書籍・雑誌

2017年4月20日 (木)

経済で読み解く明治維新

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今回は、こちらの本を選択しています。上念司氏の「経済で読み解く明治維新」です。新書版となります。アマゾンでは以下のように紹介されています。

江戸時代の日本は“世界最強”の「資本主義」の国だった!“世界史の奇跡”と言われる、「明治維新」とはいったい何だったのか?江戸幕府のマクロ経済政策から百姓のビジネスモデルまで、維新前史を“経済的視点”で描く―「経済」がわかれば、「日本」がわかる!!

こちらの本を選択したのは、朝の武田鉄矢氏のラジオで紹介されていたからです。内容としては、江戸時代には既に日本の経済は円熟していたこと、我々が教育現場で習った日本史特に新井白石、将軍吉宗、松平定信といった良い印象を持っている人々に経済観念がなく日本経済を悪化させたこと、日米修好通商条約締結後、交換レート設定の不備で幕府滅亡が早まったことでしょうか。

経済音痴の当方には、少々、内容が難しかったようです。スイスイ、読書可能なのですが、余り頭には残らないのです。

2017年4月 6日 (木)

関ケ原---下巻

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今回は、こちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「関ケ原下巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。

天下取りの見果てぬ夢を追い求めて関ヶ原盆地に群れ集った10数万の戦国将兵たち…。老獪、緻密な家康の策謀は、三成の率いる西軍の陣営をどのように崩壊させたか?両雄の権謀の渦の中で、戦国将兵たちはいかにして明日の天下に命運をつなぎ、また亡び去ったのか?戦闘俯瞰図とも言うべき雄大な描写の中に、決戦に臨む武将たちの人間像とその盛衰を描く、波瀾の完結編。

この本を読むと、戦い前に既に西軍は調略され全く戦意の乏しい烏合の衆となっていた印象です。戦意のあった西軍は、石田三成、大谷吉継、宇喜多秀家程度でしょうか。他の西軍は日和見で、東軍に内通していたようです。

こちらの本を読んで感じたことは、三成のように他人に完璧を求め、他人から嫌われると身の破滅に繋がるということでしょうか。

関ケ原の合戦の戦闘部分は、Wikipediaの両軍布陣図を見ながら読書しました。小早川秀秋、吉川広家の布陣した位置の重要性が判ります。

2017年3月30日 (木)

関ケ原---中巻

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今回はこちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「関ケ原中巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。

秀吉の死後、天下は騒然となった。太閤の最信任を獲得した能吏三成は主君の遺命をひたすら堅守したが、加藤清正、福島正則ら戦場一途の武将たちは三成を憎んで追放せんとする。周到な謀略によって豊家乗っ取りにかかった家康は、次々と反三成派を篭絡しつつ、上杉景勝討伐の途上、野州小山の軍議において、秀頼の命を奉ずる諸将を、一挙に徳川家の私兵へと転換させてしまう。

さて、今回も気になった箇所を抜粋してみましょう。「ひとには感情というものがござる。道理や正しさを楯にとってひとの非を鳴らすのは敵を作るだけで何の利もござりませぬ」(島左近の石田三成に対する言葉)(p300)

「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる、とういうことばがある。すばしっこい兎が野山でとりつくされてしまうと、それまで猟師のために働いた猟犬が不用になり、殺して烹て食われてしまうとうい意味である。如水はそのことばも知っている」(p411)

天下を統一して安定期に入った豊臣秀吉は、黒田如水のことを最も恐れていたと言われています。

2017年3月23日 (木)

関ケ原---上巻

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今回はこちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の関ケ原上巻です。本の帯には、以下のように紹介されています。
東西両軍の兵力じつに十数万、日本国内における古今最大の戦闘となったこの天下分け目の決戦の起因から終結までを克明に描きながら、己れとその一族の生き方を求めて苦闘した著名な戦国諸雄の人間像を浮彫りにする壮大な歴史絵巻。秀吉の死によって傾きはじめた豊臣政権を簒奪するために家康はいかなる謀略をめぐらし、豊家安泰を守ろうとする石田三成はいかに戦ったのか。
さて、これまで時代経過に伴い司馬遼太郎氏の戦国4部作となる「国盗り物語」、「新史太閤記」を読書して来ましたが、その第3シリーズとして「関ケ原」を読むことにしています。時代経過としては、同氏の「城塞」が第4部作目となるようです。まあ、ここまで来たら「城塞」も読書することになりそうです。
さて、「関ケ原」です。
この本で気になった箇所を抜粋してみましょう。
島左近は、石田三成の欠点について、こう指摘した。「人間に期待し過ぎるようですな」(p133)。
家康の加藤清正の評価です。「性格が武士でありすぎる。政治感覚がないのである」(p217)
家康の石田三成の評価です。「かの秀吉という仁は、瞬時も手足を休めず、さまざまな手を打つのに忙しい仁であったが、しかしここは一番待たねばらなぬとなると、大地が腐るまで我慢をするという気根があったな。三成にはそれがない」(p284)。
 
