書籍・雑誌

2017年9月21日 (木)

真田太平記---第6巻 家康東下

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前回から率い続き今回も池波正太郎氏の「真田太平記第6巻家康東下」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。
幼い秀頼と豊臣家の行方を案じつつ秀吉が亡くなると、徳川家康は朝鮮の役での文治派と武断派の対立を巧みに操りつつ豊臣家を分断していく。そして石田三成と結んだ上杉景勝を撃つべく家康が会津に兵を進めると、三成が兵を挙げ、ここに東西決戦の陣形が定まる。この重大局面にあたって真田父子は会津出陣の途上で一夜会談し、昌幸と幸村は徳川軍団を離れて上田城に帰り、信幸は留まる。
さて、この巻でも気になった箇所を抜粋してみましょう。三成の親友である大谷吉継の言葉で「三成は、時宜(じぎ)作法など、ことの他に平懐(へいかい)である」(p248)。平懐とは、礼儀作法を守らず遠慮のないことという意味だそうです。大谷吉継は三成の性格が「あまりにも、正直すぎる」と思っていたようです。
また、「大望を抱いた彼らは(秀吉、家康)、おのれの実力をそなえるために、また、人心をわが身にあつめるために、あくまでも微笑を絶やさず、へり下るところはへり下って、いかさまも倦(う)まなかった」(p249)。
世の中は、やはり、人の集団で成立しているのです。
 

2017年9月14日 (木)

真田太平記---第5巻 秀頼誕生

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前回から引き続き今回もこちらの本を選択しています。池波正太郎氏の「真田太平記第5巻秀頼誕生」です。アマゾンでは以下のように紹介されています。
 
肉親を次々と失い朝鮮出兵もうまくゆかず、豊臣秀吉は日に日に生気を失っていく。秀吉歿後をにらんで諸雄は動き始めるが、思いがけず秀頼が誕生したことで天下の行方は混沌となる。いったんは次の天下の主は徳川家康をおいて外にないと確信した真田昌幸であったが、「好きな男」秀吉の世継ぎに己れの命運を賭けようとして、徳川方から嫁をもらった長男・信幸との関係が微妙になる。
さて、この巻でも気が付いた箇所を抜粋してみましょう。「疑うて失敗をいたすより、信を置いてなお、破れる方が良い。疑うて破れたときはなかなか立ち直れぬものじゃが、信ずるがゆえに過ちを見るときには、かならず立ち直ることができる」(p113)
「これよりは、重苦しゅう思案なさるまい。真田家ひとつ、天下にあってもなくとも、どうでもよい」(p224)
「危難に遭遇したときは、まず、笑うてみよ」(p306) こちらは映画Happy Flightでも同様の台詞がありましたね。
いずれも含蓄のある言葉ですね。

2017年9月 7日 (木)

真田太平記---第4巻 甲賀問答

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前回から引き続き今回も池上正太郎氏の「真田太平記第4巻甲賀問答」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。
天下統一をなしとげた豊臣秀吉は、これまでとは人柄も変ったようになり、無謀な朝鮮出兵を号令。そこに豊臣政権のほころび目を見てとった甲賀忍びの頭領・山中俊房は、秀吉の御伽衆である又従弟の山中長俊に早くも手をまわし徳川方への加担を説く。ここに甲賀忍びと真田の草の者との凄絶な戦いが開始され、壷谷又五郎や女忍者お江の常人には推しはかれない活躍が繰り広げられる。
この巻で気になった箇所を抜粋してみましょう。「こうした絶対の危機にのぞんだ場合、無理にも笑ってみるのがよいのだ」(P94)  「われら、忍びの者に限らず、人というものは自分のためのみに生くるのではないぞ。おのれの無事を願い、おのれのためにつくしてくれる他の人びとのために生きねばならぬ」(P223) 「おもうことが、これまでのようにおもうにまかせぬ苛立ちを秀吉は、もてあましている。中略。城を築こう---とおもいたったのも、これならば自分のおもいどおりに事が進められるからである」(P519)
なかなか含蓄のある言葉が並んでいます。
 
