の若さと京都での人気の高さに焦燥感を抱いた老獪な家康が有名な方広寺鐘銘事件を引き起こすことになります。この辺りの家康の謀略、大阪場内での心理的動揺等は、司馬遼太郎氏の本の記載が詳細なような気がします。まあ、こちらの本の主人公は真田家なので致し方ないかもしれません。さて、物語のつづきは?
 
 

2017年10月 5日 (木)

真田太平記---第8巻 紀州九度山

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前回に引き続き今回も池波正太郎氏の「真田太平記第8巻紀州九度山」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。
 
真田昌幸・幸村のために関ヶ原の決戦に間に合えなかった徳川秀忠は、家康から痛烈な叱責をうける。家康は真田父子に切腹を申しつける決意でいたのだが、真田信幸の舅で徳川家譜代の重臣・本多忠勝の戦も辞さぬ助命嘆願に屈して紀州九度山に蟄居させることとなる。わずかの家来だけをつれて九度山に移った父子は「関ヶ原の戦い」が再びおとずれる日を夢みて孤立した日々をおくる。
今回、こちらの本を読書してみて感じたことは、フィクションとノンフィクションを織り交ぜて本を書くということに面白みを感じました。
こちらの本に登場する忍者は作者の創造でしょう。その創造と史実とを上手く織り交ぜて物語を構成していると感じています。史実としての内容は、司馬遼太郎氏の戦国4部作で既読で承知しています。その歴史の流れに、いかに忍者が関わったかがごく自然に記載されているのです。逆に、こちらの本に記載されているような忍者の活躍があったからこそ、歴史の流れが史実のようになったとも考えることができるのです。
全12巻のうち第8巻を読了しました。こちらの本の特徴は、1章が短い構成となっているのでちょっとした空き時間に無理なく読めてしまうのです。当初は全12巻の読了まで時間を要するかと思っていましたが、結構、早く読み終えてしまうかもしれません。

2017年9月28日 (木)

真田太平記---第7巻 関ケ原

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前回に引き続き今回も池上正太郎氏の「真田太平記第7巻関ケ原」を選択しています。本の帯には、以下のように紹介されています。
 
会津出陣中の徳川軍団から離れ、上田に帰った真田昌幸・幸村は、ただちに城の守りを固める。家康は息子秀忠に中山道をゆく第二軍を率いさせ、真田信幸に先陣を命ずる。秀忠軍四万を上田城に迎えうった真田父子は、様々な謀略を使ってこれを釘づけとし、ついに関ケ原の決戦に間に合わせなかった。真田父子が徳川軍の約半分を削いだにもかかわらず、結束のはかれぬ西軍は家康に敗れる。
この本の巻頭には関ケ原周辺の簡略図があります。「おっ、これは良い本だな」と思って読み始めています。つまり、当方にとっては地図が併記されている本が「良い」本なのです。併記がない場合には、当方は、地図帳を見ながら登場した場所を確認しながら、本を読むのが好きなのです。実際に旅行したつもりになれるからです。途中までこの巻を読み終えたことろで、p255に関ケ原付近図、p283に関ケ原合戦対陣図があることに気が付きました。
可能であれば、このような地図は目立つように巻頭に置いて頂きたいと思います。
この巻の関ケ原合戦の内容は、ほぼ司馬遼太郎氏の同名の本で知ってはいましたが、再度、Wikipediaにある布陣図を見ながら読書しました。こちらのp283にある対陣図は白黒表示で、少々、見難いのでした。

2017年9月21日 (木)

真田太平記---第6巻 家康東下

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前回から率い続き今回も池波正太郎氏の「真田太平記第6巻家康東下」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。
幼い秀頼と豊臣家の行方を案じつつ秀吉が亡くなると、徳川家康は朝鮮の役での文治派と武断派の対立を巧みに操りつつ豊臣家を分断していく。そして石田三成と結んだ上杉景勝を撃つべく家康が会津に兵を進めると、三成が兵を挙げ、ここに東西決戦の陣形が定まる。この重大局面にあたって真田父子は会津出陣の途上で一夜会談し、昌幸と幸村は徳川軍団を離れて上田城に帰り、信幸は留まる。
さて、この巻でも気になった箇所を抜粋してみましょう。三成の親友である大谷吉継の言葉で「三成は、時宜(じぎ)作法など、ことの他に平懐(へいかい)である」(p248)。平懐とは、礼儀作法を守らず遠慮のないことという意味だそうです。大谷吉継は三成の性格が「あまりにも、正直すぎる」と思っていたようです。
また、「大望を抱いた彼らは(秀吉、家康)、おのれの実力をそなえるために、また、人心をわが身にあつめるために、あくまでも微笑を絶やさず、へり下るところはへり下って、いかさまも倦(う)まなかった」(p249)。
世の中は、やはり、人の集団で成立しているのです。
 

2017年9月14日 (木)

真田太平記---第5巻 秀頼誕生

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前回から引き続き今回もこちらの本を選択しています。池波正太郎氏の「真田太平記第5巻秀頼誕生」です。アマゾンでは以下のように紹介されています。
 
肉親を次々と失い朝鮮出兵もうまくゆかず、豊臣秀吉は日に日に生気を失っていく。秀吉歿後をにらんで諸雄は動き始めるが、思いがけず秀頼が誕生したことで天下の行方は混沌となる。いったんは次の天下の主は徳川家康をおいて外にないと確信した真田昌幸であったが、「好きな男」秀吉の世継ぎに己れの命運を賭けようとして、徳川方から嫁をもらった長男・信幸との関係が微妙になる。
さて、この巻でも気が付いた箇所を抜粋してみましょう。「疑うて失敗をいたすより、信を置いてなお、破れる方が良い。疑うて破れたときはなかなか立ち直れぬものじゃが、信ずるがゆえに過ちを見るときには、かならず立ち直ることができる」(p113)
「これよりは、重苦しゅう思案なさるまい。真田家ひとつ、天下にあってもなくとも、どうでもよい」(p224)
「危難に遭遇したときは、まず、笑うてみよ」(p306) こちらは映画Happy Flightでも同様の台詞がありましたね。
いずれも含蓄のある言葉ですね。

2017年9月 7日 (木)

真田太平記---第4巻 甲賀問答

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前回から引き続き今回も池上正太郎氏の「真田太平記第4巻甲賀問答」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。
天下統一をなしとげた豊臣秀吉は、これまでとは人柄も変ったようになり、無謀な朝鮮出兵を号令。そこに豊臣政権のほころび目を見てとった甲賀忍びの頭領・山中俊房は、秀吉の御伽衆である又従弟の山中長俊に早くも手をまわし徳川方への加担を説く。ここに甲賀忍びと真田の草の者との凄絶な戦いが開始され、壷谷又五郎や女忍者お江の常人には推しはかれない活躍が繰り広げられる。
この巻で気になった箇所を抜粋してみましょう。「こうした絶対の危機にのぞんだ場合、無理にも笑ってみるのがよいのだ」(P94)  「われら、忍びの者に限らず、人というものは自分のためのみに生くるのではないぞ。おのれの無事を願い、おのれのためにつくしてくれる他の人びとのために生きねばならぬ」(P223) 「おもうことが、これまでのようにおもうにまかせぬ苛立ちを秀吉は、もてあましている。中略。城を築こう---とおもいたったのも、これならば自分のおもいどおりに事が進められるからである」(P519)
なかなか含蓄のある言葉が並んでいます。
 
 

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