なるほど、左近は大人である。家康はそれよりもさらに、地についた大人である。出来ることを無理なく地道にやってゆく(p332)。
色々と良い言葉に出くわします。今回、この本から島左近なる人物の存在を初めて知りました。世間に知れた三成の名軍師です。

2017年3月16日 (木)

新史太閤記---下巻

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今回は、こちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の新史太閤記下巻です。本の帯には以下のように紹介されています。

備中高松城を水攻めのさなか本能寺の変を伝え聞いた秀吉は、“中国大返し"と語り伝えられる強行軍で京都にとって返し、明智光秀を討つ。柴田勝家、徳川家康ら、信長のあとを狙う重臣たちを、あるいは懐柔し、あるいは討ち滅ぼすその稀代の智略は、やがて日本全土の統一につながってゆく。常に乱世の英雄を新しい視角から現代に再現させる司馬遼太郎の「国盗り物語」に続く戦国第二作。

この下巻にも心に残る言葉がいくつかあります。抜粋してみましょう。

「官兵衛、世の事はすべて陽気にやるのよ」それが秘訣だ、と秀吉はおもっている。悪事も善事も陽気にやらねばならない(p280)。

さらに驚くことに安国寺恵瓊は信長が暗殺される10年も前に、信長の時代は短く、藤吉郎の世が来ることを予想しています(p91)。

そういえば、NHK大河ドラマ(黄金の日日、1978年)でこの安国寺恵瓊役を先日、他界された神山繁さんが演じていたことが記憶に残っています。

2017年3月 9日 (木)

新史太閤記---上巻

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今回は、こちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「新史太閤記上巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。

日本史上、もっとも巧みに人の心を捉えた“人蕩し"の天才、豊臣秀吉。生れながらの猿面を人間的魅力に転じ、見事な演出力で次々に名将たちを統合し、ついに日本六十余州を制覇した英雄の生涯を描く歴史長編。古来、幾多の人々に読みつがれ、日本人の夢とロマンを育んできた物語を、冷徹な史眼と新鮮な感覚によって今日の社会に甦らせたもっとも現代的な太閤記である。

さて、勿論、日本人なら誰でも知っている秀吉です。一見、秀吉の人生は信長と出会ってからは順風満帆かのように誤解していましたが、生命の危機を何度も乗り越えていることが上巻からは知ることができます。

 秀吉が信長より1つ優れていることは、「信」を大切にしたということでしょう。

信長は、戦略的功利性のみを重要視し、天下に「信」を得るということを軽視し続けてきた。これが、信長という天才の限界ではないか(p524)(一部、改変)。

人を道具としてのみ扱い、「信用」を重要視しなければ、その結末は悲劇的なものとなったことは周知の事実ですね。

信長の名の内に、「信」があるのですが。

2017年3月 2日 (木)

国盗り物語---第4巻

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今回は、こちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「国盗り物語第4巻」です。本の帯には以下のように紹介されています。

すさまじい進撃を続けた織田信長は上洛を遂げ、将軍に足利義昭を擁立して、天下布武の理想を実行に移し始めた。しかし信長とその重臣明智光秀との間には越えられぬ深い溝が生じていた。外向する激情と内向し鬱結する繊細な感受性―共に斉藤道三の愛顧を受け、互いの資質を重んじつつも相容れぬ二つの強烈な個性を現代的な感覚で描き、「本能寺の変」の真因をそこに捉えた完結編。

今回、こちらの本を読み新たに知ったことがあります。道三、信長、光秀が姻戚関係にあったこと。信長、光秀が道三の弟子のような存在であること。信長が「人」を道具としてのみ扱っていたこと等です。