 

2017年8月31日 (木)

真田太平記---第3巻 上田攻め

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前回から引き続き、今回も池波正太郎氏の「真田太平記第3巻上田攻め」を選択しています。本の帯には以下のように紹介されています。
 
上州・沼田城の帰属をめぐり北条家と争う真田昌幸は、ついに徳川・北条連合軍と戦端を開く。出来たばかりの上田城に拠った昌幸父子は、捨身の決戦で数倍の敵を退ける。そして、旧態依然たる北条家のふるまいに嫌気がさした豊臣秀吉は、甲賀忍びの御伽衆・山中長俊の仕組んだ謀略を使って開戦にもちこみ小田原城を攻め落とす。こうして秀吉の天下統一はなったのだが…。    
こちらの巻では、第一次上田合戦から秀吉の小田原征伐までが記載されています。  第一次上田合戦では真田軍と徳川軍が交戦することになるのですが、その後、和睦することになります。特に真田家長男の信幸は徳川家から嫁を娶ることになります。一度、争った相手と和解することはなかなか困難だったと思いますが、秀吉の仲介であれば仕方がなかったのでしょう。小田原征伐では山中長俊の策略があったように記載されていますが、その後の北条家の対応に問題があったようです。天下の空気の流れが読めなかったのでしょう。1巻600ページ程度あるのですが、読みやすく読書のスピードは結構、速いのでした。
追記)この巻で気になった箇所を抜粋してみます。「家は雨がもらぬほどに、食事は飢えぬほどでよい。これこそ御仏の教えであり、茶道の本義というものである」(千利休の言葉)(P518) 今の日本人は食べ過ぎでしょう。      
                                                              

2017年8月24日 (木)

真田太平記---第2巻 秘密

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前回に引き続き今回は池上正太郎氏の真田太平記第2巻秘密を選択しています。本の帯には以下のように記載されています。

天下統一を目前にした織田信長が本能寺に討たれたことから、諸雄は再びいろめきたつ。上・信二州に割拠する真田昌幸は、関東の北条、東海の徳川、越後の上杉と対峙しつつ、己れの命運を上田築城に賭けた。一方、昌幸の二人の子供、兄の源三郎信幸と弟の源二郎幸村、そして従兄弟の樋口角兵衛をめぐる真田家の複雑に入り組んだ血筋が、小国の行方に微妙な影を落としてゆく。

帯にもあるように、於国、源三郎、源次郎、角兵衛らに何やら秘密があるようです。そのことがこの巻で少しづつ明らかとなって来ます。史実か否かは不明ですが、結構、速く読めてしまいます。恐らく、フィクションも含まれていることでしょう。

2017年8月17日 (木)

真田太平記---第1巻 天魔の夏

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今回はこちらの本を選択しています。池波正太郎氏の「真田太平記第1巻」です。当方の後輩というか、旧街道徒歩の旅の師匠というか、その方がお好きだと言っていたのを記憶していたからです。本の帯には以下のように紹介されています。
 
天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍によって戦国随一の精強さを誇った武田軍団が滅ぼされ、宿将真田昌幸は上・信二州に孤立、試練の時を迎えたところからこの長い物語は始まる。武勇と知謀に長けた昌幸は、天下の帰趨を探るべく手飼いの真田忍びたちを四方に飛ばせ、新しい時代の主・織田信長にいったんは臣従するのだが、その夏、またも驚天動地の事態が待ちうけていた。
実は内容を知らずに読み始めています。表題から戦国時代の真田氏のことが記載されているのが予想されますが、どうやら真田氏と忍者との関わりの物語のようです。全12巻で初めての池上正太郎氏の本だったので読破可能か否か不安でした。このためbook offで見かけた古本で読書しています。

2017年8月10日 (木)