信長の「人」を道具としてしか扱っていなかったことに関しては、道具として使えなくなった林通勝佐久間信盛らが織田家から追放されたことで判然とします。

光秀も同様の恐怖を感じていたようです。本能寺の変前に光秀は精神的に病んでいたような気がします。

本能寺の変後の細川幽斎の光秀に対する評価の記述が端的に表しています。「所詮は光秀は最も優れた官僚であり、最も卓(すぐ)れた軍人であっても、第三流の政治家ですらないのである」(p686)

今回、こちらの本を読み当方は光秀のファンになりました。秀吉とは異なり不器用にしか生きることしかできない光秀に共感してしまうのです。

「人」を道具にしか扱っていない信長は結果的に人の心を掴むことができず本能寺の変で他界してしまいます。当然と考えるべきでしょう。

 

2017年2月23日 (木)

国盗り物語---第3巻

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今回は、こちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「国盗り物語第3巻」です。

本の帯には以下のように紹介されています。

美濃を征服した斉藤道三は義理の子義竜の反乱に倒れたが、自らの天下統一の夢を女婿織田信長に託していた。今川義元を奇襲して鋭鋒を示した信長は、義父道三の仇を打つべく、賢臣木下藤吉郎、竹中半兵衛の智略を得て美濃を攻略した。上洛を志す信長はさらに畿内制覇の準備工作を進めてゆく…。信長の革命的戦術と人間操縦、その強烈な野性を、智将明智光秀を配して描く怒涛編。

こちらの本を読んで初めて知ったころがあります。信長といえは、桶狭間の合戦で勝利し全戦全勝のimageがありますが、事実は全く異なっているようです。美濃への侵攻でも非常に苦労をして負け戦の方が多かったようです。命からがら単身で城へ逃げ戻っているようです。テレビなどでは全戦勝利しているように思いがちですが、実際は異なるようです。

また、光秀と信長は因縁の関係であったことも知りました。信長の正室お濃姫は斉藤道三の正室の娘ですが、道三の正室は小見の方といい光秀の叔母にあたります。お濃姫は、信長に輿入れする前には、光秀への輿入れの話もあったようです。まあ、人間、色々とあります。

2017年2月 9日 (木)

国盗り物語---第2巻

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今回は、こちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「国盗り物語第2巻 斎藤道三後編」です。本の帯には以下のように書かれています。
気運が来るまで気長く待ちつつ準備する者が智者。気運が来るや、それをつかんでひと息に駆けあがる者が英雄。―それが庄九郎の信念であった。そして庄九郎こそ、智者であり英雄だった。内紛と侵略に明け暮れる美濃ノ国には英雄の出現は翹望する気運が満ちていた。“蝮”の異名にふさわしく、周到に執拗に自らの勢力を拡大し、ついに美濃の太守となった斎藤道三の生涯。
その表題通り、斎藤道三中心に物語は進行していきます。斎藤道三は文武両道で、権謀術数にも長じた良い意味でも悪い意味でも英雄なのでしょう。ただ、この道三も「義」と「信」は自分に課していたようです(p203)。いくら戦国時代でも、義と信がなれれば他人はついてこないことでしょう。
さて、第3巻かはら信長が登場します。

2017年2月 2日 (木)

国盗り物語---第1巻

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今回は、こちらの本を選択しています。司馬遼太郎氏の「国盗り物語第1巻」です。本の帯には以下のような説明があります。

世は戦国の初頭。松波庄九郎は妙覚寺で「智恵第一の法蓮房」と呼ばれたが、発心して還俗した。京の油商奈良屋の莫大な身代を乗っ取り、精力的かつ緻密な踏査によって、美濃ノ国を“国盗り”の拠点と定めた!戦国の革命児斎藤道三が、一介の牢人から美濃国守土岐頼芸の腹心として寵遇されるまでの若き日の策謀と活躍を、独自の史観と人間洞察によって描いた壮大な歴史物語の緒編。

当方が小さいころにNHK大河ドラマで国盗り物語を放送していました。今回、再度、司馬遼太郎の作品を読書してみたくなり、こちらの本を選択しました。果たして、「胡蝶の夢」、「菜の花の沖」を超す作品でしょうか。物語は端緒についはばかりです。今後、時代の流れに従い「新史 太閤記」、「関ケ原」と読書を進める予定です。

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