播磨灘物語---第4巻

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前回から引き続き今回はこちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「播磨灘物語第4巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。
信長が殺された。秀吉は「主の仇」光秀を山城山崎で討ち、その2年後には、豊臣政権を確立した。官兵衛は自分の天下構想を秀吉という素材によって、たとえ一部でも描きえたことに満足だっただろう。この戦国の異才が秀吉に隠居を許され、髪をおろし入道し「如水(じょすい)」と号したのは、48歳のときであった。
黒田官兵衛が秀吉近くで重用されたのは山崎の合戦までだったようです。以後、秀吉は石田三成、大谷吉継といった官僚を重用し始めます。官兵衛は九州制圧へ向かうこととなります。
切れすぎて秀吉に恐れられた官兵衛は、その自覚もあって入道してしまいます。賢い選択だったような気がします。
 

2017年8月 3日 (木)

播磨灘物語---第3巻

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前回から引き続き、今回もこちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「播磨灘物語第3巻」です。アマゾンでは以下のように紹介されています。
官兵衛を信長に取りついでくれた荒木村重が信長に謀反を起こし毛利についた。翻意させるべく伊丹を訪れた官兵衛は囚われてしまう。信長は官兵衛も裏切ったと錯覚し、子の松寿丸を殺せと命じた。竹中半兵衛の策で救われるが、官兵衛が牢を出た時は、半兵衛、既に病死。牢を出てからの官兵衛は身も心も変る。
秀吉を支えた軍師で、後に両兵衛と言われる官兵衛と半兵衛の接点がこの巻で記載されています。半兵衛は信長の命に反して官兵衛の嫡男を自分の領地で匿(かくま)い、官兵衛が救出される半年前に死亡してしまう半兵衛が少々、可哀想でもあります。
ただ、半兵衛に関しては後世の創作された部分もあるのかもしれません。
さあ、次は最終巻となります。

2017年7月27日 (木)

播磨灘物語---第2巻

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今回はこちらの本を選択しています。前回同様、引き続き司馬遼太郎氏の「播磨灘物語第2巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。

官兵衛は信長に新時代が出現しつつあるというまぶしさを感じていた。「だからこそ織田家をえらんだ」のだ。信長に拝謁した官兵衛は、「播州のことは秀吉に相談せよ」と言われ秀吉に会う。秀吉は官兵衛の才を認め、官兵衛も「この男のために何かせねばなるまい」と感じた。ふたりの濃密な関係が始まった。

第2巻では主に播州平定に関する記載がなされています。官兵衛は本来の主人であり凡庸な小寺藤兵衛に織田方へ付くように説諭しますが、始終、藤兵衛は優柔不断な態度を取ります。そんななか荒木村重の謀反が発生するのです。その原因は、やはり信長の徳のないこと(延暦寺での大量虐殺)が起因しているようです。

まあ、戦国時代でも現在でも「徳」のない人には誰も追いてはいかないのです。一般民衆の声が「天下」なのでしょう。さて、次巻では官兵衛は囚われの身となるはずです。

2017年7月20日 (木)

播磨灘物語---第1巻

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今回は、こちらの書籍を選択しています。司馬遼太郎氏の「播磨灘物語第1巻」です。この前に読書していたのが童門冬二氏の「黒田如水」ですが、本来はこちらの播磨灘物語を読書したかったのです。播磨灘物語の主人公も黒田官兵衛であり、作家による記載の相違を見てみたかったのです。そこで先に童門冬二氏の本を読書しました。播磨灘物語の帯には以下のように紹介されています。
黒田官兵衛。戦国時代末期の異才。牢人の子に生まれながらも、二十二歳にして播州・小寺藩の一番家老になる。だが、「この程度の小天地であくせくして自分は生涯をおわるのか」という倦怠があった。欲のうすい官兵衛だが、「広い世界へ出て、才略ひとつで天下いじりがしてみたい」という気持ちは強かった。
 
童門冬二氏の黒田如水は博多へ異動してからの記載となりますが、司馬遼太郎氏の播磨灘物語では官兵衛の祖父の時代からの記載となります。官兵衛の人生を知る上では、こちらの方が期待できます。官兵衛が当方と同じ生年月日であることに喜びを覚えました。

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